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         大キトさん、早速のコメントありがとうございます。 
        ページを拝見させていただきましたが、昭和34年6月の「車両塗色及び標記方式規定」の 
        一部改正で「ぶどう色1号」から「ぶどう色2号」に変更になったということですよね。 
        ということは、晩年まで「ぶどう色2号」であった客車はともかく、昭和39年頃に早々に 
        「青色15号」に塗り替えた車両は、5年ほどで2回塗り替えがあったわけですね。 
        
        
        また昭和34年に変更ということは、初期に落成した10系客車も落成時は「ぶどう色1号」 
        だったわけですよね。 実際に「ぶどう色1号」を見たことはない?ので、雑誌の写真等で 
        じっくり見比べてみたいと思います。 
        
        
        ところで、この最初の塗色変更ですが、実際に塗り替えを行ったのは近代化改造等で 
        工場に入場した際ですよね。 
        当時の客車の検査入場?の間隔はわからないのですが、比較的晩年まで「ぶどう色1号」の 
        ままであった車両は存在しなかったのでしょうか? 
        以前、天カメ@燃焼効率さんの書き込みに、天理のオハ61(保存車)の色がかなり濃く、 
        「ブドウ色1号」なのでは?というのがあったので、もしかしたら... 
        ということはないと思いますが、保存時にあえて「ぶどう色1号」に塗り替えたとしたならば 
        担当者はかなりの鉄道好きな方ですよね。
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