倶楽部メモ(309)
平成18年 2月24日〜 2月27日


投稿者 夜行特急
投稿日 2月24日(金)10時43分23秒
タイトル オシ16の最期
時々、このページを拝見させていただいている者です。
1970年代〜80年代初頭の鉄道に懐かしさを感じています。
さて、先日マイクロエース「彗星」セットのオシ16をバラで入手したのですが、
青にリペイントして末期の仕様にしたいと思っています。
データには1972年引退とあるのですが、最期に連結されたのは、一体どの列車だったのでしょうか。
ご存知でしたら、ご教示いただけると幸いです。
(「とれいん」のバックナンバーを見ていたら、72年に品川客車区で撮影されたカットがありました。
おそらく東海道で使用されていたと思いますが)



投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 2月24日(金)18時50分54秒
タイトル もう時効ですから
 管理人様、皆様、寒暖激しい折如何お過ごしでしょうか?
 道内夜行の話題が出ておりまして、つい嬉しくなっての投稿を御容赦下さい。
 小生の定宿は急317列車「利尻」か、普41・42列車「ムーンライトエクスプレス」でした。
 或る春、上り札幌発42列車で、ついつい車掌さんと談義に花を咲かせた小生、
オハフ33の車掌室を見てみたいと頼み込んで乗せて頂いた事があります。
 悦に入っておりましたら、そのままそこで休みなさいよ、同じ国鉄労働者だしさ、
なんて単なる下請会社の人間でしかないんですが、優しく小生にそう言って頂きました。
 車掌室の蛍光灯を消すと、本当に銀河鉄道の様な世界に一転、
レールに時折反射する満月が眩しいほどで、「ムーンライトエクスプレス」の名の通りでした・・・
 この札函間夜行は正式には愛称などなかったのですが、たまたま1980年夏に同席した旅師
(均一周遊券で夜行を渡り歩いて旅をしていた人たち)がその名を教えてくれたものです。
 さて、実はそれが病みつきになりましてその年の夏、
札幌から歌志内を経由して上砂川に至るキハ22カーペットサロンカーの団臨を企画した小生達は、
道総局に「ついで」として41列車座席確保を頼み込みました。
 当時は普通列車や自由席でも始発駅で職員が座席を押さえて優先的に顧客の着席をする制度があり、
これを「悪用」したのですが・・・
折しも8月15日函館発、増結含めてハザ6Bのカーペット車に座席を確保・・・
ところがボヤボヤしていると自分の席が無いのです。
 車掌さんに事情を説明すると、「じゃあ車掌室で・・・」となりまして、
スハフ44の車掌室へ一人「疎開」したものであります・・・
 始めての団臨で、小生は警備総責任者ですから眠れませんでしたが、
緊張と共にかの「夜汽車の車掌室」に居ると言う興奮で、眠気は飛んでいました。
 その後自主企画の団臨での小生の定番はスハフ32を筆頭に車掌室でした・・・
 ただ、14系尾客欧客7Bの某列車は、スロフの展望室が左右で違う寸法だったとかで、
そちらが機関車次位の場合は車掌室に変な衝撃があり、寝心地は悪かった・・・です。
 寝台特急も確かに魅力はありますが、在来型一般車の夜汽車は、もうただただ夢心地でございました。
 すみません、かなり脱線転覆しました・・・長文併せ失礼しました。
投稿者のホームページ



投稿者 ED12
投稿日 2月24日(金)19時31分7秒
タイトル “撒き散らし”
その昔、旧型客車のトイレは“垂れ流し”でした。
子供のころ中央線の土手下で眺めていた客車列車から“汚物シャワー”を浴びた思い出があります。
時は今、暑くなると通勤電車が冷房装置で満員の乗客から絞った“水滴”を撒き散らして飛ばしています。
で、この水滴ですが、街中のビルの屋上の空調機からこぼれる水滴には
細菌(レジオネラ菌)が繁殖している可能性があり危険だと聞いた覚えがあります。
電車が撒き散らす“水滴”の安全性はどうなんでしょうかネ。
トイレと同じで、タンクに貯めたほうがよいのでは?


投稿者 クモイ103
投稿日 2月24日(金)20時09分25秒
タイトル Re:オシ16の最期
>夜行特急様
 はじめまして。
 オシ16が引退したのは山陽新幹線岡山開業の昭和47年3月改正で、最後の使用列車は、

◆南シナ(品川)
オシ16 1・2・3 (3両)
  →[瀬戸1−2号]東京−宇野(夜行)2組
  使用2両/予備1両

◆北オク(尾久)
オシ16 2004・2005・2006 (3両)
  →[十和田4−4号]上野−青森(常磐線経由・夜行)2組
  使用2両/予備1両

…の2往復です。

 自己宣伝になりますが、もし食堂車の運用に関心をお持ちでしたら、
本HPのリンク先「客車空気調和装置資料室」内にあるコンテンツ
「客車関係資料室」→「吉岡真一氏」→「一般型食堂車 S33.10以後の配置と運用の変遷」をご覧いただけると幸いです。
そこの管理人様のご厚意で、私の研究レポートを掲載していただいているものです。
 4年前にアップしたものですが、その後の追加情報などを盛り込んで、今年1月に更新工事を行いました。
「もう読んだよ」という方も、よろしければまたどうぞ(^^)/。


>仙コリ(管理人) 様
 ご無沙汰しています。このところ積極的にコンテンツの充実を図って下さり、ありがたく拝見しています。
とりわけ過去ログの整理は大変でしょうね。ご無理をなさらないで下さいね。


投稿者 雑魚
投稿日 2月25日(土)08時01分21秒
タイトル 汚物 シャワー
> 客車列車から“汚物シャワー”を浴びた思い出があります。

私は、友人と行楽に訪れた河川敷で、頭上の鉄橋を通過する客レからの「洗礼」を
受けた事があり、その日は終始「エンガチョ」状態でした(^^)画像は現場である
水郡線下小川−西金の鉄橋です。通過中の14系は、十数年ほど前に沿線で行われた
夏祭りに関連して上野から運転された臨時列車で、この時は同様の編成がもう一本、
続行で運転されるなど、現在では考えられない様な美味しさでした。

なお当時の水郡線では、年明けの成田山参拝臨も14系を仕立て、数日間運転されて
いました。北海道旅行で世話になった「定宿」と同じ陣容が、地元で見られるのは
感慨深いものでした。

汚物シャワー対策といえば、北方からの上り長距離列車が大宮を過ぎると「市街に
入る為、トイレ使用を控えて欲しい」との車内放送が、かつては御約束でしたね。



投稿者 プッキー
投稿日 2月25日(土)17時57分31秒
タイトル マニアなら
汽車を絶え間なく見たいというお方にオススメの駅 ズバリ!『札幌駅』



投稿者 雑魚
投稿日 2月26日(日)10時09分15秒
タイトル 深夜の盛況
> 汽車を絶え間なく見たい

1984年刊「国鉄の車両/北陸・高山線」では直江津駅での深夜の「盛況振り」が
例示されています。二往復体制の「日本海」のほか「北陸」「つるぎ」と計八本。
同年刊の「常磐・総武線」では、深夜の常磐線平(現いわき)駅にて「ゆうづる」
7号が続行の9号と並び停車する場面も見られ、時代を感じますね。そういえば、
数年前まで上り「銀河」が未明の沼津駅で上り「出雲」を待避したと記憶します。


投稿者 なかむら
投稿日 2月26日(日)10時30分1秒
タイトル 国鉄客車開発記
なかむらと申します。
はじめて、書き込みさせていただきます。

先日、鉄道ピクトリアルの国鉄客車開発記1950を購入して見ていたところ少し気になるところがありました。

2ページ目のオロ35更新車の写真の手前に連結されているオハ35(?)の色が、どう見ても青色にしか見えません。
撮影日は1956-11-17となっていて、所属標記や窓下の等級標記はその時代のように思えますが、
青15号塗装はもっと後のはず。
後の時代に何らかの理由でリバイバルしたときのものかとも思いますが、よくわかりません。

どなたかこの写真についてご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示お願い致します。

投稿者 青列車
投稿日 2月26日(日)21時11分46秒
タイトル 【書籍】単なる誤植では?
お邪魔しますm(_ _)m
>>なかむら様
お尋ねの件ですが、単純な誤植ではないでしょうか?
例えば1966年11月17日だったとしたら如何でしょうか?
昭和41年の時点であれば、青塗りの一般型客車は存在していました。
ただ、その時点で果たして並ロザがあったか?となると生憎私は存じません。
以下推測になりまして恐縮ですが…
43−10の時点ではおそらく並ロザは絶滅=例外があるとすれば113系用のサロ車?=していたものと思われますが、
彼らが本格的に格下げ改造を受け出したのはおそらく1960年代になってからと思われますので、
一時的に両車が手をつなぐ事はあったのではないでしょうか?
殊に東海道本線東京口や伊東線はロザ需要が高い=現在でも通勤列車と雖もロザを編成し、
グリーン定期の利用客も多く、時間帯によってはグリーン車に立ち席客がいる=のですから、
或いは伊東線直通の週末臨時急行や、本線のローカル駅への郵便荷物輸送用にマニ・オユを挟んだ長距離鈍行などに
ロザが連結された可能性があります。
(1967年の時点で東京発大阪行き143レにはスロ51が連結されていました。
仮にもリクライニングシート装備の特ロですが、冷房化対象外だったので或いは並ロ扱いだったのかも知れません)。

さて、ココまで記載して気がついたのですが、オロの帯にII、オハの窓下にIIIの記号がありました。
2等急制以降後にもこの記号があったのでしょうか?
もし、そうでなかったとするとまたまた「?」ではあります。或いは?
原版をCG解析する際、このオハ車の車体塗装を青と見間違え、印刷の際この色で再現してしまったのでしょうか?
(ぶどう色2号と青15号は彩度があまり違わないのか?
光線状態によっては肉眼でも茶色が青に、青が茶色に見えることがしばしばありました。
カラーフィルムに残された画像だと更に保存状態によってその辺が紛らわしくなります)。
誠に申し訳ありません。レスを書きながら私も判らなくなってしまいました。

投稿者 クモイ103
投稿日 2月26日(日)22時42分29秒
タイトル Re2:国鉄客車開発記
 なかむら様、はじめまして。青列車様、いつもお世話になります(^^)/。

 くだんの写真、青列車様ご指摘のローマ数字による等級標記や、側面右端の形式標記に重量標記、
そして青いオハ35?の同時点滅器標記などから、昭和34年の塗色規程改正以前のものと思われます。
> 原版をCG解析する際、このオハ車の車体塗装を青と見間違え、印刷の際この色で再現してしまったのでしょうか?
…との青列車様のご推察、私も大いにアリだと思います。
(ところで青列車様、ローマ数字は機種依存文字で、半角カタカナや丸数字などと共に御法度ではなかったでしょうか?)

 私自身は「色の道」は疎いのですが(変な意味ぢゃないよ(^^;)、
先日まさにこの写真のことが知人と話題になり、最近の印刷技術では色調が自由に調整できるだけに、
編集者の認識が間違っていればその間違い通りのカラー写真が出来てしまう…と聞きました。
 今回の「アーカイブスセレクション10」、まず表紙からして色が変ですね。
どーんとアップのマイネ41の塗色は本来「ぶどう色1号+クリーム帯」のはずですが、
まるで「ちょっと褪せたぶどう色2号+薄汚れた白帯」ですね。
1枚めくってP.1、上のマイテ39も下のスハフ43も、
そしてP.2上段の「彗星」の客車もみな「変なぶどう色2号」になっています。
「彗星」の写真解説には「クリーム色」という言葉があるにもかかわらず、写真はしっかり「汚れた白帯」です。
 そうしてみると、なかむら様ご質問の写真についても、
こと色調に関する限り、全く信憑性は認められない…というのが私の感想です。

 最近のピクトリアルでは、いわゆる在来型客車を指して「雑客」などという言葉を平気で使う場面もあり、
編集部に「客車を知っている」人が一人もいないのでは?と思ってしまいます。
 どうした?!鉄道図書刊行会!


投稿者 青列車
投稿日 2月27日(月)00時13分17秒
タイトル 機種依存文字の件
>クモイ103様
色の考察、フォロー有難う御座います。
ところで、ローマ数字dせすがご指摘の通り機種依存文字である事は存じております。
私の環境はWindows2000ですから、もしそのままローマ数字(丸囲み数字等も含めて)変換してUPしますと、
特にマック系ユーザー各位にご迷惑になると思い、拙文ではアルファベットの「i」を半角英数大文字で代用しました。
先の発言での「II」、「III」の表記は「i」です。どうぞご安心下さいm(_ _)m。

他誌でも例えば鉄道ジャーナル誌あたりでは1980年代後半以降だったかと記憶していますが、
10系以前の客車(厳密にはナハ10とその一統を10系と呼ぶのも「ダウト!」でしょうか?)(^^);
を指して「雑形客車」と呼ぶ記事が散見されました(某レールウエイライターの先生もその著書で触れられていました)。
仮にも省制式のクルマに対して雑形とはなんたる無礼!と思いましたが(^^);、
ピクトリアル誌上ですらその表記が見られるようになってしまったとなると残念です。
編集部が以前の場所にあったなら直ちに意見しに行くのですが…
(以前は新国際ビルにあり、ナショナルトラストの事務局と同じビルでしたので、訪ねることは容易でした。)
今は移転してしまい、行き辛くなりました(^^);
おっと、この話題は過去ログにも残っていると思いますがこちらさまでは散々既出の話でしたね(^^);以下自粛m(_ _)m

さてそうなると…益々謎が深まってしまいましたね。この写真


投稿者 スイロフ
投稿日 2月27日(月)01時02分12秒
タイトル Re2:国鉄客車開発記
こんばんは、スイロフと申します。

件の写真ですが、ロの等級帯の色も薄緑色に見えますね。
薄緑色も薄青色も退色したカラー写真では同じような色に見えますから、間違って色修正されたのかもしれません。


投稿者 クモイ103
投稿日 2月27日(月)08時18分40秒
タイトル Re3:国鉄客車開発記
 昨夜の書き込み、日頃のうっぷんの八つ当たりになってしまい、一夜明けて顔から火が出る思いです…。

>なかむら様
 私は昨日申し上げたような認識でおり、全くの推測ですが
「実はみなぶどう色1号だが、オロ35は出場直後のピカピカ、右側のオハ?は退色または汚れている」と思っております。
しかし、なかむら様ご自身がもし納得いかなければ、編集部に直接問い合わせされてはいかがでしょうか?
 一般に、情報を発信する立場の人は、受け手から直接反応があれば喜ぶものですから。
(私はすでにブラックリストに載ってる可能性がありますので…(笑))

>青列車様
 ローマ数字の件、よく確かめもせず失礼いたしましたm(_ _)m。
 「系」の件、私は最近、誤解されやすいと思う時にはよく「いわゆる」をつけています。
昔、国鉄で頻繁に争議があった頃、TVニュースで「『いわゆる』順法闘争」という表現がありましたよね。
TV局としてはその言葉の意味内容を認めないけれど、
単なる“符号”として便宜的に使ってやるんだぞ…という意図の現れでした。
…なんて話は深入りするとヤヴァいのでやめときませうね(^^;。

>スイロフ様
 こちらでははじめまして。よろしくお願いします(笑)。
 そうそう、オロ35の帯色もそうでしたね。書き落としていました。
くだんの写真が最初に目に入ったとき、「オロ35の近代化改造車はナハ10並みにぶどう色2号で出場したのか?」
と思ってしまいましたが、次の瞬間帯色の矛盾に気付き、写真の色ってアテにならんものだなあ…と脱力したものです。

>鉄道図書刊行会様
 勢いにまかせた暴言、失礼しました。
客車に関してはミスだらけのムックが世にはばかる中、貴会の出版物が頼みの綱です。
今後も一層正確な情報を世に広めていただきますようお願いします。


投稿者 青列車
投稿日 2月27日(月)12時57分28秒
タイトル 蛇足ですが
またお邪魔しますm(_ _)m
件の写真再度見返しました。
オロ35の右隣、「準急」?のサボの入った戦後型オハ35。
窓から僅かに見える座席の背ずり、原型のままのニス塗りです。
確かに後年、旧型客車の晩年期には塗装は青塗りのクセに車内はニス塗りなんてクルマはゴロゴロ存在しましたし、
今も大井川鉄道に残るオハ35837は(屋根の端処理はこのクルマとは違うタイプですが)車体青塗り車内ニス塗りです。
然しながらこの当時の(というか、1960年頃から始まった)体質改善車は、内装を軽量客車や新性能電車並に近代化し、
特に優等列車に継続使用する際見劣りがしないように…というのが目的だったと愚考しています。
青塗り車なら当然ながら内装も塗りつぶしなりデコラ張りなり変更され、座席の枠も塗装されていました。
前発言でも触れた標記や、他の方々のご発言からもある通り、この車体塗装は「ダウト!」の感が強くなりました。
(今の画像処理技術をもってすれば、かつてのカラー写真や印刷物など、
退色・変色の著しいものを復元することは不可能ではなくなりましたが、
それだけに一歩間違うとありえない画像を「でっち上げる」こともできてしまいます。
RMM誌上や、ネット上では工夫を凝らした「ウソ電」が紹介されていたりします。
洒落や冗談である事が明記されているなら良いのですが、
まやかしの情報がまことしやかに一人歩き…なんてことにならないことを祈ります)。



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