倶楽部メモ(670)
平成23年 8月11日〜 8月16日



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 8月11日(木)11時02分16秒
タイトル 芦屋線
室木線の話題が盛り上がっていますが、起点から分岐していた支線と言えば、遠賀川
西岸を河口付近まで北上していた芦屋線も挙げられますね。

この路線、鹿児島線から外れた芦屋の中心街への到達を主目的としたものと思いきや、
戦後、旧日本陸軍の飛行場を接収した米軍が基地建設を行う際の資材運搬を主目的に
建設したもので、基地が返還された1961年に廃止と短命に終わっています。芦屋線の
用地には、1931年に廃止された芦屋鉄道の跡地が供されていますが、この軽便鉄道も、
営業期間は、僅か十数年間との事。

建設動機、延いては費用捻出の特殊性から、その設立区分を巡っては、国鉄にあって
国鉄に非ざる位置づけだった様で、その点も含めて「幻の鉄道」と称された様ですね。
ちなみに「グーグル/芦屋線」を画像検索しても、現役時代の写真は殆ど見当たらず、
なるほど、確かに「幻」の趣ではあります。

列車の編成は軽便時代と同様、蒸機が客貨の混合編成を牽引する内容で、敷設動機を
反映した、貨主客従らしき傾向が窺えますが、連合軍専用列車に準ずる様な特別便の
運行は無かったのか、気になりますね。

----------------------------------------------------------------------------

日本海に面しながら「太平洋ベルト地帯」と目される福岡県の東部沿岸域は、一般の
旅客輸送が脆弱気味だったと思しき上記路線の終端部・芦屋町を含め、鹿児島線との
距離において、鉄道の恩恵が小さいと見られる地域(旧玄海町など)が目立ちますね。

そうした中、西鉄宮地岳線が2007年に新宮以遠を廃止したのは、意外でした。起点の
貝塚は、1986年、直通運転対応への改良工事が容易な構造を以て、福岡市営地下鉄と
接続した事もあり、福岡郊外のベッド・タウンとしての潜在性が大きいと目しており、
実際に利用した時の印象として、沿線人口規模も、一定以上かと見受けられましたが、
それ以上に、旧津屋崎町以外で鹿児島線との競合が著しいという事だったのでしょう。

福岡近郊での廃止といえば「かもめ」の方向転換に供された勝田線の例(1985年)も
挙げられますが、これは、大都市近郊鉄道として伸張する可能性を十分に秘めながら、
利便性向上などの営業努力が不十分だった事例として、捉えられる事が多い様ですね。

地下鉄直通の代替で廃止された、筑肥線の姪浜以東についても、経由地が地下鉄とは
離れていた為(それだけに、切替時の旧沿線住民の葛藤は、大きかった事と思います)
これはこれで、存続していれば、相応の需要があったのではないか、と思うのですが、
今となっては、空しい反実仮想ですね。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 8月11日(木)13時57分6秒
タイトル 芦屋線
昭和31年(1956)12月号時刻表にありますね。線路図には出ていないけれど------
列車番号も9700番台で「委託営業線につき営業粁呈設定せず」で遠賀川−芦屋間3等20円
乗り鉄に行った人から「オハ60やオハフ61ばかり」と聞いた記憶があります。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 8月12日(金)09時10分2秒
タイトル 金華へ行ってきました
 失礼致します。「ED76109」であります。

 先達の皆様方の北九州に係るお話で盛り上がっておりますが、
小生いつものように「夏季休暇」が1日だけ取れましたので(休み無しの方々には大変恐縮ですが・・・)、
いつものように「乗り鉄」報告をさせていただきます。今回は「常紋峠」を再訪しました。

 1 朝一番の「183系のオホーツク1号」で、先ずは「北見」へ。
「道内フリーきっぷ」ではなく、「列車指定のRキップ(オホーツク1・7号及び同2・8号のみ、
11,500円也でかなり安価)」であったために、「北見」で「金華」までの乗車券を購入。
さて、「金華行DC」の改札時に、小生のきっぷを眺めた改札の駅員氏には「金華の折り返しは15分程度ですから・・・」
と言われてしまいました(どうやら「乗り鉄」の扱いには慣れているご様子)。
運用の関係で「2両編成(キハ40+キハ54)」に「5人」の乗客が乗り込み、一路「常紋峠」の麓へ。
全開の窓からは「32℃の生暖かい風」が吹き込み、あっという間に「金華」到着。
残暑厳しき、周囲を深緑の山々に覆われた無人駅に降り立ったのは、小生を含めて「4人」でありました。
小生、周辺の散策と「常紋トンネル慰霊碑」見学を兼ねて、1時間半ほど逗留する予定だったのですが、
「お客さん、先週近くで熊(!?)が出たから、折り返した方がいいど。」との運転士氏の一言で駅舎やフォーム散策で終了。
僅か15分の「金華」参りでありました。


 2 1もあって、山間の交換駅の雰囲気を堪能した後、早々に「DC」に引き揚げ、運転士氏と懇談と相成りました。
ベテランの運転士氏は、「鉄旅人」には慣れているのか、「常紋峠」に纏わるお話を・・・。
「先輩から聞いた話だども、よく、トンネルの壁に『死んだ人夫の顔』が出るって言うけど、あれは嘘さ。
丁度、夜行だと夜中に峠越えるべ。ウトウトしていると、自然にブレーキが掛ってはっとする。
無線で『何かあったか』って聞かれだら、本当のことは言えねぇべさ。
だから『幽霊が・・・』ってことになるわけさ。」と運転士氏はにやり。
小生、「運転士さんは、幽霊は見たことあるのですか。」と尋ねたところ、「一度だけ」とにっこり。
どうやら、件のお話は「先輩ではなく、ご自身の体験」のようでありました。
その後、折り返しの「DC」で「北見」にとんぼ帰り。
交代された「北見」で「気をつけて」と一声掛けられ、愉しい一時を過ごせました。


 3 小生とともに「金華」に降り立った「3人」は、「名古屋」からの「鉄御一家」。
木造の駅舎や駅名表、フォーム等のスナップを撮られた後、「暑い、暑い」を連発して車内に・・・。
小学3年生と幼稚園年長のお子さんと3人で、道内を一週間かけて回られている「大曽根」のサラリーマン氏とのこと。
「ボクたち、何が一番おもしろかった?」と2人のお子さんに尋ねると、口を揃えて「(新幹線の)はやぶさ号」。
父親氏は「僕らの世代だと、『八甲田』だとかは臨時レだったし、
『北斗星』や『トワイライト』は大抵満員で乗れませんでしたから。」と、「PC」には御関心が薄いご様子。
しかし、40年前に「鉄」親父とで初めて渡道した小生の想い出が、
2人のお子さんを眺めていると自然と思い返されました。
御一行は「上相ノ内」で「(上りに)乗り換えて、『旭川』まで戻ります。」と下車。
「おじさん、バイバイ!!」と手を振る2人のお子さんに、「今度は新幹線で札幌までおいで。」とこちらも手を振って、
今生の別れを惜しみました。


 4 旅の最後は、「生田原」で下車して駅近くの「ノースキング」という「第3セクター」経営の「温泉ホテル」で
一風呂浴びて、地元の牛肉に舌鼓を打ちました。
すると、レストランには「タマネギ列車」を牽引する「DD51」の雄姿が壁一面に。
聞けば「峠で写真を撮られる鉄道ファンの方がよくいらっしゃいますよ。」とのこと。
カウンターには、「レイルマガジン」や「国鉄時代」などの「鉄」雑誌も見られ、
「鉄」に優しい姿勢が小生に嬉しく思えました。
さらに去り際、今回はお忍び旅だったのですが、
フロントの女性に「ひょっとして、遠軽高校の先生だった方ですか?」と声をかけられ感激。
聞けば、お子さんが通学していた頃の保護者だったとのことで、
「オホーツク8号」が到着するまでの間、想い出話に花が咲きました。


 今回は「遠くへ行きたい」の雰囲気を感じながらの「鉄旅」を満喫できました。
特に、「生田原」の「ノースキング」は、洋風のホテルの雰囲気で「常紋峠訪問」の拠点には便利なところです。
今年で廃止が検討されている「タマネギ列車」。晩秋の峠は、紅葉に映える「DD51」の姿が一際光ります。
どうぞ、「撮り鉄」の先達の皆様、最期の「DD51」の姿を撮りに「常紋峠」へ。


 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 EH500
投稿日 2011年 8月12日(金)09時18分15秒
タイトル 芦屋線
雑魚様の記述に補足させて頂く形で・・・
鉄道ピクトリアル109号レポートが出ております。
1960-6 9765レ
38628若
オハフ6122
タキ700027(3100) 以下佐世保→筑前芦屋
タキ700079(3152)
タキ700098(3171)
タキ700102(3179)

マハ2962、29104門ワカ

マハ2両を前部に増結した様な記載ですが良くわかりません。
ダイヤが記載されており混合7往復(9700番代)と貨物1往復となっております。

タキ3000は拝島向けで、この番号も何両か写せました。民営化以前に遠賀川に
ブルーの客車が居たのだけは記憶にあります。室木線用ですね。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 8月12日(金)12時36分6秒
タイトル 若松
マロネロ38様、EH500様、芦屋線に関するフォローを頂き、有難うございました。

EH500様の仰る「拝島向け タキ3000」は、米軍・横田基地の関連ですね。現在でも、
鶴見線の安善から、航空燃料の輸送列車が設定されているそうですが、西武拝島線と
基地専用線が完全に干渉する格好の構内配線は、昭島市と福生市に跨り、一大要衝を
形成する拝島駅の立地と相まって、特異な印象を受けます。

----------------------------------------------------------------------------

室木線の話題以来「門ワカ」の語が何度か取り沙汰されていますね。私が、若松駅を
訪ねたのは四半世紀前。筑豊各線の「消化」に際して、まずは筑豊線からと、未明の
ホームで、折り返し待ちの数分間のみ佇んだだけなので、然したる印象はありません。
既に「簡便化」された後でしたが、50系客レの便は残っており、頭端式構造にあって、
どの様に機回しを行っていたかは、不明の侭でした。

旅客車両の配置駅扱いだった最盛期の陣容については「ウィキペディア/若松駅」の
大正時代のヤードの画像(手前の低規格線路らしきが、謎ですね)からも窺える様に、
全国的にも指折りと思しき、広大な構内を擁していたのですね。エネルギー革命前は、
石炭積出拠点として、貨物取扱量が長らく日本一だったのも頷ける話です。

----------------------------------------------------------------------------

1914〜1963年の若松地区は「若松市」に属しましたが、一方、1899年に市制施行した
会津若松市も、1955年まで藩名を冠さない「若松市」を名乗った為、市名が重複して
いたのですね。1954年に、一日違いで市制施行した、東京都と広島県の「府中市」の
重複例も、この辺りが伏線になっている様に感じます。

----------------------------------------------------------------------------

上記の筑豊各線の消化旅行は「あかつき」明けで始まりましたが(先立つモノが無く、
14系ハザの指定席でした)小倉の次は黒崎停車だった為、折尾までは後続の「ホーム・
ライナー」で繋ぎました。当時は昼行特急も同様の傾向で、路線網から、折尾停車を
優先すべき印象を受けましたが、黒崎地区は北九州市の副都心でもあり、1988年まで、
筑豊線直通便は折尾を通過していた為、黒崎の方が、拠点性が高いのかも知れません。

かくて、北九州市の都心・副都心とは一線を画し、複線仕様ながら、電化区間からも
取り残された折尾〜若松は、全区間、市街地にあって、独特の様相を呈していますね。
若戸大橋よろしく、洞海湾を越えて、鹿児島線に連絡させる構想も存在した様ですが、
その後、どうなったものやら?



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 8月12日(金)16時11分0秒
タイトル 遠軽
震災の影響もあって、今月は最悪、地元から、半径30km圏外への外出が覚束ないかも
知れない事情を思えば、ED76 109様の「常紋参詣」は、何とも羨ましい限りですね。
XD1様、きむたお様が日々向き合っている蒸し暑さに比べれば、マシでしょうけど、
道東でも気温32度とは相当の暑さですね。都市部の皆様は、如何御過ごしでしょうか。

御話を伺って、石北線の時刻表を改めると、石北峠ほどではないにしても、常紋峠も
かなりの閑散区間ですね。金華で折り返す便が一日に三本あるという事は、北見から
30q弱の距離にある同駅で、北見志向の通勤・通学需要が、大きく一段落するという
事なのかと拝察します。

そう考えると、石北・常紋の二つの峠に挟まれ、元々は、沿岸方向へと収束していた
鉄道導線が途切れた現在の遠軽の地勢には「孤高の存在」すら感じますね。上白滝〜
生田原が湧別川、金華〜緋牛内が常呂川、美幌〜網走が網走川と「河岸」を少しずつ
変えながら東を目指す石北線の線形は、池北線や名寄線を前身とした対網走ルートの
複雑な変遷を反映した産物でもありますが、かかる歴史に鑑みても、遠軽は、重要な
結節点と言えます。

----------------------------------------------------------------------------

開拓地ならではの現象か、北海道では「平成の大合併」に伴う自治体再編が、比較的
少ない様に見受けられますが、石北線の沿線では、北見市や遠軽町の広域化に加えて、
女満別が「大空町」に移行していますね。この町名は、道東の雄大な地勢や、空港に
由来するそうですが、個人的には「おおぞら」停車駅を擁する自治体にこそ名乗って
欲しかった気もします。その論法ですと、女満別はさしずめ「おおとり町」ですかね。

-----------------------------------------------------------------------------

湧網線が廃止から半年後、道東旅行で網走湖畔を運転中に、線路は既に剥がされるも、
いわゆる「ハエタタキ」のみが残る、何とも「トワイライト・ゾ〜ン」な風景を見た
記憶があります。ネット検索によれば、同様の風景は、廃止時まで「ハエタタキ」が
残っていた、ちほく高原鉄道についても見られる様です。現況が、どうなっているか、
厚かましい話ではありますが、ED76様におかれましては、もし同鉄道跡の沿線域に
御出掛けの機会ある折は「見たまま情報」など頂ければ、幸甚に存じます。

-----------------------------------------------------------------------------

以上、遠軽高OBによる「ガンダム漫画」の連載終了が少々寂しい雑魚でした。



投稿者 コスモス
投稿日 2011年 8月12日(金)21時53分59秒
タイトル Re: テンダ機でバック運転の客レ
遅めのコメントで失礼いたします。

蒸気時代の呉線で、広駅始発の客レを広島から回送で送り込んでいましたが、
同駅に転車台が無かったため、逆行運転で回送したそうです。
「しゅうちゃんのお出かけ日記」というブログ(http://sl-taki.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300335382-1)に
同駅に到着した逆行運転のC59の写真があります。
また、「鉄路100万キロ走行記」(宇田賢吉著)に、昭和41年ころのことですが、
伯備線岡山口で備中高梁までの1往復がC58で運行されていましたが、備中高梁駅に転車台が無かったために
下り(備中高梁行)が逆行運転で、蒸気の逆行運転は最高速度が45kmだったそうです。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 8月15日(月)22時04分9秒
タイトル お暑うございます
 残暑お見舞い申し上げます。「ED76109」であります。

 雑魚様

 >道東でも気温32度とは相当の暑さですね

 御意。昨年に訪れた「川湯温泉足湯号」の乗り鉄の際も「32℃」の暑さであり、
道東の暑さは小生を歓迎してくれるようであります(笑)。
しかし、「DC」であろうが、「EC」であろうが(当然PCも)、小生「窓が全開できる車両」を大切にしたいと考えており、
今回も「北見・金華」往復のみでしたが、「温風」を浴びながら「汽車旅」を楽しみました。

 >北見志向の通勤・通学需要が、大きく一段落するという

 「北見」圏では「留辺蘂」が西端であり、高校生の通学を凡例とすれば、
ほぼ「常紋峠」を越えてくる生徒はほとんどおりません。
ですから、「留辺蘂」で折り返せぱと考えてしまうところですが、
「留辺蘂高校」前である「西留辺蘂」が「停留所」扱いであることから、
折り返しのために「山中の寒駅」である「金華」までわざわざ往復するとお考え頂ければと思います。
ただし、今回の訪問で「北見・遠軽」に「かよエール」が設定されていることが確認できました。

 >鉄道導線が途切れた現在の遠軽の地勢には「孤高の存在」すら感じますね

 少々「鉄」から離れてしまいますが、「遠軽」は「遠紋(遠軽・紋別)地区」の主要地であり、
「医療」・「教育」の要衝であります。
ただ、この地域は人口の減少が著しく、「生田原・丸瀬布・白滝」の各町村が併合された結果として、
2万人程度の規模の街として現存しています。
「ちほく高原鉄道」を活用した「JR特急運転構想」に真っ向から異議を唱えたのは、「遠軽町」と「留辺蘂町」のみでしたし、
平成7〜8年ころに「スイッチバック」解消の話が出ましたが、移転資金や市街地移転等の問題で頓挫。
鉄道の街としてのプライドもあり、雑魚様の御説のとおり「重要な結節点」であり続けてほしいものであります。


 >女満別はさしずめ「おおとり町」

 「白糠」・「標茶」・「厚岸」・「阿寒」各町を「釧路市」と併合して、「スーパーおおぞら市」とする話もありでしょうか(笑)。


 >もし同鉄道跡の沿線域に御出掛けの機会ある折は「見たまま情報」など頂ければ、幸甚に存じます

 年に一度程度「再訪」できればと考えますが、「厳冬期」に「北見〜陸別〜池田」と「代替バス」で辿れば、
「ブリザード」に遭遇すること請け合いであります。


 >遠軽高OBによる「ガンダム漫画」の連載終了

 全く「鉄」に無関係なのですが、小生の教え子が「世界的なオーケストラ」での「オーボエ(若しくはビオラ)奏者」らしい
という噂を聞いております。
「クラシック」に造形ある「雑魚」様が何かご存じあれば・・・。

 長々と失礼致しました。また、「鉄」以外の話失礼致しました。
以上、「オホーツク」の鉄路復活の幻想を抱く「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 8月16日(火)11時09分28秒
タイトル 釧網線
ED76109先生:
川湯温泉とは硫黄分が凄くきつい温泉でしょうか?宿の番頭さんから
「絶対に顔と頭を洗わないで下さい」と言われた経験があります。親父も私も汗疹
が治ってしまって、そんな効用もあったのかと。
C58+ナハ+ホハの混合列車が、川湯−緑間を40分程掛けてトコトコ走ったのにも、
北海道の広さを感じました。

池北高原鉄道経由の特急は例の川島令三も言って居たですね。あの人の妄想的発想も
鉄族から批判が多いですが。

常紋に熊が出た----何年前か忘れましたが撮り鉄が一人羆に食われた事故があったと
聞きましたが---危険ですね。兵庫県の但馬地方にもクマゴローが居るから時々
人畜が襲われます。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 8月16日(火)16時03分47秒
タイトル 道東諸々
▼ED76 109様:
>「窓が全開できる車両」を大切にしたいと考えており、

地元・水戸地区を見るとJRは全て固定窓化された様で、窓が開く例は大洗鹿島線や
湊線の一部に限られる様です。将来、トロッコ列車等の例外を除き、窓の開閉自体が
安全基準に抵触する様になるのではと、内心、案じています。

> 折り返しのために「山中の寒駅」である「金華」までわざわざ往復する

横浜方面発着の「成田 Exp」が、大船にて折り返す感覚に、通じるものもありますね。
石北線のダイヤを考えれば、停留所での折り返しも、然程困難ではないと思いますが、
そうならないのは、信号管制上の制約でしょうか。

>「ちほく高原鉄道」を活用した「JR特急運転構想」

総延長が 140kmにも及ぶ中、起終点を除く沿線自治体の人口総計は、三万未満ですし、
遠軽、留辺蕊は素より、旭川を度外視してまで、南千歳での空港接続や、帯広乗降を
斟酌する意義があるのか、疑問でした。試験的に「スーパーとかち」の一部を快速に
格下げして、北見まで直通させ「オホーツク」はその侭、という事であれば、多少は
判りますが、肝心のふるさと銀河線も廃止され、今となっては無意味な反実仮想です。

同様の提唱を行っていたとされる川島氏は、茨城ネタでは、鹿島鉄道の活性策として、
新鉾田に延長、大洗鹿島線への接続を主張されました。鉾田駅と市街の位置関係から、
大規模移設工事の必要性が予想されますし、沿線が旧四郡に跨る事で、自己完結的な
短距離需要が主流と思しき鉾田線の性質上、大洗鹿島線への接続が直ちに、日常的な
潜在需要の掘り起こしに与するとも思えず、愛好家として「こうあって欲しい」との
趣旨も、少なからずあったものと感じます。

> 平成 7〜8年ころに「スイッチバック」解消の話が出ましたが、

遠軽国道と置戸国道の分岐点付近(豊里地区)に、遠軽駅を移設するなら、実現性は
比較的高そうですが、駅と市街地との位置関係を考慮するなら、網走側で、大規模な
路線変更を伴いそうですね。スイッチ・バックの解消事例としては、1938年の改軌を
契機に駅移転と併せて実施した、大隈線の鹿屋駅が挙げられますが、解消後の線形は、
かなりの屈曲を伴う「Ω仕様」でした。

>「釧路市」と併合して「スーパーおおぞら市」

十勝総合振興局 管内でも、負けじと「スーパーとかち市」を目論む事でしょう(^^)
この論法ですと 函館界隈では「うきうき市」「わくわく市」もありそうですが(^^)
速達運転でもない「マイタウン列車」への、かかる命名感覚は正直、良く判りません。

>「厳冬期」に「北見〜陸別〜池田」と「代替バス」で辿れば「ブリザード」に遭遇

ふるさと銀河線の廃止を受け、通学先の北見市内に下宿を決めた陸別在住の女の子を
追跡したドキュメンタリー番組を、本掲示板で紹介した事がありますが、代替バスの
ダイヤの如何を問わず、ブリサードの中をバスで往来するのは無理がありそうですね。

> 小生の教え子が「世界的なオーケストラ」での「オーボエ(若しくはビオラ)奏者」

そう言えば、遠軽高は吹奏楽の名門でしたよね。ウィキペディアで校名を検索すると、
クラリネット、トロンボーン、ファゴット、フルート、ホルンでも、著名な演奏家を
輩出している様で、紋別郡の人口分布を思えば、これだけ有為の人材を輩出したのは、
私自身、吹奏楽経験者である手前、一目を置くべき存在です。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 8月16日(火)20時49分47秒
タイトル 道東「鉄」雑感
 おばんでございます。「ED76109」であります。


 マロネロ38様

 >川湯温泉とは硫黄分が凄くきつい温泉でしょうか

 御意。「硫黄山」が隣接しており、「温泉たまご」も独特の風味。典型的な「硫黄泉」であります。
当該レは、7月〜8月にかけて「釧路・網走直通DC」の運転に合わせて設定されるものであり、
「摩周」及び「川湯温泉」にそれぞれ「15〜20分」程度停車して「駅前の足湯」を堪能するという代物です。
当初は「先を急ぐ乗客もいるはず」と、JRは難色を示したのですが、地元の観光協会に押し切られた形で誕生。
昨年、小生が乗り鉄した際も、両駅の足湯でくつろぎました。
「これも一種の『混浴』ですかね。」と小生、女性観光客の方々と大笑いでありました。


 >常紋に熊が出た----

 現在使用停止中の「常紋信号所」の辺りは、本当に人里から隔離された「空間」であります。
「SLオホーツク号」運転の折、「撮り鉄」の方々は「鳴り物」持参でないと
危険で近寄ることができないと小生は考えております。
「オホーツク号」乗務の「旭アサ」のカレチ氏は、「旭川・北見」間では
「エゾシカ出没の場合、急停車する場合がございますので〜」のフレーズで、
急制動に注意喚起を促す放送を流しております。
本当に「石北本線」は「野趣」豊かな路線であります。


 雑魚様

 >遠軽、留辺蕊は素より、旭川を度外視してまで、南千歳での空港接続や、帯広乗降を斟酌する意義があるのか

 御意。
現状の「DCオホーツク」は、「旭川」で乗客の3分の1が入れ替わる現状であり、「指定席」はほぼ8割の乗車率。
今回の「北見往復」はどちらも自由席に潜り込んだ結果、
かえって「指定席」よりゆったりしておりました(特に「オホーツク8号」)。
この現状を鑑みると、「特別快速きたみ」スタイルの「DC」を「2時間ヘッド」で「旭川・北見(網走)」に設定し、
そのうちの「4往復」を往年の「キハ65系」のように「スーパーかむい」に併結させ
「札幌」に直通させる施策も一考かと思います。
いずれにせよ、「スーパーちほく(仮称)号」には無理がありますですね。


 >遠軽高は吹奏楽の名門でしたよね

 小生が担任した「吹奏楽局(部ではありません)」の生徒は、
「フルート」奏者の実力を認められて「広島にある音楽大学」に入学することに。
ところが、大学から「筆記試験も含めて成績が最上位であるので、入学式にご出席願いたい」との連絡が学校にありました。
「保護者」の方から「広島までは・・・」と及び腰であったことから、
小生「『さくら・はやぶさ』に乗れる!」と色めきたったのですが、
「生涯に一度あるかないか」との「吹奏楽」顧問の説得に、
保護者の方が「女満別空港」から「広島直行便」で「広島」へ行かれたことがございました(残念至極でした)。


 長々と失礼致しました。
以上、「センバツ21世紀枠」での出場と併せて「遠軽高校」と我が母校の
「来年のセンバツダブル出場」を夢見る「中年客車鉄ちゃん」でありました。



               
「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから