倶楽部メモ(666)
平成23年 7月24日〜 7月26日



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 7月24日(日)08時06分19秒
タイトル 品川憧憬
 おはようございます。昨晩はゆっくりと御休になられましたでしょうか。「ED76109」であります。

 旧狩勝線を楽しむ会様
 >小学生の高学年になったころ、品川始発の153系の急行がありよく利用しました

 「品川」の臨時フォームは、小生にとって「鉄」の想い出がある場所であります。
今日はそんな「戯言」を申し上げます。(以前にも触れた内容でしょうが・・・)

1 「旧狩勝線を楽しむ会」が親しまれたのは「EC東海」であろうと推察いたします。
 9:08発の「東海2号」。この「東海」には、日曜日に運転される「ごてんば」が増結されており、
 「国府津」から「御殿場」へと分割されておりました。
 小生は、7:42発の「113系浜松行(325M)」によくお世話になりました。
 このEC鈍行は、「沼津・浜松」は快速運転されて、そこそこ「急行もどき」の雰囲気も十分堪能できる代物。
 さらに、「浜松」で「上り桜島・高千穂」に「3分」で接続し、
 昭和50年の冬休みには「お別れ乗り鉄」で活用させていただきました。


2 小生が、「品川」の臨時フォームに憧憬を持つきっかけになったのは、
 昭和40年代前半に運転されていた「847レ(熱海行)」。
 先達の皆様方の話題にもなっておりますが、当時「トカホセ」に残されていた唯一(?)の「PC鈍行」であります。
 記憶の彼方にしかありませんが、両親と「熱海温泉行」やら「御殿場線のD52鈍行乗り鉄」やらで利用していたようです。
 しかし、何時乗っても「閑古鳥」が鳴いていたようで、最後尾の車両に小生一家のみということもあった記憶が・・・。
 しかし、このPC鈍行は多客期には「臨時レ」に車両を召し上げられてしまい、
 全国から「PC」を掻き集めて運転していたようです。
 事実、小生のスナップには「オハフ60(札イワ)」をバックにした一枚がございます。


3 もうすぐ夏休み(当地では22〜25日が終業式)ですが、昨今は「新幹線」の混雑が帰省ニュースの定番です。
 しかし、昭和40年代は「上野」始発の長距離レの一部が、年末年始に「品川」始発に変更されていたことは、
 先輩の先達の皆様には「釈迦に説法」でありましょう。
 とある年(昭和43年12月29日)の運転状況を巡ってみれば、以下のような状況がございました。

ドキュメント・感動の所在地1「賑わいの上野口」から

おが51号(8415レ・16:57・大館行) 津軽1号(401レ・18:52・青森行)
おが52号(8417レ・19:20・秋田行) おが2号(6401レ・19:30・大館行)
おが53号(8419レ・20:23・大館行) おが3号(403レ・20:46・大館行)
津軽2号(405レ・21:26・青森行) 普通レ(421レ・21:47・青森行)
おが53号(8403レ・22:26・秋田行) 出羽(403D・22:36・酒田行)
ばんだい54号(8207M・23:15・会津若松行) ざおう4号・ばんだい5号(6403M・23:21・山形、会津若松行)
ばんだい6号(2203レ・23:26・会津若松行)
おが55号(9109レ・23:41・秋田行) おが56号(8423レ・0:16・横手行)

 この時期は、輸送力確保のために「シ」や「ロネ」等が編成から外されて、「ハザ」に変更されるなど、
サービスは二の次となり、まず「乗客が可能なかぎり座れる」編成に変更されていたのでありました。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 7月24日(日)09時28分14秒
タイトル 車窓の風景
 夕方の風景です。こんな田舎の風景が延々と続きます。緑の土地です。

 1枚目と3枚目の写真の下側は、線路の増設工事です。3枚目には複線の鉄路が写っています。
 自分の知るタイ南部では、線路の増設工事なんてありません。
タイ国鉄は、設備も企業としての組織体も老朽化、衰退しつつあるという印象が拭えません。ストや事故も多いですし。
 マレーの方が経営状態は良いようです。


 何もすること無いんで横になっていると、やはり ゴトゴトゴトゴトゴト との音と揺れが続きます。
これはタイと同じで、たまに乗る夜汽車では却ってこれが眠りを誘います。

 しかしそれとは別に、数十秒おきにガッとかゴッとかの大きな音が響きます。
連結部か台車でなはないかと思います。ちょっとこれはいただけません。タイではこんなん無かったと思います。
 あと客車の通路の扉が自動ドアなのですが、これが壊れていて、しっかり閉まらずに中途半端な状況。
大きく揺れると扉が動いて音もします。ふぅっ。

==============================

 タイの日本語ニュースサイトから、タイの鉄道事故。あああああーーーーーー。

http://www.newsclip.be/news/2011720_031499.html
タイ西部で踏切事故、外国人乗客ら40人超けが

http://www.newsclip.be/news/2011720_031501.html
国際列車がスクールバンに衝突 タイ南部




投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 7月24日(日)10時56分59秒
タイトル 多分EF58では?
ED76109先生:
昭和46年頃ならまだEF58が牽引する列車が多かったですから、多分EF58だったで
しょう。
大阪で止められて「広島行各停ウヤ」でしたか?その頃の時刻表がもう無いですが、
確か名古屋早朝6.05?発の広島行(スロ34のW付き)がお昼前に大阪発で、大阪始発
広島行が13時代にありました。大阪始発は確かにEF58でした---。もう記憶があやふや
ですが。

姫路から姫新線−芸備線経由広島行で迂回運転しなかったのですね?戦前は山陽本線の
区間列車併結で姫新−芸備経由広島行があり、戦後も備後十日市行がありました。
木造ナハフ1両か2両でしたが、それに三宮から宝殿まで乗車した事がありました。

こんな話になると「鉄道省や国鉄時代が良かった」思いが募るばかりです。

マンボ見学今朝まではまだ余裕ですね?



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 7月24日(日)14時31分16秒
タイトル 昭和46年 大阪発広島行き各駅停車
ED76109様

手元に時刻表1970年12月号(弘済出版社・小型全国版の総合時刻表)があります。
東海道・山陽本線 京都−広島間のページを見ますと、下記のような長距離客車普通列車が運転されています。
1971年11月号でもおおむね変わっていないようなので、ED76109様が大阪抑止を体験された時点のダイヤと考えても
ほぼ差し支えないでしょう。

(下り)
321レ 姫路 7:08 → 広島13:08
323レ 大阪 9:00 → 広島19:05
621レ 大阪13:15 → 宇野18:17
623レ 京都21:29 → 宇野 3:00

(上り)
622レ 宇野 0:20 → 京都 6:31
624レ 宇野 6:17 → 大阪11:11
322レ 広島 5:39 → 姫路12:17
324レ 広島11:27 → 大阪20:00

ED76109様がお聞きになった放送の広島行きというのは、323レですね。
面白いのは、この列車と同じ 9:00に下り電車普通列車739M(米原→西明石)が同時発車していることです。
当時は京阪神複々線の内側線は支社設定の列車、外側線は本社設定の列車と区分されていましたので、
この様なこともあったのですね。

話がさらに逸れますが、京都−宇野間の夜行便は上下とも主要駅のみ停車の快速運転、
下り3:00着というのは今の感覚で見ると異様に感じますが、9分後の3:09には新大阪からの急行「鷲羽11号」も到着し、
その2列車分の乗客を受けて3:20に宇高航路第3便が出航します。
高松着は4:25、そこから四国各線への接続列車が散って行くのでした。


マロネロ38様

スロ34のWが登場するということは、昭和30年代半ばまでのお話しですね。
その頃なら、名古屋→広島という列車があっても不思議はなかったことでしょう。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 7月24日(日)17時35分5秒
タイトル 大混雑の大阪駅
 本日2度目の乗車、失礼申し上げます。
学校祭の後片付けにボランティアで参加し、帰宅した「ED76109」であります。

 マロネロ38様及びクモイ103様

 いつものように明解な回答に心からお礼申し上げます。「323レ」であれば、正しく合点がいきますね。
10時間かけての「旧客」旅はどんなものだったのでありましょう。
本当にあの日は、フォームは大混雑しており、子ども心にも「これはエライことになる」と思っていました。
「DCなは・日向」の迂回運転(伯備・芸備線経由)ばかり申し述べていたように思いますので、
今回は足止めを食った「大阪のフォーム」のことを微かな記憶を頼りに「戯言」してみます。

 1 あの日は、前日に「東京」を21:45(22:00?)に「銀河1号のハネ」で旅立ち、
「大阪」に7時過ぎに到着したのでした。
しかし、「大阪のフォーム」に流れていたのは
「集中豪雨による尾道・糸崎間の不通で、山陽本線下りは開通の目処が立たない」という放送でありました。
取りあえず、「銀河」の到着した反対側のフォームに入るはずの「なは・日向」の12号車の乗車位置に・・・。
しかし、駅員氏から「『東京』まで、タダで帰ることができますので、今日は出直された方がええと思いますよ。」
と言われてしまい、「鉄」親父と途方に暮れておりました。
確か、「ECしおじ」や「クモイ103様御指摘の323レ」、
そして「DCかもめ」のウヤ等が繰り返しアナウンスされ、
フォームのあちこちで駅員氏を囲む人集りが大きくなっていった記憶があります。


 2 小生に荷物を託して、駅弁を購入しに構内をうろうろしていた「鉄」親父でしたが、
結局全て売り切れで腹は減る一方。
雨上がりの蒸し暑さも重なり、さすがに「帰るか」と弱気な「鉄」親父に、
「新幹線の終電まで粘ろうよ。」と小生呑気なことを言いました。
「もう少し粘るか」と気を取り直した「鉄」親父でしたが、本音は「新大阪に一刻も早く移動して、
兎に角『こだま』で東京に戻ること」を決めていたようでしたね。
しかし、小生は「大阪環状線の101系」や「西明石・京都を走る73系」やらに、
「すげえー!」を連発していたように記憶しております。

3 立ち往生から暫くたったころ、
「本日、『西鹿児島・宮崎行のなは・日向号』は『伯備線・芸備線経由』で運転致します。
大阪発車は2時間遅れの9:30を予定しております。」の放送があり、
並んでいた乗客から歓声が上がったことは強く記憶に残ることです。
しかし、「本日、『広島』から西へ向う列車は、現在『なは・日向』以外に目処が立っておりません。」
とアナウンスされたことから、集まってきた乗客で列は長くなる一方。
先頭にいた小生らに駅員氏が、「指定席は解除しませんから、安心してご乗車下さい。」と笑顔で語りかけてくれ、
「鉄」親父と「ありがとうございます」と返したことは記憶に残るところです。
その後、「80系」がフォームに滑り込み、ドアの両側を割り込みを阻止する駅員氏に囲まれて車中の人となりました。
車内は、ガンガン冷房で冷やしたようでしたが、通路にも立錐の余地もないほどの混雑ぶりで、皆汗まみれ。
結局、9:30過ぎに「大阪」を発車したのですが、「『広島』到着は、6時間遅れの16時すぎを予定しておりますが、
遅れの状況によりましては、途中駅の「下関」で運転を中止する場合もございますので、あらかじめご了承下さい。」
という放送が「アルプスの牧場」とともに流れ、前途の多難さが車中に溢れました・・・。
結局、「なは」は翌日の0時過ぎの「熊本」で運転中止となり、
相棒の「日向」は翌日の午前4時前に「宮崎」まで辿り着いたことを、
後で「出水の助役」をしていた「伯父」から聞きました。

 「山陽新幹線」が開通前のエピソードです。今では想像もつかない「在来線」が元気な頃の出来事でありました。
長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 7月25日(月)11時38分37秒
タイトル 真夜中
 深夜です。車内は1枚目のよう。途中の駅で停車し、2枚目、3枚目のように他の列車と並びました。

 都会のヒートアイランドとは縁のない田舎で、夜中になると気温が下がります。車内はやや寒い。

 ここで切り返しをしたのでしょうが、進行方向が変わりました。
先頭の機関車、次の電源車に続いて、自分の寝台車は3両目です。
もちろん乗客はそのままで、何もする必要はありません。
 そうなってから、数十秒おきの ガッ とか ゴッ というのが無くなりました。
方向転換のためか、線路の状態が良くなったのか。壊れた自動ドアも音がしなくなりました。
これだとタイと変わらないと思います。

 トハイウモノノ、自分はあんまし良く眠れませんでした。たぶんその時の個人的状況によるものと思います。


 何もすること無いんで、持ち込んだ水飲んでパン食べて、寒いせいもありますが時々WC小用に。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 7月25日(月)13時57分41秒
タイトル 名古屋発広島行
クモイ103 様:
名古屋駅で早朝に編成を見たのは、昭和31年の7月です。小海線乗り鉄の後で長野へ
出て夜行の準急のナハネ10に乗りたくて時間を潰して乗車しての帰途でした。
スロ34Wには29年夏にスロ341に宮島口→三ノ宮間乗車していたので、その日は「大和」
で帰阪しました。
長距離というと京都−鹿児島間の普通もありましたが、スロ33では尻が痛くなった
だろうな?と
尤もこれに通しで乗車するのはED76109先生ぐらいかな?です。(でも先生は出水迄)?

後年「しろやま」のハネが取れなかったので、仕方なくオロネ10の上段に乗車して
大阪→伊集院までの時も、ロネながら相当しんどかったです。「しろやま」は車販が
来なかったので広島と水俣で駅弁を買いました。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2011年 7月25日(月)23時36分25秒
タイトル 旧型客車回送列車
皆様の東海道・山陽筋の列車の話、大変うらやましく拝見しております。
私が初めて東海道本線の列車に乗車したのは(見たのも)記憶にある限り昭和54年の夏
といった状況なので、昭和40年代以前の客車列車の全盛時代をまったく見ることが
出来なかったことが残念です。

ところで、先々週の水郡線の旧型客車列車に続いて先週末に只見線において旧型客車
による「只見線全線開通40周年号」が運転されたのですが、どちらも都合が付かずに
見に行くことが出来なかったので、本日の返却回送列車を撮影してきました。
磐越西線経由の回送列車で、途中まではあいにくの雨天でしたが、平日という事もあり
SL列車のような追いかけもほとんどいなかったので、安全に追いかけがききまして、
4ヶ所で撮影できました。
天候不良だったため、若干ぶれぎみですが…




投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 7月26日(火)00時03分34秒
タイトル アラルンプル着
 寝床でぼーーーっとしていると、終着のクアラルンプル駅です。
現地時間午前5時38分。8分遅れですが、これはもう定刻です。

 自分はバスや飛行機ではあんまし眠れません。一切全くという程ではないのですが。
 タイの寝台では、かなり眠れます。
どうしても途中で目覚めるので、2時間単位で4セット位の睡眠でしょうか。まあ充分です。
 今回は、30分単位で3セット位でした。うーーん、たまたま今回だけかなぁ。
終着駅でも熟睡してて、同行者に起こされた人もいるので、
一般論としてマレー鉄道が寝難いということではないと思いますけど。

 さて写真、



1枚目:地下ホームです。駅名表示。上がマレー語、下が英語。マレー語も英語が元になっていますね。
これは、いわば新KL/クアラルンプル駅です。昔のKL駅の近くです。
最近、都心部の短距離高架鉄道を増設したりして旧駅では手狭となったので、新たに鉄道のハブとして建設されたものです。



2枚目:先頭の機関車、手ブレすんません。



3枚目:2等座席ですが、こんな色のもありました。扉が開いていたので、ちょっと入っちゃいました。
色は違いますが、ハジャイで撮影した座席と同等だと思います。


 2等座席、2等寝台、2人個室らしい1等寝台のから成る編成で、食堂車はありませんでした。



投稿者 旧狩勝線を楽しむ会
投稿日 2011年 7月26日(火)00時17分20秒
タイトル 急行東海
ED76109様

> 9:08発の「東海2号」。
言われてみればそうですね。ただ、国府津で分割したということまで記憶にありませんが、
そうなると153系と165系が連結されていたのでしょうか?
なんとも記憶にないのが寂しいかぎりですね。
「急行東海」なつかしいです。丹那隧道を通り抜ける時間をよく計ったものですね。
身延線は旧型国電しかなかった時代。富士に到着した電車は床に油を塗る作業があり、
塗り終わると乗車できました。あの独特な油のニオイ。なつかしいですね。
富士からの帰りは、新幹線があるというのに大混雑。
見かねた車掌さんが運転室から椅子を出してきてデッキで座らせてくれました。
あのころはまだ新幹線は庶民のものではないという感じでした。(なにしろ川崎下車まで大混雑のままでしたから)
各駅停車だけで帰るときもあり、内装が旧型客車のような木目ニス塗りの80系だったように記憶しています。
夜だったので、暗い車内、線路が見えるトイレ、乗車時は子供では高すぎるホームと列車の段差。
なんとも今では考えられぬ情景です。
昔のことがいろいろ思い出せました。ありがとうございました。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 7月26日(火)17時56分56秒
タイトル 165系 雑感
▼ED76 109様:
> この「東海」には、日曜日に運転される「ごてんば」が増結されており、

私が都内に潜伏していた1980年代の当該急行は毎日運転で、相方の「東海」がG車を
二両も擁する、堂々たる12両編成だった一方、同じ 165系の「ごてんば」は、全車両
自由席扱いのモノクラス 4両編成と、圧倒的な格の違いを見せ付けられた印象でした。
前者は「大垣夜行」と共通運用を組んだ手前「名カキ」編成で、後者は「南チタ」と、
所属の異なる編成が多層建を組んでいたのですね。

当時の東海道線の関連で 165系と云えば、身延線の「消化」に利用した「富士川」が
思い出されます。上記「ごてんば」同様に「名カキ」所属で、自由席のみ設定された
モノクラス短編成でしたが、私が乗車した甲府始発の 4号は、静岡ではなく、三島に
直通するという、当時ならではの陣容でした。

なお、これに先立ち 甲府への移動に利用したのは、新宿始発「スカ色」115系でした。
八王子までは立川にしか停まらず、その意味では特別快速より格上なのに「快速」の
表示が一切無い、不思議な存在でした。以上、新宿始発の 115系と聞くと、上諏訪行
夜行便の、甲府での長時間停車を思い出す雑魚でした。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 7月26日(火)20時10分23秒
タイトル 身延線モハ62
雑魚様:
写し損なったのですが、身延線に旧型国電の下回り流用で、車体が111型?
(153だったか)のモハ62型が入って居ましたね?
実際どんな電車だったのか?ご存知なればご教示多謝です。



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 7月26日(火)20時22分39秒
タイトル 東海道急行形電車時代
東海道電車急行の話題、面白そうですね。私もまぜて下さい(^o^)。

急行「東海」および共通運用の大垣夜行は、末期こそ静シス(静岡運転所)の165系でしたが、
昭和50年代まで遡れば、雑魚様のおっしゃる様に名カキ(大垣電車区)の153系でした。
名カキの急行形電車は一時期153系・155系(一般用に改造済み)・159系・165系が
ごちゃ混ぜに混結されて中京地区の快速列車に運用されており、
それとは別立ての「東海」編成にも時折155系のモハが紛れ込んで凸凹編成を呈していたものです。
さらになんと、1形式2両の珍車サハ164売店車のうち1両が、
どういうわけか本来の活躍線区である中央東線を離れて名カキに流れ着き、
「東海」や大垣夜行に組み込まれる場面もありました。さすがに売店は営業していませんでしたが…

一方「ごてんば」は、南チタ(田町電車区)の165系3連が長らく運用されていましたが、
後に修学旅行色から急行色へ変更された167系の4連に置き換えられて、
12連の「東海」と合わせて堂々16連の国鉄電車史上最長急行編成となりました。
なおこの頃には「東海」の方も165系化が進んでいたかもしれません。
その前後関係はあやふやで申し訳ありませんm(_ _)m。



               
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