倶楽部メモ(436)
平成20年 7月 2日〜 7月 5日



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2008年 7月 2日(水)21時09分34秒
タイトル RE:車両配置の本の探し方
>キハウニ様
車両の配置については、交友社と鉄道図書刊行会から年鑑が出版されていました。
いつから存在するのか、はっきりとは知らないのですが、昭和40年頃からは揃うと思います。
文庫よりも小さい本で、私は普通の図書館や古書店で見たことはありません。
鉄道系の場所でないと置いてないでしょうね。
ちなみに秋葉原の「ポポンデッタ」では見たことがあります。

投稿者のホームページ



投稿者 EF6113
投稿日 2008年 7月 2日(水)22時48分37秒
タイトル オロ11の向き
みなさま、いろいろありがとうございます。皆様のご意見大変参考になりました。
インターネット上の桜島高千穂の写真をいろいろ見てみました。

ほとんどが1974、1975年の最晩年の写真ですが、はっきりいってバラバラでした。
向きが正規通りばかりだと早合点してしまい申し訳ありません。

74年、75年に撮られた鹿カコのオロ11で東海道線上において日時によって向きが違う個体の写真が見つかると
面白いですね。
下りの高千穂で使ったオロ11を鹿児島で向きの転換をせず上りの桜島で使った可能性を示唆してることになります。

ジャーナルの搭乗記にでてくるオロ1121と26は基準寄りに出入り口があります。
オロ1129は74年8月31日に撮られた写真では基準と反対です。

U-tubeに載ってる75年2月撮影のオロ11は番号は特定できませんが基準と反対です。
これはノーブルジョーカーさま撮影の20かもしれませんね。
75年2月には29を繁茂に使った記録あるようですので、29かもしれません。

いろいろ調べたいと思っております。



投稿者 「ED76109」
投稿日 2008年 7月 2日(水)23時04分0秒
タイトル 歓迎 HOKKAIDO!2
 雑魚様
 >さしもの札幌近郊も、寒冷地ゆえに都市圏の展開は後発気味で・・・
 小生の仕事の立場を勘案しますと、昭和50年代の後半に生徒の急増期を迎えるに当り、
道教委は札幌市内に高等学校を多数新設しました。
その際、当時の国鉄に生徒の通学のために駅の新設を要望したと聞いています。
(結果として、「森林公園」、「平和」、「星置」、「発寒」等の駅が開設されました。)
学校が開校し、駅が開設されて周辺に住宅地が発展していったケースが少なくないことも御理解いただければと思います。

 >「苫東道路」陸橋から俯瞰する沼ノ端付近の構図
 沼ノ端近辺は、苫小牧市内で最も発展著しい住宅街であり、雑魚様がこの辺りの風景をご覧になれば、
四半世紀前の姿からの変貌ぶりに驚かれることと思います。(「すずらん」が「沼ノ端」に全て停車しますので・・)
勇払原野が開発されて北海道特有の風景が消失するわけはありませんが、今回沼ノ端付近で撮影された風景が
数十年後にどのような変貌をとげているのかという部分で、個人的な興味がございます。
「戯言」ばかり述べましたが、雑魚様がご来道の際はぜひすばらしい自然をご堪能できますよう御祈念致します。

 また、投稿致します。以上、北海道の一公務員として、観光客誘致(!)に成功した「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 7月 2日(水)23時20分40秒
タイトル Re:桜島・高千穂に使われたスロ62
>らん丸様
 リンク先のサイト「70年代後半の客車編成」に、「桜島・高千穂」末期の記録がいくつか載っています。
グリーン車は所定のオロ11鹿カコ車以外に、北オクのスロフ62も使われており、また最後の方は欠車もありました。
 おそらく、50-3改正を待たずに検査切れのオロ11を運用から外し、他区の波動用車両を借り入れて使用、
それでも足りない分は開き直って欠車にした…というところではないでしょうか。

>EF6113様
 グリーン車もバラバラでしたか。やはりそこまで管理していなかったのですね。
 実は、「別冊歴史読本 国鉄懐かしの特急列車」(新人物往来社刊)に載っている、昭和35年6月の「霧島」
(ここで話題の「桜島」の前身)も、青大将特急の廃止で転用されそのままの塗色で組み込まれているナロ10が逆向きです。
その頃からずっとバラバラだったのでしょうかね…



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2008年 7月 2日(水)23時25分56秒
タイトル RE:桜島・高千穂に使われたスロ62
>らん丸様
記録を見ると、尾久のスロ62・スロフ62が「桜島」の運用に入っていました。
おそらく、全検の切れたオロ11の代わりに貸出されたのでしょう。
昭和50年1月7日の1101レにスロフ622004とスロ622096、3月6日の1101レにスロ622007が使われているのを見ています。

昭和50年1月7日 東京駅 1101レ スロ62 2096(増)
右隣は2号車のスロフ62 2004です

投稿者のホームページ



投稿者 らん丸
投稿日 2008年 7月 3日(木)00時57分53秒
タイトル 「桜島・高千穂」の最終日について
手元にある鉄道ファンの50年4月号の「50.3改正のドキュメント」の記事によると、
最終日の「高千穂」は西鹿児島行きではなく別府行きになっていました
(東京駅での写真も「別府行き」のサボが入っていた)。
うろ覚えで申し訳ございませんが、「桜島」も西鹿児島行きではなく鳥栖行きだったと思いますが・・・・
「桜島・高千穂」は鹿カコ所属の客車を使っていましたが、
最終日に何故、この様な中途半端な所で運転を打ち切ったのでしょうか?



マロネロ38さん
>オロ11は冷房装置の重量が祟って「窓が変形」したとかで早く廃車された
と思います

10系客車の冷房化工事の時、ロクにモノコックの強度計算(自動車のボディを改造する時は絶対に必要です)をせずに
「フレーム構造」のスロ54やオロ61と一緒にやったのが原因でしょう。



投稿者 ED76109
投稿日 2008年 7月 3日(木)10時35分25秒
タイトル 思い出が甦りました。
 竹中@ノーブルジョーカー様
「桜島・高千穂」を巡る論議中にちょっと失礼致します。「ED76109」であります。
実は、以前に書き込みました「桜島」を巡る「戯言」で記した、昭和50年に小生が浜松から品川まで乗車した列車が、
昭和50年1月7日の1101レの折り返しである昭和50年1月6日の「1102レ」なのです。
竹中@ノーブルジョーカー様が撮影されたとおり、浜松から乗り込んだ時、小生が乗車した1号車の前にG車が一両
増結されており、カレチさんが「運用の関係ですよ。」と話されていたことを記憶しています。
以前の書き込みには記さなかったのですが、当日は正月の帰省の真っ最中であったにも関わらず、
「1102レ」はガラガラ。
品川までボックスを一人で占領していました。
懐かしい大切な人に出会った思いで投稿致します。

 雑魚様
 >全て小樽で一々機関車を交換していたのでしょうか。
  小生の記憶では、「122レ」はED76→DD51へ機関車交換が行われていたと記憶しております。
札幌を午後に発車した「42レ(44レ?)」は、ED76→DD51であったケースや
DD51がスルーで牽引したケースもあったように記憶しております。



投稿者 EF6113
投稿日 2008年 7月 3日(木)13時52分22秒
タイトル 「50.3改正のドキュメント」
小生も最近取り出して読んでおります。
ちょうどSLブームが終焉し、SL以外の車輌が注目されつつあるころですね。
桜島高千穂に関しては、最後の定期東京九州間急行ということもあり、74年75年頃に関してはかなり記録がありますね。
回送のカニ21が桜島高千穂に連結されている写真は思わずニヤッとします。

その頃全盛だった東京九州ブルトレも来年は全廃かと噂されております。統廃合の過程が急行と似ていますね。
今のはやぶさ富士が当時の桜島高千穂にオーバーラップします。

桜島高千穂は、新幹線岡山開業前はオシ17を従え荷物車を除けばオール10系で構成されてたようです。
ファンの77年6月に編成記録があります。オユ113が連結されてた記録ですが当時は青だったのか茶色だったのか?

ただ残念ながら当時の写真は一度も見たことがありません。
SLブームが一番熱かったころで、全く注目されていなっかったからでしょうか?



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月 3日(木)18時00分46秒
タイトル 札幌近郊考
▼ED76-109様:
> 昭和50年代の後半に生徒の急増期を迎えるに当り、

道内公立高校の学区が、概ね現在の陣容に落ち着いた1981年より以前は、小都市でも
地区単位で、受験可能な高校が厳しく制限されたそうですね。御教示の新設校対策は、
制限緩和に伴い、通学手段としての鉄道の需要が高まった側面もあるかと想像します。

> 駅が開設されて周辺に住宅地が発展していったケース

1989年に、西区から手稲区が、白石区から厚別区が分離独立したのは、正にそうした
傾向の産物ですね。かかる主要都市外縁部の宅地展開と、普通列車における客車便の
電車置換率は、相関関係にあったと思われます。

これは、80年代半ばに客車の電車化が一気に進んだ、仙台圏に通じるものを感じます。
本来は、70年代後半に登場した 417系が増備されるべきところ、旧国鉄の財政問題で
それが覚束ず、仙台圏で旧客便を永らしめる要因になったと想像しますが、近郊型の
電車をひとまず間に合わせる目的で投入された 583系あらため 715系は、あまりにも
長距離便仕様特有の「圧迫感」を覚え、個人的には好きになれませんでした(^^)

> 沼ノ端近辺は、苫小牧市内で最も発展著しい住宅街であり、

地図を見た印象では、青葉・糸井・錦岡の各駅周辺も市街化が進捗している様ですが、
ラムサール条約に登録されたウトナイ湖を控えた「沼」の端における市街化の進捗は、
高速道I.C.や港湾、そして空港への近接性の所産でしょうか。

>「すずらん」が「沼ノ端」に全て停車しますので

地勢柄、普通列車の運転頻度が小さい事への救済策かと思えば、今や鷲別にも停車し、
兄貴分である「北斗」も新札幌に停車するなど、従来「都市間連絡」を第一義とした
在来線特急のあり方が、変化しつつある印象です。前身の「ライラック」は、道央〜
胆振と空港〜空知・上川の旅客需要が、札幌〜千歳空港で輻輳する為、室蘭〜旭川を、
直通しましたね。指定席乗り放題の企画切符で道内を特急旅行した際、実際は旭川→
千歳空港の利用なるも、券面記載事項がレア化すると踏み購入した「旭川→室蘭」の
指定券が、自宅引出しの奥に眠っています。

> ED76→DD51であったケースやDD51がスルーで牽引したケース

札幌〜小樽の30q余は、機関車交換の手間との関係上、微妙な距離ですね。ED76の
導入総数「22両」もまた然りですが、そもそも後発的に電化された千歳・室蘭線では、
活躍する余地があったのやら?

十数年前、会津若松〜新潟で運転された、臨時快速「シルフィード・会津冬紀行」を
利用した際、DL牽引が行われたのは喜多方〜新津のみでした。前後の電化区間では、
近距離ながら、タネ車である 485系ならではの軽快な走りを見せた事を思い出します。



投稿者 キハウニ
投稿日 2008年 7月 4日(金)00時59分47秒
タイトル RE:車両配置の本の探し方
>竹中@ノーブルジョーカー 様
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。
昭和40年ごろからですね。ありがとうございます。

もっと遡ろうとすると、配置表から探すことは難しそうですね。
かといって、客車の配置履歴から探ろうにも、鉄ピクなんかでは
新製と廃止時しかのっていなかったりとなかなかうまく探せないかも。
いろいろ鉄道系の図書館などで探っていきたいとおもいます。ありがとうございました



投稿者 ED76109
投稿日 2008年 7月 4日(金)19時07分15秒
タイトル 推理小説における鉄道風景
 また、御邪魔いたします。「ED75109」です。
先達の皆様方から様々な話題で楽しませていただくとともに勉強になっております。
今回は、推理小説での鉄道風景について、また「戯言」を述べさせていたただきます。
先達の皆様方の話題に取り上げていただければ、眼福の極みです。

1 「急行さんべ」(天城 一作)
  これは、昭和37年の実際の列車ダイヤをもとにした「アリバイ」崩しの短編推理小説です。
 東京で女性銀行員の死体が発見されるのですが、最有力の容疑者は事件発生時に東京にいては乗車することのできない
「急行さんべ」で鳥取に向かっていたというアリバイを主張するというものです。
作中では、「さんべ」に接続する「銀河」、「大和」、「出雲」、「月光」等の夜行寝台急行の時刻が、
容疑者のアリバイの成立に微妙に関わっており、わずか数分の壁が最後まで解明できず警察側が敗北してしまう。
という内容です。
真実は、容疑者の遺書で明かされ、「米原での2分間」がアリバイの砦だったという結果が示されます。
まさしく、「トカホセ」の夜行列車黄金時代の時刻表に心躍らせる秀逸の一品です。

2 省線電車の射撃手(海野 十三作)
 これは、昭和初期の山手線を舞台とした女性連続射殺犯を巡る短編推理小説です。
 恵比寿・目黒間を走行する山手線の車中で、「髑髏のマーク」を縫いつけた謎の布を持った妙齢の女性が射殺される事件
から始まるこの小説では、展開のスピーディーさもさることながら、昭和初期の山手線の車内や沿線風景も描かれています。
特に恵比寿を出で目黒に至る部分では、「エビスビール」の工場を出ると赤土の丘が漆黒の闇に広がるという、
現在では予想もつかない当時の沿線の様子が描かれており、興味深い一品です。

3 電気機関車殺人事件(芝山倉平 作)
  これは、終戦直後の上越線がモデルである架空の路線を舞台に、EF16(EF15?)の機関士と機関助手の心中事件が、
実は機関車内の密室殺人事件であったという短編推理小説です。
小説内では、「清水トンネル内の茂倉信号所」をモデルとした信号所での脱線事故を容疑者がアリバイに使うという展開や、
心中に見せかけるために機関助手を感電死させるトリックなど、推理小説としての内容も濃い名品です。
また、この作品は当時の国鉄の主要幹線の電化を推進するPRが目的で執筆されたという興味深い作品でもあります。

 また、投稿致します。
以上、「宝塚記念」のショックから立ち直り、「はやぶさ」のお別れ乗車のために
「秋」に勝負を賭ける「中年客車鉄ちゃん」でした。



投稿者 急行出雲
投稿日 2008年 7月 4日(金)21時13分26秒
タイトル 配置表について
ご無沙汰しております、急行出雲と申します。

客車のみの配置表であれば、ホビーショップモアより昭和33年版・39年版・43年版が発売されております。
いずれも価格は\2,000で区別配置表、形式別番号順配置表の構成となっております。
こちらの客車書籍資料館にも掲載されていますね。

横レス失礼致しました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 7月 5日(土)09時29分40秒
タイトル 軽量客車
らん丸様
オロ11の窓変形は高砂、鷹取工場OBの方から聞きましたが、軽量客車は問題
が多かったらしいです。
高砂でナハネ10を検査でクレーンで吊り上げたら、真中から折れたそうで
その方は危うく命拾いしたと言って居られました。モノコックは重量のある
鉄道車両には余り向いていないみたいですね。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 7月 5日(土)11時58分8秒
タイトル 貨物列車の トリック
▼ED76 109様:

活字を見ただけで知恵熱が出てしまう私は鉄道モノと言えども推理小説を殆ど読まず、
辛うじて覚えているのが、東海道線新垂井における「ミステリー列車」や「はまかぜ」
姫路以東の新幹線代替を介したトリック程度ですね。

こうした一連の小説に比べると考証は曖昧かも知れませんが、児童向け「明智小五郎」
シリーズで、走行中の貨物列車が目的地に到着すると、金品を積んだ中間車のみ消失、
すわ「魔物の仕業か」と大騒ぎになる話がありました。明智探偵の謎解きでは、予め
目的部位の前後車両を鋼線で直接繋げた上で連結器を外して置き、勾配で速度が鈍る
事業所専用線の分岐点付近で、神業的に転轍機を操作し、目的の車両のみを本線から
外すという、素晴らしい(^^)内容でした。

原作者の存命期間から、かかる大雑把な荒技が罷り通った時代背景を感じる様ですが、
当時ですら「チ○チ○マシン」じゃあるまいし 本当かなぁ、という印象でした(^^)
しかし後年、所帯を持ち子供と「機関車トーマス」を観る様になると、相次ぐ大技に、
件の転轍機トリックも、意外と現実味があるのか、などと感じたものでした(^^)

>「宝塚記念」のショックから立ち直り(中略)「秋」に勝負を賭ける

それはそれは御愁傷様でした。呉々も、結果的に「損益分岐点」を大きく下回る事の
無き様に御留意下さいませ。私自身は、金も暇も無いので、上京の度に撮るのみです。
来週も出張があります。夕刻の下り便が撮れる最後の機会かと思われ、さて、どこで
撮ったものやら………この夏休みは惜別目的の記念乗車組で、盛況かも知れませんね。



 
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