倶楽部メモ(701)
平成24年 3月27日〜 4月22日



投稿者 ED76109
投稿日 2012年 3月27日(火)20時47分19秒
タイトル 「すばらしい蒸気機関車」という映画をご存じですか?
おばんででございます。「ED76109」であります。

 連日の年度末・始業務で扱き使われ、旅に出るなどは絵空事のような日々・・・。
そこで、ふと小学2年生の時に「鉄」親父と、「有楽町」の映画館で観た標題の「映画」のことを思い出しました。
40年以上も昔の話ですが、ご記憶の先達の皆様方、如何でございますか。

 「すばらしい蒸気機関車」は、「高林陽一」監督が「昭和45年」に製作した作品であります。
当時、全国で運行していた「SL」を丹念に取材し、フィルムに収めたドキュメンタリー映画なのですが、
西日本と九州を中心に活躍していた「SL」が、「形式」ごとに羅列されていました。
そして、詩や歌、イメージ映像などが織り交ぜられた「叙情的な語り口」が、幼心にも強く印象に残っております。
以下に記憶に残る雄姿を少々ご紹介させていただきます。

○「鹿児島機関区」に所属していた動輪直径86cmの「B20」。
 「鹿児島本線」の鈍行レを牽いてきた「ハドソン型のC61」。
 そして大きなヤードを塒にしていた「パシフィックのC55」。

○「宮崎機関区」の貴婦人「C57」。
 そして、これに続く「筑豊本線のC55」これは「若松機関区」所属だったでしょうか。
 さらに、深緑の中を行く「D51」。「肥薩線」のループ線を必死に上り、「矢岳」への走行シーンは圧巻でした。

○「糸崎機関区」の急行旅客列車の花形だった「C62」。
 「つばめ」「はと」をひいて、「トカホセ」を疾駆した「C62」が、「呉線」で見せていた最後の姿は、
 瀬戸内の美しさにマッチしておりました。

 まだまだ、「伯備線のD51の3重連」であるとか、「梅小路機関区」の「ハチロク」であるとか、
「山陰本線のC57やD51」、「木次線の出雲板根のC56」、
さらには「米坂線越後下関のキュウロク」や「花輪線龍が森のハチロク」も・・・。

 「高林監督」は、そもそも「鉄」らしく、この映画以外にも様々な「鉄道の記録映画」を撮影しておられます。
この「映画」は、春夏秋冬の日本の四季を織り交ぜながら、日本の風景の中を走る「SL」の姿が記録されておりました。
そこから感じられたものは、「保存」という「作り物」ではない、
日常の中で活躍していた「SLの姿」と「惜別の念」だったと、幼心であっても記憶しております。
唯、残念であるのは、「北海道」のSLの姿がないことであります。
「高林監督」自身、西日本出身の方であったことがその理由ののようでありますが、残念の思いが拭えません・・・。

 本当に長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ひがさん
投稿日 2012年 3月30日(金)23時58分28秒
タイトル 深夜のひと時
経年による外観の傷みも月明りの下では感じられなくなり、いつもの輝きを見せてくれる。
このまま夜が明けなければいいと思いたくなる。
深夜に遠くで貨物列車の音が聞こえると、もしかしたら彼らか?(夜行列車)と錯覚しそうになる。
こんな時代が来るとは..「思えば遠くへ来たもんだ」
つまらない独り言でした。




投稿者 雪だるま
投稿日 2012年 3月31日(土)08時09分12秒
タイトル トワイライト運休
31日札幌着予定のトワイライトは車輌故障で青森で運転打ち切りとなり、青森ー札幌間は運休になりました。
本日札幌発のトワイライトは運休になりました。
運転打ち切りになるのは電源車の故障でしょうか?



投稿者 雑魚
投稿日 2012年 3月31日(土)17時00分36秒
タイトル 岩泉線、廃止へ。
津波で壊滅的な被害を受けた気仙沼、大船渡、山田各線の去就を巡り、BRT構想が
取り沙汰される中、JRは、震災前から、土砂災害で不通状態が続いていた岩泉線の
復旧を断念し、廃止の方針を正式表明しました。被災前には区間便を含め、一日僅か
四往復のみ運行という超閑散路線が、現在まで存続し得たのは、並行国道の押角峠が
未整備で、大型車の往来が不可能な為だそうです。そうなると現行の代替便は、精々
マイクロ・バスの類でしょうか。

実際に、一帯をドライブした時の印象から、岩泉起点で、盛岡へは早坂峠、宮古へは
小本を経由するのが一般的と思われ、津波に伴う国道45号線の通行障害が解消済なら、
押角峠は必ずしも隘路にならない様に感じますが、それ以前に、厳しい財政状況の下、
導線として、より重要な山田線に先んじて、対策を講じる必然性が見出せないという、
苦しい台所事情もあるのではないか、と想像します。

先の「日本海」廃止で、夜行列車、客レのあり方が、改めて取り沙汰されていますが、
被災地では、上記BRT構想を絡めた、鉄道態様自体のあり方が問われ続けています。
財政上の制約を理由に、大船渡線や山田線が、BRTに移行すれば、復旧に意欲的な
三陸鉄道、特に南リアス線が根無し草に陥る可能性がある。さりとて、欧州の混乱が、
決して対岸の火事ではなくなった、足元の財政状況を考えると、鉄道の復旧ばかりを
優先させる訳にも行かない。一方、ある程度、結論を急がないと、地域人口の流出を
助長しかねない。ジレンマの極致ですね。



投稿者 ど素人
投稿日 2012年 4月 1日(日)16時50分51秒
タイトル マレー鉄道
ごくごく短い区間(クアラルンプール→タンピン)ですが、
先日マレー鉄道に乗車しました。室内写真は1等車(Premier-Class)です。
シンガポール方向に向かって、この1等車のすぐ後ろがコンパートメント車、
その後ろ3両が開放型の寝台車。1等車の前方が、たしか5両ほど2等車で食堂車が
連結されていたか否かは確認しませんでした。1等車のすぐ前の2等車に簡易な売店が
ありました。

ぜんたいにかなり「くたびれて」いて、窓も汚れ、ヒビの入っている窓さえありました。
シートも擦れていました。しかし、それでも【客車列車】はやはりいい!!

チケットには「氏名」が記載されているので解像度を落としてアップしました。
サインは車掌の検札の'サイン'です。




投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2012年 4月14日(土)10時46分34秒
タイトル Re マレー鉄道
 私はコテコテの日本人ですが、たまたま今はマレーにも近いPhuketという場所に居ます。

 私がマレー鉄道にちゃんと乗ったのは、エアコン2等寝台でした。
乗車記の投稿は、おそらくこのサイトの過去ログにまだ残っていると思います。
一等座席車に乗ったことはありませんが、同じ系統(?)の各種車輌を眺めたこともあります。

 確かに数十年前の車輌で、日本的感覚からするとくたびれたといえますね。
しかし、お隣のタイではエアコン無しの車輌もあります。
日本で言えば旧型車両と言うべきものが、メンテナンスも悪いままで使われていたりもします。
短時間乗るのなら、それじゃそれで興味深いのですが、いかんせん暑いしディーゼル機関車の排ガスも被るし。
東南アジアの近隣諸国と比べると、まだそれでもマレーは相対的に進んでいる方だったりします。



投稿者 ど素人
投稿日 2012年 4月14日(土)21時50分20秒
XD1 at Phuket 様、

コメントありがとうございます。
貴方様が投稿された過去の書き込みや写真、もちろん興味深く拝見してました。
(それで憧れていた、というのもあります)

先日乗車した1等車には車両の最前部にモニターが付いていて、
新型車両の紹介などをしていましたが、各シートにモニターが取り付けてある車両も導入されているようでした。

タイの鉄道にも乗車してみたい、と強く希うこの頃です。



投稿者 ED76109
投稿日 2012年 4月17日(火)23時49分41秒
タイトル 北海道鉄旅セレクションから
 ご無沙汰しております。自宅のPCが故障しまして、窮地に落ち込んでいる「ED76109」でございます。

 さて、今回「鉄」同僚が「旭川」まで外出する機会を得て、「スーパーカムイ」で往復してきたのです。
その車中にて、先達の皆様ご承知の「JR HОKKAIDО」誌をゲットして、小生に進呈してくれました。
その内容の「鉄旅セレクション」で、当地の旧客全盛期の写真が掲載されておりましたので、ご報告させていただきます。


 1枚目は「昭和42年5月」の函館駅のスナップ写真であります。
「3番フォーム」での見送り風景の主役は「スハネ16(オハネ12)」。
「函館発札幌行準急たるまえ」に連結されていた「寝台車」であります。
見送り客の中には和服姿の女性も見られ、正しく鉄道が旅客の中心であった時代。
深夜の「函館」の風景は、肌寒さを感じさせながらも活気を感じさせてくれます。
「ハネ」の後ろには、「青函航路」で本州から下ってきた「ニ」が連結されており、往年の鉄道輸送の姿がありました。


 2枚目は、「昭和45年5月」の「PC利尻のスハ45車中スナップ」であります。
深夜の車内は空席も目立っており、乗客は各々ボックスを占領して横になっている、
これもまた往年の夜行レの姿が描かれております。
当時の「利尻」は、「札幌・旭川」は「ED76500番台」が牽引しており、「ピー」という甲高いフォイッスルが印象的。
床には「飲みほしたビール缶」や「吸い殻」が散らばっており、
これもまた「寝つかれない座席の夜行旅」が描かれており、往年の汽車旅が堪能できます。


 懐かしき汽車旅の一端をご披露致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 スイロハ35
投稿日 2012年 4月19日(木)00時13分17秒
タイトル ミハ、モコのスロ81について
ここ最近書き込みがご無沙汰状態にありました。スイロハ35です。
皆様の書き込みは本当にどれも詳しく、貴重な資料として重宝しております。
そんな皆様に質問なのですが、スロ81・スロフ81形の車内には管理局ごとに違いがあると聞きました。
宮原区のものには半室サロンが、門司局のものには売店がある車両があるとのことですが、
具体的にはどのようなものだったのでしょうか?
もし、写真や詳しい事が載ってるサイトが有りましたら、お教えいただけるとありがたいです。
ご回答よろしくお願いします。



投稿者 ED76109
投稿日 2012年 4月22日(日)09時21分57秒
タイトル Re:ミハ、モコのスロ81について
 おはようございます。愚息のPCを借りている「ED76109」であります。


 スイロハ35様

 「ED76109」でございます。
小生にとってはあまり得意な分野ではありませんが、「鉄」勉強の成果(?)をご披露させてください。


 この形式が登場したのは、昭和44年であります。
「名古屋鉄道管理局」に「オハ80・オハフ80形2000番台」が
「オハ35・オハフ33」を改造して誕生した「6両編成」が最初とのこと。
その後、昭和45年には「長野鉄道管理局」に増備され、同47年には「スロ81系」が登場したことから、
「ロザ」に形式変更がなされました。
その後、同47年に、「金沢鉄道管理局」に「スロ62・スロフ62」を改造した、
冷房設備が完備された和式客車「スロ81・スロフ81形」が登場しました。
以後、同55年までに「7編成42両」が登場。
「金サワ」・「静シス」・「門モシ」・「長ナノ」・「名ナコ」・「大ミハ」・「南シナ」の各鉄道管理局に、
1編成ずつが配備されました。
なお、これらは大多数が「国鉄分割民営化」までに、「12系及び14系」改造車に置換されて廃車となりました。
このほか、形式の称号変更を伴わずに改造されたものが存在し、
「金沢鉄道管理局」で改造された「オハフ61436」及び「スロフ532025」は、
同45〜48年に「七尾線」及び「能登線」で運転された、臨時レ「ふるさと列車おくのと」に使用され、
車両に設備された「カウンターと簡単な供食設備」を活用した郷土料理などが、
乗客に提供されていたとの記述もございます。


 「スイロハ35」様の仰るように、所属局により改装内容に違いがあったようであります。
「金サワ」や「門モシ」のように、編成端部からの乗客の転落防止として木製柵や飾り扉を設置するとともに、
「南シナ」では愛称表示器を設置するものもありました。
さらに、1両に半室をサロン室に改造した「大ミハ」や売店を設置した「門モシ」の編成などがございます。


 参考 「鉄道ダイヤ情報」(平成23年1月号)、「鉄道ファン」(昭和56年11月号)等


 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



               
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