倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
特急列車の方向転換
特急「つばめ」「はと」等の終端での方向転換について


倶楽部メモ(505) 平成21年 3月29日〜 3月31日


投稿者

雑魚

投稿日

2009年 3月29日(日)10時31分42秒

タイトル

尼崎港支線

▼マロネロ38様:
> 現地での通称は「尼港(あまこう)線」で、金楽寺線とは言いませんでした。

然様でしたか。在京時代の職場で、同支線が話題になった際、尼崎の電話市外局番が
大阪同様「06」である事が自慢だった塚口出身の同僚(但し「鉄」に非ず)が「ああ、
そら『金楽寺線』の事やな」と話していたので、以降、その様に解釈しておりました。
ちなみに「尼港」の字面のみ見ると、ロシア沿海州の港湾都市「ニコラエフスク」と
勘違いしそうです(^^)

支線廃止後も、尼崎駅のすぐ西側で東海道線を跨ぐ高架橋は、暫く残っていましたね。
なお、福知山線では、1986年の宝塚電化に先立ち、1956年に塚口まで電化との記録が
あります。これは、尼崎港支線絡みの貨物便を、電機牽引で塚口に直通させる必要が
あった為ではないかと想像しますが、如何でしょうか。

> 東海道本線上下間に無理やり島式ホームを造ったので急カーブになったのです。

尼崎駅では元々、福知山線が東海道線を挟むホーム配置だった為、立川西方における
青梅線よろしく、下り線のみ大きく弧を描いて東海道線を跨いでいましたね。東西線
直通対応に際した尼崎〜塚口の線路配置は、かなり大規模に変更された訳ですね。


投稿者

ヒゲ無し雷鳥

投稿日

2009年 3月29日(日)10時47分8秒

タイトル

Re尼崎港支線

>>雑魚様
塚口電化は東海道全線電化に伴うダイヤ改正時に
EL牽引となったつばめ、はとの編成転換用かと思います。


投稿者

雑魚

投稿日

2009年 3月29日(日)11時06分52秒

タイトル

塚口電化

▼ヒゲ無し雷鳥様:
> 東海道全線電化に伴うダイヤ改正時にEL牽引となったつばめ、はとの編成転換用

御教示、有難うございます。塚口駅まで引き上げて機回しを行う感覚ですかね。宮原
操車場は、西回り回送線を含めて、戦前には整備されていますが、当時の東海道線の
運行事情から、宮原では捌き切れない状況にあったのか、とも思えます。はてさて?


投稿者

ED76109

投稿日

2009年 3月29日(日)11時34分39秒

タイトル

「マイテ」の転換のためではありませんか?

  連投失礼致します。「ED76109」であります。

 雑魚様
 >塚口駅まで引き上げて機回しを行う感覚

 確か、最後尾の「展望車(マイテ)」の方向転換のために、
福知山線の「塚口」まで電化されたのではないでしょうか。
「PCはと・つぱめ」は、必ず最後尾が「イテ」となるために
用意された「三角線」の一部のはずであります。
 東京口では、「山手貨物線の大崎」と
「品鶴貨物線の合流点(信号所名を失念。う〜ん・・・)」による「三角線」が構成され、
それぞれ「東シナ」と「大ミハ」に回送されていたのではなかったでしょうか。

 マロネロ38様
 >列車は大体下駄電の先行で外側線でした

 確か、幼い頃実家にあった「鉄道写真集」の一冊に、
著名な鉄道写真家である「西尾氏」による
戦前の「京阪間の急行電車」の写真を見た記憶が・・・。
恐らく、「立花」付近で撮影されたものでしょうが、モノクロであるがために
スピード感が鮮明であったことが強い印象として残っております。

 失礼致します。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。


投稿者

雑魚

投稿日

2009年 3月29日(日)14時33分30秒

タイトル

平面交叉

▼ED76 109様:
> 最後尾の「展望車 (マイテ)」の方向転換のため

………肝心の片端展望車の存在を失念していました(汗)すると、大阪で降車終了後、
塚口で機回し・エンド交換を行い、尼崎→宮原→大阪とスルー運転、大阪に戻り再び
機回しという段取りでしょうか。

塚口電化が、当該列車の回送線を確保するだけの為となると、大阪到着後、スルーで
宮原に入り、東海道線京都方面の適当な場所でエンド交換を行う可能性にも鑑みた時、
プッシュ・プル方式で機回しを省略出来たとしても、東海道線には、エンド交換用の
中線の余裕が全く無かった、という事情も窺えそうですね。

他方、当時の福知山線は、どちらかと言えば、畿内〜山陰の幹線としての性格が強く、
宝塚以南の大都市近郊需要は、並行する阪急宝塚線に任せるなど「棲み分け」傾向が
あった様に感じられ、それならば尚更、塚口駅に白羽の矢が立った必然性も頷けます。
現代の感覚なら、非電化区間をDLで補完する処ですが、当時、国鉄のDLといえば、
DD11の一次車が漸く数両、導入された程度だったのですね。

ともあれ、本番の旅客輸送を外れた区間で運用の都合から態々、部分電化を行う辺り、
当時の展望室つき特急の格の高さを象徴していたという事なのでしょう。

>「山手貨物線の大崎」と「品鶴貨物線の合流点 (信号所名を失念。う〜ん…)」

東急大井町線下神明駅の傍にある蛇窪信号所の事でしょうか。現在は、大崎駅構内の
扱いだそうです。品川駅、大崎駅双方への線路が平面分岐している事から、湘南新宿
ラインの拡充に伴い、池袋方面行と、横須賀線の横浜方面行が相互干渉し、ダイヤの
隘路になりつつある為、上り線のみ、蛇窪から大崎まで、ストレートに抜ける仕様に
切り替える旨の構想がある様です。

複線同士の平面分岐は、首都圏ですと京王線の調布駅で見られ、やはりダイヤ構成上、
隘路と目されますね。一方、京阪電鉄の浜大津駅の場合は、京津線、石山坂本線共に
同一の島式ホームに集約している為、利用者にとっては全方向の乗換えが容易という
利点もあります。

塩尻や倉敷では、夫々、松本寄り、岡山寄りで「事前仕分」が行われ、前者は完全な
平面交叉ですが、大都市圏に比べ、列車本数が遥かに少ない状況の下、乗換え需要を
考慮した接続待ち合わせを考えると、大した問題ではないのかも知れません。後者は、
確か倉敷翠松高校の辺りに、立体交差があった様な………


投稿者

マロネロ38

投稿日

2009年 3月29日(日)19時35分56秒

タイトル

1,3レ大阪方方向転換。

雑魚様:
大阪到着後塚口迄回送し機関車をイテ側に連結して塚本西方から貨物線経由で
宮原に入れます。そうするとスハニが大阪向きになります。翌日2,4レで先頭に機関車
を連結して回送線経由で塚本−大阪へ入れます。電化は確かに「つばめ」、「はと」
の方向転換の為でした。一度大阪市の地図を見てください。
以上地元ファンからのお知らせです。


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 3月29日(日)23時42分13秒

タイトル

三角線

特急「つばめ」「はと」等の方向転換についてですが、
ほとんどの方はご存知だとは思いますが、
最後尾が展望車となるようにするのはもちろん、
当時の特急列車用三等車(スハ44・スハフ43・
スハニ35等)は一方向固定の座席であり、
また展望車・二等車から三等車を通らずに食堂車に移動
できるようにするというルールがあったため、
編成ごと方向転換する必要があった為です。
その方向転換の為に利用したのが三角線であり、
大阪方ではマロネロ38様の書き込みの通りであり、
東京方では東京駅で編成の最後尾に機関車を連結し
(本務機だったのか入換機だったのかは不明)
品川経由で大崎まで行き、大崎から推進運転で山手貨物線に入り
蛇窪信号所まで進行し、そこから順方向に進行し品川客車区に入庫する
といった手順で編成全体の方向を変えていました。
といったように文章で書いてもわかりにくいと思いますので、
近日中にサイト本体にて図解で説明するページを作成しようと考えています。
図解といっても専用のソフトもありませんし絵心もないので
簡単なものになってしまうと思いますが、公開まで少々お待ちください。


投稿者

雑魚

投稿日

2009年 3月30日(月)09時39分24秒

タイトル

方向転換

▼管理人様:
> 一方向固定の座席(中略)展望車・二等車から三等車を通らずに食堂車に移動

改めて伺うと、実に多くの制約があったのですね。東京方での方向転換に用いた山手
貨物線については、品鶴線との分岐が完全平面仕様で残る一方、湘南新宿ラインへの
合流は、大崎駅の先、五反田寄りとなっており、現在では、再現を試みても、面倒な
事になりそうです。

その一方、頭端式構造の上野駅では、かかる「面倒な」編成が発着する事例は、全く
無かったのでしょうか。もっともそれ以前、今でもブルトレ回送に残る推進運転から
窺うに、客レ最盛期の尾久基地との往来は、かなり煩雑な手間隙を介した事でしょう。
更に歴史を遡り、常磐線列車が田端で方向転換していた時代となれば………


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 3月30日(月)10時30分24秒

タイトル

特急列車の方向転換

雑魚様

当時の特急列車は、展望車が無い編成でも基本的にスハ44等を使用していた関係で、
全ての列車で方向転換を必要としていましたので、
上野駅付近でも方向転換がありました。

当時の特急列車の終端付近での方向転換に使用した三角線を含む経路は

「つばめ」「はと」
 東京  東京−品川−大崎−蛇窪(信)−品川−東京
 大阪  大阪−塚本−尼崎−塚口−尼崎−宮原−塚本−大阪

「かもめ」
 京都  京都−梅小路(貨)−丹波口−京都
 博多  博多−吉塚−香椎−酒殿−志免−吉塚−竹下−博多

「はつかり」
 上野  上野−尾久−田端−三河島−隅田川(貨)−三河島−日暮里−上野
 青森  青森−滝内(信)−青森操−青森

となっていたようです。
これら全て文章ではわかりにくいので図示しようと思いますが、少々時間をください。


投稿者

雑魚

投稿日

2009年 3月30日(月)13時25分36秒

タイトル

三角線 (「みすみせん」 に非ず)

▼管理人様:
> 大阪−塚本−尼崎−塚口−尼崎−宮原−塚本−大阪

宮原→大阪は塚本側を経由したのですね。あえて宮原でエンド交換した理由としては、
塚口から推進運転だったか、或いは、宮原から新大阪駅を掠めて梅田方向に合流する
回送線の整備時期が介在した、という処でしょうか。

> 博多−吉塚−香椎−酒殿−志免−吉塚−竹下−博多

酒殿〜志免は貨物線ですね。そういえば、香椎線と勝田線の宇美駅は、別々の場所に
ありましたっけ。九州随一の都市である福岡の郊外にあって、勝田線の廃止は永らく
疑問でしたが、改めて調べると、当時の国鉄が一日数往復体制のまま、利便性向上に
消極的だった事情があるのですね。何と勿体無い………

なお、勝田線の「御手洗駅」は、漫画「ト○レット博士」を愛読していた頃、噴飯の
対象でしたが(^^)この言葉、本来は寺社仏閣の手水舎を意味し、姓の場合は帯刀を
認められた神職という、由緒ある家柄を意味するも事もあると知って、猛省三昧。

> 上野−尾久−田端−三河島−隅田川 (貨)−三河島−日暮里−上野

現在、上野から田端操車場にスルー進入は可能か、と思えば、尾久基地西端の線路を
折り返すと、操車場に通じる渡り線が一本、存在するのですね。途中には一般道との
平面交叉があり、踏切の使用頻度や通過列車の陣容が興味深い処で「グーグル」空撮
映像では、渡り線の近所で「能登」ボンネット編成が、明瞭に視認できます。

> 青森−滝内 (信)−青森操−青森

新幹線の新青森延伸予定が来年に迫りましたね。更に新函館への延伸時期によっては、
青森駅でのエンド交換と比べ、最大で十分程度の速達もあり得るであろう、奥羽線〜
津軽線のスルー運行が取り沙汰されるかも知れません。それなら「はまなす」の客車
仕様存置も多少は永らえますが、沿線の市街化状況を見ると、地下線を設けない限り、
短絡線設置は無理でしょうかねぇ。

何れにしても、早速の御教示、誠に有難うございました。厚く御礼を申し上げます。


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 3月30日(月)22時47分29秒

タイトル

特急列車の方向転換のページ追加

先日から話題になっておりました昼行客車特急列車の編成方向転換について、
文章だけではわかりにくい面があると思いましたので、
「客車列車の旅」サイト本体に簡単な図解での解説ページを掲載しました。
(トップページから「客車資料館」→「客車特急列車編成方向転換」とお進み下さい)

線形や駅等の配置は出来るだけ正確に作成したつもりですが、
該当する路線だけの掲載とした点など
わかりにくい点がございましたら訂正いたしますので、
訂正案等を書き込みいただけると助かります。
とりあえず東京近辺と大阪近辺だけ先行して掲載しましたが、
他の区間も随時掲載する予定ですので、もう少々お待ちいただけると幸いです。

投稿者のホームページ


投稿者

ED76109

投稿日

2009年 3月31日(火)01時12分22秒

タイトル

春ですねぇ・・・

 当地は夜半から「雪模様」であります。「ED76109」でございます。

 「PCはと・つばめ」の転換話をお伺いしていて、
小学生の頃に「RF」のリバイバル特集で見た
「塚口」の「EF58」の姿を想い出しました。
「PCかもめ」や「PCはつかり」も楽しみであります。
さて、今回は「春の汽車旅」について「戯言」を述べさせていただきます。
いつものとおり、先達の皆様方の話題に取り上げていただけるのであれば、
幸甚の限りでございます。

 1 昭和50年の3月、中学入学前の春休み1日を
「EC急行みさき3号」で過ごしたことが。
昼過ぎの「新宿」を出発して、「蘇我」から一路「外房線」を南へ。
しかし、当日は季節はずれの暖かい1日であり、「東海色の窓」を全開にして
東京湾の磯沿いの風景を十二分に満喫しました。
「内房線」に乗り入れる「安房鴨川」で、初老のカレチさん(確か千葉車掌区?)に
「五反田」までの「乗車券と急行券」をお願いしたところ、
「これからは『東京山手線内発着』のキップを買えば、安く乗れるよ。」
と小生にレクチャーを・・・。
夕焼けの「両国」の列車線ホームでお礼を述べた小生に、
「今度は学割で乗りなさい。」と一言。
やさしく声をかけてくれたカレチさんの想い出が心に残っております。

 2 昭和52年の春、「水郡支線」と「日立電鉄」制覇のために
「ECもりおか1号」に「水戸」まで乗車。
大混雑の車内は東北弁が飛び交っており、乗客の大部分は「仙台以北」に行くものと、
小生は思い込んでおりました。
しかし、「盛岡車掌区のカレチ」さんの検札に耳を傾けていると、
「土浦」や「水戸」、「平」までの近距離客がほとんど。
確かに「ECはつかり」や「ECやまびこ」なら6時間程度で到着するのですから、
「盛岡」まで約8時間を要する「もりおか」に乗る客は・・・と納得しました。
しかし、現在は新幹線で約2時間半。
「常磐線」を走る「EC長距離急行」も現在では皆無とあっては、
まさしく「昭和は遠くなりにけり」であります。

 3 昭和57年の黄金週間、北の大地に渡って旧客鈍行三昧の旅を堪能しておりました。
「函館」までの帰路は、御用達の「42レ」。
「山線」の隘路は5月としてはまだまだ残雪が深く、
特に「上目名」は、遅き春の訪れを告げる雪解け水が流れ、
1メートルもあろうかという雪に覆われた「冬風景」でありました。
しかし、ホームで見送る助役さんは微動だにせずに列車を注視。
ポイントを渡り、最後尾のデッキから眺めた、春遠き雪山の彼方に消える助役さんの姿は、
今では味わうことができない「旧客鈍行の醍醐味」を感じさせてくれました。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。


倶楽部メモ(506) 平成21年 3月31日〜 4月 2日


投稿者

マロネロ38

投稿日

2009年 3月31日(火)10時41分4秒

タイトル

大阪方の方向転換

雑魚様:
失礼ながら「位置関係」を相当誤解されています。
特急の回送列車は大阪−尼崎−塚口−尼崎-塚本西方から北方貨物線−宮原客車区−
塚本西方で東海道本線合流−大阪で、推進運転回送や新大阪は全く関係ありません
でした。
管理人の仙コリ様が東京の「蛇窪回し」と大阪の「塚口方向転換」を図解されてい
ますのでよくお解りと存じます。


投稿者

雑魚

投稿日

2009年 3月31日(火)12時31分17秒

タイトル

三角線に関する私的補足

▼マロネロ38様:
> 失礼ながら「位置関係」を相当誤解されています。

30日付の拙稿の文脈に不備があったとすれば、御詫びを申し上げますが、管理人様に
御掲出を頂いた図解との整合性において、以下の点を申し上げたい意図がありました。

図解によると、塚口に回送された編成は、機回しの上、宮原にスルー入線し、ここで
再び機回しをして、大阪駅に戻っていますね。それなら、宮原でエンド交換をせずに、
新大阪駅の南西側を掠める短絡線を通り、大阪駅に回送する選択肢もあり得たのでは
ないかという事です。

それでも宮原でエンド交換を行った理由として「新大阪駅南西側の短絡線が、当時は
未整備だったのか?」あるいは「塚口→宮原が実は推進運転なので、その侭の状態で、
新大阪側から大阪駅に進入する事が憚られたのか?」更には「機回しは、大阪駅より
宮原操車場で行った方が、都合良いのか?」といった事情を勘繰った、という事です。

更に29日付の拙稿においては「大阪→塚本→宮原→吹田操車場 (エンド交換)→大阪」
あるいは「大阪→神戸方面 (折返しが可能な 東海道線上の駅/エンド交換)→宮原→
新大阪駅南西側短絡線→大阪」という方法が可能であれば、わざわざ福知山線を部分
電化する程の事ではなかった様にも思えるが、そうならなかったのは、東海道線では
エンド交換に足る施設が既に確保困難な状況にあったのか、とも感じた訳です。

少なくとも、30日投稿の段階では、管理人様御教示の内容を踏まえた積もりですので、
その旨、御含み置きを頂ければ幸いです。


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 3月31日(火)18時40分30秒

タイトル

大阪方での方向転換について

特急列車の大阪での方向転換について議論となっているようですので、
どうして大阪-塚口-宮原-塚本-大阪といったような経路となったのかを
推測してみました。

大阪駅と宮原については非常に良い位置関係となっていまして、
東西の両方向に回送線が存在しますので
どの方面に向かう列車においても順方向で大阪駅への入線が可能になっています。
しかし裏を返せば、大阪駅は構造・運用上
ホームに長時間列車を停車させておく余裕が無い為に、
必然的にこのような配置になったのであると思われます。
この事は当時の花形列車であった東海道本線特急列車においても例外ではなく、
事実運転時刻を見てみると
東京駅での発車前・到着後のゆったりした時間(30〜40分程度)と比べて、
大阪駅では10分程度の停車時間であわてて発車していく状況が垣間見れます。
よって
(1)大阪駅到着後、すぐに回送するには西方に進む必要があった。
(2)三角線を使用して編成の向きを変えるには尼崎駅以西まで回送する必要があった。
(3)大阪近辺の東海道本線は列車密度が高く、東海道本線の駅での機回しは困難であった。
といった理由から、比較的余裕のあった?福知山線の最初の駅である塚口駅が
機回しする駅として白羽の矢が立ったものと思われます。

次に宮原で進行方向を変えた理由ですが、
確かに雑魚様のおっしゃる宮原をスルーして東側回送線を使用し
大阪駅に入線する経路でも編成の方向転換は可能でしたが、
上記のとおり大阪駅での機回しは事実上不可能であったと思われますので、
必然的に塚本経由の西側回送線での入線となったのだと思われます。
それ以上に当時の東海道本線特急列車の1日の運用は片道のみであり、
当日の折り返し運転ではないので、宮原停車は方向転換の為ではなく、
車両整備を含めた1泊?でしたので、このような経路となったことが推測できます。

このように線路配置・運用面などから考えますと、折り返しが塚口駅である必然性は別として
(尼崎駅以西で折り返し可能であればどこでも良いので…)
この経路は理にかなっていたものと思います。

投稿者のホームページ


投稿者

ED76109

投稿日

2009年 3月31日(火)21時56分16秒

タイトル

操車場の謎

 春休みも「入試結果報告書」や「次年度の計画作成」等で扱き使われております
「ED76109」であります。

 出典がハッキリしていませんので、正確さでは問題が残りますが・・・。
大都市圏の「操車場(客レ)」の機能に関しては、
「大ミハ」や「大ムコ」が東京の「南シナ」や「北オク」よりも
優れているという記述を、読んだ記憶(「RJ」か「RF」?)がございます。
 特に「北オク」は 推進運転に加えて、
「上野」での荷下ろしのための長時間の滞留や地上・地平の2種類のホーム構造等、
「スジ屋」氏からは「白紙改正」の度に嘆息ばかりであったとの逸話が。
さらに「北オク」は住宅街のど真ん中に存置し、
踏切による渋滞解消も考慮しなければならなかったという話もあったとのこと。
件の「スジ屋」氏が「回送線のある「大ミハ」のような構造だったら・・・。」
とぼやいていたようであります。
 そういえば、以前「震災臨時ブルトレ」の話の折、
「京都」の「上りホーム」から苦もなく「臨時あかつき」等を
「大ムコ」に回送できると、「マロネロ38様」が仰っておられました。
小生、「大ムコ」の詳細な構造は知り得ませんが、
「大ミハ」のような「トリック」があるのでありましょうか。

 雑魚様
 >常陸太田市域は田園地帯が殆ど

 小生、「偕楽園」と「光圀公の史跡」等を訪問しながらの「旅」でありました。
阿武隈の山々を望みながら、駅前食堂で昼食。
「味噌汁付きのオムライス」を堪能しながら、
古びたTVで見た「森昌子」さんの旅情溢れる「恋ひとつ雪景色」が、
なぜか記憶に残ります。
旅のラストは「日立駅近くの太平洋に沈む夕日」。
海原に沈む夕日を眺めながら、
気分は「遠くへ行きたい」の「渡辺文雄」さんでありました
(生意気な中学生でしたねぇ・・・)。

 長々と失礼致しました。以上、寒風荒む「夕焼けの手稲山」に見とれてしまった
「中年客車鉄ちゃん」でありました。


投稿者

雑魚

投稿日

2009年 4月 1日(水)08時24分39秒

タイトル

宮城野貨物線

▼管理人様:

更なる御教示、有難うございました。大阪における線路容量の問題や、宮原における
車両整備・駐泊を勘案すれば、確かに仰る通りですね。当方の言葉足らずで御手数を
掛けました事、御詫びを申し上げます。

▼ED76 109様:
>「大ミハ」や「大ムコ」が東京の「南シナ」や「北オク」よりも優れているという

平坦地の展開度合が比較的小さい事から、首都圏に比べると、並行私鉄との競合性が
高いとされる畿内の国鉄(JR)では、独自の創意工夫が見受けられるなどと、間々
評される様ですが、宮原の「完璧な」路線配置も、かかる感性の産物でしょうか。

一方、梅田地区に立ち寄る関係上、わざわざ淀川を二度渡ってまで、大阪駅の前後で
かなりの迂回経路を呈する東海道線の態様を考えると、宮原の設置は、まず業務用の
短絡線ありき、という発想を出発点とした様な雰囲気も感じられます。

この種の短絡線としては、仙台駅前後の「宮城野貨物線」を連想しますが、こちらは
仙台駅が夜間、新幹線の工事で閉鎖された1970年代中頃、長町の代替停車とセットで
夜行列車の迂回に供された歴史がありますね。宮原で、そうした措置がとられた事は
あったものやら?

>「京都」の「上りホーム」から苦もなく「臨時あかつき」等を「大ムコ」に回送

京都駅30番線始発「はるか」の要領でしょうか。これだと、東海道線西側に並行する
貨物線を南下、そのまま桂川駅付近で本線を跨ぎ、向日町では、下り快速線の外側に
シフトする格好になりますが………

> 旅のラストは「日立駅近くの太平洋に沈む夕日」

海岸線の態様にもよりますが、かの地で太平洋と夕日を絡め得るとすれば、落日点が
最も南に偏る師走頃になるでしょうか。常陸太田絡みで夕日を拝むなら、日立電鉄の
川中子駅跡に近い小目地区が御薦めです。ここは何と言っても、かのNHK「新日本
紀行」主題曲着想の原点となった、由緒ある地ですから(作曲者談)


倶楽部メモ(507) 平成21年 4月 3日〜 4月 5日


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 4月 4日(土)20時18分49秒

タイトル

方向転換のページ追加

先日公開しました「特急列車の方向転換のページ」に
「かもめ」「はつかり」を追加しました。
そこで皆様にお伺いしたいのですが、手持ちの資料では「はつかり」の上野駅、
及び青森駅での方向転換に関する機関車の連結方法
(連結向き・推進運転の有無)がわかりませんでしたので、
当時の状況をお知りの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると助かります。

投稿者のホームページ


投稿者

クモイ103

投稿日

2009年 4月 4日(土)22時22分53秒

タイトル

「はつかり」の方向転換

仙コリ(管理人)様
 「はつかり」の方向転換に関する記述を見つけましたのでご報告します。
 イカロス出版「jtrain」vol.6(2002年6月20日発行)
「上野駅ものがたり」(文/梅原淳)に、
下記の記述がありました。

〜引用〜
上野に到着した「はつかり」は推進回送で尾久客車区に回送され、ここで一夜を過ごす。
翌日、尾久区から田端操車場に渡り線を通って入線。
ここで蒸気機関車をバック運転させて常磐貨物線に入り、隅田川貨物駅に行く。
ここで機回しを行い、今度は上野方を先頭に出発する。
上野に到着すると、機関車と客車とは切り離され、
牽引機であるC62が尾久から回送されてくる。
このC62も当然、バック運転だ。
〜引用終わり〜

 これによると、下り列車の上野駅据え付けは、
1レ牽引機でなく入れ換え機が担当していたようですね。
そういえばおぼろげな記憶ですが、どこかの本で、
隅田川貨物駅に入線した「はつかり」編成の上野方先頭に
C57が立っている写真を見たような覚えがあります。
(実はその写真を探していて見つからず、代わりに上記の文章を発見した次第…(^^;)

 赤まんと様のテリトリーかと思いますが、
尾久客車区と田端操車場は公道1本を挟んで隣接しており、
その道を横切る渡り線で結ばれています。
ただ、たしか昔は左右両方向の渡り線があったような気がするのですが、
今では片方だけになっているようですね…?(記憶あやふやm(_ _)m)。


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 4月 4日(土)23時00分7秒

タイトル

Re:「はつかり」の方向転換

クモイ103様
早速のご教示ありがとうございました。
てっきり「はつかり」の上野駅への入線は、推進運転による回送だと思っていたのですが、
思っていた以上に複雑な回送方法だったようですね。
早速解説ページを訂正させていただきました。
本当にありがとうございました。

引き続き、青森駅での回送方法の詳細をお知りの方の書き込みを期待しております。

投稿者のホームページ


投稿者

クモイ103

投稿日

2009年 4月 5日(日)08時56分42秒

タイトル

西日暮里駅

仙コリ(管理人)様
 早速の反映ありがとうございます。
 ところで細かいことですが、図中にある西日暮里駅は昭和46(1971)年の開設で、
客車「はつかり」運転当時は存在しませんでした。その旨注記されると良いように思います。

 余談ですが、西日暮里駅は営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線との接続のために
設けられたもので、日暮里駅からわずか500mという距離が、
御徒町−上野間の550mよりも短い山手線・京浜東北線の最短区間ということで
当時話題となりました。
 開業日の昭和46年4月20日は、
京浜東北線から73系電車が撤退し新性能化が完了したダイヤ改正時でした。
工事もほぼ完成した開業前の西日暮里駅を、引退間近の73系が通過するシーンを、
やはりどこかの本で見たことがあるのですが、
それもちょっと探したけれど見つかりません(自爆)。


投稿者

仙コリ(管理人)

投稿日

2009年 4月 5日(日)10時12分6秒

タイトル

Re:西日暮里駅

クモイ103様
西日暮里駅についてのご指摘、ありがとうございました。
現在の地図をベースに昔の航空写真等を参考に作成したもので、
当時存在しなかった駅などの誤掲載が生じてしまいました。
こういった資料の作成時には時代考証をしっかりしないといけませんね…反省
他にも間違い等が存在するかもしれません…
間違いがありましたらご指摘いただければ幸いです。

投稿者のホームページ


「客車倶楽部」へ
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
現在や過去の夜行列車に関する資料を掲載
全盛期の時刻表データ等も掲載しています
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから
 
客車専門サイト「客車列車の旅」