倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
宿舎代用車等の電源事情について


倶楽部メモ(813) 令和2年 5月26日〜 5月31日


投稿者

快特

投稿日

2020年 5月26日(火)18時40分50秒

タイトル

鎌倉駅の3軸ボギー客車

初めて投稿させていただきます。
私が小学生の昭和40年頃、横須賀線鎌倉駅の下り側の側線に
3軸ボギーの1等客車が留置されていた記憶があります。
形式や留置目的をご存じの方がおられましたらご教授お願いします。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 5月26日(火)21時26分45秒

タイトル

Re: 鎌倉駅の3軸ボギー客車

快特 様、はじめまして。

昭和40年頃の鎌倉駅、側線に3軸ボギーの1等客車、
と来れば、“その筋”では語り草となっている、
夏の多客期対応で他の駅から応援に派遣された職員の「仮設宿舎」ですね。

形式はおそらくその時によって異なり、
1962(昭和37)年7月19日にマロネロ38 12が留置されている写真が
鉄道ピクトリアル667(1999年4月号)P.16に掲載されている他、
マロネ29(マロネフ29だったかも?)の写真もどこかで見たような気がします。
いずれにしても、かつて幹線の急行列車で颯爽と活躍した優等客車ですが、
その頃にはすっかり「旧式」となって運用を外れた、
引退間近の老兵の“最後のご奉公”だったと思われます。

偉そうに書いている私自身は、昭和40年には未就学児で、
仮に直接見たとしてもその価値は分からなかったでしょう。
小学生でご覧になったというのは、ちょっと羨ましい気もします。




投稿者

快特

投稿日

2020年 5月27日(水)12時59分9秒

クモイ103様ありがとうございました。
単なる廃車疎開ではなく、簡易宿泊車となると当時の鎌倉、逗子両駅の
多数の海水浴客に対応する職員が必要だったことは納得できます。

オハ35なら気にも止めなかったでしょうが、
子供時代あこがれであった1等車だからこそ記憶に残っているのでしょう。
Cロネの車内どんなものか見てみたかったですね。




投稿者

ものずきヲヤヂ

投稿日

2020年 5月28日(木)07時37分24秒

タイトル

電源は??

前出の「仮設宿舎」ですが、車内の電源はどうしていたのでしょうか?
車軸発電しか持たない車両群だったと思われますが、
何日も留めっぱなしだとバッテリーが枯渇しそうです。
いくら職員のための簡易宿泊のためとはいえ、
電灯も点かない状況で使用していたのでしょうか。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 5月28日(木)21時46分47秒

タイトル

Re: 電源は??

ものずきオヤヂ様
確かな事は存じませんが、
一般的に考えてそこそこの体制を持つ駅の構内でじっとしているのですから、
外から電源を引き込むことは容易かったのではないでしょうか。
もっとも客車の室内灯は家庭用電源と異なりますから、
具体的な手段はわかりません。
私はむしろ、トイレはまず使用禁止確定、
洗面所もおそらく?という所を考えてしまいました。
本当に“寝るだけ”の場所だったろうと想像します。




投稿者

ものずきヲヤヂ

投稿日

2020年 5月29日(金)06時49分9秒

タイトル

クモイ103さま

さっそくありがとうございます。
言われてみればその昔は進駐軍(RTO?)が展望車なんかを事務所代わりに
どこかの構内に固定して留め置いていたケースもあったようです。
そもそも直流電化区間でもあり旧客の車内電装も直流だったことを考えると、
架線から変圧してケーブルか何かで引き込むとかは
さほど難しいことでは無かったのかもしれませんね。




投稿者

ホエ7030

投稿日

2020年 5月29日(金)14時57分43秒

タイトル

仮設宿舎の電源

鎌倉駅留置のマロネロ3812の件を拝見し、
当時写真を撮ったことを懐かしく思い出しました。
クモイ103様の仰るように、恐らく宿舎代用だと思いますが、
ホームから撮っただけなので電源のことは分かりませんでした。
しかし、私が実見したその他の例では、
昭和37年8月、勝田電車区に留置されていたマロネ482や、
昭和38年7月、伊達紋別駅で職員の検診に当たっていた保健車スヤ321は、
窓を少し開けて外部からの電源を引き込んでいました。
また、札トマの工事車スヤ391は、妻面のアンチクライマー下部に
「AC100V」と書かれたボックスのようなものが取り付けられており、
静ヌマの同スヤ3921では、
妻面の下部から立ち上がりホロ枠の上部を越えるような形で
外部電源用の立派な電線管が取り付けられていました。
錦糸町に居た工作車(貨車)サ204も、妻面に碍子が付いていました。
したがって、自車に発電機がなかった時代の
宿舎代用寝台車や工事車、保健車などは、
適宜外部電源を利用していたものと思われます。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 5月29日(金)22時40分50秒

タイトル

Re: 仮設宿舎の電源

ホエ7030 様

久方ぶりのご投稿で貴重なお話しとご教示を頂き、ありがとうございます。
やはり電源を外から引き込むことは普通に行われていたのですね。
くだんのピクトリアルの写真は、もしかしてホエ7030様のご撮影でしょうか。

勝田電車区にマロネ48が入ったとは驚きです。
昭和37年8月ということは電車区の開設から1年余り経過していますが、
何か工事でもあったのでしょうか?




投稿者

ものずきヲヤヂ

投稿日

2020年 5月30日(土)08時47分23秒

タイトル

ホエ7030さま

>スヤ391は、妻面のアンチクライマー下部に
>「AC100V」と書かれたボックスのようなものが取り付けられており

ということは家庭用電源がそのまま引き込めるように
工夫してあった車両も存在したわけですね。


情報ありがとうございました。



投稿者

ホエ7030

投稿日

2020年 5月30日(土)12時15分16秒

タイトル

宿舎代用車の電源の件

クモイ103 様
ものずきヲヤヂ 様

標記の件、ご参考なれば幸いです。 
(ピク誌667号の写真は、私ではありません。)
本日、昭和49年10月に撮った札サウの保健車スヤ321・スヤ524と
旭アサのスヤ322の写真を見たら、
いずれも、妻面下部にある電纜箱に
AC100VとDC24Vと標記されていましたので、
外部電源を利用しやすいように改造されたのですね。

勝田電車区の件・・・昭和37年8月当時は、
ちょうどサハシを含む451系初期車が配置されて試運転が始まったころで、
まだまだ盛んに様々な工事が行われていたようです。
マロネ482と同じ日に撮った構内風景を見ると、
当時所属していたEF80やクモヤ493系試作車などとともに無蓋車も居り、
ポイントは手動でした。




投稿者

クモイ103

投稿日

2020年 5月31日(日)00時34分42秒

タイトル

Re: 宿舎代用車の電源の件

ホエ7030様

保健車は留置状態で使用されるものですから、初めから外部電源の使用を前提に
「ACアダプタ」を車両に装備していたのですね。(写真の件は失礼しました)
開設1年余の勝田電車区は、まだ発展途上だったのでしょうか。
南福岡と共に、交流区間の電車基地の草分けの一つでしたね。

考えてみれば、ものずきオヤヂ様ご指摘の進駐軍の展望車のように、
何らかの事情で客車を留置したまま使用することは昔からあったでしょうから、
それに備えて可搬式の電源装置(ACアダプタ)も存在したことでしょう。
まあ普段は客車区の倉庫などに仕舞ってあって、
マロネロ38を鎌倉駅へ送り出す際に
「それじゃあアレ持ってきて」とか言って積み込まれたのかもしれません。
そして現地に着いたら、駅員がトリセツを見ながら電気配線を…
あ、これは全部想像ですよ。



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