倶楽部メモ(772)

平成28年12月21日〜12月23日

スハ32 円屋根車 ・ 電気暖房と「+2000」



投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年12月21日(水)11時31分49秒

タイトル

スハ32円屋根番号

322000番台の事ですが国鉄の「客車形式図集」1966版では
スハ32137がスハ322137になっていますが
その後のは飛び飛びの番号で2000番台です(何両か連続で2000番台もあるが)。
どうもスハ32の円屋根の番号には複雑な事情があるみたいですが、
「ピクトリアル」の2004年7月号(オハ35系 I)の
故星晃氏の話のなかにスハ32の番号の事もでています。
特に2000番台解説は無いですが、「大きな謎」の樺太へ渡った番号も出ています。

スハ32870→樺太番号スハ2652(故岡田誠一氏の研究から)

私の手持ち資料からはこのぐらいしか解りませんが御参考までに。




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年12月21日(水)15時02分33秒

タイトル

電気暖房と「+2000」

くだんのスハ32 137は、
1961(昭和36)年度の前半に電暖化されて「2137」となった模様です。
マロネロ38様が参照された客車形式図集は
1966(昭和41)年版とのことですから、
2137となってから更に5年が経過していることになりますね。

鉄道友の会 客車気動車研究会の会報「食堂車」No.455(2012年9月)
に掲載された和田洋氏の研究発表「電暖改造について(7)」によれば、
同車は昭和36年度の改造車に含まれています。
また別に入手した昭和36年10月1日現在の盛岡鉄道管理局客車配置表でも、
青森にスハ32 2137 がいます。

********************

昭和33年度(実際は34年)から始まった在来形客車の電気暖房化改造では、
改造済みの車両の番号を「+2000」して識別しました。
「1000」でなく「2000」としたのは、
オハ35やオハ61が1000両以上いたためです。
このため同じ形式でも2000番台とそうでない番号が混在することになりますが、
配置表などで車両番号を列記する時は、
「2000」を除いた元の番号順に並べるのが暗黙のルールとなっています。
(守られていないケースも多々あるようですが…)

なお、後の時代の20系2000番台は全く別の話です。




投稿者

オロハネ10

投稿日

2016年12月21日(水)23時58分31秒

タイトル

スハ32 円屋根車

クモイ103様 並びに マロネロ38様

いろいろな情報、ありがとうございます。
スハ32系は優等車から戦時改造車まで、二重屋根車もあれば円屋根車もありと、
私自身一番興味を持っている系列です。
もっとも系列と言っても後に便宜上分類されただけで、
製造当時は同じ時期にそれぞれの用途に合わせて作られただけですので、
その車種が多岐にわたるのも当然かと思います。
クモイ103様ご指摘の様に、一部文献で調べてはいるのですが、
現在海外在住と言うこともあり、
最近はなかなか手に取ってみることが出来ません。
そういう状況でしたので、この掲示板で質問すること自体憚られたのですが、
なんとも不思議な迷路にはまってしまい、質問した次第です。

文献での記述が明快な記録というか証拠でありますが、
それ以外にここの掲示板をご覧になっている皆様の中で
「実は昭和30年前半に2000番台を見たことがある」なんて人が出てこないかな、
という浪漫も期待しての質問でした。
今後ともよろしくお願いします。




投稿者

マロネロ38

投稿日

2016年12月22日(木)15時07分47秒

タイトル

芸術的編成スハ32凸屋根

昭和30年頃に大阪駅で大変芸術的な上り長距離鈍行の編成を見たことが
ありました。
全車がスハ32系凸屋根車で勿論オール茶色、
ロがスロ32だったか33だったかまた手荷物車の記憶がありませんが、
全車鋼製の20メートル凸屋根とは大変「芸術的」な感じでした。

幸い昭和30年5月号のJTB時刻表が残っているので、
列車番号が128レ大阪→国府津で大阪発10.30→国府津着32.01 
だけが判明しますが、客車区名を記憶しておらずあいにく
カメラも持っていなかったので写真がありません。

当時の所属客車区には芸術心旺盛な幹部が居た物と想います。




投稿者

クモイ103

投稿日

2016年12月22日(木)21時59分41秒

タイトル

“スハ32系”

オロハネ10様

海外にお住まいとは知らず、しかも勝手な決めつけで失礼しました。
改めてお詫び致します。
おっしゃる通り「スハ32系」という正式な定義は存在せず、
あくまで便宜上の分類に過ぎません。
従って、その場に応じて広くも狭くも勝手に定義できるわけで、
広い意味では鉄博にあるマイテ39やJR西日本に在籍するマイテ49も
入れることができますね。
それがまた在来型客車の面白い所でもあります。
今後ともよろしくお願いいたします。

マロネロ38様

全車鋼製の20メートル凸屋根とは、模型で再現したくなる美しい編成ですね。
手荷物車があるとすればマニ31(凸)ですね。
カマがC51なら感涙ものですが、
さすがに昭和30年の大阪駅で長距離列車となるとC59あたりでしょうか。




投稿者

ED76109

投稿日

2016年12月23日(金)17時19分30秒

タイトル

豪雪のため、スーパーおおぞら1日だけの復活?

ご無沙汰しています。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >国鉄末期の「新幹線以外は鉄道に非ず」みたいな感覚がJR各社にある

 往年の歳末の帰省風景の中継は「上野のテント村」。
品川駅の臨時フォームから、「ロ」や「ネ」が切り離されて
「ハザ」に化けた「津軽」や「八甲田」が発車していた時代は過去いずこ・・・
と言った感じであります。
当地の「JR北海道」も、
あの「二刀流スター」の等身大ポスターで
「とにかく東北へは新幹線で」と煽り気味。
小生は、「国」「北海道」そして「全道の市町村」で応分の負担をして、
「第3セクター ノースレイル(仮称)」設立しかないと考えています。
冬季に「−20℃」になる道床は、
安易に「コンクリ」で固めては毎年ひび割れて補修の連続。
除雪を含めて保線管理に対する投資は如何ほどなのか・・・。
まあ、見守るしかない状態です。なお、本日暴風雪により、
「石北線」「宗谷線」「石勝線」は終日ウヤの状態です。
冬の嵐で交通網はこのざま。
道東やオホーツクの鉄路が皆無になった時、
真面目に「命」の保証があるのかという議論は決して大げさではないのです。


 先達の皆様の「スハ32系」の話は、乗り鉄の小生でもいいですねぇ。
いつも述懐していますが、40年以上も前の初渡道の折に、
長距離鈍行でお世話になった「旭川・稚内」「旭川・函館」間のレに使われていた
「木製の背ずりのスハフ」に想い出をはせるものであります。


 長々と失礼いたしました。
以上「特急大雪(旭川・網走の新設特急)」の名称復活であれば、
「利尻(旭川・稚内の新設特急)」も復活してもらいたい
「教頭客車鉄ちゃん」でありました。




 
 
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