倶楽部メモ(423)
平成20年 5月14日〜 5月18日



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2008年 5月14日(水)23時03分30秒
タイトル 英連邦軍専用車両
マロネロ38様ご指摘の標記の件につきまして、
何かの手がかりになればと思い、先日投稿しました英臨1の編成表を転記してみます。
運用番号 英臨1 所属 広島 オロ2スシ1スハニ1 組数 1
運用列車 1011,1012レ(除回送)
オロ2532
オロ2559
スシ2004
スハニ3032
またしてもカナ+軍番号のようです。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 5月16日(金)10時43分30秒
タイトル BCOF
英国軍のは車両表記で無く、展望車のテールサインみたいな丸い板に書いてあった
(最後部車両)
記憶があります。(三ノ宮駅で見た)―――間違いだったらご免なさい。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2008年 5月16日(金)20時35分27秒
タイトル Re:BCOF・英連邦軍専用車両
マロネロ38様

車両標記ではなくテールサインだったのですね。それであれば納得です。
見たことがある(もちろん写真で)のは「オクタゴニアン」と「ディキシー・リミテッド」くらいですが、
米国人はテールサインが好きだったらしく、主だった連合軍専用列車にはテールサインが掲げられていた
可能性が高いと考えられます。

ヒゲ無し雷鳥様

英臨1(BCOFトレインですよね)の編成表ありがとうございます。
ところが、ここで新たな疑問が…
お書きいただいた車両番号がほとんど軍番号と一致しないんですよ?
手持ちの資料によると
軍番号2532 → スロニ31 18
軍番号2559 → 該当車なし
軍番号2004 → スシ31 5
軍番号3032 → スニ30 41
となっており、車種が一致するのがスシだけですので、この車番はなに??といった感じです。
どなたか、解決の糸口はお持ちでないでしょうか?
投稿者のホームページ



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2008年 5月16日(金)22時57分44秒
タイトル 転記間違い?
>クモイ103様
終戦直後の混乱期の優等列車運転状況に関心を持ち、公報をはじめ鉄道雑誌・書籍、新聞等を漁った中から転記したメモを
元にしております。
おかしな記述があれば写し間違いの可能性もありますのでその際はご容赦願います。
>仙コリ(管理人)様
この記述は公報からのものですが、同ページ記載の運用例のうち車番が記されているものを抜粋します。
米臨6(宮原)大阪門司間1005・1006レ組込 スシ1 3組使用
    スシ381、スシ3769、スシ3772
米臨9(宮原)大阪博多間1001・1002レ組込 マイロネ1・マロネ2 2組使用
    マイロネフ371、マイロネ385、マロネ3771、マロネ37109、マロネ37115、マロネ37120
米臨11(京都)1007・1008レ東京京都間に運用 スイロフ2・オロ2・スロ2・スロフ1 1組使用
     スイロフ301、スイロフ302、オロ352、オロ3569、スロ3410、スロ3421、スロフ303
米増1(広島)東京広島(糸崎)間5・8レに運用 スヘ1 1組使用 スヘ28418
米増2(東京)東京姫路間1・4レに運用 スロ3 ?組使用
    スロ345、スロ3418、スロ333
軍番号表記らしきものは英臨1のみでした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 5月17日(土)16時35分51秒
タイトル チェックアウト・サービス
▼廣瀬正幸様:
> 以前の『さくら・はやぶさ』のスジが列車遅延用ために設定されている

東海道線の様に、相応の波動運用を伴う一大幹線ともなれば、かかる緩衝域の設定は、
充分考えられる事と存じます。かかるダイヤの機動的なアドリブ運用も、複線区間が
整備されていればこその事ですね。

以前、上野→青森で利用した「あけぼの」が、上越線内の異変で大幅に遅延した事が
あります。一部複線区間が交じるも、大半は単線仕様という、新津以北の事情により、
回復運転どころか、遅延の幅が少しずつ拡大。大館に到着した頃には、東北新幹線の
始発から花輪線に繋いでも大して変わらない様な時間帯で、思わず嘆息したのでした。

20系登場以降の「ブルー・トレイン」で、運転区間が完全に複線化されていた事例を
思いつく侭に挙げると、現行「北陸」の他、東京〜下関・博多の「あさかぜ」東京〜
大阪の「銀河」上野〜青森の「はくつる」上野〜盛岡の「北星」上野〜仙台の「新星」
………そんな処でしょうか。

それ以外は、遅延が発生した場合のダイヤ処理において、相応の御苦労があったかと
拝察しますが「新星」の場合は、運転区間が区間ですから、遅延等が発生して初めて、
寝台利用に足る「所要時間」を確保できたのか と、意地悪く考えてしまいます(^^)
幼少時に読した「ケイ○ンシャ」百科事典の記述でしたか、仙台駅にて長時間「開放
停車」を設定する事で「寝不足対策」の一助としていたとか。

1989〜91年、下り「北陸」が金沢到着後に東金沢駅で行っていた「チェック・アウト
サービス」も同様の趣旨と言えそうですが、サービス終了時刻である 9時は、現行の
航空ダイヤを見ると、羽田から富山・小松に、一便ずつ飛び終えた後の時間帯となり、
そう考えると、サービス終了は当然か、とも感じます。

こうした事例とは次元が異なりますが、平成改元頃までは、昼行普通列車が拠点駅で
折返す際、旅客開放扱いで長時間停車している事を見越し、たっぷり昼寝するという
御仁を間々見掛けましたっけ(^^)



投稿者 bell
投稿日 2008年 5月17日(土)21時48分15秒
タイトル 急行『新星』
雑魚様 こんばんは。
本日コメントされてました急行『新星』は昭和52年に初めて寝台車に乗車したこともあり、
自分自身にとって思い入れのある列車です。
本の中でしか見たことのなかった20系寝台車、嬉しくてよく眠れなかったことを覚えています。
(当時は編成記録をメモする習慣がなく、今となっては惜しいことをしたと思います)

さて、昭和53年9月の時刻表を見ますと、
1102レの運転時刻は仙台23:20−上野5:36と寝台列車ながら寝台利用時間が極端に短いため、
22時前に入線し21時55分から寝台利用ができるようになっておりました。
昭和57年に廃止されるまで運転時刻・入線時刻ともにほぼ同じだったと思います。



投稿者 らん丸
投稿日 2008年 5月18日(日)10時52分3秒
タイトル EF58牽引の20系「銀河」
今年の春に廃止された「銀河」ですが、今を去る30年前に家族旅行で乗りました。
東京駅の13番線にEF58に牽引されて颯爽と現れる20系客車に感動し、
あまり眠れぬまま大阪に着いたという記憶があります。
当時、季節運転の14系座席車の「銀河51号」が先発(12番線発)で、
定期の「銀河」との並びを見ることが出来ました。

話は変わりますが、あまりにも多種多様になりすぎた「ロネ」のうち、
スイート・ロイヤルに関しては」「イネ」表示にして分離した方がいいと思います。
JRグループは「イネ」表示に躊躇する理由でもあるのでしょうか?
「イネ」表示と敗戦と供に無くなった白帯(戦後、進駐軍車両に白帯が使われたので一等車は黄色っぽい白になった)を
復活させるべきです
(戦前、主流だった欧州式のコンパートメント型個室寝台が最近また主流となり、
戦後、主流だったアメリカ式のプルマン型開放寝台が実質上絶滅したので)。
投稿者のホームページ



投稿者 マロネロ38
投稿日 2008年 5月18日(日)11時33分49秒
タイトル BCOF Train
既出の故浦原氏のリストですが、仙コリさんほど詳細が無いですが下記です;-
2532=2501-2545 スハニ32、オロニ、スロニ31
2559=該当無し(2501-2545まで)
2004=2001-2012 オシ30、スシ31、スシ29他
3032=3001-3042 ワキ、オニ、スニ、マニ
以上です。



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 5月18日(日)13時42分10秒
タイトル 「北斗星」最近変ヨ...?
皆様こんにちは。
3月の改正で「北斗星」が減便され、北海道車、東日本車半々で編成を組むようになりましたが、
改正を機にわりと頻繁に北海道B個室の点検を行うようになり、開放B寝台が代わりを務めることが多くなってきています。
以前は81、82号のほか「はまなす」運用にほぼ限定されていたオハネ24 500、オハネフ24 500がよく使われます。
が、ここにきてついに、5月14日上野発編成は2号車だけでなく3号車も開放B寝台という編成になりました。
私が知る限り98年以降、B個室が2両抜かれる姿は初めてで、(B個室、簡易個室各1両抜かれ開放B寝台代替、はあり)
これには驚かされました。
開放B寝台と同額で利用でき、手ごろで人気であろうB個室を一気に2両も抜いて、
当日の乗客はそこまで少なかったのかと、「北斗星」も心配になります。
16日に見たところ、B個室1両復帰していて、もう1両は2年に1回の全検のようです。
昨日は用事があり大阪入りしたのですが、年に数回あるかどうかの「日本海」フル編成運転日にあたっていて、
かなりラッキーでした。
大阪発で今月27と来月3、14にも増車が計画されているようで、
2往復の需要はないまでも、1往復ならばまだそこそこの需要があるのでしょう。
いまや白帯のみの編成美は不可能なですが、プルマン式A寝台を組み込み、ローズピンクのEF81に引かれて、
夕日を浴びて旅立つ堂々の13両は、見ごたえ充分でした。
ただし、改良工事でホームの減った大阪駅のキャパ不足は深刻で、
なんと入線は本来の発時刻の17:47、慌しく17:50に出て行きました。
上り列車に団体が入っていたのか、途中新大阪、京都あたりで団体を拾うのか定かではありませんが、
大阪発時点では1割乗ったかどうか、でした。
ともあれ貴重な編成記録を押さえることができました。



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 5月18日(日)18時07分45秒
タイトル 青森24系に新バリエーション
重箱の隅をつつくような小さな変化を発見しました。
すでに昨年末に友人から聞かされていたのですが、実際に見るのは初めてでした。
昨年10月の全検時にオハネ25 220の表記が変則バージョンになりました。
基本的に国鉄書体を踏襲している感じですが、数字表記がカタカナと同じサイズで小さめ、
さらにその数字も間隔が離れ気味に貼られており、一見するとなにやら違和感があります。
青森の24系は1993年から一部カニの機関更新と貫通扉埋め込み、1994年からカニ、オハネフの雨どいを前面に露出、
1996年から開放B寝台の洗面台更新と窓埋め込み、オハネフの乗務員室窓小型化、開き窓化、
1997年から銀帯車の白帯化と一部車両の切り抜きステンレス文字の白ペンキ表記化、
1999年のカニ24 25前面帯処理変更、2000年から一部車両の切り抜きステンレス表記の銀文字シール化、
2006年末からオハネフに防護無線アンテナ取り付けと、独自の変化が数多く存在します。
今回のオハネ25 220は外観に一見変化はありませんが、よく見ると表記が変、
というマニアックなバリエーションを持つ車両になりました。
プルマンA寝台を組み込み、国鉄時代の面影を色濃く残す貴重な「日本海」ですが、
細かいところを見ると、脱国鉄変化があちこちに見受けられます。
そこまで細かく見なくとも、すでに帯色が入り混じる編成自体、脱国鉄とも言えますが、
私はこの帯混色、結構好きなのです...。



投稿者 クモイ103
投稿日 2008年 5月18日(日)21時56分5秒
タイトル Re:転記間違い?
>ヒゲ無し雷鳥様
 私は昭和30年代を中心に優等列車の運転状況を調べていますが、
 終戦直後となると、それとは比べものにならないほど調査には困難を極めると拝察します。
 情報源として新聞まで動員されるとは思いつきませんでした。

 さて、記号と軍番号が対応しない件について、ちょっと思いついたことを書かせて頂きます。
 ヒゲ無し雷鳥様が転記ミスをなさったとは考えたくありませんし、この様な話をするのはいささか心苦しいですが、
 一応あらゆる可能性を検証する意味で、何らかの原因(元情報の誤植も含めて)によって「間違えそうな近い番号」
 になってしまったのではないか?という可能性を考えてみます。
 なお、私の情報源は「鉄道史料」(1990.2)所載、「資料のページ 連合軍指定専用客車番号表」です。

・オロ2532、オロ2559
 軍番号2500番台は“Combination Coach and Baggage(or Continued)(座席荷物合造車)”です。
 ここにはマロネロ38様がお書きの通り「スロニ」「オロニ」「スハニ」の各形式がありますが、「オロ」はありません。
 記号「オロ」は、軍番号2300番台“Second Class Coach(二等座席車)”に多数含まれており、
 この中で「近い」番号を探すと…
 →軍番号2332“BUFFARO” 国鉄番号オロ40 3
 →軍番号2352“CHRISTPHER” 国鉄番号オロ40 55
 →軍番号2359“TALLAHASSEE”国鉄番号オロ36 10
 というのがあります。

・スハニ3032
  軍番号3000番台は“Baggage Car”(荷物車)で、
 そのうち軍番号3032は、仙コリ(管理人)様がお書きになった通りスニ30 41“VERMONT”です。
 ここに含まれる車両は、大部分が「オニ」「スニ」「マニ」ですが、
 ただ1両「スハニ」がいました(他に「ホミ」2両と「スミ」1両あり)。
 →軍番号3022“UTAH” 国鉄番号スハニ32 33

 私の勝手な憶測であり、ヒゲ無し雷鳥様のデータがこのような間違いではないことを祈ります。



投稿者 bell
投稿日 2008年 5月18日(日)21時58分53秒
タイトル 大阪駅にて
赤まんと様 こんばんは。
昨日の夕方、大阪駅10番線にいらっしゃったのですね。
私も『日本海』を見送りましたので、ホーム上ですれ違っていたかも…。
思えば、『あかつき』・『なは』のお別れ乗車も1月中旬の同じ日だったと思います。何かご縁がありますね。

さて、3月改正以降、『日本海』はローズピンクのEF81が牽引している機会が多いように思います。
また昨日は電源車含め13両編成でしたので、山崎などで撮影された勇姿がブログで紹介されてました。
また、昨日の編成に見慣れない車番表記があったなと思いましたが、謎が解けました。
24系寝台車は国鉄時代の二段寝台化以降も様々な改造を受けているのですね。車齢35年ですから当然でしょうか。




投稿者 還暦をすぎたる男
投稿日 2008年 5月18日(日)22時35分29秒
タイトル 梅小路のオハフ33とオハ46
「蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について」のHPさんと同じ書込みさせて
いただきます。
先日、梅小路でオハフ33 48とオハ46 13を見ていました。
やはりSLには旧型客車が似合うと喜んでいたが、くたびれてきている為、
聞いてみたところ、近いうちに解体するとのショックな話を聞きました。
この2台は、C622牽引で映画「三丁目の夕陽」にも使用した物でもあり、
SLには旧型客車でないと釣り合いがとれません。
JR西日本には、宮原機関区にも映画「銀河鉄道の夜」の撮影に使用した
車内木製ニス塗のオハフ33 33の他、オハフ33 289や貴重な
ダブルルーフのスエ302があると聞きます。これらをあわせれば編成単位
での保存も奇跡的に可能な状況です。「梅小路の蒸気機関車群と
関連施設」が準鉄道記念物されたにもかかわらず。まったく鉄道文化財
に理解の無い話で非常に残念としか言いようがありません。
これだけ古い車両をいままで保管してきて、奇跡的に現存しているにも
かかわらず、JR東日本やJR東海の鉄道博物館の動きと正反対の動きだと
思います。もしJR西日本での保存が不可能であれば、日本鉄道保存協会
を通じての58654復元中のJR九州や大井川鉄道への譲渡検討など、解体の
前にする事がまだまだあると存じます。
なんとか解体だけは避けたいのですが、こちらをご覧の皆様のお知恵を
拝借できないでしょうか?



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2008年 5月18日(日)23時41分31秒
タイトル 長々と申し訳ありません
>クモイ103様
お気づかい頂きつつのお返事をありがとうございます。
他にもカナ+軍番号の編成や運用メモもありますが、
皆様の書き込みの妨げとなりますので、自分自身で
もう一度調べ直してみます。
情報をお寄せいただいた皆様にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。



 
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