倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
豪華二等車編成
格下げ車ばかりで組成された豪華二等車編成?


倶楽部メモ(366) 平成19年 5月19日〜 5月23日


投稿者

車掌@仙コリ(管理人)

投稿日

2007年 5月20日(日)17時24分2秒

タイトル

客車資料館・掲載資料の一部訂正について

皆様、いつもお世話になっております。
先日のオロ42の話題の際に、以前まとめました
「客車資料館」の「並ロの格下げについて」を見直していたところ、
一部間違いを発見しましたので訂正致しました。
(具体的には、オロ35とオロ42の格下げ車の年度別両数推移一覧表の、
年度等の表記がずれていました)
すでにご覧になっていた方には本当に申し訳ありませんでした。

今回、問題の部分を訂正するとともに、確認のために作成した、
各形式の車歴詳細を年表状にまとめたものを追加掲載致しました。
今後も少しでも皆様のお役に立つ資料を作成していきたいと考えていますので、
ご意見や間違いの指摘なども書き込んでいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願い致します。 管理人


投稿者

クモイ103

投稿日

2007年 5月20日(日)21時53分32秒

タイトル

鋼製・全金属製…?

 車掌@仙コリ様、掲載資料の見直しに加えて新規データのアップ、
お疲れさま&ありがとうございます。
 座席未改造の格下げ車が多く存在した時期は、昭和39〜40年頃の
ピンポイントだったことがわかりますが、これらの資料を見ていると、
格下げ車ばかりで組成された豪華二等車編成を作りたくなってしまいます(笑)。

 ところで、
> 電車における区分けもわからないのですが、
 当然各扉や窓枠が鋼製であることは必須であると思われ、
 …実は、クハ79920番台の乗務員扉は木製でした。
細かい部品まで突っ込むと、モハ72920番台のパンタ横のランボードは木製と思われますし、
さらに101系の室内で、床面よりわずかに高い貫通路との段差を埋めるために、
三角断面の木製部材が貼り付けてありました(細かすぎ?(^^;)。
「半鋼製」「全鋼製」「全金属製」の区別、どのような基準があったのでしょうか。
詳しい方、おられましたら何卒フォローをm(_ _)m


投稿者

車掌@仙コリ

投稿日

2007年 5月22日(火)20時21分9秒

タイトル

豪華二等車編成

>格下げ車ばかりで組成された豪華二等車編成を作りたくなってしまいます(笑)。
さすがクモイ103様、着眼点が違いますね。
豪華二等車編成、現実にはたぶん…ですが、私も興味を持ちましたので、
配置的に可能であったのかどうか調べるべく、
各格下げ車両の初期配置区の一覧票を作成してみました。
格下げ車のみで編成するとなると、緩急車2両を含む数両の格下げ車が
ある程度の期間配置されていたというのが条件となるので、
該当区を調べると千ナタ(成田線管理所)と大ヒメ(姫路客貨車区)
であれば可能でありました。
参考までに?該当車(特に転換式座席車のみ)で組成してみると

千ナタ(成田線管理所)配置車
オハフ52 1
オハ53 48
オハ53 49
オハ53 50
オハ53 62
オハフ52 2
可能期間 昭和40/9/30 〜 42/1/6

大ヒメ(姫路客貨車区)配置車
スハフ51 1
スハ52 13
スハ52 16
オハ53 35
オハ53 36
オハフ52 5
可能期間 昭和40/9/30 〜 41/8/31

こんな豪華な二等車編成列車がその時代に存在した?と想像すると楽しいですよね。


投稿者

下総守こみやさん(^^)

投稿日

2007年 5月23日(水)01時15分26秒

タイトル

> 豪華二等車編成

千葉にも二等格下げ車いたんだ〜(^^)
管理人殿このことは知りませんでした。不勉強ですねf(^^;
となるとオハフ52とオハ53我が家の編成にも組み込みたくなりました。
Nゲージで作れるかな。
千葉で二等車というと粗悪だったと感想の内田百關謳カ。
ちょっぴり見直していただけたかな(^^)


投稿者

クモイ103

投稿日

2007年 5月23日(水)02時06分27秒

タイトル

Re:豪華二等車編成

車掌@仙コリ様
 なんとわざわざそこまでお調べ下さり、感謝の極みです。
まさにかゆいところに手が届くサービス(笑)ですね。
ここまでして戴いたら…いやそのげほんげほん…


投稿者

103列車機関士

投稿日

2007年 5月23日(水)08時04分5秒

タイトル

実は・・・

クモイ103殿、車掌@仙コリ殿・・・・・
実は・・私やってしまいました・・
成田線のやつを・・(爆)
その逆を行く編成、「オハ71」ばかり・・と言うのも
いかがでせう?


投稿者

車掌@仙コリ(管理人)

投稿日

2007年 5月23日(水)12時56分34秒

タイトル

Re:実は・・・

103列車機関士様
早速、成田線の豪華二等車編成を実践されたのですね、さすがです。
とっくにやっていたとか…
以前格下げ車の話題になった際に作製なさっているだろうとは思っていましたが、
編成が組めるほど作製されていたとは。
ぜひ写真を拝見したいところですが、編成となると写真ではわからないですかね?
もし、いいアングルで撮影できましたら投稿していただければ幸いです。

ところで先の書き込みで言葉足らずでしたが、
作成した初期配置区一覧表と多数配置された配置区の車両一覧を
サイトの方に追加掲載していますので、興味がある方はご覧いただければ幸いです。
純粋な格下げ車だけの編成でなければ、
大部分が格下げ車という編成が可能な配置区は多数ありますので。


投稿者

ホエ7030

投稿日

2007年 5月23日(水)18時22分35秒

タイトル

並ロの思い出

 皆様、お晩方です。
先般のやまざき様のオロ42に関するご質問以来、3等級制時代の2等車、
いわゆる「並ロ」からその格下げ車や通勤型改造車までの話題が取り上げられていますので、
私も、思い出話を記して見たいと思います。
 私の並ロ乗車体験はたったの1回限りで、汽車に物心がついたばかりの頃でした。
当時、水戸局に勤務していた叔父に頼んで、初めて交通博物館に連れて行ってもらった時に、
何と、水戸〜上野間を快速気動車のキロハ47000の「ロ」に乗せてもらったのでした。
それ以降、オハ27、オハ55、オハフ53、キハ26401〜などの格下げ車や、
グリーン車であるサロ451やサロ651、サロE531などには乗りましたが、
昭和40年代前半で消滅してしまった客車の並ロには乗ったことがありません。
 しかし、キロハの乗車体験の当時から、客車には特に興味を待っていましたので、
オロ30,31からオロ42、スロ43、スロハ31,38などの現役時代や、
これらの格下げ後の姿まで、結構記録に留める事ができました。
 これらの中でも、やまざき様と同じように、オロ42は非常に印象深い客車ですね。
初めてオロ42を見たのは水戸駅で、本来東オクのオロが組み込まれているはずの急行に、
何らかの事情で東シナのオロ425が入っていたのです。
当時のメモには、屋根が電車のようで、ノーシル、ノーヘッダであること、
妻面の屋根との境目にRがあることなどが記されています。
その後、交博に行った際に、たまたま模型の運転会が行なわれていて、
登場時のブドー色のDF90が牽く夜行急行が走っていましたが、
マロネ40やマロネ41などの中にオロ42が組み込まれていて、とても魅力的な列車でした。
(実際には、DF90とマロネ40などの組み合わせはあり得ませんが)
 管理人様ご提案のオール格下げ編成も魅力的ですね。
私は、成田の格下げ車群はS41.11.14にある会の行事で撮影に行き、
オハ5310,5350、オハフ521〜3を撮っています。
5両以上くらいの編成でオール格下げと言うのは現実にはほとんど無いと思いますが、
並ロの団臨は何度か見かけたことがあります。
その一例を記して見ますと、
C57165(平)・オハユニ635・オロ412・オロ363・スロ432028
・スロ432029・スロフ311(S36.7.21 水戸にて)と言うものです。
S38.7に函館で見た団臨は、編成記録はとりませんでしたが、
スロ336・オロ3567・オロ3568・オロ401・スロフ3020
(いずれも二重窓で札サツ又は札オタ)を撮っています。
同月に旭川客貨車区で見た団臨は寝台車6両の中間に食堂車を挟んだ豪華版で、
両端はマロネフ29101と102、中間はマロネ4014のみ確認、
中央4号車はマシ381で、サボ受けに「航送車」の札が入っていました。
 我が常磐線の水戸には、オロフ33格下げのオハフ531〜3が居ました。
当初は、両端を客扱い最後の戦災復旧車であるオハユニ7111、20に挟まれた
水戸線用の「水2」編成に2両も組み込まれたりしましたが、
その後は主としてDD13牽引の水郡線でオハ61や
オールロングシートのオハ63などと共に運用されていたようです。
同一列車で、どのハコに乗るかでものすごい違いですね。


倶楽部メモ(367) 平成19年 5月24日〜 5月27日


投稿者

クモイ103

投稿日

2007年 5月24日(木)23時18分51秒

タイトル

並ロいろいろ

>103列車機関士様
 う〜む、やる人はちゃんとやるんですね(^^;。恐れ入りました。ぜひ画像見せてください(^^)。
 「オハ71」ばかり…って、はて、緩急車は… そうか、両端はオハユニでいいんだ(爆)。

>車掌@仙コリ様
 緩急車が1両だけでも、もう片方は並ロ改造の荷物車で、というのは邪道でしょうか…
 時代的に無理かな?

>ホエ7030様
 お久しぶりです。いつも興味深いお話し、ありがとうございます。
 並ロの団臨の編成記録は貴重な情報ですね。
転換シート車とボックスシート車が混結されているのが面白いです。
寝台車編成の方は、いわば“並ロネ”とも言うべきCロネのマロネフ29に加え、
A・Bロネのマロネ40が入っていて一段と豪華ですね
(“特ロネ”と言ってしまうと別の意味になりますので…用語は難しい)。

 小生、子供時代は「ロ」のつく車両に無縁で、客車の並ロの乗車体験はありません。
もっとも、最後の並ロだった紀勢本線のスロハ32が消えた昭和42年には幼稚園児でしたので、
たとえ乗ったとしても覚えてないでしょうけど…。
高校時代、飯田線や大糸線で旧形国電の格下げ車に乗車したのが、近い体験と言えるでしょう。
サハ45などのボックスシートは、フカフカの応接ソファのようでした。
北上線でキハ26 400番台に乗車したこともありました。
 今は千葉に住んでいる関係で、総武快速線の113系グリーン車にはよくお世話になりましたが、
たいてい特ロ仕様のサロ113や特急形式からの改造編入車を選び、
並ロの流れを汲むサロ110-1200番台にはあまり乗ったことがありません。

 そういえば、211系の平屋グリーン車は、系譜としてはサロ110の後継形式であり、
定員もオロ35などと同じ64名で、その意味では並ロの末裔と言えるのでしょう。
ただ、立派なリクライニングシートがついて、さながら“特別並ロ”ですね。


投稿者

103列車機関士

投稿日

2007年 5月24日(木)23時46分48秒

タイトル

おはずかし・・・

クモイ103様、車掌@仙コリ様、
こちらでちょっと砕けたお話ができて嬉し恥ずカシで御座います。画像挑戦してみます。
オハ71やオハ70の入った編成記録は中々見当たらないので
こちらも近日中に「全戦災復旧車編成」でお目にかけます。
あれ?オハフ71って有りましたよね?(核爆)
この場をお借りしてお尋ね申し上げます。
緩急車の尾灯円板は何時ごろまで付いていたのでしょうか?
オハフ52に付けようかな?と思っているのですが・・


投稿者

車掌@仙コリ

投稿日

2007年 5月25日(金)00時17分13秒

タイトル

オハフ71は

103列車機関士様
オハフ71は2両だけ存在したようです。
どちらも元省電という事で、窓配置等も電車時代のままで、
元運転室部分が車掌室となっていたようです。
改造歴としては
オハフ71 1 元モハ60030    後にスユニ72 56
オハフ71 2 元クハ55083か55085 後にスユニ72 57
だったようなのですが、配置は71 1は広島局、71 2は四国局だったようです。
現実的には同一編成に入った可能性は低いですが、そこは模型ですものね。
「豪華二等車編成」と「全戦災復旧車編成」という二大夢の編成(笑)
楽しみにしております。


投稿者

ホエ7030

投稿日

2007年 5月25日(金)15時55分26秒

タイトル

尾灯の円盤・その他

>103列車機関士様
 書込みを拝見いたしますと、とても意欲的に模型製作に取り組んでおられるようですね。
私は、夢ばかり膨らませて、並ロやロネの団臨を組めるだけのキットは、
台車や床下機器などを含めて確保していますが、製作の方は慢性渋滞です。
 ところで、後部標識(尾灯)の円盤が何時まで使用されていたのかについては、
「達」などの明確な根拠は分かりませんが、
私が撮った写真や月刊誌に掲載されている写真を見ますと、
S40(1965)年6月6日の「1013レ北海道観光号」や
7月18日の「会津尾瀬号」では使用されていますが、
同年8月に撮った常磐線や信越本線、磐越西線の列車では、
全て閉じられた状態になっていますので、この時期が境目かと思います。
しかし、同年9月に落成したED761〜や11月落成のED931は
円盤付で登場しているのは不思議ですね。
使用されなくなった円盤は、S42年頃の写真を見ますと、
付いたままのものと取り外されたものとがありますので、
使用停止後に順次取り外されたものと思われます。
 私が成田でオハフ521〜3を撮ったのは
S40年(前の書込みのS41年は誤り)11月で、3両全て円盤付でしたが、
オロフ32から格下げされたのがS40年9月ですから、
格下げ後に円盤が使用されたことは無いものと思われます。
模型化の場合、円盤を閉じた状態で製作されるのが良いと思いますが、
千ナタの3両はS43年3月末〜9月に廃車
(他の4〜7はこれ以前に廃車又は改造)になったようですので、
それまでの間に円盤が取り外されている可能性もあります。

 戦災復旧車も興味は尽きませんね。オール戦災復旧車の編成も、
実存した可能性は殆ど無いと思いますが、そこは模型の世界のことですから、
思いっきり変化に富んだ編成はいかがでしょうか。
オハ70・71ともに、オハ31やスハ32、オハフ33、電車など
種車の面影を色濃く残したものや、3軸ボギー車もありましたので、
仮想乗客には申し訳ありませんが、大いに楽しめるものになると思います。
 近代的な編成美の列車も魅力的ですが、
種種雑多な組み合わせの旧形客車による列車もたまらないですよね。
我が常磐線の客車列車の大部分は、水ミトと東オク(ヲク)の受け持ちでしたが、
オクのスロハ31・32の代わりにスロハフ31が入ったり、
スハニ31・32の代わりにスハニ35が入ったり、
他区のオハ31、オハ34(旧スハネ)、スハ33(旧スヘ)、
そして冬季には北海道からのアルバイトのオハ62やオハフ60などまで入って来ました。
並ロの格下げ後は、オハ27やオハ55、スハ50など来ました。
北部の仙台寄りの区間では、通勤・通学時間帯に仙センの運用で
旧マロネロのマハ29が5両も入った編成の列車があったようです。
ジョイント音を聞いてみたかったですね。


投稿者

クモイ103

投稿日

2007年 5月26日(土)21時53分53秒

タイトル

戦災復旧車ネタ

>103列車機関士様、車掌@仙コリ様
 そういえばオハフ71ってあったのですね。
すっかり忘れてました。お恥ずかしい限りで…。
たしか半流国電顔そのままの、とっても怪しい車でしたね。
 戦災復旧客車に関する私の虎の子資料は、今ある方にお預け中なので、
ここで話題になってもすぐに確かめられないのが残念です(^^;。

>バンブー様
 スエ78は廃車ですか。おっしゃる通り、今まで車籍があった事自体奇跡ですね。
 本HPの4号車内にある「現役旧形客車カタログ」に
「製造時 スロシ38010」と紹介されていますように、
元をただせば戦前の地方線区の花形車両スロシ38000でした。
実は弁天町のスシ28 301(元スロシ38003)と兄弟車だったんですね。

(以下余談)戦災復旧車のNゲージモデルは、
ガレージキットメーカー“k”がずっと「考え中」で停滞している間に
“R”がいくつか新ネタをリリースしていますが、
私としては沈黙を守っている“Y”の思惑が気になるところです(笑)。


投稿者

103列車機関士

投稿日

2007年 5月27日(日)22時21分50秒

タイトル

有難う御座います

ホエ7030様、ご無沙汰いたしております。
参考になりました、北海道の客車がこちらまで来ていたんですか!
これは普通列車に使いたいと思います。
戦災復旧車はどうしても正確に使用例が解らないのでなんとなく
製作していて思い切って空想の列車で楽しむことにしました!
割と車番を編成表で調べて列車毎に模型を制作していたので
こういう砕けた楽しみ方もいいような気がしました!

クモイ103様、
私「R」製品を好んで製作してますそういえば「Y]さん
新製品最近でないですね・・
戦災客車資料戻りましたらまたお話聞かせて下さい!

車掌様!
オハフ71について有難う御座いました!
私、戦災復旧車は元電車の方が好きだったりします!
オハ71 12なんてしびれちゃいます!


倶楽部メモ(368) 平成19年 5月29日〜 6月 2日


投稿者

ホエ7030

投稿日

2007年 6月 1日(金)18時52分9秒

タイトル

東海道848レ・他

>103列車機関士 様

 北海道ファンの私は、通学の際に北海道からのアルバイト車を見つけては乗ったものですが、
何と、東海道線には、113系や153系全盛時代のS40年代前半まで
熱海→東京(下りは品川→熱海)の848レという東シナ受持ちの客車列車が残っていて、
冬季になると、オロ1両以外の殆どが北海道の客車で編成されていたことがありました。
 この列車は、13:10過ぎ頃に東京に到着し、その後一旦神田方に引上げられるのですが、
私は、S40.2.3に神田でスハ3324・25(函ハコ)、スハ5053・54(旭アサ)、
オハフ607(札イワ)、オロ3510(東シナ)を撮りました。
この848レに関して客車趣味界の先輩方が調査された資料を見ますと、
S40.10.21の編成は、スハ32・43、オハ46・60、スハフ32・42等で、
所属は東シナ、大ミハ、門タケ、千ナタで、
S41.2の編成ではスロ432016のみが東シナで、
他は札サウ、旭アサ、釧クシ、東イイ、新ニイ、新ナカ、水ミトの
スハ32、スハ50、オハ62、スハフ32、オハフ53で編成されています。
同資料によるS42.1〜2頃の編成では、並ロが特ロのスロ51やスロフ53になり、
北海道車は入って無いようですが、
スハ32、スハ33、オハ35等に混じってオロ40がハ代用で2両も入ったり、
格下げのオハ51等が入っています。
 他に、バラバラな所属の客車で編成された例を同資料から拾ってみると、
S37.12.2にY.S.様が調査された701レ「佐渡」は、
大ムコ、天リウ、天シク、名ナコ、新ニイ、新ナオ、東オクで編成、
702レ「弥彦」は、大ムコ、名ナコ、新ナオ、東シナ、東オク、東コフで編成されています。
定期の急行がなんでこんなことになっているのか実に不思議です。
このような実例があるのですから、模型の世界なら夢は際限なく膨らみますね。
 戦災復旧車の編成例についても、同会の資料に何点か掲載されていますが、
一般的には編成中にバラバラに組み込まれているようですが、
名ナゴのオハ70の例では、8両編成中両端がスハフ32で
中間の6両がすべてオハ70と言うものがありますし、
山陽線の14両編成の普通列車で、東京方3両が大ヒメのオハ71と言うのもありました。
S20年代中頃までのことですから、編成中には木造車も見られます。


倶楽部メモ(369) 平成19年 6月 2日〜 6月 9日


投稿者

103列車機関士

投稿日

2007年 6月 5日(火)23時08分37秒

タイトル

ありがとうございます

ホエ7030様
有難う御座います!
編成記録は私、大好きで御座います!興味深い編成記録のお話しありがとうございます。
「越路」のお話も大変興味深いですね!
「越路」といえばEF57を連想してしまいますね・・・・
あの列車ももそのうち再現したいと思います!


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