倶楽部メモ(471)
平成20年11月17日〜11月19日



投稿者 蜂屋
投稿日 2008年11月17日(月)21時48分49秒
タイトル 高崎行普通客レ
クモイ103様:
ご教示ありがとうございます。
投稿した写真のレはお昼頃、栗橋あたり〜久喜あたりだったかと思われますので122レですね。
昨日は信越120年号試レに行っており、お返事遅くなりすみません。

上野発高崎行を添付します。上野を朝発つレです。牽引はEF58174。1979.2.11
場所は?ですが、山並みが見えるようになってきたので高崎が近付いてきたかと思われます。




投稿者 ED76109
投稿日 2008年11月17日(月)22時07分52秒
タイトル 狩勝峠はすばらしい眺望です!!
 連投しております。「ED76109」でございます。

雑魚様
>峠越えの根室線撮影と云い、旧線跡巡りと云い「鉄環境」は良好ですね
 まさしく、そのとおりでした。四季それぞれの趣が峠にありましたが、
特に心に残るのは、下り最終の「とかち」で「新狩勝隧道」から「新得」に下ってくる町の夜景です。
左右に展開する「町の灯り」を眺めながら、月明かりに照らされて勾配を下る車窓はまさに「天下一品」でした。

>町・村営軌道の分布を見ると、〜道東や道北に偏在気味ですね。
 小生の勤務校に、「中標津」から転勤してきた同僚がおります。
とにかく、「原野」と「乳牛」しかなく、隣家が牧草地を隔てて「2q」離れていても、全く「違和感はない」とのこと。
道東や道北はこのような所が多く、「簡易軌道」の役割が改めて理解できます。
「僻地だけど釧路までは車で1時間だから。」と件の同僚が話したことがあります。
しかし、「中標津」から「釧路」までは「100q」はあるはずなのですが・・・(?!)。

 また、投稿致します。以上、急行越前様の写真に想い出が甦る「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年11月17日(月)22時28分8秒
タイトル Re:高崎行普通客レ
蜂屋様
 122レでしたか。昼頃なら確かにそうですね。
 上野発高崎行きの画像、鉄橋の上下線が離れていることとカーブ具合から見て、
新町(北藤岡)−倉賀野間にある烏川橋梁だと思います。
 ここに写っている下り線の鉄橋は、元は画面の右方に離れて存在する上り線に並んでいましたが、
私の小学校時代の昭和40年代半ば頃に、写真の位置(=現在の位置)に移設されたと記憶しています。
上り線に隣接していた旧下り線の路盤の一部はその後も長く残っており、
最近は見ていないのでわかりませんが、今もあるかもしれません。



投稿者 急行越前
投稿日 2008年11月17日(月)23時20分20秒
タイトル Re:水戸駅
▼雑魚様
 コメントありがとうございます。
 そういえば「オッペン化粧品」看板はいろいろなところにあったような...
 このころの水戸駅は駅ビルの影もカタチもありませんが、
 駅ビルができ、大洗鹿島線ができ、駅裏が開発されと変貌が著しいですね。

 水郡線の客レは午前中大学の授業に出てから、
 夕方の便に常陸大子まで乗った後、とんぼ返りしたり、
 夜中に何人かで車を走らせて上りを那珂川橋梁で撮影したりと結構思い出があります。



投稿者 急行越前
投稿日 2008年11月17日(月)23時40分52秒
タイトル 紀勢線新宮発和歌山市行121レ
今度の列車は紀勢線です。この列車に乗るために前日は「はやたま」で上って?きました。
和歌山からのDD13の牽引と紀和での1輌解放にはびっくりしました。

新宮発6時32分和歌山市着12時49分121レ

EF58 99(竜) (和歌山まで)
DD13202(竜) (和歌山〜和歌山市)
オハフ33  10カメ(紀和まで)
オハフ33 112カメ
オハ 46 378カメ
オハ 47 308カメ
オハフ33 428カメ
スユニ502047リウ
マニ 362020リウ(和歌山まで)

1982.8.9新宮にて




投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年11月18日(火)11時01分10秒
タイトル 北海道拓殖鉄道
ED76109先生
「鉄道ピクとリアル、私鉄車両巡り1960年12月臨時増刊」に出ていますね。
隙間風のDCが西武からのキハ111-112でしょう。(佐久鉄道キホハニ54-55→鉄道省
キハニ40603-40604→40704-40705→111-112→拓鉄111-112)昭和5年11月日本車輌
本店定員72名(座32)、自重13.2t、LWH=11720xx2640x3455mm、エンジン=
Workeshire:6SRL→Hino DS40 150HP/2400rpm。
他にPCナハ501、ホハ502、SLは8620系の8621,8622、スケネクの5704、DLロータリー
DR202CL、単車のガソリンカーキハ101-102、ラッセルのキ2------
この鉄道上士幌まで抜けていたのですね。
キハ22タイプで台車がTR26かTR29みたいなDCが後に入ったそうですが----
地図では「屈足」から森林軌道が書かれています。途中に「厳松」(発電所のマーク?)が
あります。「河西鉄道」の立体交差橋台も出ています。



投稿者 ホエ7030
投稿日 2008年11月18日(火)11時28分17秒
タイトル 富士発高崎行340レ
久し振りに投稿いたします。
 都営浅草線乗入れ用の京浜急行1000系試乗会の終了後、
初めて大船付近に行ってみた際に撮った富士発高崎行の普通列車です。
ダイヤも調べずに行ったのですが、帰宅後に時刻表を見てビックリ。
こんな列車があったのを初めて知りました。
その後、横浜か品川から上野まで乗ったことがありましたが、何とも不思議な気分でした。
 結構長い期間運転されていたようですが、客車の受持区などは覚えていません。
不鮮明な写真で恐縮ですが、よく見るとWルーフが数両入っており、
窓の高さから見るとマハ29かオハ27も入っているようです。
 「湘南日光号」のような列車なら分かりますが、
東海道線と高崎線を直通で利用するお客さんってどれくらいたんでしょうね。

 340レ EF5865(東) S37.7.1 大船〜戸塚




投稿者 雑魚
投稿日 2008年11月18日(火)17時15分29秒
タイトル 那珂川橋梁
▼急行越前様:
> 駅ビルができ、大洗鹿島線ができ、駅裏が開発されと変貌が著しいですね。

1985年の大洗鹿島線の開業日は「筑波科学博」開幕日でもあり、東北・上越新幹線の
上野始発化に伴い「ときわ」「奥久慈」を含む急行が、全国規模で大幅に淘汰された
ダイヤ改正も行われるなど、一時代を画した感がありました。駅の橋上化と一体的に
行われた駅ビル「エクセル」の開業時期も、この頃でしたね。

> 水郡線の客レは午前中大学の授業に出てから、夕方の便に常陸大子まで乗った後、

大学は都内ですか? とすると水戸発 16時半の便に合わせて、青森行「みちのく」を
利用された事もあるとか? 両者は水戸駅入線がほぼ同時刻で、583系と旧客の並びは、
なかなか感動的な構図でした。

> 夜中に何人かで車を走らせて上りを那珂川橋梁で撮影したり

朝の常陸大子発は、前日の下り二便を纏めて回送する長編成でしたから、撮り甲斐も
ありましたね。当時は常陸太田支線でも旧客便が一往復設定されていました。ホーム
有効長の関係上、途中停車駅は確か、常陸青柳・下菅谷・上菅谷・額田・河合のみで、
水戸の街を遠望する場所にありながら、通勤・通学時間帯の通過が多い常陸津田駅の
利用者の中は、一旦、下菅谷まで戻り「快速」に乗換える事例もあったそうな(^^)

その那珂川橋梁、現在は水害対策と、橋梁南側袂の踏切解消の為、高架橋に移行中で、
これに伴い、橋梁の北側で水郡線を跨ぐ県道のアンダー・パスへの移行と、連続する
水府橋の架替工事も、併せて進捗中です。この辺りから分岐していた那珂川貨物線が
健在だった頃、すぐ近所に通学しており、もしかすると、そちらとの「ニアミス」が
あったかも知れませんね(^^)

当時の水郡線の様子が「昔訪ねた気動車ローカル線」というサイトで紹介されており、
旧客の紹介事例はありませんが、あまりの懐かしさに感涙モノでした………



投稿者 急行越前
投稿日 2008年11月18日(火)18時38分51秒
タイトル Re:水郡線
長距離鈍行から外れてしまいますが水戸ネタが盛り上がってきたので、失礼して投稿します。
客レネタですのでご容赦ください。

▼雑魚様
 大学生は水戸まで特急に乗るなんてことはしませんでした...というかお金がなくて...

 まず水戸16時39分発常陸大子着18時22分の2341レ

 DE101136(水)
 オハ 462539
 オハ 472266
 オハ 472206
 オハフ452003
 (全車水ミト)

 1983.5.12水戸にて




投稿者 ED76109
投稿日 2008年11月18日(火)18時40分41秒
タイトル Re.北海道拓殖鉄道
失礼します。「ED76109」でございます。

マロネロ38様及び雑魚様
「北海道拓殖鉄道」は、1924(大正13)年に十勝支庁の「新得町」から工事が開始され、
「上士幌」を経由して当時の「足寄」までの敷設計画が立案されました。
しかし、「石北本線」の開通によって「上士幌」までで工事が中断され、「新得・上士幌」での運行になりました。
その後、1968(昭和43)年に屈足(くったり)・瓜幕間の「熊牛隧道」が札幌陸運局からの行政指導の結果、
使用不可となってしまい、同年10月に全線廃止となっております。
 マロネロ38様の御指摘の陣容に加え、「ワム」「トム」等の貨車も約50両ほど保有するなど、
十勝北東部の貴重な鉄路として活躍しておりました。

>地図では「屈足」から森林軌道が書かれています。途中に「厳松」(発電所のマーク?)が
 この地域は「トムラウシ」と呼ばれており、大雪の山並みに沿って「白樺」や「エゾマツ」の原生林が広がっています。
旧来は「新得営林署」が所管する地域で、製材業が盛んな地域でありました。
 また、戦前「十勝川ダム」の建設に際しては、建設作業員等の利用で「北海道拓殖鉄道」はかなりの盛況を呈した時期が
あった話を聞いております。

  また、投稿致します。以上、明日からの「寒波」の到来に背筋が凍える「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 急行越前
投稿日 2008年11月18日(火)18時47分52秒
タイトル Re:那珂川橋梁
連投失礼します。

雑魚様ご指摘の上り通学列車です。

水郡線2342レ常陸青柳〜水戸間

1983.5.21




投稿者 急行越前
投稿日 2008年11月18日(火)18時56分22秒
タイトル 那珂川貨物駅といえば
那珂川貨物駅といえば、ナヤ11ですか...

客レが来るまで、鉄橋の周辺をウロウロしていたらこんな車両を見つけてしまいました。

1983.5.21 那珂川貨物駅?水戸鉄道学園?




投稿者 クモイ103
投稿日 2008年11月18日(火)20時12分15秒
タイトル Re: 富士発高崎行340レ
ホエ7030様

 思いもかけず、東海道〜高崎線直通普通列車の画像を見せていただき、嬉しい驚きです。

 小学校時代?の昭和40年代半ば頃、家族で江ノ島へ観光に行った帰り、藤沢で上り列車を待っていると、
なんと前橋行きという電車が来て私も親もびっくり。
当時は北浦和に住んでいましたので、これ幸いと浦和まで乗車し、
東京−上野間の回送線も乗車できて、思わぬ収穫に大喜びしたのを覚えています。
 あとで調べたら、朝方前橋→熱海、夕方熱海→前橋の1往復、定期普通列車が設定されていました。
グリーン車の連結が無かったので、115系だったのだと思います。
のちに上野口列車の東京乗り入れが廃止された際、この直通列車も姿を消しました。

 この列車のルーツを辿ると、時刻表昭和23年7月号に朝方高崎→新橋、夕方新橋→高崎という列車があり、
25年10月号では上りが前橋始発となって、この状態がしばらく続きます。
30年代に入ると、朝方の上りが臨時扱いで富士まで延長され、またすぐ逆に東京発着に短縮されたり、
朝方の始発駅が高崎になったりしますが、36-10白紙改正で晴れて富士まで定期列車として延長されたようです。

 客車の受持は尾久区で、所定編成中にマハが3両入っていました。
30年代半ばには7両のマハ29が尾久にいて、うち6両が窓の高い旧スシ37700ですから、
画像の二重屋根・高窓の車はそれでしょうね。

 余談ですが、この列車は高崎線内も東京区のゴハチが牽引し、青大将機が充当された記録もあります。
 しかし、その後39年9月号ではすでに電車化されていますので、
東海道区間での定期客車列車としての運転は、意外と短かったようです。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年11月19日(水)07時41分40秒
タイトル 更に水戸ネタ
▼急行越前様:

懐かしい画像を次から次へと、有難うございます。那珂川橋梁の写真を見ると、当時
河畔に「水戸プラザ・ホテル」が既に存在していた事が判り、感慨深いですね。なお、
同ホテルはその後、市街南部に移転し、同地は現在、更地になっています。

水戸鉄道学園の「ナヤ11」の画像も感涙モノです。これらの施設を俯瞰気味に見渡す
河川敷の堤防道が、当時のマラソン・コースで、そのまま常磐線の那珂川橋梁袂まで
東進してから、常磐線に密着並行して水戸の街に戻るという「鉄な鍛錬」の径でした。

那珂川貨物線は水戸城址の掘割が開けた処で水郡線から離れており、河川敷の道路は
水郡線と貨物線の踏切を相次いで渡る格好でしたが、警報機があったのは水郡線のみ。
しかし貨物線側にも、恐らくは警手が対応していたと思しき遮断機が設置されており、
独特の雰囲気がありました。両者の分岐点を俯瞰する陸橋が通学路で、日々観察して
いましたが、貨物線の列車運行は、日に二〜三回程度という印象でした。

やはり「鉄」な親父によれば「俺が通っていた当時は、茨城交通水浜線や、貨物車を
水浜線との間で受渡していた水郡線の側線も絡んで、良い味を出していたぞ」との事。
実に羨ましい限りです(^^)



 
 
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