倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
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水戸線・東北本線の客レについて
水ミトのオハ46 2001の転属について





倶楽部メモ(49) 平成12年 6月16日〜 6月18日



投稿者 急行リアス
投稿日 06月16日(金)16時18分33秒
タイトル 水戸線と東北本線黒磯以北は?
本文 はじめまして。
掲示板以外の部分も充実してると思ってましたが、
この掲示板自体も、かなりのものですね。
PC単独のHPが意外に少ない実情も、その背景にあるのでしょうか。
で、この充実ぶりに乗じて、ご質問させていただきます。
1970〜80年代の水戸線および東北本線黒磯以北の
普通客レについて、詳しくご存知の方がおられましたら、
ぜひ教えてください。レス、心よりお待ち申し上げます…。



投稿者 水ミト
投稿日 06月16日(金)21時46分22秒
タイトル
本文

こんにちは。

私は「一般型客車」とか「旧型客車」というのを使っていますが、
昭和20〜30年代からこの趣味をされていらっしゃる方々からすると、
「旧型」もひっかかるでしょうね。

20系、50系、12系、14系等々、1つの形式で運用される時代となった
現代(と言っても、客車も風前の灯火ですが)となっては、
10系以前に登場していた一般型客車の総称として「雑形」と呼ぶ風潮が
出ていたのも仕方ないのかなぁとは思います。

ただし雑形、雑客という名称がひんぱんに使われたのは昭和55〜60位で、
最近はあまり耳にしませんね。

ちなみに水戸線客レは郵便車(スユニ)が付いてましたね。
昭和57年11月改正で消えました。
客車は水ミト、機関車は内郷でした(末期)。




投稿者 伊藤正宏  
投稿日 06月16日(金)23時28分05秒
タイトル 水戸線の客レ
本文

水ミトさん、こんにちは。

水ミトというハンドルネーム素晴らしいですね。
祖母が住んでいる平まで遊びに行く度に乗っていた常磐線の旧形客車だったからです。
ところで水戸線の客レは中学生の時か高校生の時に一度だけ写真を撮りに行ったことがあります。
そのときキャノネットで撮ったスユニ60形の写真を弊サイトに掲載していますが、
昭和57年には消滅したということから、廃止直前にギリギリで撮ったのかも知れません。
そのとき、他の車両はオハ35、スハ42、スハ43、スハフ42形で牽引はEF81形でした。
あのときもっとたくさん写真を撮っておけばよかったと後悔していますが、
やっぱり10代では経済的なことからも無理だったかなぁ。

投稿者のホームページ



投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 06月17日(土)12時54分17秒
タイトル RE:水戸線と東北本線黒磯以北は?
本文

急行リアスさん、はじめまして。

1970〜80年代の水戸線および東北本線黒磯以北の普通客レについてとのことで、
詳しくはありませんが、地元ネタなので当時の話を少々。
郡山に住んでいるので、東北本線の黒磯〜福島間にはちょくちょく乗車していました。
車両的にはオハフ33・オハ47などを中心とした俗に言う35系・43系
(大キトさんの言うとおり、現場では20系以前には系は使われていなかったようですが、
総称ということであえて使わせて下さい)が大多数で、オハフ61が少々といった状況でした。
少なくてもこの区間では10系座席車は見なかったように記憶しています。
車体の色は、青とぶどう色が半々程度(やや青が多かったような?)
編成は10両を越える列車も多く、長大編成?でのんびりと走っていました。
当時の東北本線は「ひばり」を中心とした特急街道で、次々と特急・急行に抜かれていた
記憶があります。
運用的には80年代にはいると短区間の運用が多かったと思いますが、70年代には
郡山でも一関行きなどの長距離の列車を見かけたように覚えています。
通勤・通学には利用したことがないためピーク時の混雑はわからないのですが、それ以外の
時間帯は比較的すいており、座れなかったという記憶はあまりなく、時間帯によっては
最後尾の車両などに乗っていると乗客が自分一人ということもありました。

雑客についてですが、みなさんの言っているとおり、本来は鉄道国有化時に私鉄から
編入された雑多な形式、という意味で「雑形客車」と言っていたはずなのですが、
いつのまにか旧型(一般型)全体を雑形という人もいるようですね。
雑という言葉ですが、確かに「雑草」などというといいイメージはありませんが、例えば
「雑誌」のように市民権を得た?言葉もありますし、実際に国鉄内部で使われていた
言葉でもありますし(意味は違いますが)いちがいに否定は出来ないような・・
しかし、私としても「雑」という言葉にいいイメージはないので、旧客全体を「雑客」
というのは反対派で「旧客」で通しています。




投稿者 221レ
投稿日 06月18日(日)02時10分40秒
タイトル すずらん公開ですが 
本文

久々に投稿します。
映画すずらんが公開されましたが
JR北海道に売却された以外の高崎にいた客車って
今どうなっているのでしょうか?

ご存知の方いたら教えてください。

旧型客車って言い方もまずい?かもしれませんが
やはり、あちこち疎開して回っているのでしょうか
スハフ32などはかなり内装がいたんでいたから・・・
ニス塗りの客車に乗りたければ大井川に行くしかないのですね?
そのうち鉄道文化村に展示されるのでしょうか
鍵がかっかた状態で・・・

昔の話ですが、S50年代頃、上野発一ノ関行123レには
前から2両目にナハ11が連結していた記憶があります。
窓が大きく車内が明るい感じがしたと記憶しています。
牽引機はEF58[宇]贅沢な列車でした。
今はJR東海にいる122号機のお世話になったことがあります。
この頃、津軽などを牽引していたEF57の方が人気があった気がします。

小山で水戸線に乗り継ぐとEF80牽引の客車列車があり
オハ61などが連結していました。

おまけにカニ38改の救援車は国鉄末期佐倉で見たことがあります。
カニ21のシャッター扉のようなやつがたくさん並んでいて異彩を放っていました。

国鉄末期の485系や新幹線は画一的でつまらないと思っていましたが
追うも追われる者、国鉄型も少なくなりましたね?
そのうちカシオペアが最後の客車になるかもしれません。
それでは。




投稿者 急行リアス
投稿日 06月18日(日)15時00分32秒
タイトル 「雑客」にも歴史ありか!? 
本文

そうですか。「雑客」という言い方にも、
それなりの背景があるのですね。よくわかりました。
しかし、こんな簡単な一言に、これだけのレスが寄せられるとは。
やはり、この掲示板、かなり濃いです。
みなさん、スバラシイ!
それと「水戸線&黒磯以北の普通客レ」へのレス、
ありがとうございます。
実は私自身も幼い頃、実父の郷里が水戸線沿線だった関係で、
何回か乗った記憶があるのですが、どうも曖昧で。
それから黒磯以北ですが、今からは想像もつかないくらい、
新幹線開業以前は走ってましたよね、ホントに。
あれから約20年ですか(う〜ん、確かに年をとりました、私も)。
黒磯まで行けば、そこから先は旧客ワールドが健在だったのが、
懐かしく思い出されます……。

PS.「レトロトレイン駒子号」って、今年も走るんですね。
てっきり川端康成生誕100周年記念がらみだから、
去年だけかと思ってましたけど、うれしい!
新潟支社って、本当は旧客好きなのかな?
以前、「哀愁列車号」とかありましたし。




倶楽部メモ(50) 平成12年 6月18日〜 6月25日



投稿者 水ミト  
投稿日 06月18日(日)18時44分39秒
タイトル Re:水戸線の客レ
本文

伊藤正宏さん、こんにちは。水ミトです。

>キャノネットで撮ったスユニ60形の写真を弊サイトに掲載していますが、

早速、拝見させていただきました。
私は水戸線沿線に住んでいたのですが、学校の社会見学で駅に行ったとき、
ホームに郵袋が沢山積んであったのを記憶しています。懐かしい限りです。

>他の車両はオハ35、スハ42、スハ43、スハフ42形で牽引はEF81形でした。

水ミトは、昭5711改正まではオハ35が残っていたのですが、改正で状態の良い
オハ46・47 オハフ45・46が転属してきて追い出してしまいました。

水ミトは大宮工が担当だったせいか、比較的整備された車両が多かったと思います。

現在、高崎にいるスハフ42、オハ47も旧水ミトですし。




投稿者 伊藤正宏  
投稿日 06月19日(月)13時29分01秒
タイトル 水ミトの客車 
本文

水ミトさん、こんにちは。
 伊藤正宏です。

> 水ミトは大宮工が担当だったせいか、比較的整備された車両が多かったと思い
> ます。

 確かにオハ35形等の客車はきれいでした。ネガは実家に行かないと無いのが残念ですが、、、
その当時、常磐線以外で旧形客車自体を見るのが始めてですごく感動したのを覚えています。
また、当時スハ43形はKATOやグリーンマックスの模型があったので知っていましたが、スハ42
形という知らない形式を見た時にびっくりした記憶も残っています。

 昭和57年以前は、水戸線だけでなく常磐線にもオハ35形が見られたということでしょうか?

投稿者のホームページ



投稿者 水ミト
投稿日 06月19日(月)17時00分42秒
タイトル Re:水ミトの客車 
本文

伊藤さん、こんにちは。

>スハ42形という知らない形式を見た時にびっくりした記憶も残っています。

スハ42形は昭和60年3月まで、常磐線水戸以北の普通列車で使われていました。
番号は2047・2048の2両でした。
 2047は川崎生田緑地で利用されていますが、アルミサッシ、便所窓更新など、
典型的な大宮工場仕様?だと思います。
 2048は逆に、ニス塗り(私の記憶では)だったと思います。外見も改造はされていませんでした。

>昭和57年以前は、水戸線だけでなく常磐線にもオハ35形が見られたということでしょうか?

水戸区持ちの、常磐線水戸以北、水郡線、水戸線では使用されていたはずです。
ただし常磐上野口は北オクなので、水ミトの車両は原則的に入らなかったはずです
(貸し出しなど例外も考えられますが)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
あと水ミトの謎として、
オハ46 2001の転属があります。
昭和60年3月当時水ミト配置ではなかったのですが、昭和61年3月には水ミトになっています。
つまり水ミトに一般型客車運用がないにも関わらず、転属してきているのです。
昭和60年3月当時水戸客貨車区あたりをうろついていましたが、一度も見たことがありません。
つまり貸し出しされていた形跡も無さそうなのです。
以下は推測ですが、高崎の保存車両との兼ね合いがあったのではないか?と思っています。
水戸の車両も高崎へ行ってますし。

なにか御存知の方いらっしゃいませんか?




投稿者 伊藤正宏  
投稿日 06月19日(月)21時08分22秒
タイトル オハ46 2001について
本文

水ミトさん、皆さん、こんにちは。

> あと水ミトの謎として、
> オハ46 2001の転属があります。
> 昭和60年3月当時水ミト配置ではなかったのですが、昭和61年3月には水ミトになっています。
> つまり水ミトに一般型客車運用がないにも関わらず、転属してきているのです。
> 昭和60年3月当時水戸客貨車区あたりをうろついていましたが、一度も見たことがありません。
> つまり貸し出しされていた形跡も無さそうなのです。

 オハ46 2001ですが、秋アキからの貸出ということで常磐線の旧形客車の全廃以前
から常磐線で使用されていました。1985年当時、3月の大学受験から鉄道写真解禁と
いうことで、平の親戚の泊まり込みで数日間に渡って平駅で旧形客車や451系電車を
撮っていましたが、その間に「水ミト」という表記の オハ46 2001が走っていました。
1985年3月ダイヤ改正直前は雪が降った日があったため形式写真としてはイマイチで
したが、秋アキからの貸出なのに「水ミト」という表記のオハ46 2001は撮れました。
でも、イマイチなので修正に修正を重ねた後に弊サイトで公開する予定です
ので写真はしばらくお待ち下さい(お見せできないかもしれませんが)。
 ですので、1985年3月ダイヤ改正直前の平駅では「盛モカ」のスハ43 2001や前記
オハ46 2001などのトップナンバーが見られ賑やかでした。
ただ、カメラとフィルム、それと撮影技術がイマイチだったのが悔やまれます。

 話しは戻りますが、その後オハ46 2001は保存されていないことから、高崎の保存
とは関係ないと思い ます。




投稿者 伊藤正宏  
投稿日 06月19日(月)22時37分17秒
タイトル オハ46 2001について(追記)
本文

水ミトさん、皆さん、こんにちは。

 先ほどの書き込みは子供と遊びながらの作業でしたので、日本語が変になってました。
それにしてもJR化からそれほど遠くない時代の「北オク」に旧形客車が配属されていた
なんて信じられませんね。
確かその頃の上野口の客車にはオユ10形も連結されていたと思います。
その当時撮れなかったので、わずかその数年後にオユ10形を追いかけるために
土崎工場まで行く羽目になるとは(しかも解体直前)。

 昭和60年代の鉄道界は近代化への移り変わりの時代だったと思います。

投稿者のホームページ



投稿者 水ミト
投稿日 06月19日(月)23時23分03秒
タイトル 水ミトオハ46 2001!
本文

伊藤さん、こんばんは。
そして詳細有り難うございます。
水ミトオハ46 2001が営業運転に使われていたとは、全く知りませんでした。
営業終了後、正式に転属するとは、これまた謎ですね。
オハ46 2001が保存対象になれば良かったのになぁと、思っています。
ちなみに現在高崎にある旧水戸区車は、つくば博お召しの時に試運転用として
最後まで水戸区ヤードにとどまっていた車両でした。
その後北局主催のイベント用に使われ、いつの間にか高崎車になりました。

私自身は、比較的整備された青15号客車が11両編成で電化区間をかっ飛ばす
列車が大好きでした。
そういう点、常磐線は比較的末期まで恵まれていたような気がします。 




投稿者 伊藤正宏  
投稿日 06月20日(火)00時22分21秒
タイトル つくば博お召しの試運転
本文

水ミトさん、皆さん、こんにちは。

> ちなみに現在高崎にある旧水戸区車は、つくば博お召しの時に試運転用として
> 最後まで水戸区ヤードにとどまっていた車両でした。

 この試運転は当時結構有名で、このときの列車については走行写真を撮りました。
駅撮り以外で撮った唯一の走行写真です。
 このときの車両が高崎に集められたのですか、知りませんでした。

投稿者のホームページ



投稿者 瑞貴  
投稿日 06月22日(木)01時06分29秒
タイトル オハ462001のこと
本文

 はじめまして。瑞貴と申します。当掲示板をいつも楽しく見ています。

 今、オハ462001が話題になるとは思っても見ませんでした。
 水ミトの客車の中で、珍しく横軽対策未施行車で、車番の前の丸印が有りませんでした。
たしか、同じ時期に秋カタから転入したオハ472250と2両だけだったと記憶しています。
 秋アキ時代には急行”鳥海”で上野まで来ていましたが、その当時の写真と比べると、
片側の台車がオハ46固有の台車軸箱が軽量化されたTR47(正式名称は分かりませんが)
から、通常のTR47に変更されていました。
多分、全検時(土崎工施行?)の時に、交換されたのでしょう。
 そのオハ462001も、’89・6頃には、客車の廃車体が留置されていた旧いわき貨物駅
(当時、まだ10数両ほど留置されていました)から姿が消えていました。
多分、用途廃止後、早めに解体されたのでしょう。
 蛇足ながら、’82・11改正後、水ミトには北オク以外からの転入車が、
秋アキからのオハ462001以外にも、秋カタからのオハ472250・2287、
南シナからのスハフ422224(北オク経由?)などがありました。
逆に、ほとんど廃車になったオハ35系から、福フチにオハフ33が3両転属しています。

 以上、当時のことを思い出しながら、思いつくまま書いてみました。




投稿者 水ミト  
投稿日 06月24日(土)10時35分55秒
タイトル オハ462001&オハ36
本文

こんにちは。
私が知らないだけで、意外と水ミトのオハ46 2001は有名だったようですね。
色々情報有り難うございます。
長年の謎が解けたと同時に、見れずに残念という複雑な思いです。

それとグリーンマックスオハ36の件ですが、
グリーンマックスのオハ35戦後型という商品は、戦後型前期のタイプです。
車端絞り有りの折妻・非丸屋根というタイプで、現在では一号編成の供奉車なども同じ形状です。

実車のオハ36はスハ42の軽量化車で、スハ42はオハ35戦後型後期と同型です。
戦後型後期は、いわゆるキノコ型と呼ばれる車端絞り無しの折妻・非丸屋根のタイプです。
従って、オハ35戦後型前期のキットを素組しただけでは、オハ36やスハ42にはならないはずです
(異端車がいれば別ですが)。

なお台車も異なってきますが、とりあえず車体の違いだけ...

>またアルミサッシ改造のオハ35がどの地区に多く配置されて
>いたかお教え下さい。

私は実車はあまり見ていないので何とも言えませんが、
オハ35のサッシ車は、北陸筋に多かったような印象があります。
こちらの方は、より御存知の方のフォローをいただければと思います。



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