倶楽部メモ(486)
平成21年 1月21日〜 1月24日



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 1月21日(水)21時30分49秒
タイトル 栄光の「青い流れ星」たち
 先達の皆様方、失礼致します。「ED76109」でございます。

 仙コリ様及び太田拓也様
 「銀河」を巡る「列車番号」のお話、小生の勉強になっております。
特に、「東京口のブルトレ」は臨時列車の番号を含めて、出発時刻順に「1レ」から設定している点は
やはり「鉄道の象徴的な存在」であったことの「証し」のようであります。
懐古的な物言いになってしまいますが、「10往復に及ぶ『青い流れ星』」は
過去の栄光となってしまうのでしょうね・・・。

 失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 1月22日(木)12時27分11秒
タイトル 栄光の 「一番尽くし」 乗継
▼ED76 109様:
> 出発時刻順に「1レ」から設定している点はやはり「鉄道の象徴的な存在」

上野〜青森〜函館〜札幌では「1M→1便→1D」という 栄光の「一番尽くし」乗継が
ありましたね。1Mは「はつかり」1Dは「おおぞら」で宜しかったでしょうか?

>「10往復に及ぶ『青い流れ星』」は過去の栄光となってしまうのでしょうね…。

悲観論が過ぎるかも知れませんが、車両の老朽化や、東北・北陸新幹線の延伸に伴う
並行在来線の処遇を勘案するなら「ブルトレ」は、イベント等の波動用編成を除いて、
十年後には全面淘汰され、新型置換の「北斗星」が命脈を保つのが精々かと感じます。

折しも、昨日発売のRJ誌で、低廉なホテルの拡充に伴う宿泊需要の相対的な増大や、
車両運用事情を理由とした使い勝手の限界を理由に、夜行列車の縮小止む無しとする
読者投稿がありましたが、これに、航空便の「マイレージ制度」を勘案して(趣味の
見地からは肯定し難くも)私も同様の所感です。

東京駅に到着した「富士・はやぶさ」の機回し(11月25日付の拙稿で紹介)の見物に
同行した我が子は、夏に体験した「北斗星」と比較した車両陣容の「おとなしさ」に、
少し期待外れの様子でしたが、その分「北斗星」とは、一定規模の明確な観光需要に
基く事で、ある程度の幸先が見込める「例外的な」列車なのかと感じたのでした。

昨日発売のRF誌では、釧路での半年疎開を経て アセアンの地に嫁いだ 24系などの
回送顛末が大々的に紹介され、道東方面では久々に大きな話題となった事が窺えます。
道東といえば、標津線の御別れ運転では、14系座席車が動員された様に記憶しますが、
これは、当時の夜行急行「まりも」から間合融通したものかな?



投稿者 ED76109
投稿日 2009年 1月23日(金)00時13分55秒
タイトル 「1M→1便→1D」は黄金ルートです!
  おばんでございます。「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >1Mは「はつかり」1Dは「おおぞら」で宜しかったでしょうか?
  御意。さらに「みちのく」は「11M」、「青函便0時10分発」は「11便」、
函館からの「北海」は「11D」、「ニセコ1号」は「101D」と「1尽くし」であります。

 >新型置換の「北斗星」が命脈を保つのが精々か
  北海道新幹線と並行する「江差線」の第三セクター化が、果たしてすんなりとなるのか気になります。(!?)
 「北海道新聞」の記事による試算では、「薩摩おれんじ鉄道の約7割程度の収入」しか望めないとのことです。
 「第三セクター江差線」の前途は・・・(うーん)。

  今回も、「戯言」を述べさせていただきます。先達の皆様方の話題にしていただければ眼福の限りであります。

1 昭和46年の盛夏、「80系DCなは・日向」に「鉄」親父と乗車。
しかし、前日発生した土砂崩れで「山陽本線尾道・糸崎が不通」という状況。
そこで、「なは・日向」は、伯備・芸備線経由の迂回運転が決定し、2時間遅れの9時30分に「大阪」を出発しました。
しかし、「広島から先につきましては、全く目処が立っておりません。」としか言わない「博多車掌区のカレチさん」に、
超満員の乗客はただ唖然、呆然・・・。
そして、「倉敷」から「DCの威力」を発揮して備中・備後の隘路に入ったのですが、
運転停車の「新見」と「三次」では見慣れぬ「80系」にホームの一般客にまで車内を覗き込まれる始末・・。
さらに「広島」では、10分近くも本線を塞いで「芸備線ホーム」から「1番ホーム」に入れ替える大騒動・・・。
結局、「6時間遅れ」の「午前0時過ぎの熊本」で運転打ち切りとなりました。
その時、唯一の後続列車となったのは、「尾道」で足止めを食っていた14時間遅れの『はやぶさ』」。
前述のとおり、午前2時過ぎに「熊本」を発車して「はやぶさのヒルネ(アサネ)」で、
午前4時過ぎ「出水」にやっとたどり着きました・・・。

2 昭和56年の早春、「DC特急まつかぜ」に「大阪」から「小倉」まで「乗り鉄」。
その時、小生が最も印象の残ったのは「餘部鉄橋」ではなく、「コバルトブルーの日本海」でもない
「山間の福知山線」でした。
「宝塚」から山間に入り、「生瀬」・「武田尾」と武庫川を遡る風景は、渓谷沿いの遅咲き桜の美しさが印象に残りました。
さらに、短いトンネルや鉄橋が続き、現在の新しいルートでは味わえない汽車旅を堪能。
そういえば、「道場」は「神戸市内駅」だったですよね。あの山間の小駅が「神戸市内」とは、意外でありました。

3 平成12年の春、「大阪」で「急行銀河」を待っていると、「スーパーはくと」が入線。
これは「京都まで乗り鉄」しかないと乗り込むと、いきなり「明石車掌区のカレチさん」が
「特急やから、お金(特急券)要りまっせ。」と一言。
そこで小生、「京阪神ゾーンの周遊きっぷ」を見せたところ、「結構です。」とにこっとされました。
小生の近くではもう1人の車掌氏が酔っぱらい客を「あかん。後からの新快速にせな。」と宥めておりました。
そういえば、車掌勤務経験をユニークなエッセイで綴られていた「坂本衛氏」が、同じような経験を紹介されてましたが、
「カレチさんのやりとり」の軽妙さに思わず吹き出してしまいました。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 1月23日(金)08時57分54秒
タイトル みちのく
▼ED76 109様:
> さらに「みちのく」は「11M」、「青函便 0時10分発」は「11便」、
> 函館からの「北海」は「11D」、「ニセコ 1号」は「101D」と「1尽くし」

既述の様に「みちのく」は、上り便を通学先から、下り便を下校途中、ほぼ日常的に
眺めており、特に憧憬を覚えた列車でしたが、こちらも「由緒ある番号」なのですね。
11月18日に急行越前様が掲出された水戸駅での画像は、下り「みちのく」発車直後の
四番線(現三番線)からの撮影と拝察します。

> 北海道新幹線と並行する「江差線」の第三セクター化

木古内町の人口が六千未満ですから、函館都市圏としての旅客需要は、上磯で早くも
一段落気味ですね。貨物対策を考えれば、江差線電化区間は、とにかく要存続ですが、
さりとて利用者数が覚束ないとなると、引続き、JR管轄になるのでは、と感じます。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2009年 1月23日(金)09時50分57秒
タイトル 同じ列車番号、船便
古い話しではまた退屈でしょうが、戦前から戦時中にかけてもありました。
1レ「富士」-下関-1便(関釜連絡船)−釜山桟橋1レ「ひかり」−新京(後ハルビン)
7レ(呉線経由各等急行)−下関-7便(関釜連絡船)−釜山桟橋−7レ「のぞみ」−奉天
(後新京)*新京=現「長春」。
今の東海道、山陽新幹線とは「逆」で当時は「ひかり」の方が「のぞみ」よりも
「格上」であったのですね。



投稿者 赤まんと
投稿日 2009年 1月23日(金)10時11分23秒
タイトル ブルトレの「今」
みなさまこんにちは。
東海道筋ブルトレのかつての本数及び列車番号の話題で盛り上がっていますね。
いよいよ最後となった「はやぶさ/富士」廃止秒読みになってきて、最新号でも立て続けに特集が組まれています。
かように寂しい状況ではありますが、「鉄道ジャーナル」では今回、「日本海」の追跡記事が載っています。
すでに目にした方、買われた方もいらっしゃると思います。
12月半ばの閑散期ゆえ、すばらしい乗車効率ではなかったようですが、それでも下段が埋まる程度には乗っていて、
未だに社用での利用もある様子が書かれています。
また、このところ元気がありませんが、上野口「あけぼの」は昨夜、「カシオペア」機99号が先頭に立ち、
唯一のEF64牽引「北陸」も合わせ、比較的よく整備された姿で活躍を続けています。
いずれもブルトレとしては後発組に属しますが、編成内容や牽引機等、改めて眺めてみると実はいまや見どころたくさん、
ということから注目度が増しているように感じます。
後悔の無いよう、またブルトレの栄光を後世に伝えるためにも、現状の記録や体験も非常に重要になっていると考えます。

小難しいことを書くまでもなく、やはりあの独特の雰囲気は得難いもので、
実物に乗り、眺め、つくづく無くなるのは惜しいものです。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 1月23日(金)12時15分26秒
タイトル 70年代ならではの アドリブ
▼ED76 109様:
>「なは・日向」は、伯備・芸備線経由の迂回運転が決定

隔世の感を覚えます。迂回区間を抑え福塩線経由でも良さそうですが、ダイヤ管制を
職人芸に依存していた時代、土壇場のアドリブ対応には、限界があったのでしょうか。

> 見慣れぬ「80系」にホームの一般客にまで車内を覗き込まれる始末 …。

当時は日豊線の幸崎以遠が非電化ゆえ、80系運用なのですね。気動車ですと、かかる
異変対応は便利ですね。芸備線での80系運用は確かに珍事ですが、70年代は定期便が
肥薩線で「矢岳越え」をしていましたからねぇ(^^)

> 10分近くも本線を塞いで「芸備線ホーム」から「1番ホーム」に入れ替える大騒動

機回し不要が、せめてもの救いですね。上り「奥久慈」「ときわ」の水戸併結作業も
転線に特急の待避と、大掛かりでした。福島の上り「やまびこ」「つばさ」よろしく、
本線便が支線便に迎合、下り線を横切り転線する様な事例は ありませんでした(^^)

> 小生が最も印象の残ったのは(中略)「山間の福知山線」でした。

並行道路が皆無で、山峡を抜けると、新興住宅街が広がるなど、嵯峨野観光鉄道との
地勢的な類似点を多々感じますね。道路地図を見た印象から、途中の武田尾温泉では、
宿泊客の相当部分が今でも鉄道利用なのだろうかと感じますが、実態やいかに?

> あの山間の小駅が「神戸市内」とは、意外でありました。

さすがに、特定市内駅「神」からは外れていますけどね。新線切替時に新規開業した
西宮名塩駅も、自治体本位で見ると「飛び地」です。

> 酔っぱらい客を「あかん。後からの新快速にせな」と宥めておりました。

下り「シュプール蔵王」に大宮から誤乗した泥酔の退勤客が、車掌に怒られるという、
何とも気の毒な場面に遭遇した事があります。そう言えば本日は金曜日。当時と同じ
583系を用いた「ゲレンデ蔵王」の回送運用が、東北線を南下していますね。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 1月23日(金)13時52分34秒
タイトル ダイヤ大改正号?
▼赤まんと様:
> いよいよ最後となった「はやぶさ/富士」廃止秒読みになってきて、

日中の走行場面が見られるのも、残り50日となりましたね。万感の思いを込め、来月
下旬に発売予定の、時刻表 ダイヤ改正号を、自己流に「先取り」して見ました(^^)

自戒的な(^^)特集として「ダイヤ改正日は『ホワイト・デー』毎度々々の『鉄』に
呆れ返っている奥様をこれ以上、怒らせない為の御洒落な雑貨・大特集」を皮切りに、
豪華付録「九州ブルトレ・双六ゲーム」硬派な処では「新春ビッグ対談 赤まんと vs
管理人様/政局を読む」ダメ押し企画で「気になるグリーン・アテンダント/袋とじ
グラビア特集」なんてのは如何でしょうか(^^)

………他愛も無い話で、失礼しました………




投稿者 尼港線
投稿日 2009年 1月23日(金)13時54分55秒
タイトル 福知山線・旧線といえば…
> 小生が最も印象の残ったのは(中略)「山間の福知山線」でした。
地元出身の小生にとって、思い出深い路線です。
中学1年の時の春の遠足が、川西池田駅集合で、客車鈍行に乗って道場下車。
鎌倉峡で飯ごう炊さん、などということもありました。
気候のよい頃、スハ43やナハ10の窓を全開にして、川風(時にトンネルの冷風・笑)に当たっていたことを思い出します。

そういえば福知山線で、2度ほどスハ43のボックスシートの背刷りの上部に、
ごつい金属の枠がはめられているのを見かけたことがあり、何だろうな…と子供心に思ったのも覚えています。
はるか後になって、リラックスカー(簡易寝台)と知りました。



投稿者 bell
投稿日 2009年 1月24日(土)01時43分34秒
タイトル 惜別? 快速 ムーンライト
管理人様、こんばんは。
1月23日に春の臨時列車運行についてJR西日本よりプレスリリースされましたが、
『ムーンライト九州・高知・松山』は運行されないとのこと。
人気がある列車だと思っておりましたので非常に残念であり、せめて夏休み時期には復活して欲しいと願うばかりです。




投稿者 bell
投稿日 2009年 1月24日(土)02時19分1秒
タイトル ムーンライト高知・松山
連続投稿となりまして申し訳ありません。
ご常連の赤まんと様に倣いまして、編成記録を残し始めました。
以下、平成20年12月27日のムーンライト高知・松山の編成記録となります。

9239レ⇒8221レ
快速 ムーンライト高知 京都23:24−高知7:13
9239レ⇒8221レ⇒8121レ
快速 ムーンライト松山 京都23:24−松山7:45

EF65  1132 関
スロフ12   6  四コチ
オ ロ12   9 四コチ
オハフ15 23 大ミハ
スハフ14 11 大ミハ
オ ハ14 165 大ミハ
オ ロ12 10 四コチ




投稿者 ED76109
投稿日 2009年 1月24日(土)08時23分55秒
タイトル 楽しいお話ありがとうございます!
 おはようございます。昨日はゆっくりとお休みになれましたでしょうか。「ED76109」でございます。

 雑魚様
 >江差線電化区間は、とにかく要存続ですが
  ところが、最近の報道は「新青森・新函館は3線軌条化」して、
 「江差線」は廃止したい意向を「JR北海道」は持っているようです。
 個人的暴論ですが、現状の北海道が「350億円」以上負担し、
 「新幹線」を札幌に連れてくる必要は全くないと考えます。

 >当時は日豊線の幸崎以遠が非電化ゆえ、80系運用なのですね
   当時、「出水」の助役をしていた叔父の話では、
 相棒の「日向」は「宮崎」に6時間遅れの「午前3時ごろ」到着したとのことでした。
 なお、「なは」はその後、昭和48年10月に「EC化」されて「1M」を名乗りました。
 一方の「日向」は「DC」での単独運転の後、「宮崎電化」に伴い、同49年4月に「EC化」。
 しかし、どちらも新幹線博多開業の同50年3月に引退しております。
 ちなみに、「なは・日向」の頃は「小倉」で分割されておりました。

 >583系を用いた「ゲレンデ蔵王」
  失礼な物言いですが、まだ走っているのですね。「シュプール号」的な臨時列車が(言い方が古いなぁ)。
 この時期の時刻表は、上越・信越・東北方面の「スキー臨時列車のダイヤ」が掲載されて、
 「夏の房総」と同様に季節が感じられました。

  マロネロ38様
 >釜山桟橋1レ「ひかり」、釜山桟橋−7レ「のぞみ」
  世界と日本の鉄道が結ばれていた時代の話ですね。
 「釜山」からは、上記の2列車、そして、「大連」からは満鉄の「あじあ号」。
 中国東北部の要都「ハルピン」から旧ソ連国境の「満州里」を経て、「シベリア鉄道」からヨーロッパへ・・・。
 小生、「ブルトレ」消滅後は、真面目に「中国」や「シベリア鉄道」の「乗り鉄」を模索しております。
 (退職金がしっかりと手に入ればのお話ですが、それよりも「妻」を説得する方が難題であります・・・)

 尼港線様
 昭和59年の黄金週間、「大阪発の721レ」でも当該区間の美しさを満喫しました。
小生、当時の「山陰線の保津峡」付近の車窓風景と双璧であると思っており、
旧客列車が全廃された関東と比べて、近畿圏は風情があるなぁと羨ましく思っておりました。
しかし、「山陰線」も「福知山線」も新線に移行してしまい、往年の姿は見られませんね。
「昭和は遠くなりにけり」といった心境でしょうか・・・。

 以上、雑魚様のキャッチコピーで、「はやぶさ・富士引退抗議テロ計画(!?)」が脳裏をかすめた、
「相棒」ファンの「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 523レ
投稿日 2009年 1月24日(土)11時17分59秒
タイトル 黄金ルートなど
みなさん こんにちは
 久し振りの投稿です。
 小生も仕事の関係で、北陸〜九州を月に二往来していますが、最近ははやぶさをよく利用しています。
十二月中旬まではまだそれほどではありませんでしたが、このところ平日でも下段は埋まっているようです。
来月はさらに状況は厳しくなっていますね。つい先日利用した際は、昭和47年製のスハネフ1412に乗車、
洗面所は未改造で、仕切りもなく2台の洗面が並んでおり、蛇口も水と湯と別々のレバー式で、懐かしい感じがしました。
 赤まんと様同様、小生も編成記録を昭和50年代後半からとっています。
学生時代は山手線でさえ乗車したら10両すべてを記録していました。
もちろん面白いのは、諸形式が繋がっている旧客で、乗らない列車でも可能であれば記録したものです。
特に荷物列車は、一両ごとに運用番号も所属区も違って、運用番号を示す札までちゃんと入っていましたね。

 話題になっている1M〜1便〜1D あこがれの乗り継ぎでしたが、
学生時代、周遊券利用では特急利用は常に選択外でした。
やはり、上野からは八甲田や十和田でした。
 客車ではありませんが、黄金ルートに関連して高校の修学旅行のお話をさせていただきます。
滋賀県湖北地方の学校でしたが、先生の都合(?)で毎年行先が変わっており、我々の年は北海道行でした。
昭和53年9月のことです。
(往路)北陸線近江塩津〜米原間各駅から各自乗車、米原〜新幹線〜東京〜上野〜はつかり号
    〜青森(泊)〜連絡船〜函館〜バス(大沼泊)〜札幌(泊)
(復路)札幌〜12D北海〜102or2便〜4002M白鳥〜敦賀〜各停で各自下車。
 小生、生まれて初めての東北、北海道行の大旅行でした。もちろん、ほとんどの地区でまだまだ活躍中の旧客も拝見。
復路は上りの黄金ルートをかすめたという感じですが、
青森ではつかり、みちのく、白鳥と13連の特急が3本も並んでいたのは壮観でした。

 以上、余計なことなど長い書き込みで失礼いたしました。



投稿者 雑魚
投稿日 2009年 1月24日(土)13時09分24秒
タイトル 北海道新幹線
▼ED76 109様:
>「新青森・新函館は3線軌条化」して「江差線」は廃止したい意向

何とまあ。当然、木古内以遠の非電化区間も対象なのでしょうね。せっかく電化した
江差線がこの有様では、普通列車が極端に少ない長万部以南の内浦湾岸区間の処遇も、
推して知るべしですね。

> 北海道が「350億円」以上負担し「新幹線」を札幌に連れてくる必要は全くない

札幌までの最終的な規格態様は未定の様ですし、折しもこの大不況とあっては、今後、
かなり流動的になると思いますが、最速便が東京〜札幌で所要四時間弱という想定は、
空港アクセス等の手間隙を考慮すれば、空路移動に十分に伍し得る内容ですし、羽田
発着枠の対象地域の拡大、気象上の危険軽減効果、安全保障などの利点を説かれると、
一方で、相応の必然性を感じるのでした。

>「なは・日向」の頃は「小倉」で分割されておりました。

ブルトレは門司分割と、動力源の違いから歴史的な機能分担性が反映された形ですね。

> 失礼な物言いですが、まだ走っているのですね。

時刻表に記載が無いので、団体列車の扱いかと存じます。充当される仙台の 583系は
磐越西線快速運用で「赤べえ」を度々補完するなど、波動用の旧型形式編成としては、
かなり活躍している様ですね。昨年は 水戸の観梅に御越し頂けず終いでしたが(^^)

> 中国東北部の要都「ハルピン」から旧ソ連国境の「満州里」を経て、

中露で軌幅が異なる為、満州里でしたか「客を乗せた侭」クレーンで車両を吊り上げ、
台車を交換するという超大技を仄聞した事がありますが、真偽の程や如何に………?

>「山陰線」も「福知山線」も新線に移行してしまい、往年の姿は見られませんね。

他方、渓谷区間を抜けた途端に「今までの山紫水明は何だったのか?」と感じる程に
新興宅地が展開している、南丹・北摂の両地域にとっては、新線移行こそが、大きな
躍進要因であり、特に福知山線の場合、東西線と共に「アーバン・ネットワーク」の
少なからぬ動機付けだったのでしょうね。




 
 
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