倶楽部メモ(589)
平成22年 4月 1日〜 4月 6日




投稿者 雑魚
投稿日 2010年 4月 1日(木)09時13分45秒
タイトル エイプリル・フール
本日は、脳内ダイヤ改正日です(^^)




投稿者 南のあかべこ
投稿日 2010年 4月 2日(金)08時46分25秒
タイトル あさかぜ81・82号
ここで質問していいのかわかりませんが...。
質問させていただきます。

2000年頃まで運転されていたという臨時あさかぜ81・82号ですが、編成は一体どのようなものだったのでしょうか。
出来れば1999年辺りに運転された時の編成が知りたいです。

みなさま、よろしくお願い致します。



投稿者 雪だるま
投稿日 2010年 4月 2日(金)08時56分55秒
タイトル 札幌の電源車
お久しぶりです。
年末より苗穂工場の中央に留置されていた電源車2両は、とうとう廃車置き場に移りました。
隣には711系S901編成がいます。
以上見たままです。



投稿者 赤まんと
投稿日 2010年 4月 2日(金)22時25分20秒
タイトル こんな編成でした
南のあかべこ様。
98,99年ともに調査実績がなく、2000年に調査したものをここで紹介させていただきます。

Lot No.1066 00/5/2 8011レ「あさかぜ81号」

 EF66 51
スハネフ15 5
オハネ15 35
オハネ15 19
オハネ15 17
オハネ15 34
スハネフ15 8
※ヘッドマーク、行き先表示なし。宮原車使用。

Lot No.1137 00/8/14 8012レ「あさかぜ82号」

カニ24 18
オハネフ25 112
オハネ25 179
オハネ25 208
オハネフ25 208
 EF66 46
※電源車〜2号車は鹿児島、3号車は尾久金帯、4号車は熊本車使用。

Lot No.1147 00/8/15 8012レ「あさかぜ82号」

スハネフ15 6
オハネ15 21
オハネ15 13
オハネ15 22
オハネ15 18
スハネフ15 10
 EF66 43
※宮原車使用。

当初は熊本の予備車14系15形に、不足分を長崎から1両補充して7両編成を組みました。
97年末以降、オリジナル14系を淘汰し、経年の浅い15形をリニューアル。定期運用に回すようになり、
「あさかぜ81,82号」には宮原や鹿児島、熊本から予備車をかき集め、充当するようになりました。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 4月 2日(金)22時50分17秒
タイトル ホリデーパルの「玄海」もありました
 ご無沙汰しております。「ED76109」でございます。

 南のあかべこ様及び赤まんと様

 話が少々ずれてしまいますが、小生は臨時「あさかぜ」の話を伺っているうちに、
平成2年頃「品川〜博多」を「ホリデーパル」で運転されていた「臨時急行玄海」をイメージしておりました。
確か、運行開始当初は臨時寝台特急「あさかぜ81・82号」でありましたが、
当時使用していた「20系」が老朽化したことから、急行に格下げとなったと記憶しております。
その後、平成5年3月に「オシ」が営業を休止。
同6年12月3日に「あさかぜ1・4号」が「あさかぜ81・82号」として季節列車に格下げされてしまい、
往年の「博多あさかぜ」は消滅したのであります・・・。

 長々と失礼致しました。
以上、「連敗続き」で「意気消沈」の「道民球団応援団」である「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 4月 3日(土)14時56分59秒
タイトル ふれあい
▼ED76 109様:

簡易個室に切替出来る様に改造された開放型B寝台と、食堂車を転用したラウンジが
セールス・ポイントだった「ホリデーパル」は、臨時「あさかぜ」に充当されていた
当時こそ、国鉄標準「ブルトレ塗装」でしたが、1990年以降は白基調の独自色編成で
臨時「玄海」の運用に就いていたのですね。

この塗装変更は、バブル経済下の好況を受け、独自塗装のイベント仕様車両が続々と
登場した風潮に呼応した結果と思われますが、子供の頃、新幹線以上のステータスを
永らく感じていた「ブルトレ」の「風格ある象徴的存在」である20系に対して、この
配色感覚は、正直言って、大いに違和感を覚えていました。

同編成は、幡生工場改造による、旧広島局の所属でしたが、そう言えば「オバQ」を
思わせる面構えを、どう評価したものか、個人的に結構悩んだ「フェスタ」も、幡生
改造の広島(支社)所属でしたね。広島と云う土地柄は、車両のデザインにおいては、
進取の気性が旺盛なのでしょうか(^^)

1986年刊の保育社「カラーブックス/イベント列車」では、呉線を行く国鉄色当時の
同編成が紹介されており、瀬戸内海の眺めに事欠かない呉線にあって「撮り鉄」には
垂涎の的だった事でしょう。同書では、天リウの12系御座敷編成のみが「ジョイフル・
トレイン」を名乗っており、他の御座敷列車でも、外観は国鉄仕様の侭の12系編成が
目立つなど、時代を感じます。

同書では、常磐線の「虎の子」だった、スロ81系「ふれあい」も紹介されていますが、
同編成が、水ミトに移籍した1980年代の後半、東京勤務だった私は、撮影の機会には
恵まれず終いでした。南シナ時代と思しき、ゴハチ(60 または 61号機)牽引編成が、
根府川付近で相模湾を背景に快走する写真もあり、これも「好事家垂涎」の構図です。

水ミトに移籍後、各車両は「筑波」「大洗」「奥久慈」「五浦」「勿来」「相馬」と、
沿線ゆかりの愛称が付されたとありますが、肝心要の「偕楽」が無いとは、意外です。
語呂合わせで「快楽」と混同されかねない事を懸念したのでしょうか(^^)



投稿者 南のあかべこ
投稿日 2010年 4月 3日(土)19時34分35秒
タイトル あさかぜ81・82号
赤まんと様

ありがとうございます!
こんなに詳しく教えていただけるとは思ってもいませんでしたm(__)m

自分が乗った時は14系だったのですが、毎回14系を使っていた訳ではないのですね。
すごく助かりました。

模型での再現に使わせていただきます。



投稿者 赤まんと
投稿日 2010年 4月 3日(土)22時04分29秒
タイトル 参考になったようで、なによりです。
調子に乗って、96年の記録をここで。

Lot No.0036 96/5/4 8012レ「あさかぜ82号」

スハネフ15 20
オハネ15 3
オハネ15 4
オハネ15 5
オハネ14 9
オハネ14 10(長崎車)
スハネフ15 21
 EF66 54

Lot No.0063 96/8/9 8012レ「あさかぜ82号」

スハネフ15 1
オハネ15 2
オハネ15 1
オハネ15 6
オハネ15 7
オハネ14 11(長崎車)
スハネフ15 2
 EF66 47

Lot No.0073 96/8/10 8012レ「あさかぜ82号」

スハネフ15 20
オハネ15 3
オハネ15 4
オハネ15 5
オハネ14 9
オハネ14 8(長崎車)
スハネフ15 21
 EF66 53
※品川10番線10:15着。品川〜東京運休。遅延のため。

特記以外熊本車です。
当時はリニューアル前ですので、洗面台窓が残ったオリジナルな形態です。
平成3〜5年全検のもので占められ、全体に煤けた印象でした。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 4月 4日(日)23時41分57秒
タイトル 春ですねぇ・・・
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >バブル経済下の好況を受け、独自塗装のイベント仕様車両が続々と登場した風潮

  当地では、「全日空スカイホリデー」の関連での「ビック・スニーカー号」が有名でしょうか。
 「ANA」で「千歳空港(当時)」に降り立ったツアー客を「富良野」や「ニセコ」まで。
 また、「アルファコンチネンタルEXP」で「トマム」や「新得」まで。
 しかし、バブルとともに過去の彼方へと消え去ってしまいました・・・。
 今では、動物仕様のシートで有名な「旭山動物園号」が「183系」の改造編成で「観光客」を楽しませる程度でありましょうか。

 それでは、気分を変えて。当地も次第に暖かくなってまいりました。
しかし、春の「乗り鉄」はすっかりご無沙汰です。旅に出られない憂さを「戯言」で晴らさせてください・・。

1 昭和55年の春休み、「山陰鈍行紀行」の帰路に「14系仕立ての雲仙」にお世話になりました。
 往路は当日の朝に「出雲3号」の「ハネ」が手に入ったので、油断したわけではなかったのですが、
 上りの「ブルトレ」が手に入らず仕舞いだったことから、仕方なく乗車することに・・・。
 「下関」からお世話になったのですが、「オハ15」は呆れかえるほどの閑古鳥。
 座席を回転させて「1ボックス」を占領して、心地良い眠りにつきましたが、
 「ガタン」という音で数度か目を覚ましました。
 以前にも記しましたが、「14系の簡易リクライニングシート」の「ガタンという響き」は、
 小生にとっての「夜汽車」の想ひ出の一つであります。

2 大学の入学式後、身体検査等で1日だけ休みがあると知って、小生が出かけたのは早春の「只見線」。
 「郡山」から「ED77」が牽く「旧客レ」を「会津若松」で捨てて、残雪の残る奥会津を堪能致しました。
 しかし、「只見」から「田子倉」を抜けてのルートは、「サンパチ豪雪」に引けを取らなかった「昭和56年豪雪」の跡がすさまじく、
 4月とは言え2メートルはあろうかという「雪の回廊」に度肝を抜かれました。
 さらに、「小出」からの「115系上野行鈍行」で上った「土樽」の豪雪を目の当たりにして、
 雪国の鉄路を守る保線員の方々の御苦労に襟を正す思いでありました。

3 昭和57年の春、当時住んでいた東京で、小生よく「NHK関東ローカル」の番組「いっとろっけん小さな旅」を視聴しました。
 実は、この番組が「小さな旅」の原型であって、1回目は「トホホセの黒磯駅」からの生中継。
 「PC津軽」が「EF58」から「ED75」へと交換される「儀式」が中継され、北へと旅立つ夜行に旅愁を感じたものでした。
  そういえば、「黒磯」の面影はいかがなものでありましょうか。
 雑魚様やコスモス様のお話を伺っていると、「黒磯」も往年の姿を変えてしまっているような感じがしてならないのでありますが。

 長々と失礼いたしました。
以上、もうすぐ新学期が始まってしまい、また「鉄旅」の機会を逸してしまった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 4月 5日(月)09時52分42秒
タイトル 黒磯駅
▼ED76 109様:
>「全日空スカイホリデー」の関連での「ビック・スニーカー号」が有名でしょうか。

充当された「フラノExp.」自体、独自の出で立ちでしたが、この時は更に、帯の色を
全日空色とした辺りに、既に廃れて久しい「リゾート感覚」を、多々感じたものです。

種車は急行型ながら、鋭角的な形に「金ピカ」一辺倒の「アルコン」が、個人的には
最も好感され、87年に運転された「おおぞら」の臨時便では、末端の快速区間となる
帯広→池田で、指定制が解除された先頭展望室に押し掛け、車掌さんから四方山話を
あれこれ伺ったのが、良い思い出です。同列車の登場に大きく資した、トマム駅前の
リゾート・ホテルは、貧乏旅行派にとっては「アルコン」同様、眩しい存在でしたが、
同編成が引退して間も無く、拓銀の経営破綻が飛び火、諸行無常を感じたものでした。

>「只見」から「田子倉」を抜けてのルート

十数年前の秋、紅葉の季節に並行国道を只見から小出に向け運転した事がありますが、
只見までは色合いが今ひとつだった紅葉が、堰堤湖を俯瞰する田子倉付近まで来ると
急に色付きが良くなり、一駅違うだけでかくも標高が異なる難所振りを実感しました。

この田子倉湖を数kmほど上流側に遡ると、発電所を伴う大鳥堰堤があります。ここも
只見町田子倉地区ですが、田子倉駅からこの堰堤まで車で移動しようとすると、一旦
県境を越えて小出を迂回しなければならず、直線距離の十倍超の道のりとなる辺りに、
一大電源地帯のダイナミズムが感じられます。

>「黒磯」も往年の姿を変えてしまっているような感じがしてならない

年に一回程度、家族と那須に行くので、すぐ近所を通過するのですが、駅構内自体は
ここ暫く御無沙汰しています。数年前に拝見した時は、構内配線の規模が縮小された
様子は特に感じられず、依然、貨物便が多い東北線にあって、交直両用機の絶対数が
まだまだ少ない、という印象でした。

現在も往年の風格は健在かと思われますが、交直流切替に伴い、旧客便の廃止以降は
普通列車の運転系統が完全に切替る運用上の要衝でありながら、脇を掠める新幹線が
素通りというのは、正直、違和感を覚えますね。旧東那須野が新幹線駅となったのは、
那須地方の拠点である大田原や塩原温泉の玄関であり、自ら街を擁する西那須野との
折衷策の産物なのでしょう。一方、例えば新幹線を介し黒田原(那須町の中心地)に
移動する場合、在来線を二便乗り継ぐ事となり、運行体系上、しっくりと来ませんね。

もっとも、折衷策の産物たる「那須塩原」の駅名が、黒磯市・西那須野町・塩原町が
合併した五年前、新市名に用いられたという面もあり、その意味では「先見の明」が
あったのかも知れません。

黒磯と同様に、かつて機関区を擁する程の運行上の要衝でありながら、隣駅が新幹線
停車駅となって以来、拠点としてのステイタスが変容した例として、山陽線糸崎駅を
連想します。10年前に新大阪→博多で下り一便のみ復活運転された、ボンネット型の
485系による「つばめ」が、糸崎に運転停車した辺り、然もありなんでした。



投稿者 雑魚
投稿日 2010年 4月 5日(月)11時07分49秒
タイトル 夢空間
女房の御供で、武蔵野線は新三郷駅前のSCまで車を出した処、思わぬ所で二年前に
引退した「夢空間」に再会しました。感慨に耽る私を横目に女房曰く「これ、内原の
陸橋で撮っていた『北斗星』に付いてたのだよねぇ。じゃ、暫く買い物して来るから、
たっぷり見物しててね」という訳で、暫く、じ〜っと、見つめていました(^^)

帰宅後「ウィキペディア」を改めた処、オハフ(赤色)も、同じSC内の別の場所に
展示されていた事が判明し、大痛恨(^^)ちなみに昨年「ゆとり」と繋がった状態で
尾久に留置されていたオロネ(青色)は、その後、どうなったのでしょうねぇ?





投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 4月 6日(火)10時12分30秒
タイトル ビッグスニーカー
私の息子がスキー好きで一度ANAとこのルートでトマムまで会社の同僚達と飛んで行った
事がありました。(バブル時代)なんだか豪華な列車に乗ったと言って居ましたが--------
「アルファコンチネンタル」でしたか?「撮影して来い」と言ったのに一枚も写してなくて---

その息子ももうすぐ50歳の親父です。



               
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