倶楽部メモ(51)
平成12年 6月25日〜 6月28日


投稿者 水ミト
投稿日 06月25日(日)02時05分46秒
タイトル オハ36、スハ40のアルミサッシ車
本文

こんにちは。

>オハ36、スハ40のアルミサッシ車は

とありますが、逆にオハ36、スハ40の非アルミサッシ車というのが存在するのですか?
不勉強のため、オハ36、スハ40の非アルミサッシ車が存在するとは、全く思っていませんでした。


投稿者 水ミト
投稿日 06月25日(日)02時10分18秒
タイトル オハ36 125
本文 ふと資料を見たら、 ↑ は非アルミでした。お騒がせしました。

投稿者 多度津の住民
投稿日 06月25日(日)08時03分13秒
タイトル オハ35系アルミサッシ車
本文

皆さん、おはようございます。
水ミトさん、はじめまして。

スハ40の非アルミ車・・・これは気が付きませんでした。
私の資料でもスハ40は全てアルミサッシのものばかりです。
オハ36の非アルミサッシ車は
34(門??)  97、132(鹿カコ)  113、134(四コマ)

窓枠の軽合金化・・・車輌の軽量化の一策なのですが、濃い色で塗られた旧型車に
長方形の銀色に光る窓枠・・・いいアクセントでしたね。私は好きでした。
以前、この掲示板で”外観がスハフ42”のオハフ33 630が居るよ と教えて頂いた方が
おいででしたが、実際スハフ42 18を幡生工場で徹底的に軽量化して、”オハフ”級まで
自重を落とした物でした。ここでも窓枠の軽合金化という手法が盛込まれました。
もっともオハフ33に編入されたので話がややこしくなってしまいましたが
”オハフ45”に編入されていればどうって事はなかったのですが。・・・

オハ46のトップナンバーが話題になっていましたが西国に住む私は見たことありません。
その代わりオハ46の緩急車のオハフ45 2001は1975年福知山、山陰線スジで見ました。
当時は米ヨナで後に米ハマに移っています。乗降扉の小窓が2枚ありそれぞれHゴム支持に
なっていたため、その部分だけは、どうもいただけない車輌でした。


投稿者 オーロラ
投稿日 06月25日(日)23時57分35秒
タイトル 山線41列車 
本文 こんばんは。かつて、函館本線(山線経由)で運転されていた夜行鈍行41レに連結されていた
荷物車と郵便車について、形式、所属、編成などご存知の方いらっしゃいましたら、ご教示下さい


投稿者 吉備線721レ  
投稿日 06月26日(月)00時35分28秒
タイトル 岡山のオハ35とオハフ33
本文

私、吉備線721レを名乗っておきながら、機関車や客車の形式の履歴や詳細などの詳しい事は
まったく知らないという無知なものです。

そこでお聞きしたいのですが、岡山にいたオハ35とオハフ33について、車号や形態の詳細、
塗色などわかる方がおられましたら、断片的なことでもいいですから教えてください。


投稿者 大和路環状線  
投稿日 06月26日(月)11時02分29秒
タイトル Re:山線41列車
本文

こんにちは。

最後の旧客夜行列車41レ・46レ、懐かしいですね。
60年3月改正時の編成になりますが、航送便(北スミ)の荷物車・郵便車3両と
函ハコのハフ車2両(基本的にスハフ44)がDD51に牽かれていました。
小樽〜苗穂(客扱いは札幌まで)はED76 500です。
荷郵車の形式はスユ15・マニ44・マニ50ですね。

山線の旧客(函ハコ)ですが、雑誌の資料を見ると、最後まで残った形式はスハフ44・
スハ45・オハフ46だけになってますが、実際のところは、オハ36や盛モカで役目を
終えたスハフ42(この中に旧塗色時代の2245も存在)も健在でした。

また、41レも多客時は客車が2両増結され(ハ+ハorハフ)、そのうち1両にカーペット車
又は畳敷き車を連結。これは話題を呼びましたね。
私が60年8月に乗車した時は、板張りニス塗りの畳敷き改造車スハ43 711が連結されてました。
当時、私は従来の夜汽車の寝苦しさを実感したかったので、敢えて修行僧
のように座席車を選びましたが(笑)、今考えると、ニス塗りの畳敷き車(日本的家屋
そのまんま)なんていうオツな車両の乗車体験はしておけば良かったとも思います。
(乗られた方どうでしたか?)(^^;;

41レの乗車ルポ、RJ別冊リバイバルの『懐かしの国鉄列車II』に再録されてますよ。
一去年の発刊ですが、大型書店なら大抵まだ置いていると思います。ご参考まで・・・。


投稿者 多度津の住民  
投稿日 06月27日(火)00時42分53秒
タイトル 岡オカの客車
本文

吉備線721レさん、皆様こんばんは
1978.3の岡山駅 見たまま
*1978.3/12             *1978.3/25
伯備933レ    津山634レ     伯備934レ    吉備722レ   
DL         DD51 784岡   DD51 1023岡  DE10 1145岡 
・スハフ42 112 ・スハフ42 137 ・オハフ45  20 ・オハフ33 1535 
・オハフ33 125 ・スハ 43 175 ・オハ 35 1177 ・スハフ42 139 
 オハ 41  54 ・オハ 47  17 ・オハ 46  45 ・オハ 41 502 
・オハ 46 506 ・オハ 46  11 ・オハ 46  44 ・オハ 46  10
 オハ 41 411 ・スハフ42  98 ・オハ 46 504 ・オハ 41 351  
・スハフ42  97 ・オハ 35 1028 ・スハフ42 300 ・スハフ42  99
 岡山⇒新見   ・スハ 43 186 ・オハ 47  18 ・スハ 43 235
         ・スハ 43  64 ・スハ 43 262 ・スハフ42 109
         ・スハ 43  67 ・スハ 43 493   総社⇒岡山
         ・スハフ42 101 ・スハフ42 108
          岡山⇒津山   新見⇒岡山 
*オハ35
(↓オハフ33に訂正)
122岡イト⇒天カメ 125岡オカ⇒福フチ 468岡イト⇒福フチ 1534岡イト⇒岡オカ⇒福フチ?
370岡イト 82廃車 461岡オカ 82廃車

*オハフ33(↓オハ35に訂正)
1028岡オカ⇒福フチ
382岡オカ 483岡オカ 1226岡オカ
977岡オカ 82廃車 1027岡オカ 82廃車 1177岡オカ 82廃車


投稿者 多度津の住民  
投稿日 06月27日(火)01時09分52秒
タイトル 下文の訂正 
本文

吉備線722レ オハ41は2両共 横軽対策なし
オハフ33 1535を1534に訂正
岡オカ、岡イト所属車輌の説明文の内
*オハ35をオハフ33に
*オハフ33をオハ35に それぞれ訂正願います。

ついでながらオハ41について
411は
スロ51 30からスロ52を経て 天ワカより
351はスロ51 21より改造 従ってこの2両は狭窓
502は
スロ53 43からスロフ53を経て 従って広窓

岡山の車輌の資料はあまりありませんが、ご参考まで

※青字は下記に訂正有り


投稿者 多度津の住民  
投稿日 06月27日(火)01時24分56秒
タイトル もう2つ訂正
本文 ビールを飲みもってキーを叩きよったら、間違いだらけです。
スロ51 30を31に
スロ53 43をスロ51 43に従って これも狭窓
再三 失礼しました。


投稿者 吉備線721レ
投稿日 06月27日(火)01時58分20秒
タイトル RE:岡オカの客車
本文

多度津の住民さま>
丁寧なレスありがとうございました
おかげさまで、私の記憶の底の映像がだんだんとリプレイされてきて、いい気持ちで焼酎のんでマス。
もう今日はへろへろで、今九州から来た友人と飲んでいますが、彼も多度津の住民さんの研究成果を見て関心しております。

私、酔った勢いであるBBSに、同じ内容を3つも打ち込んでしまいました。
お互い酔ってコンピューター操作するときは気を付けましょう。


投稿者 アーノルドカプラー  
投稿日 06月27日(火)04時57分06秒
タイトル ありがとうございました オハ35について
本文 アーノルドカプラーです。
水ミトさん、多度津の住人さんへ、
さっそくのレスありがとうございます。
グリーンマックスのオハ35戦後型というものが
アルミサッシ化されても形式は変更されないのですね。
お教えいただいてありがとうございました。
またこれからも何かあったらよろしくお願いします。


投稿者 伊藤正宏  
投稿日 06月27日(火)11時33分59秒
タイトル オハ35形について 
本文

皆さん、こんにちは。
オハ35形についての話しがありましたので、少しだけコメントさせていただきます。

グリーンマックス製のオハ35戦後形が端部を絞った折妻形とのことですが、
確かにこのタイプはスハ42、オハ36、スハ40形にはならないです。
しかし、トイレと反対側デッキ寄りの客窓1つを1000mmから700mmに狭くすると
オハフ33形1500番代にならなります。
オハフ33形1500番代はTR34形付きのオハ35形に車掌室を取り付け改造したタイプですが、
皆さんのお話の通り戦後形のオハ35形にはいくつかのタイプがありますので、
オハフ33形1500番代の中で何番が端部を絞った折妻形なのかは、種車の旧番号と
照らし合わせないと分からないと思います。
また、アルミサッシ改造車があったかどうかまでは分かりません。
同時期に改造した車両の中には、丸屋根のオハ35形(TR23台車付き)に車掌室を取り付けた
オハフ33形1000番代というグループがあり、こちらは車掌室が1000mm幅の窓のままのようで、
客窓もアルミサッシ改造車が多かったようです。
あまりオハ35形には詳しくないのですが、下記URLにオハ35系についてのグループ分けについて
掲載しております(PRですみません)。

投稿者のホームページ


投稿者 伊藤正宏  
投稿日 06月27日(火)11時48分18秒
タイトル 夜行鈍行41レについて
本文

オーロラさん、こんにちは。

 夜行鈍行41レに連結されていた座席車については、レールマガジン1986年2月号には
当時在籍していたスハ45系車両の一覧表がありますので役立つと思います。
 当時の荷物車や郵便車の配置については、1986年版の気動車客車情報に載っており、
編成表も掲載されていたと思います。
 当時、これを参考に全廃直前のオユ15形の形式写真を撮った気がします。
たしか、隅田川のオユ15形は50系客車と同時期に製造された折妻形の後期形が
メインだったと思います?。

投稿者のホームページ


投稿者 水ミト
投稿日 06月28日(水)00時05分36秒
タイトル 屋根について
本文

こんにちは。
戦後型オハ35,スハ42等の屋根についてです。

戦後型の両形式には、鋼板屋根とキャンバス張りの2種あります。
オハ35ですと戦後型前期・戦後型後期ともに、鋼板屋根とキャンバス張りがあり、
スハ42に関しても両方あります。

これはどの様な基準でそうなったのか、製造メーカーや製造時期などで
区分を試みたことがありましたが、挫折しました。

もし御存知の方いらっしゃいましたら、御教示頂ければと思います。
宜しくお願いいたします。



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