| おはようございます。「ED76109」であります。 
 まず、「戯言情報」であります。
 本日、上越方面の集中豪雨のため、昨日「大阪」発の「トワイライトEXP」はウヤであります。
 そのため折り返しとなる、本日「札幌」発の同列車はウヤの見込みであります。
 明日「北陸筋」等での撮影・車番確認のご参考まで。
 
 雑魚様
 >同様の逸話は「ヨンサントオ」における大垣夜行(143・144レ)
 
 当時は、新幹線も開業して4年が経過しておりましたが、当該レはかなりの人気があったようであります。
 今回は、「キャンブックス 鉄道史を彩る十五の名場面 昭和を走った列車物語」及び「赤い腕章 国鉄車掌物語」
 から話題を提供させていただきます。
 
 
 1 昭和42年10月の段階では、当該レは「EF58」に牽引され、
 「オユ10」+「マニ36」を先頭に「スハ43」や「スハフ42」等の「ハザ10両」、
 そして「スロ54(51)」からなる「ロザ」1両の「13両編成」。
 「鈍行レ」とは言うものの、当時の「急行レベル」のハコが使われていたのでありました。
 特に「ロザ」は、昭和20年代後半から30年代、特急・急行の「特ロ」だったことは、
 先達の皆様には釈迦に説法でございましょう。
 今は無き「東京駅14番フォーム」から23:30に発車していたのでございます。
 
 
 2 「雑魚」様の御指摘のように、「143・144レ」は、昭和43年10月の改正で一端は当該レの廃止が決定致します。
 当時の「トカホセ」は、「143レ」以外の鈍行レは全て「EC」であったことから、効率化を図る目的だったようです。
 しかし、同年の6月の実績は「平均70%の乗車率」があり、新聞や国鉄本社に「廃止反対」の投書が相次ぎました。
 この声に、当時の「石田国鉄総裁」が「存続」の英断をした。と言われております。
 ただ真相は様々であり、当該レの「ユ」「ニ」が郵便物・新聞雑誌の運搬における「速達性」を確保していたことも、
 廃止反対の強い理由としてあげられるものです
 (この点は、以前「クモイ103」様が長距離普通レの同様の意義を記述されていたはずであります)。
 事実、「143レ」を、「旅客レとしては廃止するも、郵便・荷物専用レとしては存続」という選択肢が、
 国鉄本社では検討協議されていたようでございます。
 
 
 3 「143・144レ」は、別名「マルキュウ列車」とも言われておりました。
 つまり、「被救援者旅客運賃割引証」によって半額の運賃で乗車できた「弱者」の方々の利用が少なくなかったからであります。
 また、「トカホセ」の終列車的役割を担っていたことから、湘南方面のサラリーマンや銀座辺りのホステスさんの利用も目立ち、
 正しく「庶民の列車」のイメージが確立されておりました。
 なお、意外なことに、当該レの担当カレチ氏の所属区は「東京車掌区」でも「大阪車掌区」でもなく、
 「米原車掌区」担当だったとのこと。
 両車掌区とも、当時は優等列車を数多く抱える花形車掌区。
 「143レ」がローカル車掌区に委ねられていたと言う事実に、「長距離鈍行ファン」の小生、何かうれしく思えました。
 
 長々と失礼致しました。
 以上、しつこく「東京・鹿児島中央直通の臨時各停こだま号」の運転を切に希望する「中年客車鉄ちゃん」でありました
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