倶楽部メモ(824)

令和3年4月20日〜5月8日

寝台列車の昼間利用・音戸1−2号



投稿者

ミキスト

投稿日

2021年 4月20日(火)13時09分53秒

タイトル

寝台列車の昼間利用

お世話になります.
急行安芸などの10系寝台列車の昼行時間帯の座席利用は
どのようなものだったのでしょうか.
急行北上では,昼行になる上野,仙台間はロフの増結があったとのことですが,
ハザは1,2両でした.
昼間のハネでは横3人掛け?,自由or指定席?,
ロネは1人掛けでグリーン使用?などなど.
お教え願いたいのす.よろしくお願いします。




投稿者

クモイ103

投稿日

2021年 4月24日(土)09時29分45秒

タイトル

Re: 寝台車の昼間利用

ミキスト様

昭和45(1970)年に廃止された急行「安芸」で
寝台車の座席利用が行われていたのかは存じませんが、
時代が下って東北新幹線開業直前、
交通公社の時刻表1982(昭和57)年5月号の
ピンクのページ「国鉄の営業案内」から、
ちょっと長いですがそのまま引用します。

*****

寝台列車の座席利用

◆寝台列車を昼間座席として利用する場合、
上り列車は指定席特急券または急行券・指定席券、
下り列車は立席特急券または急行券でご乗車できます。
また、A寝台を昼間、座席利用できる列車もあります。
この場合、上り列車、下り列車とも指定席特急券
または急行券と指定席グリーン券でご乗車できます。
◆指定席特急券または急行券・指定席券は駅の「みどりの窓口」で、
ご乗車の列車が始発駅を出発する日の2日前の10時から、発売しています。
指定席券に下段と表示のあるものは窓側、中段は中央、
上段は通路側の座席をご利用ください。
◆立席特急券または急行券は下表の区間内の乗車駅で、
ご乗車の2日前の10時から、枚数を限って発売しています。
立席特急券の料金は自由席特急券と同じです。
◆下段以外はご利用にならないでください。

******

…とあって、以下「寝台券なしでご乗車できる区間と寝台列車」
という一覧表が示されています。
基本的に狭義の「寝台列車」つまり寝台車のみで
座席車の無い列車ばかりなのですが、
例外的に、普通車自由席が多く連結されていた急行「津軽3-2号」が、
秋田−青森間でA寝台車のみ座席利用ができるとされています。
この列車の同区間は完全に昼行時間帯であり、
座席のグリーン車が連結されていない事から、
その代替措置であったと考えられます。

なお蛇足ながら、寝台車の座席利用といった営業政策上の制度は、
時代によっていろいろ変遷している可能性があります。
上記の状況はあくまで1982年当時のものであり、
他の時代には異なっていたかもしれません。




投稿者

クモイ103

投稿日

2021年 4月24日(土)19時45分48秒

タイトル

Re2: 寝台車の昼間利用

自己レスです。
時刻表を遡って調査したところ、
前書き込みでご紹介したような
大々的な「寝台列車の座席利用」が始まったのは意外に新しく、
1978(昭和53)年10月2日全国ダイヤ改正(ゴーサントオ)からでした。
それ以前は、一部の長距離ブルートレインの下り列車の一部区間で
ハネを普通車自由席扱いにする措置がとられていました。
東京発熊本・長崎行き「みずほ」の博多からなどがそうでした。
しかし上りでは、どんなに早い時間帯に始発駅を出る列車でも、
いわゆる“ヒルネ”扱いは無かったようです。
ゴーサントオ改正以降、くだんの「みずほ」では下りが7:35発の宇部から、
上りは18:35着の博多まで、“ヒルネ”扱いが行われるようになりました。
なお、1978年10月号の関連記事にはA寝台車に関する記述がない事から、
A寝台車をグリーン車扱いする“ヒルネ”が始まったのは
もっと後の時期だったのかもしれません。

余談ですが、個室寝台車が増えてきた後の時代と違い、
この時代のA寝台車といえばプルマン式の解放寝台が当たり前でした。
座席状態では583系電車の普通車と似たようなもので、
リクライニング機能もありませんから、
腰掛のグレードからいえば「並ロ」ですね。




投稿者

ヒゲ無し雷鳥

投稿日

2021年 4月25日(日)20時19分3秒

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ヒルネの件

ご無沙汰しております。ヒルネの件ですが、遡ると明治までたどり着きそうです。
少なくとも昭和23年にマイネ40が特別寝台車として登場した際にも、
寝台車の昼間利用として料金が設定されております。
(普通室600円特別室900円、座席料金は寝台使用時間以外の時間に
特別寝台車に乗車する旅客について
1乗車につき昼間使用日数に関わらず1回分を収受)。
また公社時刻表昭和40年11月改正号において特定特急券・自由席特急券発売列車として
さくら(博多<>佐世保)、みずほ(博多<>熊本)、富士(延岡<>西鹿児島)、
あさかぜ(徳山>博多)の1・2等が記載されておりますが、
この時期どの列車も編成内には2等座席車はありません。
また1等座席車が連結されている列車もありますが、連結されてない列車の場合は
1等寝台車がヒルネ解放されているのでは、と考えてます。




投稿者

ミキスト

投稿日

2021年 4月26日(月)11時48分42秒

タイトル

Re2: 寝台車の昼間利用

クモイ103様,ヒゲ無し雷鳥様,ありがとうございます.
78年以降の所謂ヒルネの案内は自分も見たことがあります.
津軽(日本海にもあったような・・)などのロネに関しては,
ロザの廃止以降なのでしょうね,
並ロ級の座席とはいえ,恐らくは1人掛けと思われ,ある意味イザ的な感じもします.
区分室の昼利用も興味深いです.
細やかな区間利用への対応に,当時の発券には苦労があったのではないでしょうか.
夜行列車が数多設定されていた時代は,
昼間利用者は座席車優位の列車を選択すればよく,
安芸や北上などの寝台車は寝台利用専用だったのかもしれないですね.




投稿者

青列車

投稿日

2021年 5月 2日(日)21時44分28秒

タイトル

音戸1−2号

寝台列車の座席提供の件ですが
かつて新大阪〜下関間呉線経由で運転されていた[音戸]1-2号は
広島〜下関間で座席車が1両増結されていました。
尤も時刻表の列車編成図にもまた本文中にも記述はなく若しかしたら
中国支社(広島鉄道管理局)の独断でのサービスだったのかも知れません。
音戸1号の広島〜下関間の牽引機はEF61所定でこれも珍しいものでした。
音戸2号はカマ次位スハフで次もオハネフ12、
以下ハネが続くので自然な組成でしたが、
音戸1号はオハネフの前に荷物車がありその前にハザが繋がれていました。
乗ってみたかったのですが、田舎の貧乏所帯の後妻の子の立場では
隣町にすら気軽に行けず指をくわえて見送るだけでした。




投稿者

クモイ103

投稿日

2021年 5月 5日(水)09時02分5秒

タイトル

Re: 音戸1−2号

寝台専用列車「音戸1-2号」が
昼行区間となる広島〜下関間で座席車を増結していた…という話は、
「知る人ぞ知る」という感じでたまに出てきますが、詳細は謎ですね。
自由席だったのでしょうか?
(余談ですが、スハフ42の近代化改造で唯一重量区分が下がって
「オ」になったオハフ33 630(当時下関配置)が充当されていた、
とも聞いた覚えが…)

青列車様の思い出にある年代がいつ頃なのか分かりませんが、
少なくともヨンサントオ改正時及びその2年後のS45-10改正時における
国鉄本社の資料「主要客車列車編成順序表」には、座席車は記載されていません。
ご指摘の通り、支社または管理局の独自の施策でしょう。
本社に黙って(?)増結して牽引定数は大丈夫なのか?と気になりますが、
広島切り落としの寝台車が3両あって編成が身軽になっていましたから、
スハフ1両の増結は問題なかったと考えられます。
(その気になれば「スハフ+オハ+オハ」くらい
奮発することも物理的には可能だった?)

話しが戻り、繰り返しになりますが、寝台車の昼間座席使用については
時代によって扱いがいろいろ変遷している模様です。
昭和20年代頃まで(詳細時期不明)は、
寝台車の定員標記に座席扱いの場合の定員が併記されていました。
例えばツーリスト型の寝台車マロネ29形では寝台28、座席42で、
つまり上下2段で寝台定員2名の1区画が、
昼間は3人掛けのロングシートとして扱われていたことになります。
ということは逆に言えば昼間の座席扱いが正式な制度として存在したわけで、
その辺の営業面での制度がどの様なものであったのかは、
不勉強にしてよく存じません。
ご存知の方がおられましたらフォロー頂ければ幸いです。




投稿者

青列車

投稿日

2021年 5月 6日(木)22時29分23秒

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再び音戸1-2号

クモイ103様、レス有難う御座います。
さて、音戸1-2号の件ですが、
山陽新幹線博多開業の50-3改正までは続けられていました。
ただ、最初が何時だったのか?は生憎当時小中学生でしたので詳細は存じません。
記憶にある範囲では47-3改正の時点では既に増結が行なわれていたのでは?
その増結車、上りの2号は大概スハフ42
(に見えましたが若しかしたら件のオハフ33630?)
で違和感もなかったのですが
下りの1号にはしばしば12系客車の緩急車が1両繋がっていました
(然し当時其れがスハフ12なのかオハフ13なのかまでは解りませんでした)。
そしてもう1両、座席車が繋がっていたように記憶しています。
そちらは在来型でスハフ42(或はオハフ33630?)でした。
その列車の走行シーンが鉄道ファン誌の75年4月号だったかに載っています。
EF61牽引の下り1号、1号車オハネフ12、2号車オロネ10、
3〜9ハネ車、10号車オハネフ12、
そして寝台車編成の前に荷物車数両
(しかもスニ40=またはワキ8000=と思しきクルマも)、
その間に座席車がありました。
同列車に関しては鉄道ピクトリアル誌上で寺本光照氏も触れられています
(掲載号は失念しました)。




投稿者

ヒゲ無し雷鳥

投稿日

2021年 5月 8日(土)17時13分27秒

タイトル

2夜行列車のヒルネ

東海道夜行、山陽昼行、九州夜行の2夜行で
東京鹿児島間を結んだ急行筑紫(さつま)は、
山陽昼行区間において1夜目と2夜目の客の混在による混乱があった為、
2夜目乗車客に対する発券の際、下り乗車駅は門司以西、
上り乗車駅は大阪以東として区切りをつけてたようです。
つまり1夜目客の当該席の利用は、2夜目の発売状況によるかもしれませんが、
下りは門司、上りは大阪が限度となり、
以遠は座席車への移動となったと思われます。
少なくとも本列車に関してはヒルネ利用の選択肢は低そうですね。




               
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