倶楽部メモ(637)
平成22年12月26日〜12月31日

急行大雪の札について


投稿者 遠軽49600
投稿日 2010年12月26日(日)17時45分54秒
タイトル 急行大雪の札について
初めてお邪魔させて戴きます。
小生、模型でヨンサントオ前後の大雪6号編成を製作中ですが客車に付けるサボ,愛称板,種別板について悩んでいます。
種別板で良く見るのが、白地に「急行」文字が赤字で、下1/3位が赤地に「EXPRESS」文字が白抜き。
愛称板も同様に大雪とTAISETSUで下1/3位が赤地で塗り分け。
ところが模型用で入手したもの(昭和36〜45年とあります)が全て白地に「急行EXPRESS」と「大雪TAISETSU」でした。

ネットで見る大雪の種別板は他にもあるのですが、昭和36〜45年当時使われていたものか、
使われていたとしてどのように運用されていたのかがわかりません。
@「急行(白地赤文字)/指定席(緑地白文字)」
A「急行(白地赤文字)/北見−網走 普通(青地白文字)」・・・@の裏
B「指定席(白地青文字)/北見−網走 自由席(青地白文字)」
急行大雪はニ,ユニ,ハネ,ロハネ,ロ,ハとバラエティーに富んでおり、それぞれ差し札が違っていたのでしょうか。

1969(昭和44年)/5/10の等級制廃止に関係がありそうな気もしますがわかりません。
サボもいろいろあるようです。
ご存知の方がおられましたら是非ご教授戴けませんでしょうか。
よろしくお願い致します。
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投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2010年12月26日(日)22時06分31秒
タイトル Re:急行大雪の札について
>遠軽49600さま
サボについては詳しくないのですが、私が交通博物館の即売会で入手した「さぬき」は白地に赤文字で、
今回模型用に入手されたというタイプです。これはアルミ板にペンキ書きです。
下部に赤い帯が入ったサボはプラ製で、手書きではなく印刷(?)になり細かい表示が可能になったもの
と推測します。
時期は記憶にないのですが、一斉に交換されたはずです。こちらのリンク集にもありますが、鉄道友の会
の客車気動車研究会のHPで公開されている豊永泰太郎氏の写真が参考になるかと思います。
http://cu1.web.infoseek.co.jp/index2.htm

オハネ12 502 昭和49年7月 札幌運転区
便所窓が未改造で残っていました

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投稿者 遠軽49600
投稿日 2010年12月27日(月)20時01分38秒
タイトル Re:急行大雪の札について
竹中@ノーブルジョーカー様
ご回答戴きありがとうございます。
豊永氏の写真を拝見しました。
昭和36〜45年は白地に赤文字で「種別」と「愛称」の2種類なのかも知れませんね。
それで行こうと考えていますがもう少し資料を探してみたいと思います。
行き先サボについても時代により変化がある様子で、趣味的に調査される方がおられてもよさそうでもあります。

オハネ12 502の画像ありがとうございます。
もしかしてHPにお寄りいただきましたでしょうか。
TOMIXのオハネ12は便所窓が更新前をプロトタイプにしていました。気付きませんでしたが結果オーライです。
逆にオハネフ12が気になってきました。
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投稿者 ED76109
投稿日 2010年12月27日(月)20時14分11秒
タイトル Re:急行大雪の札について2
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 遠軽49600様

 初めまして。「ED76109」と申します。
産は東京でございますが、現在は「時計台の街」の高校教諭であります。
小生、以前「遠軽高校」に勤務したことがあり、
当時の教え子の保護者等に確認致しましたところ、「竹中@ノーブルジョーカー」様のとおりであり、
「行き先のサボ」は「紺地に白字」だった記憶があるとのことでありました。ご参考になさって下さい。
蛇足ですが、当時の「キハ系の鈍行レ」のサボは、「白地に黒字」だったとの話も付記させていただきます。
失礼致します。

 以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 遠軽49600
投稿日 2010年12月27日(月)22時37分24秒
タイトル Re:急行大雪の札について
ED76109様、初めまして。

わざわざ地場の方にご確認戴き、大変恐縮です。
愛称,種別札は白地に赤文字のみで決定的のようですね。ありがとうございます。
赤以外のサボは昭和45年以降から使われたのかもしれませんね。
行き先サボは、模型用で入手したものは紺地に白文字で「(小樽経由)網走行」とありました。ご確認戴いた事と合致します。
ありがとうございました。

因みに小生、昭和42年釧路産の中年モデラーです。
生まれてすぐに内地に引越しとなったので、もしかしたら急行大雪に載っていたのかもしれません@@
覚えているはずありませんが・・・ははは
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投稿者 ED76109
投稿日 2010年12月29日(水)14時30分9秒
タイトル 今年最後の戯言です
 失礼致します。「ED76109」であります。

 今年も押し詰まりましたねぇ・・・。しかし、客車列車にとってはますます先細りという流れは止まりません。
小生、いつものぼやきでありますが、今年最後の「戯言」にお付き合いください。

 1 昭和40年代、この時期の帰省のニュースは「上野のテント村」の映像が定番だったという記憶が小生にはございます。
 列車や等級別に行列を作り、発車時間を待つわけでありますが、この行列のことを「改札外行列」というそうで、
 帰省客の方々が自由席確保のための「着席券」を求めたケースが大部分であったとのこと。
 そういえば、この時期は「津軽」や「おが」、「ぱんだい」等の急行列車は「品川始発」になるとともに、
 輸送力確保のために「十和田」・「八甲田」等は「シ」や「ロザ」を外して自由席の「ハザ」に変更するなどの
 措置が取られていたはずであります。
 さすがの「鉄」親父も「この時期は東京でおとなしくしているの限る」と、
 正月休みに「乗り鉄」に出かけることは皆無でありました。

 2 今年の年末から年明けにかけては天候の悪化が予想されており、帰省の際の苦労が予想されます。
 小生の拙い記憶であれば、意外と様々な災害等で「迂回運転」が実施されたように思います。
 東北地方の地震の影響で「北斗星」が「奥羽・羽越・上越」経由で運転されたことがありましたし、
 「ひげなし雷鳥」様からの御教示による「上越地方の大雪」のための「トカホセ経由の臨時北陸」など、
 様々なケースがございます。
 しかし、最近では長距離運転のPCも僅かになってしまい、すぐにウヤとなることが少なくなく、
 何か物足りない限りであります。

 3 先達の皆様方も、年明けとともに初参りに出かけられると推察されます。
 小生、在京のころは、様々な神社仏閣へ出かけました。
 昭和40年代、小生はその帰路に「PC」にお世話になった記憶がございます。
 「高尾山」から帰路に利用した「西イイ」仕立ての「新宿行」や「成田山」の帰路に乗った「我孫子行」などであります。
 しかし、現在では「中央線」には「旧客レ」どころか、「オレンジ色のEC」すら姿を消しておりますし、
 「成田線」も通勤線として、旧来のイメージがすっかり変わってしまっております。

 「鉄」も新たな方向へ進もうとする「平成23年」は、先達の皆様方にとってどのような1年になるのでありましょうか。
まずは「鉄」及び先達の皆様方が多幸溢れる1年となりますように祈念申し上げ、筆を擱かせていただきます。
以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年12月30日(木)17時23分0秒
タイトル 22年前の冬
▼ED76 109様:
>「この時期は東京でおとなしくしているに限る」

御意。私も仕事柄、年末年始でマトモに休めるのは、基本的に正月三箇日のみなので、
当該期に鉄道や高速道を介して移動したのは、花の独身貴族だった在京時代の1989年、
その一回だけでした。この時は、雪見地酒と切蒲英(きりたんぽ)をネタに、知人宅
表敬訪問を兼ね「おもひでぽろぽろ」よろしく、まだ山形経由だった「あけぼの」に
乗り込んだのですが、年末年始の割に、極端な混雑感が無く、今にして思えば、改元
直前の自粛ムードの所産だったのかも知れません。

秋田到着後、直ちに、男鹿線を往復して「地吹雪」を堪能。その後、由利高原鉄道を
消化すべく羽後本荘に移動しましたが、男鹿→秋田の便が追分で、大阪行「白鳥」の
通過を退避した為、羽越線の移動は普通列車となり少しがっかり。もっとも、当時は
50系客レでしたから、これはこれで貴重な経験ですね。由利高原鉄道の印象と言えば、
薬師堂駅を含め、羽越線との並行区間が妙に長い事と、前郷以遠に「ハエタタキ」が
残っていた点でしょうか。それほど極端に雪深い印象は無かった様に記憶します。

羽後本荘に戻り、青森直通「いなほ」で、大館に移動。日本海縦貫線で雪深い景色を
楽しむなら、東能代以遠、米代川沿いの山間部ですね。1985年の全国大改正の直前に
惜別乗車した「赤倉」から見た、信越線妙高高原付近(画像参照)程のインパクトは
ありませんが、NHK「新日本紀行」主題曲が似合う雰囲気でした。作曲者によると、
この曲自体は、廃止された日立電鉄の沿線で見た夕景がモチーフになったそうですが、
当該番組では、電化に伴う路線変更で廃止された、矢立峠名物「デコイチ三重連」の
特集で、大館機関区が紹介されており、一応、ゆかりの場所と言えそうです。

大館到着後、夕闇迫る小坂鉄道を往復しましたが、奥羽線の上記区間以上に雪が深く、
冬のローカル線の情趣、正に斯くあるべし、という雰囲気でしたね。折り返し待ちの
小坂駅(画像参照/但し盛夏の撮影)でも、一面純白のヤードと夕闇の対比、そして
色とりどりの信号灯火群が実に渋い風情で、当時、その風雅を記録するに足るだけの
撮影技術が覚束なかった事が、ひたすら悔やまれます。

その日は、秋田市内に投宿する関係で、大館から、14系ハザ「津軽」を利用しました。
昼行から夜行へ需要が大きく入れ替わる秋田までは「松の内」期間中ながら、空席が
あまり見られない程度で、積雪ゆえにやたら乾いた線路のジョイント音が響く車内は、
妙に静まり返り、これまた情趣満点で、大館駅前で買い求めた地酒を、ラッパ飲みで
ちびりちびり………うむ、冬の「乗り鉄」は、やっぱりこれだべさ。

帰途は、ジョイフルDC「エレガンス・アッキー」を充当した、北上線経由仙台行の
臨時快速「やまどり」を利用。全席指定のG車規格という落ち着いた環境で、往年の
急行「きたかみ」の風情を味わえました。豪雪地帯と聞いていた北上線の沿線風景は、
小坂鉄道のインパクトが大き過ぎたか、それ程でもありませんでした。

以上、故・小渕恵三官房長官(当時)が「平成おじさん」を演じる数日前の事でした。





投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2010年12月30日(木)18時53分35秒
タイトル Re:急行大雪の札について
遠軽49600さま

>もしかしてHPにお寄りいただきましたでしょうか。
はい。寄らせてもらいました。
オハネフ12は、便所窓が未改造の車はいなかったように思います。
洗面所側ですが、参考に画像を貼っておきますね。

略号の件ですが、1968年版の配置表を見ると、札幌客貨車区がサツ、札幌運転区がサウとなっていました。
このあたりにヒントがありそうですね。

オハネフ12 507  昭和49年7月 釧路客貨車区
車軸発電機や蒸気トラップが極寒地仕様の証しですね。

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投稿者 遠軽49600
投稿日 2010年12月31日(金)13時56分39秒
タイトル Re:急行大雪の札について
竹中@ノーブルジョーカー様

オハネフ12 507の画像ありがとうございます。
模型製作に有難いです。
10系寝台車はモデラーの小生にはとても魅力的で好きな客車です。
実車には現役時代末期に何とか間に合った世代なのですが、
趣味的に開眼しておらず乗ったことも撮ったこともないのは悔恨の限りです。
画像をお持ちなのは羨ましいです。

これから帰省です。客車倶楽部さんには来年も末席より乗車させていただければと思います。
皆様良いお年を。
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