倶楽部メモ(451)
平成20年 9月 1日〜 9月 6日



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 9月 1日(月)17時30分44秒
タイトル SL 奥利根 (01)
明らかに不順気味な荒天の下、夜行列車は受難続きの様ですね。こうした前例の無い
突発的・局地的な豪雨もまた「地球温暖化傾向」の一端と見る向きがある様で、件の
原油高も相まって、車での遠出が憚られるこの頃です。

………とは云え、私の様な田舎住まいにとって、ここ一番の外出時には車は不可欠で、
先日も高崎まで出張遠征。仕事の都合から、宿を取り、翌日「EL&SL奥利根」を
追い掛けて参りましたが、予想に反して快晴に恵まれ、今年二月の「会津冬紀行」で
撮り損ねた編成を拝めた事を含め、溜飲の下がる事、この上無し(^^)

久々に上越線沿線を回りましたが、改めてロケハンすると、鉄道に限らず、好ましい
風景が随所に見られ、在来線時代の「とき」「佐渡」から車窓風景を存分に楽しんだ
幼少時が懐かしく思い出されました。

画像は津久田〜岩本、棚下不動尊に続く坂道からの俯瞰です。この後、利根川沿いの
小路を沼田方面に抜けましたが、急峻な断崖の狭隘区間は結構な迫力でした。その後、
寄り道した「利根沼田望郷ライン」では一転して、赤城山北麓の高原や台地に広がる
沼田の街並みなど、爽やかな眺めが広がっていました。

SL以外の被写体としては「湘南色」115系の運用が、意外に多い事も 嬉しいですね。




投稿者 雑魚
投稿日 2008年 9月 1日(月)18時19分57秒
タイトル SL 奥利根 (02)
改めて説明する必要は無いとは思いますが、渋川〜敷島の「大正橋」からの撮影です。
意外や「同業者」は、私を入れて数名程度でした。

橋の袂にあるビジネス・ホテルは、上越線の撮影名所という事で「その筋の需要」が
多いそうです。夏至前後ですと、私が先日、札幌駅近くのホテルから「はまなす」の
撮影で実践した様に、寝巻姿のまま「能登」「北陸」「あけぼの」が撮れそうですね。

上り「SL奥利根」は16時台通過ですから、15時チェック・イン枠で充分狙えますが、
宿泊する程では無い三脚組の為に、時間限定「日帰りプラン」を設定すると、更なる
需要喚起が可能かも知れません………待てよ、列車が遅延した場合には、悲惨な事に
なりかねませんね(^^)




投稿者 ED76109
投稿日 2008年 9月 1日(月)18時50分47秒
タイトル 「鉄ちゃん」の有名人
 またまた、御邪魔します。「ED76109」でございます。
 本道最後の夜行列車「まりも」が、本日無事運転を終了しました。
「銀河」ほどの盛り上がりはなかったのですが、当地の報道では道外からのファンも多数来道され、
ラストランを楽しまれたようです。
アットホームなお別れになりました・・・。ありがとうございました。
 さて、今回は「ブルートレイン」等の現状を鑑みるに、こんな「鉄ちゃん」が強く世間に訴えてくれれば
と思う方々につきまして、いつものように「戯言」を述べさせていただきます。
先達の方々の話題にしていただければ幸甚の限りです。

 1 小生が一時憧れた職業に「アナウンサー」があります。
この業界は「鉄」色の強い方が多いようで、NHK「ラジオ深夜便」のアンカーを務められる
「秋山 隆アナウンサー」は、国鉄全線走破(確か?)の強者。
以前、番組内で「上野発の夜行『はくつる』を翌朝盛岡で下りれば、冬は一面の銀世界。
さらに鈍行に乗り換えて、好摩で花輪線の「9600牽引」の古い客車で東北の旅
を・・」云々と「乗り鉄」の体験を語っておられました。
さらに「カシオぺア」の車内放送の声を担当しているフジテレビの「堺 正幸アナ」、
最後の「銀河」の寝台券を自力で手に入れてレポートを放送した
毎日放送の「馬野雅行アナ」等もかなりの「鉄アナ」です。

 2 プロ野球で、セントラルリーグの最下位を独走中の「横浜ベイスターズ」(ファンの方失礼します)
在籍の豪快な言動の代打屋「佐伯 貴弘」内野手。
彼は幼い頃から「近鉄電車の運転手(近鉄バッファローズの選手ではない!)」になることが夢で、
電車に乗るときは必ず「かぶりつき」だったとのこと。
特に「踊り子」がお気に入りで、模型と写真を後生大事に宝物にしていたそうです。
そういえば、佐伯選手の大先輩OBの「屋敷 要」元外野手も、
「レイルマガジン」で「SL」について写真やコラムを投稿されていますし、
「ベイスターズ」はなかなか「鉄」色の強いチームです。

 3 平成15年の春、TBSで松本清張原作の「砂の器」が放送されました。
山口線のSLが「亀嵩」駅での「子別れ」の名シーンに使われた(色々と物議を醸しましたが・・・)折、
「本浦千代吉」役を演じた「原田 芳雄」さんも有名な「鉄」俳優です。
このドラマのロケの移動には、東京から「ブルトレ」で往復し、
撮影を待たされた他の出演者の方々からクレームが上がったとのこと。
また、原田さんは自宅に「Nゲージ」のレイアウトを何度も作成したモデラーでもあり、所有の車両は数百とか・・・。

 また、投稿致します。以上、「まりも」の見送りで寝不足気味の「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 オハネフ12”山陰”
投稿日 2008年 9月 1日(月)20時38分29秒
タイトル 夜行の灯またひとつ
管理人様、皆様こんばんわ。今朝の朝日新聞にMLながらの定期運行廃止の記事が掲載されていました。
季節運転での格下げとの事で改正後も残りますが、寂しい限りです。
学生時代には”大垣夜行”は何度も利用しましたが、”MLながら”での乗車はありません。
機会を見つけて一度は乗車したいものです。
夜行列車廃止の話題ばかりで残念ですが、時代の流れでしょうか・・・。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 9月 1日(月)20時59分33秒
タイトル Re:夜行の灯またひとつ
オハネフ12”山陰”様
「ムーンライトながら」の件、情報ありがとうございました。
「富士・はやぶさ」が来春どうなるのか?という事より先に「ムーンライトながら」が季節臨に
格下げの話があるというのは寝耳に水で大変驚いています。
私も学生時代の「大垣夜行」時代から「ムーンライトながら」にも何度も乗車していますので、
季節臨への格下げが本当になってしまうと大変残念です。
(もっとも乗車のほとんどが「青春18きっぷ」利用ですので、季節臨で残れば実害はなしですが…)
ただ季節臨だけの運転となると、今の定期列車の運行形態で臨時化するのか、今の臨時列車の
運行形態となるのか?…
車両は?指定席区間は?と謎がたくさん発生しますね。
このままですと、本当にこの国から夜行列車が消滅してしまうのでしょうか…
投稿者のホームページ



投稿者 オハネフ12”山陰”
投稿日 2008年 9月 1日(月)21時33分22秒
タイトル Re:夜行の灯またひとつ
管理人様
MLながらの季節臨への格下げは、青春18切符の利用者が多いでしょうから、
利用者にとっては余り影響が無い様に思われますが、運用形態は??ですね。
季節臨に格下げになった場合、多客期に運転されている臨時MLながら91、92号は消滅?
ML九州など季節臨も今後はどうなるかわかりませんね。



投稿者 らん丸
投稿日 2008年 9月 1日(月)23時04分54秒
タイトル 「ながら」季節運転化
新聞発表には驚きましたが、では、早朝の折り返し運用の静岡行き、
送り込みの為の静岡発東京行きはどうなるのでしょうか?



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 9月 2日(火)00時01分6秒
タイトル ムーンライトながらについて
新聞報道に踊らされるのもしゃくですし信じられない話なのですが、火の無いところに煙は立ちませんので…
本当に季節運転化される場合、運用面などを考えても今の373系による定期運用便がそっくり廃止となり、
今現在の季節臨である91・92号(183系でしたっけ?)が、そのままの運用形態で季節臨として運転
されるのではないかと思います。
このような話が出てくるということは「青春18きっぷ」期間以外の乗車率が低いという事なのでしょうか?
投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 9月 2日(火)10時18分14秒
タイトル 時代の趨勢
「MLながら」を巡る報道には、345・375M(165系 仕様)を何度も利用した立場上、
首相退陣表明と同等の驚きを感じました。金は無いけれど、暇だけはあった学生時代、
初めての夜行列車が、御盆直後の 345Mで、余りの混雑振りに早くも辟易した静岡で、
深夜の駅弁販売が何とも新鮮に感じられたものでした。

この「大垣夜行筋」の前身である。143・144レ(東京〜大阪の夜行客車普通列車)は、
1968年「ヨンサントオ」の際、一旦廃止が決定しましたが、若年層を中心に、存続を
求める声が余りに多かった事から、大垣折返し電車便として存続した経緯があります。
さて今回、こうした声は、どの程度、寄せられるでしょうか。

東海道線でこの状況ですから「MLえちご」の趨勢や如何に、と勘ぐってしまいます。
とりあえず、間合運用の「フェアーウェイ」が、自身にとって都合の良い被写体ゆえ、
低次元な心配をする雑魚でした。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 9月 3日(水)10時21分49秒
タイトル NHK秋山アナ
ED76109様
彼に会ったのは私が少々関係した「中越鉄道」甲1型3号機保存実現の時でしたが、
大変な鉄道ファンで「ピクとリアル」の(私鉄車両巡り"富山地方鉄道”)を書いて
居ます。拙宅へ静岡勤務時代に資料を借りに来られたり、私も写真を多く提供した
ものでした。もう定年でしょうがまだNHK関係の仕事をして居るみたいですね。



投稿者 「ED76109」
投稿日 2008年 9月 3日(水)22時30分35秒
タイトル 夜行列車は不要なのか・・?
「ED76109」でございます。
マロネロ38様
 秋山アナウンサーとお知り合いであったとは・・・。正直、驚きました。
最近は、「ラジオ深夜便」で「懐かしい駅風景」や「鉄道関係の音の風景」、
またリスナーの方からの「鉄」ネタのお便り紹介などで御活躍されているようです。
印象に残っているのは、6年前放送された「サンデージョッキー」の折、ゲストのある女性演歌歌手の故郷の話になり、
「九州の田舎で『吉松』なんてご存じないですよね。」の発言に対しての
「肥薩線ですね、D51の混合列車から見た霧島連山が綺麗でしたよ。」の一言。件の女性歌手が大感激していました。

 ところで、「MLながら」の不定期化の話が事実であれば、
正直なところ「夜行乗り鉄」最大の危機(!!)ではないでしょうか。
小生は「大垣夜行」時代に3度(昭和56、57、58年のすべて9月初旬のウイークディ)利用しましたが、
すべて小田原を出れば「ボックス」を占拠して横になることができました。
近年の賑わいがたのもしいと思っていたのですが・・・。
旧ローカル線ではないですが、「乗って残そう!MLながら」キャンペーンでもやりますか?

 また、投稿致します。以上、地団駄の限りの「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 9月 4日(木)23時29分12秒
タイトル 矢岳越え
▼ED76 109様:
>「九州の田舎で『吉松』なんてご存じないですよね。」
>「肥薩線ですね、D51の混合列車から見た霧島連山が綺麗でしたよ」

コアな会話ですね。NHKラジオというと、車を運転中、定時ニュースや「関西土曜
ほっとタイム」を聴く程度ですが、平日の夕方、電機と思しき汽笛に続く客車編成の
ジョイント音をオープニング・タイトルに、各界で活躍するゲストを招いて懇談する
番組(タイトル不明)がありまして、妙に印象に残ります。

かつて機関区も置かれた吉松は、博多基点で鹿児島と宮崎に向う幹線の分岐駅として、
かなり賑わった時期がありますね。人吉から続く難所「矢岳越え」の後に、こうした
要衝に辿り着くのは感慨深い構図ですが、吉都線沿線は一律、大淀川水系と思いきや、
吉松界隈は人吉を擁する球磨川と同じ、東シナ海に注ぐ川内川の流域だったのですね。

川内川の下流にある鹿児島県大口市は、かつて、山野線と宮之城線が分岐する鉄道の
要衝でしたが、今や鉄道は皆無。街の集積性が比較的大きな「市」に鉄道が無い事に、
子供の頃、違和感を覚えましたが、車の運転を始めて四半世紀「平成の大合併」以降、
自治体の陣容が変わった事もあり、無ければ無いで、そういうものかと思う昨今です。

なお、九州本土で鉄道駅を持たない市は、大川・八女・嬉野・南島原・国東・山鹿・
菊池・西都・大口・鹿屋・垂水・南さつま………殆どが、廃線絡みの場所ですねぇ。

> すべて小田原を出れば「ボックス」を占拠して横になることができました。

利用者にとっては有り難い話ですが、経営側にとっては、採算面で切実な状況ですね。
とりあえず「ここ一番の時」に運転して貰えれば、それで良し、という処でしょうか。

以上、大畑駅の写真を見る度、通過線の設置が容易に感じられて仕方無い雑魚でした。



投稿者 ED76109
投稿日 2008年 9月 6日(土)13時06分54秒
タイトル 小ネタで失礼します
 またまた、御邪魔致します。「ED76109」でございます。
 雑魚様
 >(鉄道が)無ければ無いで、そういうものかと思う昨今です。
  当地も、道東や道北で鉄道がなくなった町村の多さが著しいですね。
名寄本線が廃止された当時、オホーツク沿岸の「紋別市」は人口の落ち込みに加えて、
「廃止された駅跡の整備問題」と「人口減による周辺地域衰退」の話が、大きな話題となりました。
しかし、現在の北海道は鉄道があってもなくても、道央以外の人口減は歯止めが効かない状況です・・・。
 さて気分を変えて、今日は「汽車旅の小ネタ(!?)」について「戯言」をお話しします。
いつものとおり先達の皆様方の話題にしていただければ幸甚の限りです。

 1 鈍行紀行の風景の中で、よく目にしていた線路沿いの民家の壁の「広告」。
「金鳥の蚊取り線香」、「菅公の学生服」そして「ナショナルの電灯」等のホーロー製看板です。
海岸沿いや峠越え、田園地帯でも線路に面した側の壁に貼られていた独特のデザインが小生の記憶に残っています。
特に、「トカホセの川崎〜品川」の金属の架線柱に取り付けられていた「ノザキのコンビーフ」の看板は、
いつも目に飛び込んで強い印象がありました。

 2 連絡ケーブル等が発達した現在では、無用となった「ハエ叩き」。いわゆる「電信柱」です。
北海道では、意外とまだ現存している区間が多く、ちょっとしたレトロ風景の汽車旅が味わえます。
特に、「日高本線」の「静内〜浦河」は、碍子の付いた「ハエ叩き」が今でも使用されているが如く健在です。
キハ40の車窓からは、あたかも「昭和30年代」のローカル線を彷彿とさせる風景が広がっています。
(以前、雑魚様からの書き込みのあった「旧池北線の置戸〜小利別付近」と双璧でしょうか。)

  3 夜行列車が、名もない小駅を通過する際に目に飛び込んできた「駅名灯」。
「東北」や「九州内」でよく目にした記憶があります。
夜中に目が覚めた折、「十和田や八甲田のハザ」の窓から「流れる駅名」を時刻表で括り、
「ああ、○○の辺りだなぁ。」と確かめて眠れぬ夜を慰めたものです。
小生、学生時代に3回ほど渡道しましたが、どういうわけか「小牛田」あたりで必ず目が覚めてしまい、
妙な因縁があるのか「ありかべ(有壁)」の「駅名灯」を3回とも眺めました。

 長々と失礼しました。また、投稿致します。「マイナーな小ネタ」にこだわった「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 ものずきヲヤヂ
投稿日 2008年 9月 6日(土)14時52分39秒
タイトル 「オハ」ようございます
最近、書店のテツ本コーナーでは‘モハようございます’なる本が売られていますね。
内容を見ると必ずしも電車のことのみを取り上げた本ではなさそうです。
それなら「わざわざ‘モハ’とせず‘オハ’のままでいいやろ!?」と
ツッコミを入れたくなるのは私だけではないでしょう(笑)。
鉄道のこと全てを電車と呼ぶ人が大多数な時代、
たかが本の題名とは言え客車衰退のひとつの事例と言えなくも無く
なんとなく寂しいかぎりです。

>ED76109さま
それにしてもホーロー看板と旧客の組み合わせってすんごく似合いますよね。
広告といえば田園の中に燦然とそそり立っていたタテ型‘ナショナル’の白い広告塔も
懐かしく思い出されます。
‘ノザキ’は初めて上京したとき(1980年夏)にはこれでもかこれでもか連発で
車窓に現れるのを見て「ノ・ノザキってなんじゃあ〜?」と
ずいぶんと圧倒された思い出があります。
私は九州ですが、当時(たぶん今でも)当地ではノザキのコンビーフは
ほとんど売られておらず見たことも無いブランドでしたので。
(九州でコンビーフといえば雪印)



 
 
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