倶楽部メモ(818)

令和2年7月18日〜8月15日

TR47付きのスハネ30・スシ3757



投稿者

酒井 英夫

投稿日

2020年 7月18日(土)12時32分46秒

タイトル

TR47付きのスハネ30

何でもオハネ17のためか、TR23台車を捻出したため、
TR47付きになったスハネ30が13両あるそうですが、
写真あるいはナンバーは判りませんか。




投稿者

仙コリ

投稿日

2020年 7月19日(日)09時40分38秒

タイトル

Re:TR47付きのスハネ30

酒井英夫様

スハネ30の台車振替車についてですが、
オハネ17ではなくスロ54冷房化改造に伴う台車振替車が
13両存在していますので、こちらの事ではないでしょうか?

写真は残念ながら発見できませんでしたが、
振替車の番号は鉄道ピクトリアル2019・6月号別冊
「国鉄形車両の記録 スハ43系客車」に掲載されております。

該当車は

スハネ30 12・13・14・18・27・31・33・37・41・42・43・44・45
の13両となっていまして、振替の台車はTR47ではなくTR40Bとなります。

参考になれば幸いです。




投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2020年 7月19日(日)16時31分1秒

タイトル

Re:TR47付のスハネ30

酒井英夫さま

TR40Bに交換した画像は、
鉄道ファン77号の「最近の国鉄改造客車について」にあります。
なお、42年度改造車の9両は宮原の所属で
「明星」で使用していると記載があります。




投稿者

ED76109

投稿日

2020年 7月22日(水)08時57分22秒

タイトル

白き「ゆうマニ」北の大地へ

 ご無沙汰しております。「ED76109」であります。

 先達の皆様方はすでにご存じのことと思いますが、
「ザ・ロイヤルエクスプレス」がいよいよ本道にやってまいります。
今回は「JR北海道」が低迷する料金収入の改善の一環として、
8月から9月にかけて知床などの道北を中心にツアーが組まれております。
 本業の伊豆半島の拠点「伊東」を21日に出発。
ECの自力走行ではなく、「EF65」に牽引されて北上となった次第。
移動ルートやダイヤは非公表ながらも、
「撮り鉄」の先達の皆様方が「白きゆうマニ」に熱い視線を送っている画像が、
本日の北海道新聞の社会面を飾りました。
 道内では、「DD51」の重連と「マニ50」からの電源供給により、
客車レとして走行の予定であります。
「展望車」や「食堂車」を組み込んだ5両編成は、
道内の自然に映えることでありましょう。
色々と複雑なご時世ではありますが、
豪華観光列車としての期待が待たれるところであります。

 以上、職場の同僚の
「いっそのこと、東急電鉄にJR北海道を買い取ってもらえた方が
将来明るいのではないですかね」との皮肉に、
苦笑しかできなかった「教頭客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2020年 8月14日(金)09時26分15秒

タイトル

スシ3757

もう黴が生えた想い出ですが、時は昭和25年3月末の米原駅;
高校合格祝いに父に連れられて601レ後の「北陸」で金沢へ行く途中の事、
オロ35復興整備車の窓から見たと特急1レ「つばめ」に
W屋根茶色の食堂車が組み込まれており、スシ3757
鹿カコ-----???特急にこんな古ぼけた食堂車とは???
後に国鉄高砂工場勤務の知人に話したら
「カシ36の発電機故障続出で、石炭焚きに変更工事中」だった事が判明。
確か改造でマシ3510-11?になったかと。

またその頃は601-602レの大阪−金沢間が短編成で、
大阪方よりニ?+オロ35+オハ35+オハ35+オハ35+オハフ33で
金沢-上野間3等x2両増結。

同じ年の9月にはスロ34(円屋根)+スロハ32----になっていました。
当時から優等車の利用が多かった様です。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 8月14日(金)20時39分36秒

タイトル

Re: スシ3757

マロネロ38様、お元気でしょうか。

貴重な場面を目撃されたのですね。
お話しに登場するスシ3757について調べてみたところ、
接収時代に冷房装置が搭載されていました。
「つばめ」の応援に選ばれたのは、それが理由だったのではないでしょうか。

鉄道ピクトリアル1953(昭和28)年3月号に掲載された、
星晃氏の「食堂車の復興(下)」には次の様に記されています。

> 24年11月から暮にかけて軍用のスシ3775・3752・3757が返還されたので,
> 25年春から特急「はと」を運転しても一応食堂車に困らないことになった.
> しかしスシ3775以外は旧式の車で特ロと併結では好ましくないので,
> 特急用として新たに食堂車の新製が発注されることとなり,設計が進められた.

つまり、マロネロ38様のお話しに登場するスシ3757は、
「はと」運転開始時の初代食堂車だったことになります。
ちなみに「はと」仲間のスシ3775は丸屋根・冷房付き、
スシ3752は二重屋根・非冷房でしたから、
おそらく25年の夏には、非冷房の3752を予備にして、
冷房付きの3757と3775が「はと」で毎日活躍したことでしょう。

昭和26年3月、マシ35・マシ36が「つばめ」「はと」に新製投入されると、
スシ3757は鹿児島へ転属して、
東京−鹿児島間急行(のちの「霧島」)に転用されます。
この時は「はと」仲間の3752と、「つばめ」用のスシ471〜473も一緒でした。

昭和28年3月、料理室付き三等車から復旧されたスシ48が「霧島」に投入され、
スシ3752と3757は品川へ戻ります。
ちょうど同じころ、「つばめ」のカシ36は
石炭レンジのマシ3511・3512に改造されており、
前記の星晃氏の記事にも、次のように書かれています。

> 電化料理室は石炭レンジと通常の冷蔵庫を有する普通の構造に,
この3月迄に直してしまうことになった.

マロネロ38様が米原でご覧になった場面は、
こうした転属劇のさ中だった可能性も考えられるかと存じます。



余談ですが、ここに登場する3両のスシ37のその後もご紹介します。

・スシ3752
昭和28年6月称号改正でスシ28 1、29年熊本で「阿蘇」用、35年度鹿児島で予備車、
37年3月廃車。

・スシ3757
称号改正でマシ29 4、31年度早岐で「西海」用、32年度長崎で「雲仙」用、
34年度品川に戻り「瀬戸」用、39年度廃車。

・スシ3775
称号改正でマシ29 110、31年度宮原で「なにわ」用、
32年「さくら」用として青大将塗色、33年早岐で「西海」用、
35年熊本で「阿蘇」用、36-10改正で京都へ転属(半年後向日町)し
「玄海」を43-10改正まで勤め上げて引退。

このスシ3775→マシ29 110は、
晩年最後の2年間程度?青15号塗装となったことで知られており、
ぶどう色1号→淡緑5号→ぶどう色1号→ぶどう色2号→青15号と、
衣替えの目まぐるしい車両でした。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 8月15日(土)07時51分59秒

タイトル

【大訂正】 Re: スシ3757

申し訳ありません、
マシ29で青大将塗色になったのは101と107であり、110は無関係でした。
私もだんだんヤキが回って来たのかもしれません。




               
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