倶楽部メモ(24)
平成11年10月12日〜10月19日


投稿者 急行比叡
投稿日 10月12日(火)01時52分13秒
タイトル 43系客車の編成について
この掲示板には初めて投稿させて
いただきます。急行比叡と申します。
どなたか43系客車のスロ53、あるいは54を組み込んだ国鉄の急行の編成例を教えていただけないでしょうか。
できればその急行の先頭に立っていたSLやELの例もお願いします。


投稿者 大和路環状線
投稿日 10月12日(火)04時27分01秒
タイトル Re:43系客車の編成について
記述が不完全な箇所もありますが、引用文献から得られる範囲ですのでご容赦下さい。
数少ない手持ちの資料を調べたに過ぎませんので、皆さんからのさらなる情報を待ちたいと思います。

●急行「十和田」(東京発札幌行):昭和27年
マニ(青森行)−マニ−マイネフ38−マロネ37−マロネ37−スシ−マロネ37(仙台発青森行)−マイネ38(仙台行)−マロネ37(仙台行)
−スロ53−スロハ32−スハ42−スハフ42

●急行「西海」(東京発佐世保行):昭和29年10月 [東]+東シナ
EF58−マニ32−スニM-3211−マロネ29−スロ54−オロフ32−マシ29−スハ43−スハフ42−スハ43−スハフ42
 ※客車2両目は進駐軍専用車(メイルの「M」+軍番号)

●急行「彗星」(東京発大阪行):昭和29年12月 [東]+大ミハソ
EF58−マニ60−マイネ41−スロネ30−スロネ30−スロ54−スロ54−オロ40−スハフ42−スハ43−スハ43−スハ43−スハ44−スハフ42

●急行「みちのく」(上野発青森行・常磐線経由):昭和36年
マニ−スロ54−スロ51−スシ28−スハ−スハ−スハ−スハフ−スハ(仙台行)−スハ(仙台行)−スハフ(仙台行)
−スハフ−スハフ(後2両仙台から)

●急行「出雲」(浜田/大社発東京行):昭和36年 [宮]+東シナ
EF58−ナハフ11−ナハ11−ナハ11−ナハ11−ナハ11−ナハフ11−ナハ11−ナハネ11−スロ53−スロ54
−ナハネ10−スハネ30−ナハネ10−オロネ10−スニ30

●急行「安芸」(東京発広島行・呉線経由):昭和37年
マニ−オロネ10−スロ54−マシ38−ナハネ10−ナハネ10−ナハネ11−オハネ17−ナハネ10−オハ−オハ−スハフ42
−オハネ17−オハネ17−スハフ−マニ(浜松行)

※「スハ」「スハフ」はおそらくスハ43・スハフ42?
※「十和田」「みちのく」はC62牽引?

<引用文献>
・『国鉄最終列車全国大追跡』鉄道ジャーナル別冊17・1987年(「十和田」「みちのく」「安芸」)
・『鉄道ピクトリアル』1999年6月号(「出雲」)
・『懐かしの国鉄客車列車』鉄道ジャーナル別冊38・1999年(「西海」「彗星」)

投稿者 tatekawa1
投稿日 10月12日(火)16時51分02秒
タイトル 43系客車組込み編成については・・・
蛇足ながら、参考資料をここに掲示します。
なお、43系客車の他にあらゆる客車が連結された(例えば10系など)編成が掲載されてます。
ご参考までに
「客車編成図」いさみやロコワークス刊 1997
「食堂車特集」鉄道ファン 1977年 6月号(通算194号)
以上の資料には編成図の他、牽引機関車の番号も載っています。
(膨大な量のため、こちらに掲載できません。ご了承願います。)
お持ちでなければこちらまでお知らせ下さい。こちらからコピーを送ります。
では、これで失礼致します。

投稿者 車掌
投稿日 10月12日(火)17時17分34秒
タイトル Re:43系客車の編成について
急行比叡さん、初めまして。
スロ53・54を組み込んだ国鉄の急行の編成例ですが、
手持ちの資料がほとんど大和路環状線さんと同じなので、ほんの少々だけ追加します

●急行「銀河」(東京発大阪行):昭和30年3月 [東]+東シナ
EF58−マニ31−マイネ40−マロネ29−スロネ30−スロネ30−スロ54−スロ54−オロ42
 −スハ43−スハ43−スハ43−スハ43−スハ43−スハフ42

●急行「みちのく」(上野発青森行):昭和29年9月 [仙]+仙セン(前3両)+東オク
C60−スハフ42−スハ43−オロ41(以上仙台行)
 −スロ53−オロ35−オハシ30−スハ43−スハ43−スハ43−スハ43−スニ30

<引用文献>
・『JR・民鉄 客車列車大追跡』鉄道ジャーナル別冊No27

なお参考までに特急列車の編成も少々

●特急「つばめ」(東京−大阪):昭和26年10月 
牽引機 東京〜浜松 EF57 浜松〜大阪 C62
スハニ35−スハ44−スハ44−スハ44−スロ53−スロ53−マシ35−スロ53−スロ53−スロ53−マイテ39

●特急「つばめ」(東京−大阪・青大将色):昭和31年11月
EF58−スハニ35−スハ44−スハ44−スハ44−スハ44−スロ54−スロ54−オシ17−スロ54−スロ54−スロ54−マイテ49

●特急「あさかぜ」(東京−博多):昭和31年11月
牽引機 東京〜京都 EF58 京都〜下関 C59 下関〜門司 EF10 門司〜博多 C59
スハニ32−ナハネ10−ナハネ10−ナハネ10−ナハ10−ナハフ10−マシ35−スロ54−マロネ40−マロネフ29

<引用文献>
・『国鉄特急編成史 機関車・客車編』


投稿者 客車好き人間
投稿日 10月12日(火)18時31分01秒
タイトル 大宮客貨車区の質問
大宮客貨車区は1978年ころまでは大宮駅の川越線ホームの南側に大宮機関区と並んで存在していましたが、
その後、大宮繰駅の中央付近(与野駅付近)に移転しました。
移転前は当然、大宮駅の操車係が担当していると思っていたのですが駅員に聞くと大宮繰が担当だと言っていた記憶があります。
川越線のPCを入庫の際は大宮駅が担当と思われるし大宮繰のFCは大宮繰が担当とも考えられますが誰かご存知でしょうか?
1つの客貨車区を2つの駅が担当するのは不自然とも思われますが?
たまたま1ヶ月前に、大宮工事事務所にいたという80才くらいの人に会い質問したのですが、
「ホームの西側は工場の構内、南側は客貨車区」というだけで話になりませんでした。
工事屋さんは目の付け所が違うようです。
この人は「客貨車区を新たに与野駅付近に作ってあげた」というくらい大宮に関与しているのに
東大宮操車場のことを「東大宮車両基地」と呼び、私が「大繰ですか」というと「大繰ではない」というので、
「大宮繰駅ではなく東大宮操車場のことですが」というと、「いやあそこは東大宮車両基地だよ」と言うなど、
工事屋さんの考え方が何となく私にも判ってきた気がします。
運転関係者から見れば場内信号機から先は操車場だし、検査係は操車場の構内で尾久客車区東大宮派出所が検査したと見るし、
工事屋は車両基地を建設したと考えるのでしょう。
ちなみに隅田川でアルバイトしたときに鉄道電話帳を見たところ、操車場は駅長が不在で運転関係は大宮駅に所属していたので、
操車場は無人駅で運転主任と運転係(操車担当)と運転係(信号担当)は大宮駅から出張していたのかも知れません。


投稿者 水ミト
投稿日 10月13日(水)00時37分08秒
タイトル 大宮など...
現場の事はよくわかりませんが・・・

大宮客貨車区の営業用客車は、手元の配置表では昭和47年には存在していますが、昭和50年には消滅しています。
ということは、この間に川越線のPCが消滅したと言うことになりますね。

ところで客貨車区って、貨車関係はどのような配置だったのでしょう?
具体的に言うと、緩急車は客貨車区の所属だとはおもいましたが、一般の貨車は配置ってあったのでしょうか?


投稿者 急行比叡
投稿日 10月14日(木)06時07分21秒
皆さんご教示ありがとうございました。
ところで、43系デビュー当時、特別2等車がスロ53(54)で、
2等車と3等車の全てがスハフ42やスハ43で固められていた幹線用の急行や普通列車の編成例はあったのでしょうか。
それにしても、旧客使用の往年の急行をNゲージで再現するのは難しいですねえ。


投稿者 tatekawa1
投稿日 10月14日(木)12時21分26秒
タイトル スハ43系客車特集は・・・
いつもお世話になっております。立川凌志です。
鉄道ピクトリアル85年6月号”スハ43系特集”に、スハ43系客車が詳しく掲載してます。
模型で再現するとおもしろい車両が、色々載っています。(例えばスロ54 47はオシ17と同じKD台車でした。)
後、鉄道ファン200号201号巻末の総索引にも、各形式ごとに資料記事が何号に書かれているかがわかります。
どうぞご参考までに


投稿者 中川 一之
投稿日 10月16日(土)23時24分17秒
タイトル オユ10公開の御案内
平成11年度 オユ10郵便客車公開の御案内

平成11年11月13日土曜日13:00〜17:00
平成11年11月14日日曜日10:00〜16:00

場所 のと鉄道 甲駅構内

イベント内容 保存車両活用研究会担当分
鉄道郵便車の歴史物語
車内でジャンボ年賀状を作ろう
模擬郵便物の仕訳タイムトライアル
オユ10スケッチ大会
2000年にむけてオユ10へのアイデアメッセージ募集

以上の内容で開催します。ご来訪下さい。

詳細は保存車両活用研究会のHPを御覧下さい。
投稿者のホームページ


投稿者 AK1219
投稿日 10月17日(日)14時46分33秒
タイトル 久大線客レ
鉄道ダイヤ情報11月号を見るとさよなら客レのオレカの発売情報があります。
12月の改正(九州は訂補かもしれませんが)で久留米口の列車番号1000番代の列車はDC化するといううわさは聞いていましたが、
大分口も含めて一気に消滅してしまうのでしょうか。
(図柄が豊後森−北山田間を走行する列車の写真のようなので久留米(鳥栖)−豊後森間の1000番台に限った話かもしれませんが。)


投稿者 大和路環状線
投稿日 10月18日(月)14時13分44秒
タイトル 久大線客レのこと
本文 AK1219さん、こんにちは。
ついに「さよならオレカ」の発売ですか・・・。

鳥栖側の1000台の列車から置き換えが実施されるという噂があるようですね。
とすると、残りは3往復だけとなります。12系の定期列車が残存する唯一の路線
(1往復は50系1000番台)となりましたが、もっともっと頑張ってほしいと思う
一方で、客車のあの色褪せた極端に元気のない姿を見ると、
早く引退させてあげたいというのも正直な気持ちです。
(不謹慎な言い方かも知れませんが、元気だった頃を思い出すと
なおさらそう思ってしまいます。)

尤も、私が訪れた時も通勤時間帯にかかる列車は長編成(と言っても4両ですが)
という特性をフルに発揮しているように見受けましたし、見ていて頼もしい一面も
十分にありました。

もう一度、あのゆったりとした乗り心地を堪能しに行きたい思いで一杯です。


投稿者 客車好き人間
投稿日 10月18日(月)18時35分56秒
タイトル FCの検査について
本文 水ミト様が言及されている貨車は、交番検査済みの紙をヤードでチェックし、
客貨車区に回送を指示する段ボール紙を差していただけで、
それ以外の車両ごとの管理はしていなかったと思います。
25年くらい前に田端操に聞きにいったところ
「車両の管理はしていないが、例えば四国の入り口では、本州の車両は回送のときは
できるだけ本州に返し、四国の車両は四国に戻るようにはしているようだ」と言っていました。
ちなみに客車にも交番検査の紙がありますが、品川客車区に昔、聞きに行ったところ
客車の場合は管理はしているが、紙も使用するとの事でした。
(おわび)これまで私が投稿したもので、「操」の字が「繰」になっているものが
ずいぶんありますが変換ミスです。


投稿者 水ミト
投稿日 10月19日(火)10時39分26秒
タイトル Re:FCの検査について
本文 客車好き人間様 有り難うございました


投稿者 客車好き人間
投稿日 10月19日(火)13時13分22秒
タイトル 車体外部の紙差しについて
本文 昨日、検査の紙と書きましたが、車両の外側の全般検査の年月と工場名が書かれた
四角形の横にある7cm四方くらいの紙差しに入っている紙のことです。
例によって私の投稿は誤字、舌足らずが多いので補足しました。
もう1つ、横が10cmくらいで縦が15cmくらいの紙差しが車外にありますが、
ここには「客貨車区に回送」「検査」「留置」の3種類(もう1つあったかも知れない)がり、
このうち「客貨車区に回送」だけがPCにも使われ、残りはFCにのみ使われていましたが、
尾久駅の検修庫の近くに「留置」という紙を付けたPCを1978年頃見ました。
なにしろ下り本線の車内から見えたので上野と赤羽を往復して確認し、
検修庫までかなり距離がありましたが、見間違えることはないと思います。
誰か「留置」の紙を差した客車を他の客操でも見た方はいますか。



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