倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
「桜島」「高千穂」の客車の向き
客車の向きは揃えられていたのか?・鹿児島客車区での運用


倶楽部メモ(434) 平成20年 6月29日〜 7月 1日


投稿者

EF6113

投稿日

2008年 6月29日(日)23時04分8秒

タイトル

桜島高千穂の客車の向き

晩年の桜島、高千穂はともに下り方向から2両目にグリーン車があります。
2両のグリーン車は写真を見ると東海道では出入り口が下り方向にそろえてあります。
以前話題になりましたが、東海道線の場合神戸駅を基準にして
それぞれの客車の向きを決める事が少なくともグリーン車では守られていたようです。

西鹿児島に到着した桜島、高千穂のホームでのグリーン車の出入り口は
東海道走行中と違い、互いに反対の向きになるのでしょうか?
もし反対になるのであるなら、鹿児島客車区で客車の向きが
東海道、山陽線走行中に揃うことに注意されて運用されていたのでしょうか?

また、普通車の向きがバラバラ(トイレ、車掌室のある向きが個体によって違っている)
のが顕著なのですが、これは桜島、高千穂の特有の運用によるものなのでしょうか?

小生、西鹿児島駅、鹿児島客車区の線路配置がよくわからないこともあり
質問させていただきました。
どなたか御教授していただければ幸いです。


倶楽部メモ(435) 平成20年 7月 1日〜 7月 2日


投稿者

クモイ103

投稿日

2008年 7月 1日(火)21時20分14秒

タイトル

Re: 桜島高千穂の客車の向き

>EF6113様
 「桜島・高千穂」は、私は実見の記憶がありませんが、
グリーン車だけはちゃんと向きが揃っていたのですね。
 客車の向きには一応の規則があったとはいえ、
それがきちんと守られるのは優等車・寝台車くらいで、
あとはかなりバラバラの実態でした。
中には優等車でもいい加減なのがあって、東海道夜行急行時代の「彗星」に
3両連なったマロネ40があっちこっち向いていたり、
青大将特急に増結されたマイ38が逆を向いている証拠写真があったりします。

 さて、鹿児島本線と日豊本線の線路は、巨大な水滴形の「リバース線」を構成しており、
東海道・山陽本線上で向きが揃っていた「桜島」と「高千穂」のグリーン車は、
西鹿児島では互いに逆向きで出くわす事になります。
その関係はあたかも内房線と外房線の関係に同じで、
幕張車両センターでは向きが揃っている113系や211系が、
内房・外房両線を走って安房鴨川で逆向きに顔を合わせることと同じ現象です。
 鹿児島本線と日豊本線の車両の向きを決める「基準駅」は共に鹿児島ですから、
オロ11は鹿児島方にデッキを向けるのが所定です。
これを鹿児島客車区から見ると、鹿児島本線用のオロ11も日豊本線用のオロ11も、
どちらも非デッキ側を東京方に向けて送り出す事になります。
ところが両線の線路は鹿児島を背にして互いに反対方向へ伸びているのですから、
客車区ではあらかじめ両方向のオロ11を用意しなければなりません。
東海道線上で向きが揃っていたという事は、それをちゃんと実行していた事になりますね。

 普通車の向きは、鹿児島に限らずだいたいどこでもいい加減なのが多かったようです。
せっかく車掌室に妻面監視窓があるスハフ42やオハフ61を、
逆向きにぶら下げるなんて日常茶飯事でしたから(^^;。
まあとりわけ鹿児島ではやってられなかったのかも知れませんけど。


投稿者

EF5841

投稿日

2008年 7月 1日(火)22時17分18秒

タイトル

Re: 桜島高千穂の客車の向き

事故、台風等のイレギュラーな事態を除き、通常、向きは何時も原則方向でしたね。
学生時代、良く利用した経験から・・・。


投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2008年 7月 1日(火)23時36分10秒

タイトル

Re: 桜島高千穂の客車の向き

EF5841さんの学生時代はいつ頃だったのでしょうか。
私の学生時代は、ほんとの末期でしたが、向きに頓着していなかったように見えます。
隣のナハフは1号車ですが車掌室が左側にあります。

昭和50年2月11日 東京駅 1101レ オロ11 20
(東京駅の12番線ですから右が鹿児島です)

投稿者のホームページ


投稿者

クモイ103

投稿日

2008年 7月 2日(水)00時01分47秒

タイトル

Re4: 桜島高千穂の客車の向き

>竹中@ノーブルジョーカー様
フォローありがとうございます。やはり末期はバラバラだったのですね。
ただ、普通緩急車は「車掌室のない側」が基準寄りという規定ですから、
1号車はこれで良いという気もします。
と思ったら、主役のオロ11が逆向きではありませんか。
ひょっとしてその向こうのオハ36も…?


投稿者

らん丸

投稿日

2008年 7月 2日(水)00時09分7秒

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桜島・高千穂に使われたスロ62

鉄道ファンの50年3月号位で最晩年の「桜島・高千穂」の写真が掲載されていますが、
「桜島」の編成に入っているグリーン車が通常のオロ11ではなくてスロ62?でした。
確か、スロ62・スロフ62は九州地区の配属が無いはず
(一番西の配属は宮原)ですが・・・。
だとすると品川もしくは尾久配属車でしょうか?

スロ62?が使われているということは、
50.3を待たずしてオロ11は「引退」ですか・・・。


投稿者

マロネロ38

投稿日

2008年 7月 2日(水)14時39分52秒

タイトル

スロ62

昭和47年頃浜松出張の帰りに大阪までスロ62に乗車しました。
当時のノートを阪神淡路大震災で紛失したので車番も客車区も解りません。
オロ11は冷房装置の重量が祟って「窓が変形」したとかで早く廃車された
と思います。良い車でしたがマロ55みたいな冷房方法だったら、台枠補強で
もう少し長持ちしたでしょう。


倶楽部メモ(436) 平成20年 7月 2日〜 7月 5日


投稿者

EF6113

投稿日

2008年 7月 2日(水)22時48分37秒

タイトル

オロ11の向き

みなさま、いろいろありがとうございます。皆様のご意見大変参考になりました。
インターネット上の桜島高千穂の写真をいろいろ見てみました。

ほとんどが1974、1975年の最晩年の写真ですが、はっきりいってバラバラでした。
向きが正規通りばかりだと早合点してしまい申し訳ありません。

74年、75年に撮られた鹿カコのオロ11で東海道線上において
日時によって向きが違う個体の写真が見つかると面白いですね。
下りの高千穂で使ったオロ11を鹿児島で向きの転換をせず
上りの桜島で使った可能性を示唆してることになります。

ジャーナルの搭乗記にでてくるオロ1121と26は基準寄りに出入り口があります。
オロ1129は74年8月31日に撮られた写真では基準と反対です。

U-tubeに載ってる75年2月撮影のオロ11は番号は特定できませんが基準と反対です。
これはノーブルジョーカーさま撮影の20かもしれませんね。
75年2月には29を繁茂に使った記録あるようですので、29かもしれません。

いろいろ調べたいと思っております。


投稿者

クモイ103

投稿日

2008年 7月 2日(水)23時20分40秒

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Re:桜島・高千穂に使われたスロ62

>らん丸様
 リンク先のサイト「70年代後半の客車編成」に、
「桜島・高千穂」末期の記録がいくつか載っています。
グリーン車は所定のオロ11鹿カコ車以外に、北オクのスロフ62も使われており、
また最後の方は欠車もありました。
 おそらく、50-3改正を待たずに検査切れのオロ11を運用から外し、
他区の波動用車両を借り入れて使用、
それでも足りない分は開き直って欠車にした…というところではないでしょうか。

>EF6113様
 グリーン車もバラバラでしたか。やはりそこまで管理していなかったのですね。
 実は、「別冊歴史読本 国鉄懐かしの特急列車」(新人物往来社刊)に載っている、
昭和35年6月の「霧島」(ここで話題の「桜島」の前身)も、
青大将特急の廃止で転用されそのままの塗色で組み込まれているナロ10が逆向きです。
その頃からずっとバラバラだったのでしょうかね…


投稿者

竹中@ノーブルジョーカー

投稿日

2008年 7月 2日(水)23時25分56秒

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RE:桜島・高千穂に使われたスロ62

>らん丸様
記録を見ると、尾久のスロ62・スロフ62が「桜島」の運用に入っていました。
おそらく、全検の切れたオロ11の代わりに貸出されたのでしょう。
昭和50年1月7日の1101レにスロフ622004とスロ622096、
3月6日の1101レにスロ622007が使われているのを見ています。

昭和50年1月7日 東京駅 1101レ スロ62 2096(増)
右隣は2号車のスロフ62 2004です

投稿者のホームページ


投稿者

らん丸

投稿日

2008年 7月 3日(木)00時57分53秒

タイトル

「桜島・高千穂」の最終日について

手元にある鉄道ファンの50年4月号の
「50.3改正のドキュメント」の記事によると、
最終日の「高千穂」は西鹿児島行きではなく別府行きになっていました
(東京駅での写真も「別府行き」のサボが入っていた)。
うろ覚えで申し訳ございませんが、
「桜島」も西鹿児島行きではなく鳥栖行きだったと思いますが・・・・
「桜島・高千穂」は鹿カコ所属の客車を使っていましたが、
最終日に何故、この様な中途半端な所で運転を打ち切ったのでしょうか?



マロネロ38さん
>オロ11は冷房装置の重量が祟って「窓が変形」したとかで早く廃車された
と思います

10系客車の冷房化工事の時、ロクにモノコックの強度計算
(自動車のボディを改造する時は絶対に必要です)をせずに
「フレーム構造」のスロ54やオロ61と一緒にやったのが原因でしょう。


投稿者

ED76109

投稿日

2008年 7月 3日(木)10時35分25秒

タイトル

思い出が甦りました。

 竹中@ノーブルジョーカー様
「桜島・高千穂」を巡る論議中にちょっと失礼致します。「ED76109」であります。
実は、以前に書き込みました「桜島」を巡る「戯言」で記した、
昭和50年に小生が浜松から品川まで乗車した列車が、
昭和50年1月7日の1101レの折り返しである
昭和50年1月6日の「1102レ」なのです。
竹中@ノーブルジョーカー様が撮影されたとおり、浜松から乗り込んだ時、
小生が乗車した1号車の前にG車が一両増結されており、
カレチさんが「運用の関係ですよ。」と話されていたことを記憶しています。
以前の書き込みには記さなかったのですが、
当日は正月の帰省の真っ最中であったにも関わらず、「1102レ」はガラガラ。
品川までボックスを一人で占領していました。
懐かしい大切な人に出会った思いで投稿致します。

 雑魚様
 >全て小樽で一々機関車を交換していたのでしょうか。
  小生の記憶では、「122レ」はED76→DD51へ
機関車交換が行われていたと記憶しております。
札幌を午後に発車した「42レ(44レ?)」は、ED76→DD51であったケースや
DD51がスルーで牽引したケースもあったように記憶しております。


投稿者

EF6113

投稿日

2008年 7月 3日(木)13時52分22秒

タイトル

「50.3改正のドキュメント」

小生も最近取り出して読んでおります。
ちょうどSLブームが終焉し、SL以外の車輌が注目されつつあるころですね。
桜島高千穂に関しては、最後の定期東京九州間急行ということもあり、
74年75年頃に関してはかなり記録がありますね。
回送のカニ21が桜島高千穂に連結されている写真は思わずニヤッとします。

その頃全盛だった東京九州ブルトレも来年は全廃かと噂されております。
統廃合の過程が急行と似ていますね。
今のはやぶさ富士が当時の桜島高千穂にオーバーラップします。

桜島高千穂は、新幹線岡山開業前はオシ17を従え
荷物車を除けばオール10系で構成されてたようです。
ファンの77年6月に編成記録があります。
オユ113が連結されてた記録ですが当時は青だったのか茶色だったのか?

ただ残念ながら当時の写真は一度も見たことがありません。
SLブームが一番熱かったころで、全く注目されていなっかったからでしょうか?


投稿者

マロネロ38

投稿日

2008年 7月 5日(土)09時29分40秒

タイトル

軽量客車

らん丸様
オロ11の窓変形は高砂、鷹取工場OBの方から聞きましたが、
軽量客車は問題が多かったらしいです。
高砂でナハネ10を検査でクレーンで吊り上げたら、真中から折れたそうで
その方は危うく命拾いしたと言って居られました。
モノコックは重量のある鉄道車両には余り向いていないみたいですね。


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