倶楽部メモ(63)
平成12年10月 6日〜10月11日


投稿者 やまだ
投稿日 10月 6日(金)23時37分29秒
タイトル スハ42−2047を調べて来ました。
本文

 みなさん、こんばんは。
 ichiseさん、私も50系大好きです!
 特に赤い電機との組会わせは旧客と甲乙つけがたいぐらい好きです・・・
 
 学校の後期授業も始まり、今期は金曜日の授業は一時限だけなのでさて、どこへ行こうかと考え
今日は川崎市緑区の生田緑地内に在る日本民家園と青少年科学館前に展示保存されている
D51−408とスハ42−2047を訪ねて参りました。

 既に訪れた方もいらっしゃるとは思いますが、こちらへの交通手段は南武線 登戸駅もしくは
小田急線 向ヶ丘遊園駅下車、それぞれ徒歩15分程度です。
 多摩丘陵の緑が残る里山に移築された日本各地の古民家の数々、そして今は公園の休憩所
として人々に親しまれているスハ42に会いにみなさんもいらしてみませんか?

 さて、このスハ42−2047ですが現役時代は水戸区に所属し、水戸線・常磐線(水戸以北)
で活躍した車両で、こちらの過去ログにも登場する有名な車両?ですが現状を報告させて頂きます。

 形態としては「大宮工場フル・チュ−ンナップ???」の側窓のアルミサッシ化、
便所・洗面所のHゴム支持化(それぞれ 小白ガラス・大曇りガラス)、
側扉の1位側(非便・洗側)デッキの標準Hゴム扉、
2位側(便・洗側)デッキは2段式Hゴム(高窓タイプ)という重整備車です。
ちなみに塗装は青15号、屋根は鋼製で銀色に塗られています。
 
 平成4年に日本電装の手により再塗装などの整備を受けている他、総・警の夜間警備装置の
設置が成されていることにより内外ともに綺麗な状況でこのスハ42は維持されています。
 ここまできちんとした管理をされている川崎市には敬服いたします・・・

 最後に、この休憩所は9:30から16:30まで開放されているので、みなさんもそれぞれの
思い出を懐かしみながらゆっくりとした時を過ごしてみてはいかがですか?



投稿者 水ミト
投稿日 10月 7日(土)02時38分46秒
タイトル スハ42 2047
本文

スハ42 2047こそ、典型的な大宮工場?型水ミト客車だと思います。
屋外展示なので、鋼板屋根の同車が選ばれたのでしょうか?

車両床下部分も立ち入り可能(自己責任で行ってください)なので、台枠やパイピングの参考にもなります。

ともかく、首都圏で見ることの出来る数少ない一般型客車の1両ですね。

※大宮工場ではタンクのFRP化や水揚更新などは行ったのでしょうか?
 大宮工場系の車両では、タンクのFRP化・水揚更新車は見かけた記憶がありません。


投稿者 imapy
投稿日 10月 7日(土)08時34分38秒
タイトル 12系客車の窓
本文

ご存知の方いらっしゃいましたら教えてください。

最近休みの度に出かけているのですが、9/22に「ムーンライト高知」に
乗るためだけに四国へ行ってきました。私の乗った車両は3号車(オロ12 5)
でしたが。。。あれっ?。。下段窓が開きません。上段窓は開きますが。。
他の席も同様だったのですが、これは現存の12系全てこのように
されているのでしょうか?それとも、1等車に改造されたための措置でしょうか?
「海峡」は???

また、筑豊の50系はいかがでしょうか?
よろしくお願いします。


投稿者 imapy
投稿日 10月 7日(土)08時42分41秒
タイトル 旧客の電源
本文

連続ですみません。

やまだ様へ
先日、羽根尾へ行った際に、旧客の床下も観察したのですが、発電機らしきものを発見しました。
車軸からベルトのようなものが伸びていて、丸いモータのようなものを回転させるしくみになっておりましたが、
これぞ発電機だと思われますが、いかがでしょうか?

おなじしくみが、オハ47と形式判別できない荷物車にもついていました。


投稿者 やまだ
投稿日 10月 7日(土)19時59分29秒
タイトル スハ42−2047床下について・・・
本文

 みなさん、こんばんは。

 水ミト様へ
 スハ42−2047の床下機器ですが前回の越後湯沢では見逃す失態をしましたので、今回は
しっかり潜り込んで見てきました。 見たところ水揚げ、水タンク共に原型のようです。 水揚げ
装置のサイズは標準型の小ぶりの方ですし、タンクも触ったところ鋼製で補強のベルト状の帯材が
付いている原型タイプです。

 水ミト様の御指摘どおり車体には相当手を加えていた大宮工場ですが、床下となると更新した
車両をまったく見かけませんよね? 信越線の運用があったのだから新津工場でお守りをしていた
直江津客貨車区の車両のように更新しても良いのですがね? ただ、この水周りの更新を施工した
客車を見ると盛岡、福島などの土崎工場エリアにも存在していることが中里の件からも判ると思う
のですが・・・自分の推測は、おそらく重量問題は関係なくて単なる老朽化でタンクに漏水が発生
したために施工した気がします。(でも、どうして大宮工場では見かけないのでしょうね???)

 鋼製屋根の件も保存を加味したものなのでしょうか、もしそうだとしたら個人的にはオハフ45
の2003や、2004を見たかったです・・・でも、首都圏で僅か3両程度しか居なかったスハ
42がここまで大切に保管されていることは奇蹟に近いものを感じます・・・これからも大切にさ
れると良いですね。

 imapy様へ
 そうです、ご覧になったモノはまさに車軸発電機です。 
(GMの客車キットでトイレ流し管と並んで壊しやすい難ぶつです・・・)
さて、荷物車の方はおそらく3軸ボギ−台車で何やら怪しいヤツではありませんか?
もしそうだとしたらスエ78−15(戦災復旧車)だと思います。 私も11月の運転には
行こうと思っています。 それでは・・・ 


投稿者 二枚橋好摩
投稿日 10月 7日(土)21時58分01秒
タイトル 12系の窓
本文 imapyさんへ
首都圏を走る車両でも見られますが、おそらく車外への身ののりだしを防止する処置だと思われます。
かつて、横須賀線で『箱乗り』をしていた高校生が架線柱と接触して死亡したことがありました。


投稿者 ichise
投稿日 10月 8日(日)00時51分12秒
タイトル 車軸発電機
本文 やまださま
どうもありがとうございます。私がまだ下関にいた頃
小倉に行くと夜、ED76が牽引する50系客車
がよくいました。編成は10両以上の長大編成でした。
たしか柳ヶ浦行きだったと思います。
そういえば、私が在住する清水市にも一両旧型客車が
保存されています。スハフ42の2000番台電暖改造型
です。清水港線で使用されていたようですが・・・。
状態はまあまあです。
車軸発電機>50系を解体するときも大変でした。
車軸に二つ割りのプーリーがついており、ベルトを切断した後
プーリーはたがねで分離し、発電機はガスで切断しました。
発電機はかなり重く30kg以上あります。
50系の場合、車軸発電機は台車に取り付けてありますが、
旧客では台枠に取り付けてあるので、おそらくベルトと
プーリーの種類が違うのではないかと思っています。
バッテリ箱も覗いたのですが、すでに留置される段階で
撤去してありました。


投稿者 水ミト
投稿日 10月 9日(月)02時49分06秒
タイトル そういえば...
本文

また一般型客車の話しで、すみません。

大宮工場というか、首都圏に配置されていた客車のステップ(客用扉の下)って
木製でしたが、土崎系というか北の車両は鉄板?が多かったと思います。
西の方はどうなのでしょう?

あと水ミトの鋼板オハフ45ですが、たしか北オクからの転出組ではあり
ませんでしたか? 末期(S60)は休車だったような気がします。

それと車軸発電機。
あれもリブ付きとリブなしがあったりします。


投稿者 やまだ
投稿日 10月 9日(月)23時10分38秒
タイトル 発電機、ステップについて・・・
本文

こんばんは、水ミト様

そういえば、鉄道各誌を見る限り東北の旧客のステップは薄くて灰色のゴム製?のような滑り止め
が付いていますね・・・ 同じような施工で名古屋工場で検査をやっていた米原、名古屋の車両は
ステップの窪み全体が灰色の滑り止めらしきモノで覆われています。(本を見る限りですが・・・)
一方、大宮で面倒を見ていた関東系のステップは現存車、各誌の写真を見る限り木製・黒塗りです
よね? (いや−旧客は奥が深すぎて・・・そこが面白いのですがね。)

あとオハフ45の件ですが、57年11月改正で余剰となった北オク からの転出組です。
2003の方は水郡線の最終客レに使われたようで、当時の鉄道ファンに小さい記事ながら載って
いた記憶があります。 やはり、水戸も安住の地とは成らず59年の水郡線の完全気動車化で廃車
になったようです。 一方の2004はその後60年3月改正頃まで残っていたようですが・・・

そして、発電機ですが炭の断面のようなひだひだが有るのと無いのが確かにありますね・・・
小さい頃私はこれを見て「なんで電車の下に炭が付いているのだろう?」と疑問に思った事を思い
出しました・・・あれってクヌギを焼いた炭の断面に似ていませんか?みなさんどうです?


投稿者 瑞貴
投稿日 10月10日(火)00時00分31秒
タイトル スハ422047のこと
本文

 こんばんは。
 生田緑地のスハ422047、2年程前まで比較的近くに住んでいたので、家族で
公園を散歩ついでに何回か見に行きました。正直な所、保存状態は期待していなか
ったのですが、思った以上に状態がいいので以外に思ったものです。やはり鋼板屋根
のおかげでしょう。屋根なしの状態で保存されている旧型客車は、大体屋根から朽ち
ていくようです。

 ところでスハ42(戦後型のオハ35系もそうですが)の屋根は鋼製と布製があり
ますが、これは製造メーカーの違いからでしょうか? 手元にある写真では、スハ
42の改造型であるオハ36、スハ40を含めても10両に満たないのでよく分かり
ません。分かる方が居られましたら教えてください。

 また、ちょっと前の話題になりますが、佐貫のオハフ462016の件、ステッカー
の有無で水ミトさんからご指摘がありましたが、当時の写真を見直した所、1984年
5〜6月に当時水戸区に配置されていた、ステッカーを貼っていない旧型客車に対して
貼る作業を行ったようです。オハフ462016に関しても、4月と8月に同じ部分を
撮った写真がありますが、4月には無かったステッカーが8月には貼ってありました。


投稿者 山本町駅
投稿日 10月11日(水)00時59分26秒
タイトル imapy・二枚橋好摩さんへ
本文

久々に投稿します。

 <ムーンライト高知>の12系の下窓が開かないという
件ですが、瀬戸大橋を頻繁に渡るために改造したのではないの
でしょうか?岡山の115系でも、琴平行に使う115系3両
編成はほとんど窓が開かないようになっています。

「絶対」という答えではありませんが、瀬戸大橋の上から
モノを落とされては・・。関西某モノレールの
「下は道路です。窓からモノを落とさないで下さい」という
車内放送を思い出します。


投稿者 水ミト
投稿日 10月11日(水)01時01分30秒
タイトル ステップなど
本文

こんにちは。

ステップに関してですがゴム製滑り止めというのは、ちょっと記憶にありません。
よく駐車場の入り口とかにある、鉄板の模様のような感じだと思っていました。

高崎にいる(いた)スハフ42 2261と2234は土崎なので、鉄板でした。
あとスハフ32 2357も鉄板です。
米原といえばオハフ33 2555が該当しますが木板でした。

ステップは色を黒く塗っているようですが、退色したり汚れたりで灰色に
見える傾向にあると思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
あとひとつ疑問なのですが、
一般型客車のベンチレーターの色って何色だと思いますか?

模型的な感覚だと灰色なのですが、実際は黒が多いです(よごれとかではなく)。
皇室客車は灰色なのですが、
一般型客車は黒が多かったようです。これも工場違いとかあるのでしょうか?

※黒とは末期(昭和50年台末以降)のことで、初期に関しては判りません。


投稿者 やまだ
投稿日 10月11日(水)02時52分26秒
タイトル ステップについて訂正・・・
本文

こんばんは、ステップについて訂正させて頂きます。

前回、土崎系のステップを鋼製のステップで滑り止め付きのモノと申しましたが、水ミト様の
御指摘どうり鋼製の凹凸が付いたモノのようです。 また、私が勘違いしていたモノは北海道
で使用されていたタイプのようです。 そして、もう一つ名古屋工場の灰色ステップですが、
どうもこちらもゴムなどの合成樹皮類は使われていなかったようです・・・

謹んでお詫び申し上げると共に訂正をさせて頂きます。



  「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから