倶楽部メモ(466)
平成20年10月25日〜10月30日



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年10月25日(土)11時47分26秒
タイトル 123レ 一ノ関行き(1)
ED76109様
 「最果て鈍行」こと宗谷本線321レには私もたいへん興味がありましたが、時刻表で眺めるだけの遠い存在でした。
 いわゆる「長距離鈍行」には何度か乗車しましたが、中でも一番の思い出は、高校時代の昭和53(1978)年2月、
 上野発一ノ関行き123レに仲間と3人で乗り通したことです。鉄研の文化祭発表用に向けた取材でした。

 今改めて写真を見返すと、当日上野−黒磯間の牽引機はEF5889、
 現在鉄道博物館に保存展示されているあの「パック」でした。
 機次位の客車1両目はオハフ61、車内は木目ニス塗り。この車両を含む前3両は仙台止まりです。





投稿者 クモイ103
投稿日 2008年10月25日(土)11時48分51秒
タイトル 123レ 一ノ関行き(2)
 大宮停車中のスナップと、雀宮駅での特急「ひばり」待避シーン。
 当時の東北本線は、上野と東北各地を結ぶ特急・急行が次々に駆け抜ける優等列車街道でした。
 昼前に上野を発車した123レは、その間を縫って待避を繰り返しながら、半日かけて丁寧に道のりを辿ります。





投稿者 クモイ103
投稿日 2008年10月25日(土)11時50分32秒
タイトル 123レ 一ノ関行き(3)
 終着一ノ関には深夜23時の到着。その昔、その先夜行列車として青森まで運転されていた
名残のダイヤです。
 実は、「20系客車誕生50周年記念写真館」に採用頂いている上野駅20番線の「十和田」は、
この取材行の帰路に乗ったものでした。


 さて、以下蛇足を致します。
 ED76109様の宗谷本線321レのお話しで、「スハ33+スハフ33+マニ+マニ」
と書かれていますが、当時北海道にはスハ33の配置は無かった筈で、
おそらく2両目のスハフと共に「33」でなく「32」ではないでしょうか。
 また、磐越西線のところで「オハフ35」というのは、「オハフ33」でしょうね。

 711系電車の時は黙っていましたが(クモハ711は試作車2両のみの希少種)、
本HPの趣旨である客車のことですので、初心者の方がご覧になって誤解されないよう、
無粋を承知で書かせていただきました。何卒ご容赦をm(_ _)m。




投稿者 ふーちゃん
投稿日 2008年10月25日(土)23時11分1秒
タイトル 本日の客車撮影記録
EF65PF+24系京都付近にて
DD51+24系奈良線内で
EF6648+14系改シュフ°ール  新大阪にて
EF6439+旧形客車+EF641032を聖高原にて
早朝から関西〜信州へと大忙しな一日でした。



投稿者 ED76109
投稿日 2008年10月25日(土)23時24分47秒
タイトル 御教示ありがとうございます。
 「ED76109」であります。
 クモイ103様
 様々な御教示と御指摘に対しまして、心からお礼申し上げます。
他の先達の方からも御指摘をいただき、恥の上塗りのような話しで恐縮です。
「形式」等の細部に渡る部分は、小生の苦手とするところであります。
逆にクモイ103様等、先達の皆様方の「知識」で確認しているところです。
今後も今回のようなことがあれば(ないように心がけますが)、訂正等いただければ幸いです。よろしくお願い致します。
 「上野発着の東北本線旧客鈍行」は疎遠だったのか、「123レ」には乗車経験はなく、
昭和48年の夏休みに「121レ」(上野・郡山間)で「矢吹」まで乗車し、
折り返しの「124レ」(仙台・上野間)で「上野」に戻った「チビ乗り鉄」経験しかありません。
一度「挑戦」したかった「旧客鈍行」でした・・・。

 失礼致しました。「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年10月26日(日)16時41分40秒
タイトル 湖西線の風景/余禄之弐
▼bell様:
> 雑魚様が関西にいらっしゃたのは10月18日でしょうか。

然様です。当日の琵琶湖岸は雲も皆無で「鉄」には申し分無い週末でした。ちなみに
この日は敦賀機関区(福井地域鉄道部敦賀運転派出?)でも留置中の「トワイライト
塗装」のカマを見掛けました。意外に多い様ですが、全部で何両あるのやら。

交直流切替点が近江塩津の手前から敦賀の先に移った事で、ようやく湖西線を全区間
走破する普通列車が設定された事に感慨を覚えますが、報道によると、敦賀における
経済効果は未だ顕在化していないそうです。他方、近江塩津では、南千歳駅よろしく、
米原方面行便に同一ホームで乗換え可能な配慮が見られ、この辺りに「琵琶湖環状線
構想」の何たるかが垣間見えた印象でした。

画像は、敦賀駅で撮った、大阪方面に向う「団体列車」の後追いです。




投稿者 秋田のHO
投稿日 2008年10月27日(月)21時34分24秒
タイトル 御教示御願い致しますです。
こちらへは久しぶりに失礼させていただきます。

きむたお  様撮影の、モケットがえんじ色の[20系客車]宮原車談話室区画ですが、
ここの区画にだけ装備されておりました「ガラス戸」部分の写真を御持ちの方はいらっしゃいますでしょうか?。
改めまして見て確認しようと思いましたら、
恥ずかしながら、記録しておきましたものを紛失してしまいましたようで、
「トワイライトエクスプレス」の「Bコンパートメント」のような感じであったと思うのですが、
私の記憶だけではどう致しましてもいまいちでして、
すみませんが、宜しく御願い致します。



投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月28日(火)21時25分49秒
タイトル ナハネ20談話室仕切り
▼ 秋田のHO様

標記の件ですが、これですね。
そういえば、寝台部分の写真だけで肝心のこの簡易仕切りの写真を添付しておらず失礼いたしましたm(__;)m
当時はまだ超広角レンズを持っておらず、おまけにガラスへの映り込みで苦しい写真であること、ご容赦ください。

おっしゃる通り、トワイライトや、向日町の15形か何かに一部設けられていたガラス張りの仕切りに準じるものですが、
それらの目的は「通路の足音が寝台に届かないように」と思いますが、
こちらの目的は「ボックスの話し声が他の区画に漏れないように」と多少異なるようです・・・。

また、ここで重要なのは、肘掛部分に内蔵された折り返して使用するテーブルがあっさりと省略されず、
引き上げて起こすタイプに改造されていることでしょう。

写真は平成6年5月4日の9201列車、「霧島」のナハネ20 233です。




投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月28日(火)21時37分40秒
タイトル ナハネ20デッキ扉室内側
ついでに数コマスキャンしたので紹介します。

写真は先と同列車内で撮影のナハネ20 233デッキ扉内側です。
残念ながら私は初期の内側が塗装されたタイプの扉を持った車両を見る機会はありませんでした。
妻板の内側にあるリブがナハネ10などの妻板にあるリブを連想し、感動したのを覚えています。




投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月28日(火)21時46分14秒
タイトル ナハネ20談話室補足
同じフィルムにもう1コマ、談話室の写真がありました。
こちらも同列車のナハネ20 233です。
今、写真を見て改めて思い出した(というより気付いたに近い)のですが、
中段、上段は他の区画と同じく青色のモケットのようです。
また、先日紹介しました枕部分の照明の蓋ですが、この写真ではそれを開くためのツマミが見えます。
こちらはビニール製のテープのようなものでした。




投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月28日(火)21時55分3秒
タイトル ナハネフ23便所使用知らせ灯
20系客車の便所使用知らせ灯は、ただの丸ランプに「便所使用知らせ灯」の表示板が付いたほかの客車
(私の知る12系、14系、24系、50系との比較)とは異なり、通常は乳白色の無地の板があり、
ハネの場合、2ヶ所ある便所が両方とも施錠されたときに裏から「便所使用中」の文字が浮かび上がるものでした。
この小さな表示にもこだわりを感じました(^^)

*仕切り扉の窓に映るなつかしい冷水機(断面が扇形のアレです)にもご注目です。

写真は平成6年5月4日、9201列車「霧島」のナハネフ23 4です。




投稿者 きむたお
投稿日 2008年10月28日(火)21時59分45秒
タイトル おまけ・20系客車の車内にて
本日も連投失礼しましたm(__)m

写真は同じくナハネ20 233の室内(しかも件の談話室)の踏み台です。
先日はナハネ20 6の形見が残されているのをご紹介しましたが、こちらはスハネ16 2209の形見です!




投稿者 秋田のHO
投稿日 2008年10月30日(木)18時21分29秒
タイトル [20系客車]宮原車談話室区画
きむたお  様、写真を見せていただきまして、大変ありがとうございますです。

肘掛部分内蔵テーブル改造に関しましては、今日までまったく気が付きませんでした。
たしか、「ガラス戸」のガラスは透明ガラスではなく、少しスモークがかったような感じであったように思います。

秋田では、この車輌は「臨時寝台急行あおもり」として運用されておりまして、
当時中学生だった私は、1輌に1区画だけ設置された個室のような区画の状態と実状
(当時は「部屋売り」なのか?、「ばら売り」なのか?、真剣に考えておりました)が知りたく思いましたが、
一人で大阪までの乗車が許されるわけもなく、青森までの末端区間約二時間を寝台券を購入して乗車致しました。
乗車時はかなり車内が空いておりまして、思う存分車内を見れました上に、
もう時効だと思いますが、、、嘆願しましてデッキ扉が開放された状態での走行も見せてもらいました。
その後、[DD51]牽引の北上線経由「臨時寝台急行おが」にも乗車する事が出来ましたが、
優雅な外見と、見晴らしの素晴らしい「半室展望」の[ナハネフ22]に乗車したのはこの時が最初で最後となりました。



 
 
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