倶楽部メモ(328)
平成18年 6月19日〜 6月25日


投稿者 クモイ103
投稿日 6月19日(月)20時55分43秒
タイトル 1000km大丈夫 気動車の長距離運転
 急行 桜島・高千穂 様、はじめまして。

 根室発函館行き「ニセコ2号」、時刻表上でも際だった異色列車でしたね。
この列車の運転距離は800kmをゆうに超え、気動車急行としては国鉄史上最長だったかもしれません。

 しかし、同じキハ56で雑魚様の挙げられた「宗谷」の走行距離も700kmに迫り、
兄弟分キハ58も「八甲田1号」で上野−青森間730km台を走破した実績がありますので、
少なくとも優等列車用の気動車には「然るべき容量が確保されていた」のだろうと思います。
 さらにキハ80系特急まで視野を広げれば、1000kmを超える最長ランナー「白鳥」をはじめ、
ヨンサントオ前の「かもめ」の基本編成が京都−西鹿児島間ほぼ1000kmを走破、
ヨンサントオで誕生した「日向」が大阪−宮崎間ほぼ900km、「かもめ」の京都−長崎間も800km台と、
気動車による長距離運転の実績は枚挙にいとまがありません。

 ただ、1回の燃料補給でどれだけ走れるか?については私もよく存じません。
気動車の性能に詳しい方、おられましたらフォローをお願いしますm(_ _)m。



投稿者 チカチカブンブン
投稿日 6月20日(火)22時24分49秒
タイトル マニ30について
「急行音頭」様はじめまして。
並びに皆様、大変ご無沙汰しています。

マニ30、何度か実車に出会ったことがあったのですが、
確か記録した編成があったな〜と思って当時のメモをひっくり返してやっと出てきました!
ご参考になるかどうか判りませんが、記載させていただきます。
自分が乗車した列車ですので確かです。
※所属は後で調べればいいや、と思っていたのでメモっていません。

1980年3月4日、秋田発上野行き急行「鳥海」
EF58−120
スニ41−2008 (原型)
スニ40−2039 (原型)
マニ30−2011 (原型)
マニ36−2068 (オロ40改・直屋根)
オハネフ12−2060 (ライトグレー屋根・シルバー縦サン)
スハネ16−2175  (ライトグレー屋根・シルバー縦サン)
オロネ10−2077  (原型)
スロ62−2021  (クーラー付き原型)
オハ46−2001  (↓トイレ向き・青塗装・一段トユ・上昇トイレ窓・Hゴムドア)
スハ43−2304  (↑トイレ向き・青塗装・原型プレスドア)
オハ47−2292  (↓トイレ向き・青塗装・Hゴムドア)
オハ46−2005  (↓トイレ向き・青塗装・一段トユ
・Hゴムドア)←青色部分は後日追加訂正
オハ46−2004  (↑トイレ向き・青塗装・一段トユ・Hゴムドア)
スハフ42−2249  (↓トイレ向き・青塗装・原型プレスドア)

この頃は自身が乗車した列車で特に印象に残った編成を模型化するのに凝っていて割りに細かくデータを残していました。
往路に乗車した「鳥海」のスハ43−2078がブドウ色塗装だったので、塗色までメモっていたようです。
このマニ30も当時はキットなどなく、苦労して窓開けまえの絞り妻板を無理して分販いただき自作した思い出があります。

やはりいくら模型といえども過去に一度は手を繋なぎあった番号の編成でありたいな、
と思ったのがきっかけでいろんな編成を記録し、製作しました。

全てHOなのですが、初めて一人で旅行に出た時に乗車した急行「立山」富山・糸魚川行き12連、
冬の長野で出会ったキハ48の2連、初の夜行寝台・43系「越前」・・・etc

今は43系客車の「利尻」とキハ82系「北斗」、加古川線のキハユニ15+キハ20、
「越前」の牽引機・EF62大改造などが並行仕掛かり中です。
不明な所があるとすぐに製作が停まってしまう安楽マニアですが、
もしお許しいただけるようでしたら模型の仕掛かり画像をUPさせていただき、
皆様のアドバイスをいただければと思っています。

ながくなり申し訳ございませんでした、今後とも宜しくお願いいたします。


投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 6月21日(水)04時20分59秒
タイトル 燃料容量
 返信が遅れて失礼申し上げましたが、
雑魚様、DE+12の絵、のどかな風景と共に何処かしっとりとした初夏の草の匂いがするいい感じです!
 現場では簡単に編成を「抜いた」ものでした。
昔、テレビドラマの制作に関わっておりました時も、
撮影の為に「まりも」や「はくつる」をバラして庫の中で撮ったものです。
 さて、桜島・高千穂様の御質問ですが、手許の資料によりますと、以下となります。
○キハ56(DMH17H×2/550L×2)
○キハ27(DMH17H/800L)
○キハ82(DMH17H/550L他に発電用800L)
○キハ80(DMH17H×2/550L×2)
 他、キハ22は1〜170が400L、201〜は550Lとなっております。
話題の根室〜函館間急行は存知ませんが、急行305D/306D「宗谷」(函館〜稚内間)は
マル水はサツ(札幌)で指定がありますが、マル油=給油の指定はありません!
 ただ、企画倒れになりましたがキハ80系4Bで道内一周をプランした際には、
函館〜根室〜網走〜新旭川〜稚内〜小樽〜函館で、給油は根室・稚内だけでしたから、
1200kmは無給油で運転可能だったのでは無かったかと存知ます。
 御参考迄にDD51機は4000L(548〜799と1001〜1169)、DE10機は蒸気暖房搭載無しで350L、搭載ですと700Lです。
蒸気機関車はC62機が炭14t/水22立方m、D51機が炭8t/水20立方m(1000〜は炭10t)、
C57機は炭12t/水17立方mです。
 C623機で小樽〜ニセコ間往復の場合、ニセコでマル水はしましたが、マル炭は2行程で1度でした。
 が・・・機関士さんにより石炭は1〜2t/行程違いまして、同じ換算20.0でも「腕」の差は歴然でした。
当時石炭は36000円/tでしたから、1行程7万の差は大きかったのです。
 マニアには黒い煙は好評でも、それは石炭の不完全燃焼粒子ですから、それだけ無駄使い!
もっとも機関士さんも「黒い煙を無煙炭で出す奴は腕が悪い」のでそうですが・・・
煙を出さない腕の機関士が「103/104」(急行「ニセコ」)のD(機関士)となった・・・
が!「カラス列車」のニックネームが付く程だった訳ですから、在来型一般車の屋根が真っ黒なのも深く理解出来ます・・・
 ちなみに小生も愛用はショートピースで、モニタや蛍光灯の傘は「ブラウン」になります。
周囲からは無煙化を求められているのですが・・・20本/日で運転しております。
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投稿者 雑魚
投稿日 6月21日(水)14時39分35秒
タイトル 来月の水郡線は要注目!
> のどかな風景と共に何処かしっとりとした初夏の草の匂いがするいい感じです!

そうですね。那珂市と常陸大宮市に跨った、この田圃の広がる区間は、高圧線が少々
鬱陶しいものの、水郡線では人気撮影地のひとつで、個人的にも、奥久慈の山中より、
こうした広々とした箇所を好感します。

本日発売の鉄道誌によれば、来月早々の週末にも、この団臨が水郡線に入るとの事で、
去る二月に撮り逃した意趣返しよろしく(^^)前後の回送運用(やはり水戸線経由は
今後行われない様ですね)を含め、バッチリ狙う所存であります。ちなみに水郡線に
並行する国道 118号線は、早朝でも相応の交通量があるので、安全の為にも、無理な
追い駆け撮影は控えられた方がよろしいでしょう。

海の日には、下り「ゆとり」が午前中に全線を通過するそうで、これに烏山線を含め、
来月は、我々北関東の客車好きには「熱い」一箇月となりそうです。これで当分の間、
人生の目標が出来ました(^^)



投稿者 青列車
投稿日 6月21日(水)23時20分36秒
タイトル 【マニ30】荷33レ。36レ
>>急行音戸様
お尋ねのマニ30ですが、1980年代私が実見したのは上記2列車でした。編成中間に挟まっていました。
また、20系時代の上り銀河のシッポにぶら下がっていたのを実験した事があります>1980年夏。
EF58171エスコートの銀河でした(東京駅到着後下車して振り返るとぶら下がっていました)。
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投稿者 尼港線
投稿日 6月21日(水)23時43分57秒
タイトル 【マニ30】103レ「銀河」
以前、一度、書き込みをしただけで、すっかりご無沙汰になってしまいました。

私、マニ30の実車を初めて見たのは小樽入りしてからのことで、現役時代は巡り会うことがありませんでした。
しかし、「鉄道ジャーナル」の列車追跡の中の編成表で見た覚えがあり、バックナンバーを探してみると、
1979年8月号(No.150)のp.45で見つかりました。
1979(昭和54)年5月21日の下り103レ急行「銀河」の20系編成の前、EF58 171の次位にマニ30 2007連結の記述があります。
東京〜大阪間で運用される確率が、やはり一番高かったのでしょうか。



投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 6月22日(木)06時02分6秒
タイトル すっかり忘れておりました
 割り込み失礼致します!
 マニ30、日銀車ですね、大きな勘違いをしておりました。
 部内では「日銀券輸送」と申しましたが、上野では月1ペースで入りました。
別に珍しいものでは無かったのですが、「特警指定」だったので鉄道公安室のみならず、警視庁の警備も入りました。
 故に写真なんか撮ってますと怒られそうで(それ以前に勤務中でしたし・・・)記録も無いのですが、
日銀券輸送は指定便があり、東北=急101/102「八甲田」、奥羽=急403/402「津軽A」、羽越=急801/804、
北陸=急3605/3604「能登」、信越=急301/302「客妙高」と言う具合です。
(1986年迄日銀券輸送は上野口で残っておりました。)
 基本的に客車急行が長く残り、それも地平発に集中していたのは日銀券輸送の関係だったそうです。
ただごくまれに常磐の203「十和田」や、羽越803「天の川」にも入り
警備の制服さん達で御客様に「何かあったんですか?」と言う御質問をされた事があります。
 話題が逸れますが、日銀券輸送より珍しいのが甲種回送でして、
通常は尾客(尾久)オレ(折返)となるのに上野へ入るモノもございまして、50系の回送は2・3度見ました。
 それも終列車の後ですから、御客様が眼にする事も無いのでしょうが、
22時台の連絡便(尾久〜東大操)のスジに乗せた便でF58機が引いて17番に入った8Bものの新車50、
頭にF65が付いて「回送発車です!」とコールが入り汽笛一声!
 と・・・軽い金属音と共に走り出した・・・のは編成前4つだけ・・・
で、転主(運転主任)慌てて走る走る「機関士」脇へ!
 「待った待った落とし物っ!」
 後年某駅駅長となる構内運転助役氏が勘違いして編成を切ったミスで・・・
やはり後年某駅駅長になる走った転主さんと共に「再併結」して10分程度遅延して今度は無事に出て行きました。
 その新車達も既に無く、ホーム事務室で小生と一緒に大笑いした駅員さんもこの世に無く、
マニ30と共に過去のお話になりました。寂しい限りです。
 さて、雑魚様こちらの写真も素晴らしいものです!
 DEの品欧、何か趣きが違って「特装列車」では無く自然に客車列車です。
キャブサイドのDEと言うのがまたなかなか好印象です。
 高崎〜水戸間の機材連絡に両毛・水戸線を使わないのは面倒なだけでしょう。
単線区間でのモリスジは作業が複雑ですから・・・
それに対して高崎〜常磐線は設定便がありますから、期日・機材の指定を出せばOK!と言う簡単さ、
ただ水戸線を行く客車列車も風情たっぷりなのですが・・・
 最近また東京支社の営業さんが運転層上がりの方になって、随分団臨が入る様になりました。
事務所の脇も週末には183・485・特装列車と賑やかです。
 是非お気を付けてお出かけになって下さいませ!
投稿者のホームページ


投稿者 雑魚
投稿日 6月22日(木)08時57分1秒
タイトル 水戸線の客レ
> DEの品欧、何か趣きが違って「特装列車」では無く自然に客車列車です。

いわゆる「ジョイフル・トレイン・ブーム」以前から存在している、老舗ならではの
落ち着いた塗装の所産でしょうね。その意味では、今は亡き「ユーロ・ライナー」も
本当に良い感じでした。

> 高崎〜水戸間の機材連絡に両毛・水戸線を使わないのは面倒なだけでしょう。

そうなると、今まで小山を経由していたのは、常磐線が混んでいたからでしょうかね。
武蔵野線を経由せず、尾久にて一旦駐泊させる現行の体制も、良く判らないのですが。

> ただ水戸線を行く客車列車も風情たっぷりなのですが・・・

単線ゆえ、絵になり易いという利点はあります。また、運用が不明でも、時刻表から
定期便の擦れ違いの合間を縫ったダイヤの推定が容易ですね。

画像は、利根川水系と涸沼川水系の分水界となる、羽黒−福原の掘割です。こうした
より自然を感じる沿線風景に、常磐線とは一味違った趣を感じます。


投稿者 若松
投稿日 6月22日(木)16時17分50秒
タイトル マニ30
岩崎安房守義将さま

50系客車の新製回送は甲種ではありませんね。確か「客回**」という運用番号だったかと思います。
なお分割したあとなどのオク〜シナなど短距離のものは「小回**」だったと思います。

東海道系統だと103レとのことですが、かつては1101レ(桜島・高千穂)の最前部に連結されていた記憶があります。
中央東線では423レでした。警備の関係でなるべく昼間に走らせたかったのかと推定しています。
もっとも1101レなり423レに連結されていたのは初代?のマニ30でしたね。


投稿者 てりてり
投稿日 6月22日(木)18時27分59秒
タイトル マニ30・私の場合
 失礼します。以前貨物列車に連結されているのを見た事があります。
手元に当時のフィルムが無いので日付は不明ですが
1998年頃、場所は天拝山〜原田間・列車は1083(現在の2091)レだったはずです。
丁度コンテナ車の真中に挟まるような形で連結されていました。
慌てて鳥栖貨(旧)に向かったのですが、後ろを切り離されて発車した後。ただ風が吹いているだけでした。
 少し誇張しておりますが、客車が機関車の次ではなかった事、マニ30であった事を思い出した次第。
しかし、係員の乗り心地は如何なものでしたか?余計な心配をしてしまいました。
 それにしても「満載の積荷を含めて本当の『わたくし』有車だったらなァ」と考えるのはみみっちい事でしょうか。
後にも先にも意識してみたのはこれ一回だけでした。それでは。


投稿者 雑魚
投稿日 6月24日(土)10時15分44秒
タイトル 筑豊本線と 50系客車
「50系」「原田」と聞いて、十数年前の九州旅行を思い出しました。「あかつき」を
黒崎で下車後、H.L.を介し折尾→若松→原田と筑豊線を乗り通したのですが、その際、
若松→原田が50系客車でした。原田駅構内側線には、旧客が多数留置されていたのが
印象的で「原/はる」の読み方に九州・沖縄方面固有の文化の一端を感じたものです。

2000年夏、全区間廃止を控えた西鉄北九州線の残存区間である黒崎−折尾を訪ねた際、
併せて筑豊電鉄も消化した関係で、直方→小倉をJRで移動したのですが、この時も
朝夕二往復程度残っていた50系客車でした。一年後電化で消滅する直前は「海峡」を
除けば、客車としては唯一の定期昼行便という貴重な存在でしたが、通勤ラッシュで
折尾からとんでもない混雑振りを呈した為、どうせ周遊券だからと、黒崎から特急に
待避しました。嗚呼、根性無し………(^^)

筑豊線といえば、1978−85年でしたか、佐世保発着「あかつき」が経由していた事が
印象的でしたが、博多を度外視する作風には、隔世の観すら覚えますね。類似の話で、
昭和初期の旧長輪線(現室蘭線)開業直後に函館−稚内で設定された急行は、札幌を
無視した追分経由の運転で、世間の耳目を集めたそうです。

筑豊線の経路は石炭産業華やかなりし当時、旅客は博多経由、貨物は直方経由という
棲み分けの発想に基いた印象を受けますが「福北ゆたか線」から外れた桂川−原田は
列車の往来頻度も小さく、凋落著しい印象ですね。

50系客車は、東は岩手県から西は福岡県まで、あちこち乗りましたが(身近な処では、
磐越西線での運用例がありました)最も思い出深いのは、高松→高知の夜行便ですね。
急行「あしずり」の間合運用として、グリーン格下げ車(急行では指定席に充当)の
無料開放が嬉しい気動車便を置換したものですが、空いている時のロング・シートは、
ポイント通過時、床に転げ落ちる事があるものの、快適な「簡易寝台」でした(^^)


投稿者 チカチカブンブン
投稿日 6月24日(土)21時42分43秒
タイトル すみません、入力ミスしてました。
みなさまこんばんわ。

お詫びです。

改めて自分の書き込み(6月20日付け)を読み直して不備を発見したのですが、
下記に記載している「鳥海」編成のオハ46−2005について、「Hゴムドア」の記載が抜けてました。

その後のメモでHゴムドアの窓サイズに二種類あることに気付きましたが、
下記に記している編成は全て小さいほう(標準)のサイズです。
後に、天地寸法が上方にやや大きい“Hゴム大”を知りましたが、
鳥海に繋がっていた客車のほとんどは“Hゴム標準”で、色もライトグレー(かなり白に近い灰色)と記録しています。

逆にニセコ現役時代のオハ45、スハフ44などは“Hゴム大”が主流で、Hゴム自体の色もダークグレーでした。
これは煤煙での汚れかも知れませんが濃いグレーのHゴムは北海道独特の特徴で、
利尻や大雪に繋がったオロハネやオハネなども同様にHゴムはかなり濃い色を使っています。
模型でもそのあたりにまで気を使っている方も居て、
現役時代をよく見ている世代は「オッ、判ってるな!」ってな感じでにんまりしたものでした。

非常にカルトな話題で申し訳ありませんでした。


投稿者 急行音戸
投稿日 6月25日(日)08時02分25秒
タイトル ありがとうございました。
みなさまこんにちは、急行音戸です。
マニ30の書き込み感謝いたします。参考になりました。
手持ちの車両たちで再現するには、『銀河』『荷36レ』あたりを再現し、楽しもうかと思います。
貴重な情報ありがとうございました。
積荷が積荷だけに警備も厳重で、運用も公表されなかったんでしょうね、
しかし、額面にしていくら?くらい積載していたんでしょうね(笑)
こうしてみますと、やはり東日本地区での運用が多かったのですね。
書き込みしてくださった『チカチカブンブン』様『青列車』様『尼港線』様
『てりてり』様『若松』様『岩崎安房守義将』様、ありがとうございました。


投稿者 にんにくたあ
投稿日 6月25日(日)10時53分5秒
タイトル 客レ急行券
みなさま、久しぶりに書き込ませていただきます。
突然ではありますが、ただいま弊掲示板で(桜島・高千穂)の話題が出ておりますので、
それに便乗して急行券を出してきましたので少々お目にかけます。

キップAがそうです。日付印がかすれていますが、昭47・1・30が乗車日です。
浜松から静岡まで上りに乗りました。
このときはオロ11にオシ17と目玉の客車がきちんと連結されていました。
これだけでは寂しいのであとおまけと言うことで、

B・・14系座席急行(雲仙・西海)の急行券です。
新大阪〜岡山間の乗車でしたが、GWにもかかわらずがらがらでした。

C,D・・どれも165系時代に乗った急行(富士川)のものです。

どれも地紋は同じ色だったはずなのに、現在ではこんな微妙な色味になってしまいました。

失礼致しました。

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