倶楽部メモ(540)
平成21年 7月16日〜 7月21日



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 7月16日(木)23時38分45秒
タイトル 紀勢本線50周年 ついでにぶどう色2号も…
いきなり流れと関係ない話題ですみませんm(_ _)m。
昨日7/15は、昭和34(1959)年に三木里〜新鹿間の開業で紀勢本線が全通してから50周年の記念すべき日だったのですね。
およそ国鉄の路線で「本線」と名の付くものは限られていましたが、
その中でも最後に路線形態が完成したのが、この紀勢本線だったと思います。
その意味では、現在のJRに通じる国鉄の路線網に、一応大まかな完成のめどが立ったのが、
今から50年前だったと言えるのではないでしょうか。

全通と同時に、東京から新宮まで臨時急行「那智」が走りました。
国内有数の観光地として知られる南紀方面へのアクセスとして、
短い編成ながら二等寝台車マロネロ38を組み込んだ、当時の臨時急行としては異例の豪華編成でした。
直後の9月22日ダイヤ改正で早くも定期化、9年後のヨンサントオ改正で「紀伊」と改称、
デビュー16年後の昭和50(1975)年3月改正では、ついに14系寝台車によって特急格上げされた、出世列車でもありました。

なお、この50周年を祝う記念列車が、JR東海のキハ85系によって運転されたようです。その模様は↓

「鉄道情報総合サイト 一番のりば」
URL:http://1-noriba.net/
2009/07/16 22:59 の情報として書き込まれています。
私が生まれる2年前の、歴史に残る一大イベントでした。

…しまった、同じ年の6月23日に制定された「車両塗色及び標記方式規程」で、
客車の塗色がぶどう色1号から2号に変更された50周年を祝うのを忘れてた…(爆)



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 7月17日(金)10時40分51秒
タイトル 福知山線は難しい?
ユーラシア鉄道様:
私も地元ながら[光線状態が悪くて撮影し難い路線」ですね?
[出雲」がC57時代散々探し回って、中山寺から宝塚寄りのカーブが最適と発見
しました(半逆光になるが)。午前中に下りを公式側から写すのが難しい線区です。
後は生瀬の手前の武庫川鉄橋、旧線時代の木之元地蔵近辺の田圃の中とか、相野付近、
線路付け替え以前は下滝から一寸篠山口寄りの[川代公園」(桜の名所)の中を抜ける
付近でした。下滝から丹波大山まで歩いて川の反対側の中腹から客車列車を撮影
したり-----光線状態から[撮影が難しい福知山線」です。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 7月17日(金)11時14分43秒
タイトル 紀勢線の事
> 昭和34(1959)年に三木里〜新鹿間の開業で紀勢本線が全通してから50周年

紀勢線に並行する国道42号線は、この辺では内陸を貫いていますが、戦前の事ながら
矢ノ川索道を介して漸く、山を越えられたほどの難所でしたから、道路以上の規格が
求められる鉄道ともなれば、敷設の御苦労たるや、推して知るべしですね。全通時の
地元の喝采たるや、想像に難くありません。

良く判らないのは「最大難所」を越えた先の熊野が、新宮方面との結びつきが強いと
思しき地形にもかかわらず、三重県に属する事です。更に「瀞八丁」界隈の新宮市の
飛び地や北山村など、林業における新宮市との結びつきを背景に形成された、一帯の
複雑な県境線は、紀勢線が全通に至るまでの歴史も相まって、奥深い地勢を感じます。

一方、紀勢線全通から十年と経たずして、南紀白浜空港(1996年までプロペラ機のみ
対応)が設置されましたね。同空港の乗降需要がどの辺りまで及ぶか、田辺以東には
高速道が未だ通じていない紀伊半島の道路体系を考えると、紀勢線特急と航空便との
棲み分け、そして「南紀」の存在意義(必ずしも俊足でないキハ80系の頃は、松阪で、
並行する近鉄の特急から乗り継ぐ需要も多少あったと聞きます)など、今なお微妙な
状況を感じるのでした。

ちなみに、私の脳内路線網構想(妄想)によると、豊橋鉄道を編入したJR渥美線を、
海底隧道を介して参宮線に繋げ、更に多気の分岐点をデルタ化して、対東京速達性を
大幅に向上させた、名称復活特急「紀伊」を、豊橋発着で設定します………気動車が
海底隧道を自走するのは不味いかな(^^)



投稿者 てりてり
投稿日 2009年 7月18日(土)00時56分8秒
タイトル 紀勢線全通時のニュース映画
 ご無沙汰しております。
 表題の件ですが、以前紹介いたしました『朝日ニュース 昭和映像ブログ』で見る事が出来ます。
 「naj0730(何れも小文字で入力下さい)」で『全通した紀勢線』と言う題名で紹介されております。
DF50の39号車がチラッと登場(スルザーSulzerエンジン音もきくことができます)しております。

 少し話題から外れますが
 「naj0721」では後にクハ86の変形窓(番号失念)登場のきっかけになった貨物列車脱線事故
 「naj0723」では東京オリンピック誘致成功の話題
 「naj0732」ではこだま号の高速度試験
 「naj0740」では台風15号(所謂伊勢湾台風)被害状況(途中で音が切れている様です)
 が収録されております。
 とり急ぎまで。
                               それでは



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 7月18日(土)20時45分54秒
タイトル 参宮線電化
雑魚さん:
参宮線をDC1,500V電化した方が安上がりですよ。部分的に複線化して-----
戦前の夜行の東京−鳥羽快速(マロネロ38?連結)みたいな列車も[ムーンライト
ながら」の車両で走れるし、姫路−鳥羽快速は681か683使用の「急行」電車で大阪
か神戸発着にすれば復活出来ます。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2009年 7月20日(月)03時27分41秒
タイトル 走行区間の表示板
 ブルートレインも日本とは違い、この様な板で走行区間を表示してます。
やはり従来からの車両と同じ方式にしたのでしょう。
この部分はタイに来てから改造したものと思います。

 残念ながら、塗装の痛みも拡大されて写っています。




投稿者 雑魚
投稿日 2009年 7月20日(月)10時59分33秒
タイトル 更に妄想
▼マロネロ38様:
> 参宮線をDC1,500X電化した方が安上がりですよ。部分的に複線化して

我が妄想はさて置くも、並行する近鉄線との整合性を考慮してなお、快速「みえ」の
走行区間は、通信線柱が電化対応を意識した仕様と思しき伊勢鉄道の事情も鑑みるに、
電化されても良さそうな内容と感じます。

> 戦前の夜行の東京−鳥羽快速(マロネロ38?連結)みたいな列車

本気で運行を考えるなら、豊橋駅構内で、大規模な配線改良が必要になりますね(^^)
それ以前に「伊奈折り返し」の原因である名鉄本線の「一面一線構造」を何とか是正
できないかと思うのでした。

> 姫路−鳥羽快速は 681か 683使用の「急行」電車で大阪か神戸発着にすれば復活

阪神なんば線の開業を受けて、修学旅行など不定期の団体列車という限定運用ながら、
山陽姫路〜賢島で近鉄特急の運転が本格的に検討されているそうですから、こちらに
集約するのが現実的でしょうか。

個人的には、相互乗換をスムーズに行う為か、加太越を擁する亀山〜柘植の短区間で
名古屋〜奈良の急行「かすが」と多層建を組んだ京都〜鳥羽の急行「志摩」の復活を
提唱しますが、これとて近鉄「京伊特急」が網羅していますね。

この特急ならではの「新ノ口短絡線」乗りたさに、伊勢→大阪の移動の際、わざわざ
京都を迂回した事がありますが、良く考えたら、西大寺にて奈良線に乗り換えた方が、
時間も運賃も節約できたのでした。

ちなみに、西大寺に隣接する、高の原駅の界隈は、京阪奈地区のボーダーレス開発を
象徴する様に、街が府県境に跨っていますね(ここを最寄駅とする有名私立進学校は、
移転の結果とは云え、西大寺の近くにあって「東大寺」を名乗る感覚が面白いですね)

並行する関西線の平城山駅を出入口とする奈良電車区は、淀川水系と大和川水系との
分水嶺の地形を踏まえて、ギリギリ奈良県域に収まっています。ここも周辺は住宅街
一辺倒と、高の原駅と同様の環境ですが、乗降需要は圧倒的に近鉄側が優位の様です。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 7月20日(月)21時10分59秒
タイトル 私も妄想
紀勢本線が辿る紀伊半島の海岸線は、点在する狭い平地を山越えで結んでいくあたり、
三陸鉄道の沿線にも似たたたずまいが感じられます。
夏になると三陸縦貫の観光臨時列車が走っていましたが、紀伊半島だっていけるんじゃないかな? と思い立ちました。
列車名はズバリ「なつかしの特急くろしお」。…特急じゃ高くてダメでしょうか? 
じゃあ「なつかしの普通列車はやたま」…これは一部の濃い人向けですね(爆)。



投稿者 クモイ103
投稿日 2009年 7月20日(月)21時16分20秒
タイトル 50周年
どうも最近「50周年」が多いような気がしてよく考えたら、今はちょうど「昭和30年代」の50年後を走っているのですね。
東海道本線の特急「つばめ」「はと」がEL〜SLのリレーで走っていた状況から10年の間に東海道新幹線が開業した、
まさに日本の鉄道が奇跡的な躍進を遂げた10年間、それが昭和30年代でした。

ちなみに近く訪れる「50周年」としては、昭和34(1959)年9月22日の全国ダイヤ改正があります。
日光線電化、157系準急「日光」デビューが目玉でした。
客車がらみの景気のいい話題はありませんが、急行「彗星」のマロネ49が
「雲仙」から捻出されたマロネ40に置き換えられて定期運用を終了しています。
戦前製の一等寝台車で、昭和30年のイネ廃止以降「Aロネ」となっていたものの中では、最後の定期運用でした。
それから50年後の今年、
「イネ」〜「Aロネ」の流れを受け継ぐ直系の後輩である「富士」「はやぶさ」のオロネ15が引退し、
東海道筋から「洗面台付き区分室寝台車」が姿を消してしまったのは、偶然とは言え何か因縁めいたものを感じます。

というわけで、しばらく50年前の話題で楽しめそうです。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2009年 7月21日(火)08時45分27秒
タイトル 車内の掲示
 一部に日本語がそのまま残り、タイ語の新しいのも一緒です。




投稿者 雑魚
投稿日 2009年 7月21日(火)09時05分16秒
タイトル なつかしの妄想
▼クモイ103様:
> 列車名はズバリ「なつかしの特急くろしお」。…特急じゃ高くてダメでしょうか?

肝心の「ブルドッグ」が過去帳入りしてますからねぇ。車両事情を度外視するならば、
ゴハチ+12系による臨時「きのくに」も捨て難いですが、そう来れば、南海本線直通
附属編成を併結した気動車版も是非(^^)更に、60年代の短期間ながら、阪和貨物線
経由で名古屋と東和歌山(当時)を結んでいたキハ80系特急「あすか」も推挙したい
処ですが、ここまで来ると、紀勢線とは無関係の領域ですね(^^)

訳が判らなくなった序でに、湯浅〜藤波で有田鉄道の直通運転も再現しましょうかね。
この区間は、紀勢線が到達する以前、鉄道網において「空白地域」だった湯浅界隈で、
蜜柑畑と積出港を結ぶ輸送手段として有田鉄道が開業し、その後、一部区間が後発の
紀勢線に集約されるという、由緒ある経緯を体現したものです。

紀勢線直通体制は、かの信楽高原鐵道の事故を契機に廃止されましたが、その数年後、
週末は運休扱いとなり、一日僅か二往復運転の利用者は30人程度、他の廃止路線には
申し訳が立たない程の陣容でしたから、高速の特急も擁するJR側にすれば、当然の
措置だったのでしょう。

ちなみに、実際に乗り合わせた列車で乗客が終始私だけだったのは、確か弘南鉄道に
移管後の黒石線と、この有田鉄道線でしたっけ。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 7月21日(火)20時10分13秒
タイトル 有田鉄道
雑魚様:
有田(ありだ)鉄道はとっくに廃線ですよ。
乗り入れ出来るとすれば紀州鉄道(旧御坊臨港)だけでしょう。


 
 
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