倶楽部メモ(662)
平成23年 7月10日〜 7月14日



投稿者 コスモス
投稿日 2011年 7月10日(日)14時21分42秒
タイトル 水郡線に客車列車「ハッスル黄門号」
表題のとおり、7月16日(土)に水戸ー常陸太田に客車列車「ハッスル黄門号」が運転されます。
JR水戸支社のHPによりますと、編成は「昭和13 年、昭和28 年に製造された客車2 両を、
ディーゼル機関車(DE10)を両端に付け「プッシュプル方式」で運転」するそうです。
編成イメージのイラストが添えられていますが、スハ32形とスハ43形のように見えます。
常陸太田駅は現在は、烏山のように機回しができなかったと思われるので、プッシュプル編成なのでしょうね。
水戸発10時30頃、常陸太田着11時07分頃で、戻りは常陸太田発11時14分頃、水戸着11時56分頃だそうです。



投稿者 コスモス
投稿日 2011年 7月10日(日)15時26分44秒
タイトル 蒸気並走映画「指導物語」
蒸気機関車が並走するシーンが出てくる映画として、昭和16年公開の東宝映画「指導物語」があります。
撮影地は千葉近辺で、機関区のシーンは当時の千葉機関区、
並走シーンは佐倉駅東方の総武本線、成田線の並走区間でした。機関車はC58型です。
動画サイトのユーチューブで「指導物語」で検索すると動画を見ることができます。
VHSではソフトがでていますが、DVDは出ていないそうです。
機関区脇の本線には架線が張られていますので、昭和16年には東京側から千葉まで電車運転が行われていたようで、
常磐線に比べると相当早い時期に電化されていたのですね。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 7月10日(日)16時54分59秒
タイトル 常陸太田支線での快挙 !!!
▼コスモス様:
> 7月16日(土)に水戸−常陸太田に客車列車「ハッスル黄門号」が運転されます。

貴重な情報を有難うございます。常陸太田支線でかかる臨時便とは、東日本大震災後
記念すべき「地元鉄撮復活第一号」に相応しいネタですね。

PP方式との事ですが、これは御指摘の様に、常陸太田駅の棒線構造によるものかと
思われます。もっとも、常陸太田支線では、1983年のCTC化以前は、朝に一往復の
旧客便の設定があり、私自身、通学路の陸橋から何度と無く眺めていました。当時の、
常陸太田駅構内は、側線や機回し線を擁するなど、風格を感じさせる構造で「廃線跡
訪問記〜画像で綴る廃線跡〜」というサイトの「日立電鉄(1)前編」に 1974年時の
空撮映像があり、当時を知る者としては、感慨も一入です。

CTC化の後、同駅では側線を撤去し、引上線が途中で途切れる、簡便な棒線構造と
相成りました。昨年から今年にかけて、変則的な構造ゆえに、渋滞が慢性化していた
駅前の交差点で、日立電鉄の駅前跡地をも活用して、大規模な改良が行われましたが、
この時、駅舎を新築、ホーム・線路を移設して、棒線仕様のまま、更にコンパクトな
構造に化けており、今回のイベント列車は、それに関連した趣旨なのですね。

常陸太田支線で撮影となると、水戸側に大きな曲線区間を擁する久慈川橋梁の前後を、
南側の 国道349号線バイパス(那珂市額田北郷地区)から俯瞰するのが最良でしょう。
明日から、太田方面への所用があれば、ロケハンを心掛けるとしましょう。

昭和28年製という客車は高崎辺りの所属でしょうか。もし、前後に回送運用があれば、
それも、常磐線ではなく水戸線経由であれば、コアな被写体になり得ます。DJ誌の
発売日が運転の前日とは、もどかしい限りですが、何かしら御存知であれば、宜しく
御教示下さいませ。



投稿者 コスモス
投稿日 2011年 7月11日(月)21時40分56秒
タイトル 太田支線の客車列車
雑魚 様

水戸支社のHPの資料によれば、編成は客車(スハフ42-2173) + 客車(スハフ32-2357)だそうです。
旧客は高崎車両センターからの送り込みと戻しがあると思われますので、ご指摘のようにこれもねらい目ですね。
本番同様の試運転もありそうですが、はたしてどうなるでしょうか。
DJ誌は、東京駅八重洲北口の栄松堂書店では発売日の15日より早い13日頃に店頭に出るようです。
国鉄時代の太田支線の客車列車ですが、DD13が牽引していたときは冬季に暖房車を使用していたかと思います。
常陸太田駅で暖房車も含めて機回ししていたなら、けっこう複雑な入換え作業になると思われます。
手持ちの1976年(昭和51年)1月号時刻表では、当該列車(2521〜2522レ)は6時55分着7時7分発で12分での
折り返しになっていますが、どんな入換え作業が行われていたのか興味を引かれます。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 7月11日(月)22時41分8秒
タイトル 電源車
端面にガラス窓、運転席が無く、これが機関車でない事が分かります。マレー鉄道を意味するKTMの文字が見えます。




投稿者 雑魚
投稿日 2011年 7月12日(火)08時36分0秒
タイトル 急行 「奥久慈」
▼コスモス様:
> 旧客は高崎車両センターからの送り込みと戻しがあると思われますので、
> 本番同様の試運転もありそうですが、はたしてどうなるでしょうか。

この様な話を伺うと、今週は気も漫ろですね。もし、DJ誌を事前入手され得る方が
いらっしゃいましたら、よろしく御教示下さいませ。

> 常陸太田駅で暖房車も含めて機回ししていたなら、けっこう複雑な入換え作業

側線数は問題無いとして、もし入替機の常備があったなら、それをも動員したのかと
あれこれ、想像するのも楽しいですね。現在の「あっさり構造」を思えば、尚更です。

> 当該列車(2521〜2522レ)は 6時55分着 7時7分発で 12分での折り返し

その約一時間後に到着する気動車便は、比較的、長編成でしたが、当時の常陸太田は
常陸大宮市北部や大子町を含む独自の学区の中心地で、東館発・水戸行が、上菅谷で
接続する事もあり、市内に通学する高校生が集中、最後尾の急行型では首都圏並みの
ラッシュ状態でした。

折返し便が上菅谷に着くと その急行型が切り離され、磐城石川始発の急行「奥久慈」
2号(常陸大子以北では 唯一の急行扱い)に移し替えられた訳ですが、急行運用前に
あの混雑振りですから、常陸太田折返し待ちの間の、車内清掃の有無が、気になって
仕方無いのでした。

水戸では、水郡線ホームで降車を行った後、上野側への引上げを経て常磐線ホームに
転線し、併結相手である平始発「ときわ」の到着を待ち、連結作業中に「ひたち」を
退避するなど、広い構内で巧みに緩急を捌く「職人技」が窺える光景でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 7月12日(火)09時55分13秒
タイトル 山口県 雑考
▼青列車様:
> 今日に至っても未だに復旧は終わっていません。

地元の震災にばかり気を取られていましたが、美祢線は未だに不通なのですね。一応
幹線の扱いながら、廃止が取り沙汰される辺りに、貨物本位だった体質が窺えますが、
かつて、長門市〜下関(また幡生?)で「感動の再会」を演出した急行「さんべ」の
美祢線経由には、どの様な必然性があったのでしょうね。

> 山陽小野田市(未だにこの名前にピンと来ません)

厚狭界隈において、1956年の合併以来、広域を連想させる「山陽町」を名乗った事が
伏線となった市名ですが、上記の合併以前の町名「厚狭」は、かつて、小野田や宇部、
更には下関の東部までをも含んだ郡名でもあり、県立高校の学区では、美祢を含めた
地域区分にもなっていますね。山陽小野田市の誕生と引換えに厚狭郡が消滅した現在、
新幹線を含むJR駅に残る「厚狭」の名称は、大事にして欲しい処です。

> 旅客輸送に於いても半ば忘れ去られたような状況で、優等列車は既になく、

阿武川河口の三角州に街を擁する萩では、街を囲む様に連続する、東萩、萩、玉湯の
三駅のうち、命名上は「萩」への従属性が感じられる「東萩」が特急停車駅となった
経緯など、東三条や西鹿児島の例も含め、地勢・地誌的に興味が尽きませんでしたが、
今や等しく、普通列車のみの駅として並列化されましたね。

萩を訪れる遠来の観光客は、秋芳洞と同様に、新山口駅からバス利用が主力と思われ、
何れにせよ、中国地方随一の拠点である広島との直接往来に与しない山陰線の導線は、
かなり不利であると感じます。広島と山陰を直接結んだ列車として、かつて夜行便も
存在した急行「ちどり」が挙げられますが、今となっては、出雲坂根駅に一大隘路を
擁する木次線の状況は、広域都市連絡に与するには、少々脆弱ですね。

> 公共交通事業者はいずれも苦境に立たされています。

山口県は、県都の人口集積事情に加え、東部は広島、西部は北九州の経済圏にあって、
独自の求心力が少々発揮し難い地域であると、報道番組で特集された事がありますが、
鉄道の状況もまた、こうした状況を反映しているのでしょうか。

▼米芋様:
> 大井川鉄道が金谷から出て、川に向かってカーブするまでの間、東海道本線と併走

手元にある、東海道新幹線の開業を記念して1964年に発行された「カラーブックス/
日本の鉄道」では、金谷天王町の「静浄苑」と思われる辺りから、丘の斜面に広がる
茶畑を挟み、東方向を俯瞰した、修学旅行用 155系電車の紹介写真が、載っています。
確かに東海道線と大井川鉄道の間には段差が窺えますが、こうしたアングルで見れば、
中々の絵になる構図ではありますね。

> 平成 9年 3月31日は大嶺支線の廃止では

大嶺支線の廃止もまた、貨物路線としての美祢線の凋落を象徴していましたね。私は
1987年に「消化」しましたが、大嶺駅では、雑草の繁茂が酷く、操車場跡は、線路が
残っているのか否か、判然としませんでした。

それ以前の美祢線は「山陰ワイド周遊券」での観光旅行で、秋芳洞に立ち寄る関係上、
美祢以北のみ消化するという、中途半端な状況だった為、山口線の「消化」を兼ねて、
もう一度、長門市側から乗り潰した経緯があります。まず、小郡から「おき」に乗り、
益田で接続した「さんべ」は、御座敷車両を連結していましたが、あくまで団体用で、
一般利用は不可と車掌に断られ、日本海を眺めつつ、臍を噛んだのでした。



投稿者 よっしー
投稿日 2011年 7月12日(火)15時40分59秒
タイトル SLニセコ号
皆様,この間はどうも有難うございました。
またお聞きしますが,SLニセコ号でC11が牽引しているスハフ42-2261,
2号車:オハシ47-2001,オハフ33-2555,スハフ42-2071の4両はどのような標記がされていますか?
車体ナンバーと等級標記以外が解らないので教えて下さい。
後,所属している運転所も教えて頂ければ幸いです。



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 7月12日(火)22時06分23秒
タイトル 大洗鹿島線が全線復旧
震災で一部の築堤が崩壊し、長らく当該区間でバス代行を行っていた鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線が、
本日(7/12)から全線の運転を再開しました。

同社のHPではこれまで、盛り土が大きく崩壊し線路が宙づりとなった被災状況と、
復旧工事が進捗する様子をこまめにアップしてきており、今も過去ログで見ることが出来ます。

http://www.rintetsu.co.jp/

雑魚様のお膝元でひとつ明るいニュースですね。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 7月13日(水)00時01分23秒
タイトル 「札サウ」であります。
 夏休み前で生徒とともに夏バテ気味の「ED76109」であります。

 よっしー様

 以前、失礼申し上げました。小生としては「所属」が「札サウ」であるということのみ確認できております。
他の先達の皆様方のレスをお願いいたします。

 XD1 at Phuket様
 >娘「さくらなんて名前、芸者みたいでいや」父「何を言うか、さくらは日本の一番列車」

  小生のあやふやな記憶の中でも、印象が残る場面です。
確か「息子の名前」が「特急」であって「みんなに馬鹿にされる」といったセリフもあったように思います。
「渥美清」さん演じる「東京車掌区のチーフカレチ」氏の奥さま役が「楠トシエ」さんであり、
「富士」の車中での「出産」に「助産師」として立ち会うシーンがありました。
「シ」の「美人ウエイトレス」が「大原麗子」さん、そして恋人役の「乗客掛」が「鈴木やすし」さんでした。
「鈴木さん」は、当初やる気のなさを「渥美」さん演じるチーフにいつも指導されて、自覚もない・・・といったのですが、
「富士号での出産」に立ち会って「車掌」という仕事のすばらしさに目覚めていく・・・
といったストーリーであったと記憶しております。
そして「佐久間良子」さんが、「渥美」さんの幼馴染の初恋相手で・・・といったくだりも。
最後は、お互いが元のさやに収まって、「佐久間」さんは「医師のご主人」と
「高千穂か霧島」で「西鹿児島」から「東京」まで帰るという「おまけ」もございました(!?)。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 7月13日(水)09時02分39秒
タイトル エアコン2等座席車の外側
 こんな派手なプリントが、、、、、

======================

ED76109さま

 レスありがとうございます。やっぱそうでしたよね。




投稿者 雑魚
投稿日 2011年 7月13日(水)17時48分54秒
タイトル ローカル私鉄 復活の明暗
▼クモイ 103様:
> 雑魚様のお膝元でひとつ明るいニュースですね。

東関道の空港北〜鉾田が、2015年開業予定、鉾田〜潮来が整備計画区間と、全区間の
開通は当面、先の事と思われる分、水戸〜鹿行地区の主要導線としての大洗鹿島線は
今なお地位が高いと思われ、今回の全線復旧は、地元では感慨深いものがございます。

水戸市内の高校では、1985年の開業を受けて、鉾田・鹿嶋方面からの通学生が相応に
増えている様で(私自身は開業前の卒業世代です)一方、日立以北から鹿嶋の私立に
通学する剛の者もいました。こうした生徒さんも、今までは学校近くに下宿するなど
緊急対応策を採っていたのでしょうね。古巣にも、宿泊可能な研修施設が併設されて
いますが、案外、生徒用に開放されていたりして。

最後の不通区間が新鉾田〜大洋という事で、北浦湖畔の築堤が崩れたのか、と思えば、
その先の山林で、大規模な地滑りがあったのですね。大洗鹿島線の様に、開業時期柄、
路線規格が比較的高くして、この状況ですから、もし鹿島鉄道が今も存続していたら、
今回の震災が、1968年発生の十勝沖地震を機に廃止された青森県の南部鉄道よろしく、
存続断念の決定打になったかも知れませんね。現時点での線路の有無は存じませんが、
桃浦〜浜の湖岸区間や、仮宿前の前後の掘割辺りの状況が気になります。

沿線域の被災状況を考えると、日立電鉄についても同様の事が言えそうですが、一方、
やり手社長さんのリーダー・シップの賜か、湊線は大健闘ですね。もし、設立区分が
茨城交通の侭だったら、これまた、震災を理由とした廃止の可能性が高かったものと
想像します。

ちなみに、湊線が茨城交通から分離されたのは、同社が民事再生法を申請した、僅か
半年前の事でした。当時、日立電鉄・鹿島鉄道に続く廃止案件として「二度ある事は
三度ある」か、或いは「三度目の正直」か、地元では色々と取り沙汰されていました。
私は密かに「那珂湊以遠を廃止して全線一閉塞とし、軽快型車両だけで遣り繰りする
手法もあるのだろうか」と勘繰っていましたが、幸い、杞憂に終わりました。

TXの開業に伴う流鉄の動向についても「新松戸駅と幸谷駅との連絡機能を改善する
前提の下、馬橋乗り入れと小金城址の交換施設を廃止、全線一閉塞とする合理化策で
生き残りを模索する可能性」を妄想していましたが、全線総延長が水戸〜勝田と同じ
小規模路線と云えど、かかる住宅地での 4km閉塞は、やはり 無理がある様です(^^)



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 7月14日(木)05時13分40秒
タイトル エアコン2等座席車の座席
 出発30分くらい前に電源車の発電機が動き出し、乗り込めるようになりました。
車内はこうで、一夜をこの椅子で過ごすのはしんどいでしょうが、数時間の乗車ならなかなかに快適そうです。

 前半分の座席は前を向き、後ろ半分は後ろ向き。中央で座席が背中合わせに。回転させる事が出来ないようです。

 ハジャイ路線で広く使われているタイの2等座席客車は、エアコンが無いかなりボロなものです。大きな違いがあります。
(タイでも、ディーゼル車はエアコン付きです。ハジャイには来ていませんが、日本製のエアコン2等座席客車もあります)




投稿者 よっしー
投稿日 2011年 7月14日(木)22時01分45秒
タイトル Re.SLニセコ号について
ED76109様,どうも有難うございました。もう少し探ってみます。

よっしー



               
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