倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
「みどりの窓口」の行列
昭和50年代頃の指定券発券方法について


倶楽部メモ(446) 平成20年 8月 8日〜 8月10日


投稿者

「ED76109」

投稿日

2008年 8月 9日(土)08時34分10秒

タイトル

「はんかくさい」親父です。

 先達の皆様、おはようございます。「ED76109」です。
 先日、小生の拙娘(大学生)が所用で友人達と「スーパーおおぞら」で釧路へ行った折、
「自宅に時刻表がある家は「鉄」な家か。」という議論(?)になり、
「親父の実家に行くときは『北斗星』の個室しか乗ったことがない。」の娘の一言で、
小生は拙娘らから「筋金入りの鉄」という「称号」を頂くハメとなりました。
娘の話では、「東京に行くのに『飛行機』使わない人がいるわけないしょ。
おとうさん、はんかくさい。(北海道弁で「馬鹿じゃない」の意)」
との友人の一言が決定的だったとか・・・。
しかし、娘は「狩勝峠」の雄大な風景と「スーパーおおぞら」が気に入ったとのことで、
「血は水よりも濃し」かなと思っています・・。
少々前置きが長くなりましたが、
今回は「富士」に関わる「戯言」を述べさせていただきます。
いつものように、先達の皆様方の話題にしていただければ幸甚の限りです。

1 昭和53年の夏、以前にも述べましたが、西鹿児島から門司港まで
 日豊本線を直通していた旧客鈍行にお世話になったのは、
「富士」の寝台券が取れなかったことが全てでした。
 当時、窓口があまり混雑しない「大崎」を狙ってほぼ徹夜で並んだのですが・・。
 今にして思えば、長距離鈍行に乗れたことで「よし」と考えていますが、
 当時「大分」で追い抜かれた「富士」の姿が、今でも脳裏に眩しく輝いています。

2 平成8年の夏、「南宮崎」から「東京」まで「富士」に初乗り。
 「日向灘」の美しさが今でも心に残っています。
 また、この旅では同じコンパートに乗り合わせた「鉄」親子と仲良くなって、
 「鉄談義」にも興じました。
 特に門司と下関での機関車交換の「儀式見学」では、
 お父さんの方が子どもさんそっちのけでホームを「疾走」。
 汗まみれになってカメラを握りしめていましたねぇ。

3 平成18年の晩秋、以前にも述べましたが、
 所用で「小倉」から「東京」まで「富士」に乗車。
 夜中にふと目覚めると、なぜか「塚本」の内側線ホームに停車していました。
 「事故か?」と心配していると、3分程度で動き出し程なく「淀川鉄橋」を通過。
 すると、何気なく眺めていた「梅田のビル街」の灯が意外と美しく、
 思わず見入ってしまいました。
 何か「やしきたかじん」さんの「バラード」をイメージさせるような
 そんな風景でした。

 また、投稿致します。以上「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

雑魚

投稿日

2008年 8月 9日(土)18時47分1秒

タイトル

ゆぅトピア・ライナー

▼青列車様:
> 午前6時以前には ヒルネ乗車を認めていないのではないでしょうか?

なるほど、寝台券の払戻し規定に関する「午前六時の線引き」を失念しておりました。
一方、指定席扱いで昼寝を認める「日本海」「あけぼの」各上り便を見ると、明確な
時刻上の線引きらしきは窺えませんね。寝台客優先の列車であっても、指定券の発売
開始時期は、一箇月前になるのでしょうか。

> 1レ「はやぶさ・富士」に先行する普通列車 525Mがあり、

一方「日本海」「あけぼの」各下り便を「昼寝」起点駅基準に見ると、始発便ですね。
その様に考えると、確かに、柳井を「昼寝禁止」とする措置には、必然性を感じます。

▼竹中@ノーブルジョーカー様:
> 静岡県に配慮して静岡空港が開港するまで1年延命したというのです。

静岡や浜松では当該列車への確たる乗降需要が存在するのでしょうか。私も学生時代、
上り「富士」を静岡で下りた事がありますが、これは列車遅延に伴い、出席点を伴う
午後の講義に間に合う様に、止む無く 新幹線に乗り継いだ事情によるものです(^^)

▼きむたお様:
>「ぜひ、昔の図鑑などで見たようなアングルで撮りたい!」

流石きむたお様。意外に難しいとされる富士山絡みの構図がバッチリ決まっています。

▼ED76 109様:
> 窓口があまり混雑しない「大崎」を狙ってほぼ徹夜で並んだのですが

1978年というと、国分寺にホスト・コンピューターの基地を設けた「マルス 105」が
稼動を開始して数年後の頃ですよね。その時代にあって「徹夜」とは、これ如何に?

> 何気なく眺めていた「梅田のビル街」の灯が意外と美しく、

淀川橋梁から見る夜景は正に「♪赤い灯、青い灯、道頓堀の〜」の趣ですね。20年前、
能登旅行の帰り、一旦大阪に出て「瀬戸」で帰京した事があり、やはり淀川橋梁では
同様の印象でした。大阪を経由した理由は、当時、北陸線で 485系「雷鳥」の併結が
話題となった週末の気動車特急「ゆぅトピア・和倉」に乗りたくも、団体枠の予約で
指定券確保が叶わず、金曜夜の回送運用を一般開放した「ゆぅトピア・ライナー」に
試乗した為です。

最終「雷鳥」に続行する時間帯で、G車扱いの為、殆ど空気輸送でしたが、それゆえ
先頭展望席を終始独占出来て、夜間ならではの車窓風景を楽しみました。対向列車が
近づく度に、前照灯パターンで車種の違いが推定できた事、そして、ループ区間から
俯瞰した敦賀の夜景や、堅田〜西大津で見えた、琵琶湖に映える大津の灯火が、実に
印象的でした。


投稿者

「ED76109」

投稿日

2008年 8月10日(日)08時36分0秒

タイトル

「みどりの窓口」の行列

「ED76109」でごさいます。
雑魚様
>その時代にあって「徹夜」とは、これ如何に?
 当時、指定席券等は「乗車一週間前」の発売開始となっており、
多客期(夏休みや年末年始)は前売開始日の前日、
指定席券を買い求める客が30人程度の行列を作り(「目黒」や「五反田」では)、
徹夜で並ぶことが良くありました。
「目黒」では、「○月○日乗車分指定席をお求めの方は、こちらにお並び下さい。」
の掲示が駅シャッター前の通路に出され、まず並びます。
そして朝の6時ごろから「受付開始」。
件の「購入用紙」に書き込んだ「第一希望から第三希望」までの内容を確認して、
番号のついた整理券を受領し、一度帰宅。
そしてお昼前後に高校入試の合格発表の如く、
「○○番 第一希望× 第二希望○・・」といった具合に
一覧表で窓口付近に「発表」されるスタイルでした。
(確か東京や上野では数百人単位で行列を作る話を聞いた記憶があります)
小生の場合は、往路は確か「15番」。
第一希望の「はやぶさのB寝台」は「×」、第二希望の「みずほのB寝台」も「×」、
やっと第三希望の「明星1号のB寝台」をゲット。
そこで、復路は比較的乗降客が少ない「大崎」を選んだのですが、それでも「7番」。
「富士」も「みずほ」もとれず、
やはり「明星のB寝台」しか購入できず、がっかり・・・。
列車名等が刻印された板をバタンバタンと音を立てて捲り、
計器にピンを差し込む窓口氏の動作を見ながら、
グリーンのランプが点けば「○」、赤のランプは「×」・・・。
思い出しますねぇ、ランプがつくまでの緊張感。
今では、「インターネット予約や電話予約」がありますので、
こんな光景はありえないでしょう。
しかし、この時期はブルートレインは恒常的に「満席」でした。
あのころが懐かしいですねぇ・・・。

 また投稿致します。以上、オリンピック中継に夢中の「中年客車鉄ちゃん」でした。


投稿者

EF5841

投稿日

2008年 8月10日(日)09時28分17秒

タイトル

「みどりの窓口」ができる前

「みどりの窓口」ができる前、東京、上野、名古屋、大阪、京都等の駅窓口か
JTB等を通してしか指定席券の購入ができなかった。
それ以外の駅からは、東京等の窓口へ鉄道電話を介して照会し発券していた。
東京等の発券窓口には、大きな円卓が複数有り、
その円卓の上を発券状況を1列車ごとに記入したファイルがゆっくり回転していた。
オーダーが出ると回転しているファイルを取り発券状況を確認し発券していた。
もはや戦後ではないと言われてた昭和30年代中までの発券風景です。
今こんなことをしていたら、宝くじの3億円を当てる以上に
希望する列車の予約は取れないでしょうね。


投稿者

雑魚

投稿日

2008年 8月10日(日)15時34分24秒

タイトル

マルス

▼竹中@ノーブルジョーカー様:
> 昔は身延山に向う信者さん達の利用が多かったですね。

身延山方面と聞くと「創臨」を思い出します。東海道線〜身延線のスルーが効く様に
富士駅の構内配線を改めた1969年以来「ゴハチ」牽引の客レが、毎日の様に運転され、
十八番の「国鉄の車両/東海道線 1」の写真によると、客車は14系でした。その様な
編成が現在運転されたら、沿線は三脚組でパニック必至ですね(^^)

> 静岡空港の件ですが、この手の話は政治的な臭いがします。

この件に関して、関連記事を検索した処「あかつき/なは」「銀河」の廃止が正式に
報じられた際「運行部門の課長級会合による『富士/はやぶさ』廃止の合意」という、
リーク紛いの情報も併せて紹介されたのは、東海道〜山陽線系統では最後となる老舗
名門列車への惜別を巡り、急激な混乱を回避する為の措置、との解釈もある様ですね。

地方空港のあり方を巡っては、地元近所に新規開港を控え、あれこれと期待する一方、
既に何度か利用した福島空港が、日航の撤退決定を受け、存在意義を問われかねない
厳しい状況になりつつあるなど、本当に難しい問題です。

▼ED76 109様:
> 当時、指定席券等は「乗車一週間前」の発売開始となっており、

記憶容量を巡るスペック上の制約が窺えますね。

> 高校入試の合格発表の如く(中略)「発表」されるスタイルでした。

何とも仰々しいのですね。首尾良く「難関列車」が取れると、駅員総出で胴上げして
貰えたりして(^^)水戸駅に出るのも一苦労という農村に住んでいた我々は、その頃、
指定券といえば専ら、旅行代理店勤務の知人に頼んでいました。指定席を伴う長距離
旅行なぞ、都内の大学に進む迄は、年に一度あるか無いかの贅沢でしたけどね。

> 列車名等が刻印された板をバタンバタンと音を立てて捲り、計器にピンを差し込む

N型端末でしたっけ? 1980年代後半以降も このタイプは結構見掛けましたね。普段
自由席の設定しか無い区間で、臨時列車の指定席を好んで利用する事が多かった私が
指定券を購入しに赴くと、三回に一回の割合で窓口氏の手が急に止まり「こんな列車
あったっけ?」「○○駅に問い合わせて見たら?」という具合で、背後の行列からの
視線が痛かった事を覚えております(^^)

▼EF58 41様:
> オーダーが出ると回転しているファイルを取り発券状況を確認し発券していた。

2004年春に放映されたNHK「プロジェクトX」でも、かかる様子が記録映像として
紹介されていましたね。1980年代後半当時の西武鉄道でも同様の状況で、特急券発売
窓口では、担当駅員が当該駅の割当分と思われる台帳に赤鉛筆でチェックを入れつつ、
硬券を発行するという内容でした(^^)

当時は「小江戸」が無く、新宿線での特急運行は、週末の「おくちちぶ」と、当時は
唯一、本川越に直通した(下りのみ設定)臨時「むさし」があるだけで、需要区間が
限られていた為、手作業でも充分に管理い得たのでしょうね。


倶楽部メモ(447) 平成20年 8月10日〜 8月16日


投稿者

EF5841

投稿日

2008年 8月10日(日)22時42分49秒

タイトル

「みどりの窓口」ができる前

手際の良さには、子供心に甚だ関心するだけでした。
結構早く回転していたように記憶します。


投稿者

雑魚

投稿日

2008年 8月11日(月)15時31分47秒

タイトル

オーバー・ブッキング

▼EF58 41様:
> 結構早く回転していたように記憶します。

オーバー・ブッキング防止の観点から、台帳は一列車につき、一冊のみでしょうから、
相当な手際の良さが求められるでしょう。それでも、コンピューター管理に比べれば、
処理速度は推して知るべしですね。担当部署が一日当り何回交代制かは判りませんが、
かなり慌しい内容であった事は、想像に難くありません。

約20年前、上野から臨時「やまびこ」指定席を利用した際、老夫婦の先客がいまして、
自分の予約席である事を告げると、自分達の予約席だと譲らず終い。今時、オーバー・
ブッキングがあるのかと思いつつ、押し問答の末に相手の指定券を確認させて貰うと、
隣のホームから数分差で先行する定期便のものでした。老夫婦が慌ててホームに出た
正にその時、無情にも定期便の扉が閉まり………

======================================================

JR東日本・公式サイトの「列車運行情報サービス」を拝見するに、どうやら岩手県
沿岸北部地震に伴う「カシオペア」「北斗星」の徐行運転は解除され、所定ダイヤに
復帰した様ですね。画像は、札幌駅を発車直後の「北斗星」の様子です。遥か彼方の
首都を目指し第一歩を踏み出すという、ちょっと感動的な場面ですね。この時点では
ほぼ所定時刻ですが、この後、東北線に入ってから急激に遅延、という事の様でした。


投稿者

下総守こみやさん(^^)

投稿日

2008年 8月12日(火)14時01分9秒

タイトル

戦前の特別急行券

当然駅はプラチナカードの争奪戦(^^)
何となく電話での怒鳴り声が今でも聞こえてくるような。
車掌も大変だったようです。ホームで赤い腕章を見つけるとアブレた乗客が沢山。
親が危篤なんだとか立って行ってもいいから乗せてくれ。
何とか振り切って発車しても今度は途中駅から連絡が・・・
横浜、二等二枚、三等六枚ヨロタム。名古屋、あるだけヨロタム。
やりくりが大変でも車掌の腕の見せ所でありました。
ちなみに一等はいつも空いていたので列車と駅のやりとりは無かったそうです。

参考文献
昔の富士はいまいずこ 西沢 有著


みどりの窓口
一昔前は出札口の外からコンピューター画面が見えたんですよね。
申し込みしてさあどうだ!あっ一席あった。よかったあ(^^)
現在私の最寄駅では覗けなくなり窓口氏から天の声が・・・(^^;


投稿者

EF5841

投稿日

2008年 8月12日(火)17時46分37秒

タイトル

回転テーブル

回転しているファイルを取り、割り当て分がないと即座にファイルを閉じてしまう。
ボールペンを取ってくれた時はやったと子供心ににんまりしました。


「客車倶楽部」へ
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
現在や過去の夜行列車に関する資料を掲載
全盛期の時刻表データ等も掲載しています
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから
 
客車専門サイト「客車列車の旅」