倶楽部メモ(386)
平成19年10月 6日〜10月 9日


投稿者 ホエ7030
投稿日 2007年10月 6日(土)17時04分1秒
タイトル 横軽対策車
>虫眼鏡 様

はじめまして。ホエ7030と申します。よろしくお願いいたします。
 さて、前にお尋ねのあった「水ミト」、「仙コリ」の客車の横軽対策の有無について、
過去に私が撮った写真をみたところ、2両ほど判明しましたのでお知らせします。

 オハ472323−マーク有  S55.1.6  日立にて(盛モカ当時、臨時急行に使用)
 オハフ612562−マーク有 S48.11.1 平にて(水ミト 近代化・青塗装)

 なお、オハ61でも横軽対策車は多数あるのではないかと思います。
私が撮っているものだけでも、2231,2359(青)、2360、2572(いずれも水ミト)はマーク付きです。

 以上、お役に立てれば幸いです。



投稿者 雑魚
投稿日 2007年10月 6日(土)17時22分29秒
タイトル コンパクトな編成 (4)
こうして見ると、なおさら短編成振りが強調されますね(^^)奥が黒田原の市街地で
その手前、上下線が少し離れているのが、かの余笹川の橋梁です。

一大観光地である那須高原の玄関駅といえば、元々は、車両運用上の一大拠点・黒磯、
新幹線開業後は那須塩原となりましたが、那須高原を擁する那須町の中心地は黒田原。
その意味で、同駅に停車する急行があっても不思議ではありませんが、記憶が曖昧で、
少し悶々としております。

栃木県では貴重な「在来線交流区間」沿線にある同地では、新幹線で東京に向う場合、
黒磯・那須塩原と連続する二駅で乗換えを要しますが、利用者の心証ないし、これら
二駅での接続の間合は、どの様になっているのでしょうね。




投稿者 虫眼鏡
投稿日 2007年10月 6日(土)22時21分48秒
タイトル お礼 Re:横軽対策車
ホエ7030様

はじめまして。貴重な情報を大変ありがとうございました。
オハ472323は、仙コリ時代以前からGマーク付きなんですね。
水ミト61系も、この際ホエ7030様ご教示の車番で、5輌
仕立てたくなりました。

オハ61でも横軽対策車があるとのこと、工事施工の対象はやはり
全車両に及んでいるのでしょうね。とすると、逆に対策工事に
もれている車輌というのは単に工場入場などのタイミングの問題
なのでしょうか。ホエ7030様のおかげで、興味が一段と
深まりました。



投稿者 クモイ103
投稿日 2007年10月 6日(土)22時47分2秒
タイトル Re:古い話ばかりで恐縮です・・・
 懐古知新様、先輩から「勉強になります」などと言われると照れます(笑)。

> 青1号って(模型では)何をお使いでしょうか?
…何も考えずに伊豆急ハワイアンブルーを使ってます(^^;。
 ちなみに淡緑帯は、以前は伊豆急ペールブルーを使っていましたが、
モリタからずばり「淡緑6号」が発売されたので、これに切り替えました。



投稿者 懐古知新
投稿日 2007年10月 7日(日)00時37分38秒
タイトル 2等車の等級帯
クモイ103様、

確かに歳だけは食ってますが、なにしろあまりにもブランクが長くて、
しかもやってた当時はとにかく情報源が一部の鉄道雑誌や模型店の親父(私の場合は京都の松本模型)
くらいからしか入らなくて、皆さんの知識と情報源の幅広さには、大いに感服しております。

正直な話、今回の「出戻り」の際に、「青1号という等級帯があった」ということを初めて知ったような次第です。

こんな具合ですから、「記憶として覚えている色ではない」ため、自分自身に確信というものが全く持てないのです。
模型雑誌の付録とかにある色見本(カラーチャート)は、どう考えても濃過ぎだし、
Nの完成品では多分キングスHのが最も実車に近いのでは?と考え、1両だけ購入してみたところ、
やはり伊豆急ハワイアンブルー(以下IHB)よりも少し明るい(淡い)ブルーなのでした。
レボのキットには「代用色としてIHBを塗れ」と書いてありますが、皆さんはどうなのかなあと長い間悩んでました。
(悩むほどのものではないですが)

KやMの大手ブランドや、塗料メーカーからも「青1」がリリースされないのも不思議ですね。
(中途半端な時代区分なのかも)



投稿者 理左衛門(バロン)
投稿日 2007年10月 7日(日)16時15分44秒
タイトル 今日の下り
俯瞰で撮りましたが、やはり短いです・・・。
昔は最低でも5両繋がっていたので、やはり物足りない・・・。高崎の全車連結して欲しかったです。


投稿者のホームページ



投稿者 たま
投稿日 2007年10月 7日(日)17時32分48秒
タイトル 14系 臨時特急について
過去に運転された14系臨時特急について、
ご存知の方が居られれば、お教え頂ければ幸いです。
@臨時特急「しおじ」の牽引機で、EF65-500Fは牽引した実績はあるのでしょうか?
A臨時特急「有明」が、14系で運転された実績があるそうですが、
 時期、運転区間、編成、牽引機などご存知でしたら、お教え下さい。
宜しくお願い致します。



投稿者 日野実験線@台湾
投稿日 2007年10月 7日(日)19時36分13秒
タイトル Re:横軽対策車
亀レス申し訳ありません。

ホエ7030様

ご無沙汰しております。貴重な情報有難うございました。履歴票調査当時は郡山に
いた筈なのですが、何故か記録になく・・・(汗)

虫眼鏡様

横軽対策工事は当時趣味誌の車両の動きなどには掲載されず、履歴票でも偶に記載漏れ
もあった様で、最終的には現車調査するしかありませんでした。
ですから後年の資料では横軽対策工事は考慮されていない場合がありますので注意が必
要です。
さて、水戸区所属のオハ61系の横軽対策車ですが私の調査で判明したのは以下の車です。

オハ61
 100,112,207,2209〜2216,2231〜2235,2246,2266,2313,2325,2359,2360,2384,2440,
  2443,2732  以上26両
オハフ61
 2407,2551,2552,2553,2557,2558,2559,2626〜2630 以上12両

ご質問のオハフ612407(・・・と思いますが・・・オハフ6147には電気暖房
は取り付けられておらず2047という番号は存在していませんので・・・)
は横軽対策車です。オリジナルのオハフ61ですね。
オハ61からの改造車は1000番台なので、電気暖房を取り付けると3000番台に
なります。

水戸区は何故か廃車になった車の履歴票も保存していたので、相当古い車のものもあり、
部分的なものも含めて330両以上の履歴票を見ることが出来ましたが、さすがに全て
をこちらにアップすることは出来ませんので、宜しければ虫眼鏡様の方で捨てアドでも
頂ければ、こちらからご連絡するように致します。



投稿者 yutaka7s
投稿日 2007年10月 8日(月)00時59分13秒
タイトル 福島での写真
 7日の朝福島駅でつばさと併走する75と旧客の写真を撮りました。懐かしいという思いでいっぱいでした。
もう少し編成が長いと良いのですが…。
 模型でもHO/Nともに75と旧客を持っていますがいずれも5両編成本物のほうが短いなんて・・・。
 8日は郡山~福島まで乗ってきます。25年ぶりの旧客楽しんできます。





投稿者 懐古知新
投稿日 2007年10月 8日(月)01時18分31秒
タイトル こんなイメージで再現を考えてます。
最初の自己紹介でも少し書きましたように、昭和35年の京都駅の再現について、具体的に書いてみたいと思います。

まず第一に再現したいのは、当時の京都駅1番ホーム(現在の0番ホーム)。
いつの時代のデータかは知りませんが、全長564メートル(山陰線1番用の切り欠きホームを含めて)あるらしいです。
このために当初からHOゲージでの再現は断念です。
Nゲージでさえ、京都駅部分だけで長さ1200mmのパネルが3枚必要になります。
一方、幅方向は、スペース事情とメンテナンス性を考慮して、600mmしかありませんので、
1番線と2番線の間にある通過貨物列車用の2本、電車線2本(京阪神を行き来する)、さらに奈良線も省略してしまいます。

その代わり、山陰線側ホームは1,2番線はもちろん、2番線の機回し線(ターミナル駅なので)、
さらに山陰線用の客車ヤード?数本も再現。これはもちろん、当時5歳の私の目線に基づいたものです。
つまり、当時の我が家にとっての京都駅とは、「山陰線を利用して、故郷の福知山や舞鶴に行くためだけの施設」であり、
私などは、せいぜい改札口から右に折れて山陰線ホームに歩いていくまでの、東海道本線1番ホームに停車中の
「ピカピカのチョコレート色の東京行き」列車を、羨望とため息の中で一瞥するのが精一杯の、
そんな状況を再現したいのです。
当時の京都の5歳児にとって、東京というとロンドンやパリ、いや、もっと遠い世界でありながらも、
「ふ〜ん、これに乗ったら東京に行けるのかぁ」と考えた記憶がかすかにあります。
「近くに在りて遠き存在」、これが私の客車急行(あるいは特急)に対する原体験と印象なのです。
また、通常、地図上では「北が上」と決まっていますが、私の頭のなかにある京都駅は、
南に向いた正面改札口から駅構内に入っていく関係で、見事に南北が逆さまになっていますから、
これもそのように再現したいと思います。

また、昭和35年当時は、まだ向日町運転所が開設(昭和37年?)される以前のはずで、
京都を発着する東海道線の急行や普通列車のための客車ヤードがあったはずです。
現在の新幹線ホーム(八条口)に当る部分と、梅小路貨物ヤードの一部を使用していたと思われます。
(この辺の調査がまだあまり出来ていません)
さらに、EF58などの電機のたまり場(京都駅には電機の機関区はなかったでしょうから)もあったはずです。
蒸機用のたまり場は、この年代頃まで「京都機関車転向給炭水所」が駅の南東角にあったのですが、
昭和35年時点で存続していたかどうかがはっきりしません。
草津線向けや、新逢坂山トンネルの急坂で長大な貨物列車の補機につく8620などの仕業の便宜性を計るための施設
(梅小路までいちいち戻るのが不便だった?)なのですが、
機関車庫こそないものの、転車台や給炭・給水設備が完備された、「絵になる設備」であり、
これもなんとか再現したいと考えています。(詳しい方、宜しくお願いします!)

前述の「ピカピカチョコ」について、最近になっていろいろと考察してみました。
だいたい、一家の里帰りなんて、当時では一大イベントに違いなかったはずですから、
自宅のある東山の祇園から京都駅へは、相当朝早く向かったものと思われます。
すると、東海道本線上り1番に居た東京行きのピカピカチョコは、西海(大阪発6:24)か、霧島(同7:56)か、
高千穂(同8:34)のいずれかということになります。
(京都駅発着データを持ち合わせていませんので、大阪時間+40分として計算)
よって、当鉄道では、少なくともこの上り3編成は欠かせませんから、
「朝の東海道上り1番線に矢継ぎ早にやってくる九州客車急行群」を再現することにしたのです。
逆に5歳の子供が、夜よなかに京都駅なんかには絶対に行かせてはもらえませんから、
出雲、瀬戸、明星、筑紫、銀河、安芸、彗星あたりは「見たことがない列車」、
さらには深夜に関西地区を行き来する「あさかぜ」などは「ありえない列車」ということになります。
また、当時のスター列車は、言うまでもなく「電車特急こだま」で、5歳児の私もこれにぞっこんだったのですが、
半世紀近く経った今となっては、なぜか「こだま」は妙に気恥ずかしく、模型店でも「コレ下さい」の一言が出ず、
従って当鉄道にはいまだに1両も入線しておりません。
出来れば「こだま」だけは避けたいのです。われながら不思議ですね。(つづく)(長文すみません・・・)



投稿者 クモイ103
投稿日 2007年10月 8日(月)23時18分3秒
タイトル 東京−九州間急行
 懐古知新様
 京都駅と九州急行への思い入れの所以、興味深く拝読しました。
 私は東京より北側の生まれですが、鉄道ファン共通の煩悩(?)である
「あと5年早く生まれていたら…」という言葉を思い出しました(^^)。

 実は私、食堂車好きが高じて、昭和36年5月当時の東京−九州間急行
(定期は全て食堂車を連結)の模型化を目論み、現在進行中であります。
編成単位でなく飛び飛びの工作のため、まだどの列車も一部の車両しか完成していないのですが(^^;、
いずれはレイアウトの留置線を長大編成で埋め尽くしたいと思っています



投稿者 懐古知新
投稿日 2007年10月 9日(火)00時25分45秒
タイトル Re:東京ー九州間急行
クモイ103様
「あと5年早く生れていたら・・・」は、鉄道ファンのみならず、おませなガキたちの世界共通煩悩でしょうね。

書きかけのつづき、UPさせていただきます。駄文、長文で恐縮です。



投稿者 懐古知新
投稿日 2007年10月 9日(火)00時44分11秒
タイトル こんなイメージで再現を考えてます。その2
一方、山陰線はというと、東海道1番に居る急行客車列車に釘付けになって動こうとしない5歳児を、
親が引きずるように連れて行こうとする先には、いまいましいキハ20あるいはキハ25が、すでに山陰線1番に入線しています。
5歳児は親に向かって、この「ジーゼルカー」にだけは絶対に乗らない、という意地を見せています。
どうしても右側(2番線)に居る「黒い客車のどんこう(鈍行)」に乗りたいのです。

「どんこう」の先頭付近ではどうやら機関車の付け替え作業が始まったようです。
機関車は?と見ると、梅小路機関区伝統の、ランニングボードに白線を入れたC51のようです。
(もちろん当時は蒸機の機種のことなど知る由もないですが、
C51は通常、煙突の後ろに給水温め器があるので、これだけは憶えてます)
蒸気機関車が好きなくせに実は怖くて近づけない5歳児は、せいぜい先頭から2両目くらいの位置で、
この付け替え作業をじっと見つめています。

しぶしぶ、どんこうに乗ることを承服させることに成功すると、
機関車の付け替え作業が終了するやいなや、意気揚々と車両に乗り込みます。
座席はもちろん左側の窓際です。
これには理由があって、京都駅発車直後に左側眼下に現れる、梅小路機関区の機関車群を見なければならないからです。

いよいよ発車時刻です。何度聞いてもびっくりする強烈な汽笛と、連結器の大きなショックともに列車は動き出しました。
列車はあっという間に梅小路機関区脇の右大カーブに差し掛かります。
しかし、期待していたほど蒸機の数が見当たりません。
扇形機関庫の周囲には、入れ替え用の8620やC50が数両、
あとはなぜかキハ17が厚かましくも扇形機関庫の中から顔を覗かせています。
もっと変なのは、おんぼろのWルーフの客車が1両、機関庫のすぐ脇に留っています。
(今思うに、これがナエ27004だったのでしょうか?)
機関庫より少し奥にある、給炭設備横の出区線(これも当時はそんな高度な名前は理解してません)
にも数両の蒸機が煙を上げていますが、かすんで機種の特定ができません。
実際、昭和35年の時点においては、すでに姫路までの電化が完了しており、
栄光のC62やC59などは、すでに影も形もなくなっていたのです。

どんこう列車は思いのほか速度を上げて、あっと言う間に梅小路とお別れ。
お馴染みのオルゴール音の車内案内が始まって、まもなく丹波口、それから二条駅へと向かいます。
5歳児の次のお楽しみは、保津峡です。ここにはカッコいい真っ赤な鉄橋や幾多のトンネルが待ち受けているからです。
嵯峨駅を過ぎるといきなり乗客たちが一斉に窓を閉め始めました。
保津峡に向かう、最初のトンネルが迫っているからです。
5歳児には、大人たちがどうして煙の「臭い」を嫌がるのか、さっぱり分かりません。彼はこの「匂い」が大好きなのです。
最初のトンネルを抜けました。季節はもうすぐ初夏。眼下には、保津川下りの船が何艘も連ねてやってきます。
まもなく保津峡駅に到着です。

5歳児は、すばやく右側の座席の窓際に移動します。この駅で上り列車との待ち合わせをするからです。
対向ホームにはやはり居ました、上り列車が。
EF58と同じようにチョコレート色に塗られたDF50ジーゼル機関車です。
蒸機だと期待していたので、ちょっとがっかりしています。
でもあのツートンカラーのキハじゃないから、まあまあです。(つづく、かな?)


               
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