倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅

倶楽部メモSP
オロ42の車体構造は?
鋼製客車における半鋼製、全鋼製、全金属製の区分は?


倶楽部メモ(364) 平成19年 5月12日〜 5月17日


投稿者

やまざき

投稿日

2007年 5月17日(木)01時11分43秒

タイトル

始めまして

始めまして、熊本在住のやまざきと申します。21年来の鉄道ファンです。
こんな濃い掲示板があるのを知ってとても嬉しいです。
私は、同じ形式でも様々改造された車両が好きで、
電車の103系や113・115系を研究して(?)ましたが、
最近は客車に興味を持ち始め、10系列以前の客車を調べています。
とはいっても、私が生まれた翌年に国鉄は無くなり、
私が乗った客車は、20系の急行玄海と、24系のあさかぜ、
14系のムーンライト九州だけですが・・・。
ピクトリアル誌の客車特集を見て、日夜勉強しています。
しかし、客車は奥深いですね。JR各社の電車の更新工事の種類の比にはなりませんな。
(特にJR西日本の更新工事は形式と工場毎に違って訳がわかりません。)
ちなみに、個人的には、ノーシル・ノーヘッダーで張り上げ屋根の車両が大好きです。
特に昭和30年代の新車は大好きです。
国鉄の旧型客車はそれに比べると鈍重ですが、渋さではかないません。
最近、梅小路のオハ46とオハ33を見ましたが、なんだか生気が抜けてて残念でした。
もっと活用しておくれ、後ろにいたサハ111リニューアル車と共に
(せっかく更新されたのに、編成組み換えで保留車)。

さて、いきなり質問で恐縮ですが・・・。
私の大好きな車、オロ42の車体構造は半鋼製ですか
それとも全鋼製、全金属製のどれでしょうか。
軽量構造を試行したと記述されていますが、10系客車に近い構造なのでしょうか?
あと、内装色も知りたいです。
私の聖典、ピクトリアル誌には内装の色遣いも
特徴がある旨記されているので(775号53ページ)。
格下げ後の状況も含めて、何でも知りたいです。
スマートな車体に、何故か低屋根構造、かっこよすぎです!
青色になったり、アルミサッシになったりしたのでしょうか、是非知りたいです。

以上、初めての投稿で厚かましいこととは存じますが、よろしくお願いします。


投稿者

雑魚

投稿日

2007年 5月17日(木)10時20分18秒

タイトル

やまざき様へ

茨城県水戸近郊在住の雑魚と申します。年数にして、私の半分以下という若年の方が
10系や20系客車の事を御調べとは、襟を正す思いですね。

> 様々改造された車両が好きで、電車の103系や113・115系を研究して

筑肥線の事例を除けば、熊本はおろか九州には無縁の形式ですが、そうした車種をも
御調べなのですか。我が地元の常磐線も交流電化路線ですが、我が家から、最寄りの
東北線までは一時間少々で到達可能ゆえ 115系定期運用の最晩年は、早朝のみ運転の
黒磯発上野行の長大編成など、撮りに行きました。

熊本で改造車というと、80年代に九州を旅行した際、元G車をボックス式に固定した
475系を思い出します。当時 九州では「由布」「火の山」「くまがわ」「えびの」等、
普通車指定席車に元G車、もしくはG車用座席を転用した改造車が充てられていた為、
周遊券利用ながら(当然、宿は「かいもん」「日南」です)かかる急行の場合に限り、
わざわざ指定券を求めたものです。

また、現在三セク化された旧鹿児島線の肥後二見〜上田浦において、線路に並行する
狭い海岸道路を歩きながら「はやぶさ」「有明」を撮影したのも、良い思い出ですね。
この時初めて、蜜柑畑の急傾斜地における「専用軌道」の作風を知り、同行の友人と
大いに盛り上がったものです(^^)その後「ハイパー・サルーン」による「有明」で、
進行方向先頭のG車展望席を、博多から西鹿児島まで乗り通す機会に恵まれましたが、
八代以遠の海岸の眺めは格別でした。八代といえば「八ちゃん」「代ちゃん」なんて
入替機もありましたっけ(^^)

御質問の答えでないのが恐縮ですが、熊本と聞いて懐かしく思い、筆を取りました。


倶楽部メモ(365) 平成19年 5月17日〜 5月19日


投稿者

クモイ103

投稿日

2007年 5月17日(木)19時51分49秒

タイトル

オロ42

>やまざき様
 はじめまして。千葉市在住のクモイ103と申します。
 国鉄民営化後にお生まれになった方が、国鉄時代の客車に興味を持たれるとは、
いいかげんくたびれた客車ファン(^^;として、たいへん心強く思います。
オロ42に注目なさるとは、さすがお目が高いですね(笑)。
実は私も、元は103系を中心とした電車ファンですが、
今はこっちの世界(笑)から抜け出られなくなっています。

 さて、オロ42の車体構造と内装のことはよくわかりませんが、
車体外部の塗色については、格下げ後を含めて最後までぶどう色でした。
窓枠も、現在残された写真から察するに、
アルミサッシ化などはされなかった模様です。

 ちょうど少し前にNゲージでキットを作ったところなので、
話題となった記念に(?)拙作を貼らせていただきます。
昭和35年6月改正から翌年10月改正までの間、
オロ42は不定期急行「桜島」の1等自由席車として使用されていました
(指定席車はスロ54)。
東京−鹿児島間を走破するこの列車には4組の客車編成が必要で、
全部で5両というオロ42の両数が、
予備車1両も確保できて丁度良かったのでしょう。
この編成を目指しているのですが、2等車オハ46がまだ出来ていません…。


投稿者

車掌@仙コリ

投稿日

2007年 5月17日(木)23時36分36秒

タイトル

半鋼製、全鋼製、全金属製

やまざき様、はじめまして。
オロ42についてのご質問ですが、
オロ42は有名な?ジュラルミン車体のオロ40 98〜102を
準軽量構造の鋼体に載せ替えた車両ですよね。
車体外部の塗色等につきましては、すでにクモイ103様からコメントがありましたので
車体構造につきまして…
といっても現車は見た事もありませんので文献及び時代考証からですが。
そもそも客車に関しては電車のように半鋼製、全鋼製、全金属製
といった概念はなく(使い分けをしていないという事ですが)
最初の鋼製客車であるオハ31系列のような半鋼製の車両も
区別せずに鋼製客車といわれています。
このうち全金属製というのは電車で言えば70系・80系電車の300番台が有名ですが、
これらの車両を設計されたのが軽量客車の生みの親として御高名な星晃氏であり、
星晃氏がヨーロッパ視察から戻られ、
軽量構造で設計された車両以降が全金属製といえると考えられるので、
客車で言えば10系軽量客車以降であると思います。
オロ42は星晃氏がヨーロッパ視察の最中に車体更新された車両であり、
全金属製とはいえないのではないかと思います。
半鋼製、全鋼製については電車での区分けも知らないのですが、
どこで分けられるのでしょうか?
オハ31系列からスハ32系列のダブルルーフ車までは、
車体の骨組みと側面・妻面は鋼製ながら、車内はもちろん屋根も木製でしたので、
あきらかに半鋼製であると思いますが、それ以降の車両についてはどこまでが半鋼製で、
どこからが全鋼製といえるかは難しいのではないかと思われます。
以上のような観点からオロ42については
時代的に10系軽量客車とはあきらかに違う構造であると考えられますが、
軽量構造客車への橋渡し的な存在であったので、
しいていえば全鋼製といえるのかと思います。
以上あくまでも私の個人的見解ですが、ご参考になれば幸いです。


投稿者

竹中 寿人

投稿日

2007年 5月18日(金)00時52分59秒

タイトル

Re:オロ42

やまざき様、みなさま。
鉄道ピクトリアル750号のオハ35系特集2に
『室内の内張りは硬質繊維板(メラミン樹脂エナメルの焼付塗装をしたもの)を使用』
と記述がありますので、
オロ42形は全鋼製・全金製とは言えないかと思います。
また、当初より照明は蛍光灯を使用、屋根が低いのは軽両化のため、とも書かれています。
オロ35形の近代化改造が始まったのが昭和30年、オロ42形が生れたのも昭和30年。
オロ42形は近代化改造後のオロ35形と同レベルの内装だったのでしょうね。
そして、オロ42形が格下げされたのは昭和40年のことです。
わずか10年の命でしたから、更新の間もなかったことでしょう。
私はホビーモデルのオロ42形を組みました。
こちらのリンク先にアップしてありますので、
ロングシート化されたオハ41形の写真とともにご笑覧いただければ幸いです。
ノーブルジョーカー>模型のアルバム>オハ53101
ノーブルジョーカー>オハ35の仲間たち>オハ41251
と進んでください。


投稿者

クモイ103

投稿日

2007年 5月18日(金)11時36分41秒

タイトル

Re:オロ42

 車掌@仙コリ様、竹中様、いろいろとフォローありがとうございます。
 “ジュラ電”は全金属車体の試作車に改造されましたが、
“ジュラ客”は“全金”となったわけではないのですね。

 ノーブルジョーカーHPのお写真、改めてしかと拝見しました。
実車の格下げ後の写真、ドア上の等級表示灯が、
形を残したまま埋められている様ですね(単に塗りつぶされただけ?)。
並ロで等級表示灯があるのはオロ42だけでした。
室内も蛍光灯付という事で、急行列車でスロ54などの特ロと連結されても、
座席のグレード以外はさほど見劣りしなかったことでしょう。
 模型の方は、やはり16番だと細かなところまで作り込まれており、
座席もちゃんと塗り分けられていて実感的ですね。
私の場合、内装色はよくわからないことが多いので、
開き直って全形式プラ地肌のクリーム色のまま、
真鍮エッチング製の仕切り壁なども、
それに合わせてクリーム色で統一してしまっています(^^;。

 やまざき様、
> 国鉄民営化後にお生まれになった方
…と書いてしまいましたが、民営化の前年でしたね。慌てて失礼しましたm(_ _)m。


投稿者

やまざき

投稿日

2007年 5月18日(金)14時00分55秒

タイトル

情報ありがとうございます!

皆様、さすがです!わずか2日で多くの情報をいただけてありがとうございます!
それにしても、個人的には車体は新しいのに、わりと早く消えたオロ42が不憫です。
定員が少なかったのがあだになったか、単に少数派だったから
、早々と退場させられたのでしょうか・・・。


投稿者

車掌@仙コリ

投稿日

2007年 5月18日(金)19時27分42秒

タイトル

Re:オロ42

竹中様
オロ42についてフォローありがとうございました。
よく考えれば直前のクモイ103様の書き込みでも
アルミサッシ化はされていないとの事でしたので、
全鋼製とはいえないですよね。
先の書き込みの通り電車における区分けもわからないのですが、
当然各扉や窓枠が鋼製であることは必須であると思われ、
内装の壁面まで木質では無い事が条件となると、
鋼製客車においては電車で言う全鋼製である形式は皆無なのでしょうか?

オロ42が短命であった理由ですが、
登場(車体更新)が10系軽量客車より前の形式では最も遅い部類にはいる
昭和30年であった事、
転換式クロスシート(いわゆる並ロ)であったため
昭和40年前後の並ロの格下げ対象になった事につきます。
元がオロ40であったために車体更新時にオロ41相当の車内設備となったようですが、
車体更新当時に新製されていた二等座席車はすでに特ロであったので、
オロ42が特ロとして更新されていれば運命は変わったものであると思います。


倶楽部メモ(366) 平成19年 5月19日〜 5月23日


投稿者

車掌@仙コリ(管理人)

投稿日

2007年 5月20日(日)17時24分2秒

タイトル

客車資料館・掲載資料の一部訂正について

皆様、いつもお世話になっております。
先日のオロ42の話題の際に、以前まとめました
「客車資料館」の「並ロの格下げについて」を見直していたところ、
一部間違いを発見しましたので訂正致しました。
(具体的には、オロ35とオロ42の格下げ車の
年度別両数推移一覧表の、年度等の表記がずれていました)
すでにご覧になっていた方には本当に申し訳ありませんでした。

今回、問題の部分を訂正するとともに、確認のために作成した、
各形式の車歴詳細を年表状にまとめたものを追加掲載致しました。
今後も少しでも皆様のお役に立つ資料を作成していきたいと考えていますので、
ご意見や間違いの指摘なども書き込んでいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願い致します。 管理人


投稿者

クモイ103

投稿日

2007年 5月20日(日)21時53分32秒

タイトル

鋼製・全金属製…?

 車掌@仙コリ様、掲載資料の見直しに加えて新規データのアップ、
お疲れさま&ありがとうございます。
 座席未改造の格下げ車が多く存在した時期は、昭和39〜40年頃の
ピンポイントだったことがわかりますが、
これらの資料を見ていると、格下げ車ばかりで組成された
豪華二等車編成を作りたくなってしまいます(笑)。

 ところで、
> 電車における区分けもわからないのですが、
当然各扉や窓枠が鋼製であることは必須であると思われ、
 …実は、クハ79920番台の乗務員扉は木製でした。
細かい部品まで突っ込むと、
モハ72920番台のパンタ横のランボードは木製と思われますし、
さらに101系の室内で、床面よりわずかに高い貫通路との段差を埋めるために、
三角断面の木製部材が貼り付けてありました(細かすぎ?(^^;)。
「半鋼製」「全鋼製」「全金属製」の区別、どのような基準があったのでしょうか。
詳しい方、おられましたら何卒フォローをm(_ _)m


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