倶楽部メモ(56)
平成12年 8月11日〜 8月17日


投稿者 akihiko
投稿日 8月11日(金)14時27分40秒
タイトル 初めまして!
本文

初めて、書き込みします!
akihikoです、これからもヨロシクお願いします!

教えて頂きたいのですが、急行越前の編成をご存じの方おられましたら教えて下さい!

また、信越線の横川〜軽井沢間の碓氷峠の通過する、10系客車又旧型客車の編成を、
ご存じの方おられましたら教えて下さい!


投稿者 大和路環状線
投稿日 8月13日(日)04時12分29秒
タイトル 15年前の話
本文

大和路環状線です。随分ご無沙汰しています。
といっても、特にネタらしいネタでなくてスミマセン。

私事で恐縮ですが、ちょうど15年前(1985年8月13日)の今頃、札幌を目指して
函館本線(山線)旧客に揺られているところでした。そう、かの夜行鈍行41レです。

白熱灯のスハフ42 2245に揺られ揺られ。。。初めて踏み込んだ北海道の大地を駆けゆく
重厚なジョイント音。まだ12歳だった私は、憧れの北海道・憧れの旧客に揺られながら、
まさに夢の中で夢を見ているような気持ちでした。。。

今午前4時を過ぎたところ・・・。
山線のハイライト・目名峠を越えた老雄は、次の停車駅ニセコを目指し黙々と走ります。

1985年・・・。旧客の余命いくばくもない時期でしたから、このサイトを見ている
皆さんも、それぞれの15年前の思い出をお持ちかも知れませんね。
今年は2000年。ある種の節目を感じてしまう昨今です。


投稿者 二枚橋好摩
投稿日 8月13日(日)09時33分39秒
タイトル はじめまして
本文

はじめまして。二枚橋好摩と申します。
夏休みなどの長期休暇の時に滞在した、岩手にある祖父母の家の窓から、
東北本線を走る旧型客車列車の姿を見ながら、鉄道ファンになりました。

ところで、その当時は記録を取るなどと言う高等な思考回路を持っていなかったため、
現在悔しい思いをしていることが有ります。

それは、盛岡地区への50系客車導入初期に見られた、旧客と50系の混結編成についてです。
先ごろ、私のPCに導入された「トレインサイドビュー」という、
デスクトップ上を列車が走っていくソフトで、旧客と50系の混結を再現しようと思い立ったのですが、
正確な編成を思い出すことが出来ません。

ご存知の方がおられましたら、ぜひご教示ください。

おぼろげに憶えているのは、50系が3・4両、旧客が3・4両の7〜8両編成で、
旧客の方は扉が施錠されて、回送扱いでした。


投稿者 多度津の住民
投稿日 8月13日(日)21時34分01秒
タイトル 夏が来れば思い出す
本文

静かな尾瀬・・・には行ったことありませんが。

真夏の旧客の旅
焼け付いた屋根のため、天井からプチプチ音がしている。
兎に角、荷物を網棚に放り上げ、窓を全開!
おーい、扇風機が回っとらんぞ!
そこのスイッチの出張ってる方を押しとけ!
ブォーン・・・生暖かい風が来る。
暑いのオ・・・缶ビールをあける(それにしても当時の缶ビールは拙かった、今のはホントに旨い!)
ピョー(一息おいて)ガッシャン
夏の旅が始まった。25年前の思い出。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月13日(日)23時39分06秒
タイトル 急行越前の編成
本文

akihikoさん、はじめまして。

急行越前の編成とのことですが、手持ちの資料の中からは見つけることが出来なかったのですが、
当ページのリンク先のARC資料館によると、末期の編成は
マニ37・オロネ10・オハネフ12・オハネフ13・スロフ62・オハ47・オハ47・オハ46・オハ47・オハフ45
だったようです。
ARC資料館には他の年代の編成も多数掲載してありますので、ぜひ訪ねてみてください。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月13日(日)23時40分56秒
タイトル 旧客と50系の混結編成
本文 二枚橋好摩さん、はじめまして。
旧客と50系の混結編成ですか。
残念ながら私は見ることが出来ませんでしたが、ぜひ見てみたかったです。
さて、盛岡地区で旧客と50系が同時に運用されていたのは、昭和50年代後半の数年間
だけでしたので、昭和58年の資料を見たところ、この時点では一関発盛岡行きの549レ
だけが混結編成の列車だったようです。
この549レの編成は
オハフ50・オハフ50・オハ50・オハフ50・オハ50・オハフ50・スハフ・スハ・スハ・スハフ
( スハフ → スハフ42 ・ スハ → スハ43orオハ47 )
であったようです。
覚えていらっしゃる編成と少し違うようなので、年代が違うのかもしれませんが
参考になりますでしょうか?


投稿者 二枚橋好摩
投稿日 8月14日(月)08時57分48秒
タイトル ありがとうございます!
本文

車掌@仙コリ様。さっそくの情報、ありがとうございます。
言われてみれば、やけに長い編成だったような気もします。
なにせ20年近く前のことですので、記憶があいまいになっているのです。

ただ、旧客の方に乗車しようとして、扉が開かず悔しい思いをしたことは、はっきりと憶えています。


投稿者 akihiko
投稿日 8月14日(月)10時14分02秒
タイトル 車掌@仙コリ様へ
本文 急行越前の情報ありがとうございました!


投稿者 221レ
投稿日 8月15日(火)22時02分09秒
タイトル 横川の客車公開中
本文

久々に発言します。
GWのころ展示車両は車内を公開していなかった鉄道文化村ですが
夏休み期間中8.31まで週がわりで屋外展示の客車、機関車の運転台等を公開しています。
現在、オハユニ61などが公開中で現役当時乗れなかった人は
板張りの背づりのシートや、ニス塗りの車内がなど必見かもしれません。

TR11の乗り心地は横揺れがひどくかった気がしましたが
高崎のオハニ36とはまた違った雰囲気があって良いでしょう。

私としては最終週のオハネ12が気になります。

甥が遊びに行って記念写真を見せられ気がつきました。
それでは。


投稿者 大和路環状線
投稿日 8月15日(火)23時22分59秒
タイトル やっぱこれ
本文

多度津の住民さん
>真夏の旧客の旅

私は旧客当時は子供だったので、客車内でビールを飲む経験がないのが残念です。(笑)
五感をフルに使って感じ取る客車列車の魅力・・・この原点を忘れたくないですね。


投稿者 なんちゃん
投稿日 8月16日(水)00時36分59秒
タイトル 常磐線の思い出
本文 20年も 前のことですが、父の田舎に行く時は、必ず客車列車に乗りました。
たしか、お昼頃 上野を出て、富岡駅に着くのが、18時頃だったと思います。
お盆の頃って、この列車こむんですよね。
だから、編成の真ん中あたりに連結されているスハフ42の車掌室の座席をよく陣取ったものです。
他の座席は 満杯でも、ここだけはポツンと空いているんですよね。


投稿者 きん
投稿日 8月16日(水)11時20分18秒
タイトル はじめまして!
本文

客車ファンで、ずいぶん客車を追っかけ回して乗りに行きましたので、このページを見つけて
大変よろこんでおります。すばらしいページですね!

ところで以前ハイケンスの話題がありましたが、ハイケンスは当方で4種確認しております。
オリジナルオルゴール、単音オルゴール、電子音、シンセサイザー音です。
名称は適当につけてますが(^^;)

拙ページにて公開していますので聞いてみてくださいね。

投稿者のホームページ


投稿者 多度津の住民
投稿日 8月16日(水)20時10分01秒
タイトル 真夏の小浜線
本文

皆さん、暑いですね!

こんな時は旧客に乗って、窓を全開にして旅情にひたる・・・
大和路環状線さん、これですよね。

19年前の福知山駅。鳥取行の旧客列車を降り、敦賀行の旧客列車に乗換える。
自分で言うのもなんなんですが、ぜいたくモンそのものです。
43系の好きな小生はたいがい、スハフ42(オハフ45)かスハ43(オハ46)に乗車。
TR47は最高です。東舞鶴に到着。金ツル(金トヤ)のオハユニ61を増結。
吸い込まれるようにオハユニ61の車内へ移動。わずかな三等席の向うの扉には
郵便の文字がスリガラスに書かれている。乗り心地は忘れました。
完全にオハユニ・ワールドに惹き込まれていましたね。221レさん。

車窓からの眺めが素晴らしい。丹後から若狭に入り三松あたりから若狭湾が
広がります。高浜から振り返ると、青葉山の秀麗な姿が。次の和田から本郷に
かけて青戸の入り江がまるで川のように。加斗付近で無人島(蒼島)が見え、
その左右から大島半島と内外海半島がカニのはさみのようにのびています。
従って、小浜という町は天然の良港であることが見てとれます。

こんな素晴らしい所を旧客で行く。生涯忘れられない旅でした。


投稿者 221レ
投稿日 8月17日(木)23時35分38秒
タイトル 夏の旧客
本文

多度津の住民さんこんにちは。

私自身、合造車はオハニ36かクハユニ56くらいしか経験ありません。
ニス塗りの短い車内って独自の雰囲気がありました。

夏の小浜線いいですね!(私はここはまだ乗ったことがありません)
蒸気の現役時代のことはわからないですが
EL、DLの牽く客車列車は本当に快適でした。
屋根が高いせいか満員で無い限り暑苦しいと思ったことはありません。

夏の旧客と言えば小学生のとき始めての一人旅で乗った
東北本線123列車(上野発一ノ関行き)
EF58122号機とは、この頃からのお付き合いになります。
国電区間を全力で走る姿が忘れられません。

また、S57年夏、青春18のびのびきっぷを片手に
上野‐平‐郡山‐喜多方‐熱塩‐喜多方‐新津と旧客だけを乗り継ぎ
翌日は長岡発米原行きの客車列車に乗り継いで神戸の知人宅まで遊びに行ったことを
昨日のように思い出します。

常磐線東海以北の海も良かったのですが
やはり、青海川や親不知の夏の日本海はとても綺麗でした。
磐越西線では夜、開けっぱなしの窓から虫がたくさん入って来てまいりましたが(^^;

あとは動態保存ですがC62ニセコ号でしょうか、あの豪快なドラフト音を聞いて
山線を行く客車のボックス席にもう一度、身を置きたいものです。
今秋に復活するC11207がどこまで頑張ってくれるかにもよりますが・・・

旧客のボックスシートに身を置けばどこまでも行けた気がするのは
若かったからだけではないと思います。
なにか包み込むようなやさしさがあったのだと思います。

どちらかというと軌道強化された区間を
どっしりとした乗り心地のTR47のスハフ42あたりに乗るのが好きでした。
(その割にはニス塗りの多かったオハ35ばかり選んでいたかも・・・)
18きっぷからのびのびが消えたのはこんな客車列車がなくなり
編成がが短くなったからでしょうか?
JR東日本の交流電化区間なんて今は最悪ですよね。

12系でさえ登場から30年、14系も解体されるこの時代
旧型客車に乗りたいというのもわがままですが
わずかに残った客車に出来るだけ乗りたいとおもいます。

それでは。



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