倶楽部メモ(409)
平成20年 3月10日〜 3月17日



投稿者 久米仙
投稿日 2008年 3月10日(月)01時55分56秒
タイトル なは
はじめまして。いつも拝見させていただいております。
「なは」の写真がありましたので、投稿に参加させていただきます。
2003年5月西鹿児島駅での「つばめ」との2ショットです。




投稿者 雑魚
投稿日 2008年 3月12日(水)14時06分1秒
タイトル 早岐駅の謎
▼クモイ103様
> …方向転換って早岐では…?

DL牽引時代の上り「あかつき」では、早岐の機関車交換の手間を省く為、本務機の
DD51を最後尾に連結した状態で、早岐〜佐世保では、DE10が牽引したそうですね。
当時の記録を改めると、架線下を行くDL牽引編成の画像も見られますが、これらは、
1985年まで筑豊線を経由した2・3号に限った現象でしょうか?

長崎線と共に佐世保線が電化された 1976年当時(421系の佐賀直通があった様な気も
しますが)電車に置換されたのは特急くらいのもので、急行「出島」は、相変わらず
DCの侭と(1982年、特急に発展解消)子供心にも何の為の電化かと感じたものです。

一方、1980年まで、下り「出島」先頭で「赤ヒゲ」を誇示していた島原鉄道直通便は
何とも好きな存在でした。その「赤ヒゲ」を継承する島原鉄道のキハ20形は、今月末
限りの島原外港以遠の廃止で、残念ながら形式消滅するとの事です。折しも、地元の
茨城交通湊線が時を同じくして第三セクター化されますが、経営合理化の一環として、
波動性の強い国鉄型キハも、一部が淘汰されるのでは、などと案じています。

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今更ですが、先週末の「さよなら ゆとり 踊り子」は、貨物線経由だったそうですね。
………という事は、前後に隧道が連続する横浜羽沢を通ったみまと思われ、唯でさえ
足場が制約される首都圏の人口稠密地帯にあって、構図確保はかなり限られたものと
拝察します。今頃、どこでどの様な仕打ちを受けているのでしょうかねぇ………

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地元・常磐線では客レが撮れないので、せめてカマを………昨日の撮影ですが、もう
陽気はすっかり春ですね。




投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2008年 3月13日(木)01時24分57秒
タイトル なは
気動車時代の画像がありました。
この時は「日向」との併結でした。

昭和48年8月5日 岡山駅

投稿者のホームページ



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 3月13日(木)13時10分47秒
タイトル 「かいもん」 「日南」
早岐駅の謎に関して 1983年発行の保育社「国鉄の車両 14/山陽線 1」巻末編成表を
改めると、共に「門ハイ」管轄の「あかつき」二往復とも、電機牽引の表記しかなく、
一方、翌84年に発行された同シリーズ「九州各線」における筑豊線の頁では、同線の
冷水峠付近を通過する、DD51牽引「あかつき」の写真が紹介されており、かえって、
謎が深まってしまいました(^^)

同誌掲載の編成表で、やはり懐かしさを覚えるのが、ワイド周遊券による貧乏旅行に
欠かせなかった夜行急行「かいもん」「日南」ですね。下り便における牽引機関車の
次位が「マニ」「スユニ」の違いはありますが「鹿」ED76牽引、スハフ12・オハ12・
オハフ13・スハフ12・ナハネ20・ナハネフ22、という「鹿カコ」編成は共通で、共に
門司港始発という点も、旅情満点の演出であると同時に、自由席が確保し易い点では、
有り難い存在でした。

その当時、座席指定料金が通年 300円で統一されていた四国・九州の気動車急行には、
グリーン車の格下げ、またはグリーン車用腰掛の転用車が充てられるという、破格の
サービスがあり、周遊券利用ながら、指定急行料金(最大 1,500円)を負担してでも、
何度か利用したものです。急行間合の高松〜中村の夜行快速も、度々重宝しましたが、
こちらは後年、50系に置換。空いていれば横掛部分は「簡易寝台」になりますけどね。

その後、かかる腰掛転用は「かいもん」「日南」にも及び、当時からあのアコモなら、
夜行明けの行動で寝不足に苛まれる度合も、多少は軽減されただろうか、と感じます。
一方、十日以上の夜行連泊も吝かではない(^^)旅慣れた友人によると、割と広目の
12系ボックス席の方が、14系の簡易リクライニング・シートより、よほど快適との事。
確かに14系は(後年、ストッパー装備仕様が増えましたが)夜中、上体を起こす度に、
あちこちで「バタン、バタン」と、煩い印象でしたからね(^^)



投稿者 bell
投稿日 2008年 3月13日(木)21時52分40秒
タイトル 『銀河』の牽引機について
ダイヤ改正まもなくですね。
ここ10日ほど、山崎−高槻間で下り『銀河』の定点撮影を行なっていますが、
EF65の貫通扉にヘッドマーク取付器具のようなものが装備されています。
今のところ、1100号機と1118号機で確認していますが、最終日にヘッドマークでもつくのでしょうか?
楽しみにしたいと思います。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 3月14日(金)13時48分9秒
タイトル 「最後の夜」 を控えて
▼bell様
> 最終日にヘッドマークでもつくのでしょうか?

最後尾には、20系時代に掲出された「ホームベース型」が登場すれば落涙モノですが、
さすがに無理ですかね(^^)

そちらが「定点観測」を行われている山崎−高槻は、時節柄、撮影可能な時間帯をも
考慮すると、東海道線沿線では畿内随一の撮影名所ですが、明日は明け方より天候が
回復するらしいので、滋賀県域に賭ける方も少なくないでしょうね。

一方、新大阪〜大阪の淀川橋梁も、複々線のうち下り二線分は上部トラスが無いので、
北区本庄西三丁目界隈の河川敷からですと、明朝の「銀河」は、文字通りの「ラスト・
ラン」を、クリアーに撮れるか、とも感じます。

同列車の大阪到着とほぼ同時に、京都行「なはつき」が大阪を発つので、この辺りを、
大阪駅周辺の高層ホテルの上階から狙う、という「セレブな鉄」がいらっしゃるかも
知れませんね(^^)所詮、遠隔地に馳せる、よそ者の勝手な妄想に過ぎませんが。

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最後の夜を控えて、感傷的な中、久々に「シンフォレスト」シリーズ「日本鉄道紀行・
ブルー・トレイン」を、久々に引っ張り出しますか。スライド・ショーを基本とする
Win 98対応 CD-ROM は、今となっては懐かしい仕様(絶版)ですが、喜多俊雅さんの
哀しくも美しい音楽に乗せ、暁の大地を行くブルトレの雄姿が次々に紹介される様は、
現在見ても、なかなか感動的です。

画像は、栃木県さくら市で撮影した「北斗星 1号」です。日が伸びる六月ならではの
光景ですが、今後は、こうした下り便の光景も拝めなくなるのですね。




投稿者 bell
投稿日 2008年 3月14日(金)23時55分20秒
タイトル ラストラン
雑魚様 情報ありがとうございます。
先ほど、山崎駅で上り『銀河』を見送りましたが、1112号機は普段の姿で疾走して
行きました。銀河らしくよかったと思いました。
明日は島本−山崎間で定点撮影を行なう予定です。



投稿者 きむたお
投稿日 2008年 3月15日(土)22時26分27秒
タイトル 撮影データ訂正・追記
▼ クモイ103様

すみません、ご指摘の通り、先の投稿は早岐が正当ですm(__)m
自分の中で、鳥栖→佐世保で重要な駅は肥前山口と早岐の2つが頭にあって勝手に肥前山口と書いてしまったみたいです(^^;)


▼ 管理人様

カニ24 11最後尾の4001レの写真、早速の採用まことにありがとうございます。
なお、件の写真は翌日'07/5/4の秋田にて撮影したものです。
どうやらカニ24 11は「銀河」の最後を飾ったようですが、このまま運用は終了なのでしょうか・・・。


↓の写真は同じく宮原車使用の日本海4号、4004レ、'07/2/13。
オハネフ25 42(SUS帯がテープに貼り変わっていますが、下の帯が原型に忠実に短くなっております)ほか、京都にて。




投稿者 ED12
投稿日 2008年 3月16日(日)20時35分31秒
タイトル JRが考え直した「夢」
昨夜見た「夢」です。
(JR各社は夜行寝台を白紙で見直し2年後に“復活”することにしました。
「銀河」の“廃止祭り”を分析の結果、
@PR強化で各世代の夜行寝台への需要を掘り起こせる
A夜行バス等に対抗できる料金設定の車を編成半分に入れる
B団塊世代利用を加味し行き先に柔軟性を持たせた不定期観光列車にも対応する
C列車サービスを第三社にリースする
 などのようです。
当面「銀河」等で終了した車体は東南アジアなどに譲渡せず新車並みに改造する予定です・・・)



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 3月16日(日)21時19分41秒
タイトル 最終日をおさえてきました。
ご無沙汰しております。尾久配置のファン暦28年の客車編成記録者、赤まんとです。
シフト制で動く会社のメリットを活かし、14〜15日は希望休を申請しアッサリ受理され、
往復新幹線で最終日の大阪駅へ出かけてきました。
実際に乗るのもテではあったのですが、1分で売り切れだろうと思い、
1月にお名残乗車は済ませておきましたから、今回は車番おさえを目的で。
「日本海」にかんしては削減であり、列車そのものは残ります。
しかしながら、宮原持ちの編成はラストになるわけで、もう少し注目が集まるのかと思いきや...。
カメラ構える姿は案外少なめ。1号だけでなく翌日4号も同じ印象を受けました。
たしかに、スジは1、4号のものが残ります。
が、私のように客車そのものにアツイ視線を送る者の捉えかたはあくまで2、3号廃止ではなく、
スジは1、4号を使うけれど、1、4号の客車がなくなる、という感じでいます。
したがって、編成記録の優先順位を敢えてつけるなら、宮原もちの編成のが上だった、といえます。
きむたお様の投稿で指摘のあった宮原車の銀テープ帯は1997年全検から見られたもので、
写真のオハネフ25 42は正規の帯処理ですが、
オハネフ25 43は1997年9月全検時に2本とも貫通扉まで帯を回す処理が施され、
以降2001年5月、2006年4月全検でもそのままでした。
ほか下関から「瀬戸」のお下がりで移ってきたオハネフ25 132は逆にオハネフ25 42に似た帯処理となりました。
気にする方もあまりいないのかもわかりませんが、
下関から移ってきたオハネフはジャンパ栓受がそのまま残っており、一発でわかります。
残念ながらカニ24 11ふくめ宮原の「日本海」「銀河」用24系は全てが廃車前提でしょう。
「トワイライト」電源故障に備えカニ1両くらい暫定的に残すかもわかりませんが、
タイへ譲渡されるか、解体かとおもわれます。
事実、15日大阪着後、宮原に取り込まれた「銀河」編成は本来予備車を留置していた線に入れられ、
テールサインは白になっていましたし、
近年予備に回り、増結用だったオハネ25 42、74といった車両の幕板が早くも外されているのを確認しました。
ギリギリまで「銀河」に運用され、数日まえにオハネ25 196と交代したオハネ25 252の幕板は残っていましたが...。
「銀河」「なは/あかつき」も入線、客扱い、安全確認に手間取り、やや遅れていました。
ホームの柱に登って、また友達に肩車してもらって黄色い線を越えての撮影などまさに論外で、苦々しい思い。
我々ファンが安全に気分よく記録できるように、また何より乗客が安心して過ごせるよう、
現場サイドがどれだけのエネルギーを割いて、決意を持って臨んでいるか...。
目立たない、地味な縁の下の力持ちの方々のことも考えたファンの行動が望まれると思いました。



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 3月16日(日)22時14分1秒
タイトル 私もやや落胆したクチですが
連続の投稿失礼します。
最終日の「銀河」は結局ヘッドマークもなく、プレーンな姿で、たしかに「銀河」らしく良かったかなと安心もしました。
が、ラストということでレインボー機登板、ヘッドマーク付きなどということも淡く期待しただけに、やや落胆もしました。
友人とも話したのですが、やはり現場ではファン殺到をかなり警戒、覚悟しており、火に油を注ぐような真似はしたくない、
という思惑があったのではないか、ということです。
朝日新聞の報道でもあったとおり、1月に乗ったときは車内表記に紙代用が目立ちました。
また、オハネフ25 133のサボも正月あたりから紙代用でした。
盗難によるものということです。
取材を受けた現場の方は「最終日くらい、予備車のものから部品をかき集めて、できるだけ正規に近い姿に戻してやりたい、
それがせめてものはなむけ」と語っていました。
ロマンあふれる夜行列車らしい名前がまた消えていきました。
地味で顧みられる機会が多いといえなかった「銀河」「瀬戸」は私の好きな夜行列車でもトップクラスに入ります。
ED12様の「夢」が実現したなら、魅力あふれる、名に恥じない夜行列車に生まれ変わるでしょうが、
実はこの無愛想きわまる、モノクラスの、国鉄時代と変わり映えしない、B寝台主体の編成がけっこう好きだったのです。
新車なみの大改造もいいのですが、1両に30数人分の寝台はもはや不要でしょう。
一部の車両で構いませんから3〜4区画の寝台を潰し、ミニロビーなり自販機スペースにしてしまえば、
少しは潤いがうまれるように思います。
「銀河」の歴史を写真とともに紹介するミニギャラリーなんてアイディアも案外ウケるかもしれません。
思い切りが悪く中途半端かもしれませんね。
でも、ささやかな、地味な改造、それもなんだか合っているようにも私には思えたりするのです。
ブルトレ末期の10数年を編成記録に明け暮れ、日々賑わう姿を目にしていないからかもしれません。



投稿者 bell
投稿日 2008年 3月16日(日)23時35分3秒
タイトル 3月15日の風景
3月15日の朝、淀川の橋梁や大阪駅は大勢のファンが集まったようですね。
私も山崎近隣で『銀河』・『なは』・『あかつき』の最後の勇姿を見送りました。
テレビで大きく報道されたことためでしょうか、地元の方もカメラを向けておりました。
それぞれ伝統のある列車でした。永い間、ご苦労様でした。



投稿者 雑魚
投稿日 2008年 3月17日(月)08時32分1秒
タイトル 「銀河」 惜別番組
> 3月15日の朝、淀川の橋梁や大阪駅は大勢のファンが集まったようですね。

単なる思い付きで申し上げた淀川橋梁南岸の足場、実は、有名なポイントなのですね。
15日夜放映の「ブロード・キャスター」における惜別特集では、当該地点は三脚組の
放列著しい状況だった様ですね。永らく「銀河」に乗務していた国鉄OBが、同地で、
終着目前の下り最終便の通過を敬礼で見送るという場面が、実に印象的でした。

番組ゲスト出演者曰く、かつて東京〜大阪を煩雑に往来するも「銀河」は高嶺の花で、
自分は専ら「大和」だったとの事で、それを聞いた福留アナが「懐かしいなあ、湊町
始発でしたね」と鋭いツッコミ。大阪育ちゆえの発言でしょうけれど「鉄」の素養が
垣間見えた一幕でした(^^)

14系ハザによる臨時増便も含めると、私も十数回ほど御世話になった「銀河」長い間、
本当に御疲れ様でした。



投稿者 赤まんと
投稿日 2008年 3月17日(月)20時50分47秒
タイトル 「ゆとり」はまだ間に合う...かも。
遅ればせながら惜別写真館拝見しました。
精力的に皆さん最終日の様子を記録されたようで、特に今回私は大阪におり、
「北斗星」の従来編成最終は終えなかっただけに、4号の先頭にEF81 78が立ったことがわかり、収穫でした。
今月は偶数日ばかり休日にあたり、バランスのいい記録が得られませんでしたが、
切り替わり末期の北海道、東日本編成は押さえ続けました。
また、15日上野着4号になるべき13日発3号を会社帰りに押さえたため、まあ満足です。
さて、一足先に9日を以って引退した「ゆとり」ですが、
運用終了後早々に尾久に戻り、いまは反射板つけたまま洗浄線に留置中です。
あまりいいカットが狙えると素人の私には思えないのですが、
早朝7時25分ころ「北陸」が据えつけられるまでは、線路脇道路から見えます。
また17時以降であれば基本的に洗浄線の動きがなくなるため、
「北斗星」用予備車が中途半端に留置されない限りは、やはり見ることができる状況です。
いつまで編成を組んだまま残されるかはわからず、カメラに収めたい、まだあの姿を目に焼き付けておきたい、
という方は、急いだほうがよいと思います。
「夢空間」の姿は見えず、今日、明日あたり尾久に帰ってくるのでしょうか。
どちらも平成14年全検と、検査切れが近く、解体もそう遠くないような気がしています。


 
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