倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
ロングシートの客車について
ロングシート車の構造・ステップとホーム高さの疑問



倶楽部メモ(345) 平成18年10月 2日〜10月 4日

投稿者 てりてり
投稿日 10月 3日(火)19時48分44秒
タイトル 座席 あれこれ?
 失礼します。
今のJR線では列車が短くなると共に皆様が御指摘されております様にロングシートが増えている様な感がします。
私が住んでいる路線もまたロングシート車が走っております。
あまり利用はしないのですが、乗車するとどうもお尻の辺りがムズムズします。どうも落ち着きません。
先端区間で車内が空いて来ると特に落ち着きません。
乗車時間が短いと言う事、あまり乗車しない事もあり、正直文句を言える立場ではないのですが、
一考願えればと思う次第です。
 先日ロングシートとクロスシートの混合した車両が登場しました。
中身を(チラッと)眺めた事がありますが足して二で割ってプラスαβかな…と言うのが今の印象です。
ただ、客室のガラスは真っ黒けです。車両を初めて見た時は正直絶句しました。  閑話休題
 さて、並走している私鉄も殆どがロングシートです。乗車しておりますと不思議と違和感がありません。
乗車時間が短いからなのか昔からそうであるからかのかハッキリしませんが、JR線と比較してそんな気がします。
 ロングシートの客車、と言えば旧優等車の改造車がありましたね。
写真でしか見た事がありませんが、今考えるとなかなかのアイデア賞ものかもしれませんね。
ですが、(これも写真でしか見た事しかありませんが)二つ扉の車両が充てられても
列車自体もある程度の長さが在った様で、今程問題は無かったのでしょうか。
当時利用された方の体験談を伺えたら幸いです。
 「デッキや床での座り込み禁止」と大きなステッカーが貼ってあり、
案内放送で繰り返し伝えている車両に乗るにつれ、「常識」について考えてしまいます。
 また下らない文面になった事をお許し下さい。それでは。
 追記・下総守こみやさん 様の「鹿島鉄道」のところで以前キハ432に乗車した事を思い出しました。
時間のせいでしょうか?私しか乗っておらずロングシートの車内で何と無く落ち着かなかった事を思い出しました。
ですが、柔らかい椅子と適度な?揺れで何時の間にか眠ってしまった事があります。

投稿者 鹿ケ谷鉄道
投稿日 10月 4日(水)01時14分6秒
タイトル RE:座席 あれこれ?
皆様、いつもありがとうございます。滅多に書込みしない鹿ケ谷鉄道です。

てりてり様の座席 あれこれ?を読んで、ロングシート客車が懐かしくなりました。
私の住む京都では、朝夕に草津線柘植(関西線亀山)〜京都の通勤列車に組み込まれていました。
ロングシート客車は、単に詰め込み易くした客車という印象しかありません。
ロングシート改造車でも一般車でも、両端にしか出入り口が無いわけですから、途中駅での下車は困難に近いものです。
もっと悲惨なのは、禁煙なんて無かった時代ですから、冬の窓を閉めた状態では空気も悪く、倒れる女性もおられましたよ。
やがて、50系になったものの両端出入口は変わらず、改善効果は無かったです。
海外の通勤用客車に見られるような、電車の中間車両のような形に、何故設計しなかったのでしょうね。

投稿者 雑魚
投稿日 10月 4日(水)10時10分5秒
タイトル K-100
> 大野しげひささん主演で夕張を目指して旅するんですよね。

跡取り息子の長旅を良しとしない母親の妨害工作との駆引きが 見所でしたね(^^)

> 夕張に着いて終わるのかと思ったら鉄道が無い(当時)沖縄を目指して大方向転換

番組のあまりの人気振りに、急遽、続編制作を決定した結果なのだそうです。往路は
太平洋岸、復路は日本海岸を経由したとの事で、なかなか 心ニクい演出ですね(^^)

> でも確か茨城県下で車輪を付け替えてレールの上を走った場面がありました。

この辺りは記憶にございません。ごの様な状況、情景だったのでしょうか?

> ロングシートの客車、と言えば旧優等車の改造車がありましたね。

80年代半ば、予讃線 高松近郊区間で見かけましたが、実に異様な雰囲気でした(^^)
これに近い作風として、現在、烏山線で稼動しているキハ40改造車が挙げられますね。
デッキこそ無いものの、何とも落ち着かない雰囲気でした。同車ならではの鈍足さも
相まって、新型導入の計画が無いのか、と思っていたところ、水郡線の玉突き配転が
烏山線にも及ぶのではないか、との事。

当初は「電車客車」などと称され、愛好家の間では、やや敬遠気味だった50系客車も
今となっては懐かしい代物で、ガラガラの土讃線夜行快速(高松〜高知)ではロング・
シートが「特設寝台」として機能していましたね(^^)

> 電車の中間車両のような形に、何故設計しなかったのでしょうね。

機関車の連解結の手間や組成変更の煩わしさに鑑み、通勤仕様が求められる区間では、
早期から電車ないし気動車への置換を想定していた、という事ではないかと思います。
そうなると、50系の設計思想とは、これ如何に?



投稿者 岩崎安房守義将
投稿日 10月 4日(水)11時08分54秒
タイトル 蛇足ですが・・・
連続失礼をお許し下さい。
 長手座席機材の団臨での定員算出はそれこそ管理局により異なりますが、
某国電区間で団臨を仕立てた(某広告代理店受託)時には60人/両×10両×0.85でした。(昭和63年)
 現在良く見るキャンペーン専用列車は「貸切団券」で発行されています。
投稿者のホームページ

倶楽部メモ(346) 平成18年10月 4日〜10月 4日

投稿者 日野実験線
投稿日 10月 4日(水)13時35分28秒
タイトル Re:座席あれこれ?
てりてり様、初めまして。
連続書込みで申し訳ありません。
オハ41を中心としたロングシート車は朝晩の通勤通学の際に使用されることが多く、
私は秋田で連結されている列車に乗りましたがオハ41は通学の学生で一杯でした。
場所によっては行商(いまや死語になりつつありますが・・・)のおばさん達の専用車にもなっていたようです。
(大きな荷物を持ち込み、置くのに都合が良いので・・)
混んでいる時はできませんが、空いている時には長いロングシートに靴を脱いで寝転がってしまうと
普通の座席者よりも寛ぐ事が出来ました。(笑)

投稿者 日野実験線
投稿日 10月 4日(水)14時06分24秒
タイトル 50系、通勤車の構造
鹿ケ谷鉄道様、雑魚様、宜しくお願い致します。
50系の製造は昭和53年からだったと記憶していますが、
当時、通勤輸送については動力分散化の方向で動いており、50系はそれ以外の地域で残る旧型客車の置換え、
特に安全性の向上と接客設備の改善が目的で製造されたと認識しています。
従って出入口の自動ドア化、貫通扉の設置、車掌の扉操作利便性を図るためにオハフ50の両端へ業務室を設置、
など、全て乗客及び乗務員の安全性向上を図るためのものです。
実際には通勤区間へも投入されてしまいましたが、
50系の投入によりデッキからの転落事故は一掃されたように聞いています。
製造に当たっては電車或いは気動車への転用が考慮されており、
後年キハ33や北海道のキハ141系に改造されたことは皆様ご存知のことと思います。

後年オハ5141に対して通勤用に中間に扉一つを増設する改造が行われました。
私は丁度改造の真っ最中に札幌運転区を訪問したのですが、区の方からは以下のようなお話をお伺いしました。
 1.出入口を増設するとなると客車にはステップを設置しなければならず、台枠の切欠 き、
   ステップ設置後の台枠再構成、が必要となって強度計算など非情に手間である。
 2.50系の場合、ドアエンジンも設置しなければならず、ドア構造体やドアエンジンの重量を台車ではなく、
   台枠で受けなければならないので台枠の強化も必要になる。
 3.車内配置についても中央にデッキを設置するために見直しが必要になる。
とのことで、非常に苦労されていました。
結局オハ5141は苗穂工場に移され、苗穂工場で工事を完了しました。
ただその結果は721系電車の構造に生かされています。

 客車では和田岬線のオハ、オハフ64が片側にデッキを増設していて有名でしたが、
オハ41への改造の際には両数も多く、改造に手間をかける余裕も無かったのではないでしょうか?

以上、長文失礼致しました。

投稿者 雑魚
投稿日 10月 4日(水)15時59分20秒
タイトル 和田岬
> 日野実験線様

50系に関する御教示、有難うございます。動力車への転用を前提とした点に過渡的な
設計思想が窺えますね。牽引機が赤色である場合が多かったので、どうせなら青系に
ならないものかとも思いましたが、考えてみると 701系の導入直前に、東北線の盛岡
以北などで普通列車の運用に就いていたのは、一部をロング・シート化して、白帯を
消した「青一色」の12系でしたね。

> 客車では和田岬線のオハ、オハフ64が片側にデッキを増設していて有名でしたが、

三菱重工の事業所への通勤者を対象としたダイヤは、正に鶴見線の如しで、神戸市営
地下鉄の海岸線開通が決定した時点で、すわ廃止かと思ったのですが、乗務員手配の
都合からか、わざわざ電化してまで存続したのは意外でしたね。

神戸市企画調整局の統計によると、和田岬駅の乗降者数は地下鉄が開通した2001年を
挟んで四割近く減少していますが、それでも、2004年時点で約1800千人(定期券比率
約95%)で、電化後も「相変わらず」のダイヤである事を勘案すると、市営地下鉄の
約2600千人(同比率、約60%)との比較において、中々の善戦振りと言えそうですね。

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画像は、先述の12系団臨を常磐線沿線の商業施設駐車場から撮ったものです。道路の
街灯が煩わしいのですが、足場が足場ゆえ仕方無いところ。家族サービスと「鉄」を
両立したい世の父親には、都合の良い場所………かも(^^)改装次第では、三脚組が
萌える構造ですが、一般客との整合性において「立入有料」で足場の区画を整えても、
結構「需要」はあるかも知れませんね(^^)警備員が常駐しているので、危険行為や
一般客に迷惑をかける行為は、厳にNGです。


投稿者 鹿ケ谷鉄道
投稿日 10月 4日(水)18時19分3秒
タイトル ステップの疑問
日野実験線様の50系、通勤車の構造を読んで、ステップとホーム高さの疑問を思い出しました。
客車やディーゼルカー主体の路線は、ホームが低く車両にはステップがあります。
この路線が電化により電車化されると、ホームのかさ上げ工事が行なわれます。

でも現実には、電車用ホーム高さの路線に一般型客車(オハ35など)や、ディーゼルカーが走っていたわけで、
国鉄の規程?によるホーム高さと運行車両のステップ有無の関係に疑問を持っていました。
(183系ECと485系ECの関係でも言えますよね。)
なので、50系客車の車体が近郊型電車的でも良かったのではと、思った次第なのです。

投稿者 日野実験線
投稿日 10月 4日(水)18時39分46秒
タイトル 50系の塗色
> 雑魚様

50系の塗色については、木々の緑や海の青に映える色(どこを走っていても視認ができる色??)
としてあの色になったと聞いたことがあります。
私もあの色は好きではありませんでしたが、乗り心地はまさに客車そのもので、
急行並みの座席、明るい照明等、中々快適でした。
50系ではまだ窓の下に灰皿が付いていましたね・・・(笑)

投稿者 突放禁止
投稿日 10月 4日(水)18時43分27秒
タイトル 50系客車
いわゆるレッドトレインは「あんなもん」と言うレッテルを貼っておりましたが…
中途半端な作りやな〜とつねづね思ってましたが改造前提のお話で妙に納得です。
私は京都から滋賀に引越したのですが草津線直通の50系普通列車に好んで乗りましたね。
無人駅の集札に使われる乗務員室の扉が施錠されておらず、
そこに座って逢坂越えに奮闘するDD51をよく眺めてました。          
ところでオロネ10の話題が出てましたが、普通列車に連結されたのもあったみたいですね。
10系寝台車特集で三宅氏がお話になってますが急行しまねの前身、
大社行き普通717レが63年10月改正からを64年10月改正で格上げされるまでの間連結されてたとのこと。
落成が間に合わない為か当分の間スロネ30使用となっていますが
普通列車にパリパリのオロネ10を使用したのは717・718レだけでしょうね

投稿者 日野実験線
投稿日 10月 4日(水)18時51分18秒
タイトル Re:ステップの疑問
> 鹿ケ谷鉄道様

国鉄時代は基本的に直流電車はステップ無し、それ以外は全てステップ付きで設計されていた、と記憶してます。
国鉄時代は交流区間の普通列車はまだまだ客車列車が多く、電化されても嵩上げせずに、
そのままホームを使用していた駅も数多くありました。非電化区間においては言わずもがなです。
ですから一般客車の置換えとして、どこを走るのか特定できない50系客車についても
当然大原則通りステップ付きで設計されたと認識しています。
嵩上げしたホームにステップ付きの車両から降りるのは大した事ではありませんが、
嵩上げしていないホームにステップ無しの車両から降りるのは御老人などには厳しいものがありました。
(飛び降りると言った感じでした・・・苦笑)

投稿者 青列車
投稿日 10月 4日(水)19時14分48秒
タイトル 【50系】雑感
連続投稿失礼します。
50系登場当時、本当は車体幅も2900ミリにしたいという案もあったのが、
投入予定線区の中にそれを許さない路線があったため、2800ミリ幅に甘んじたと言う既述を読んだ事があります。
50系の車体形状もおそらくはデッキの危険性が切実で
置換えが急務だった旧一般型客車と大きく変わらないスタイルにすることで、
あわよくば多客期の輸送力列車への転用も考えられていたのではないでしょうか?
(各席に指定席用の座席番号も振ってありましたし)

そういえば当時の鉄道ジャーナルに載っていたかと思いますが、
50系の改良型として、通勤輸送に特化したスタイルのデザイン案がありました。
と言っても目新しいものではなく、417系の中間車モハ416そのままのような、
ステップ付き両開き2ドアセミクロス車体でした。
投入線区を選んで、通勤通学近距離輸送に特化した車輛を充てよという主旨だったかと思います。
日野実験線様のご発言にある通り、地方区間では760ミリ高さホームの駅が多く、
これを皆嵩上げするには膨大な費用がかかります。
列車の運転頻度も考慮され、車両側で対処する事になったのでしょう。
(もっとも当時今のようなバリアフリー法があったら許されない事ですね)(^^);
さて、ステップ付き車輛の場合、760ミリホーム、920ミリホームにはいいのですが、
電車専用区間の1100ミリホームだとステップの空間が落とし穴になってしまうきらいがありました。
また、電車・列車兼用ホームとされた920ミリホームも、子供の頃は何も感じませんでしたが
(生家最寄駅の構造。当時の行動範囲の近隣各駅全てこの構造)、後に1100ミリホームに慣れた身で帰省すると、
115系の1225ミリ高さの床面とは普通の階段の段差以上の高低差に一瞬ひるんだものです(^^);
(よく昔これで平気で80系や421系に乗り降りしたものだ…)
50系客車もあと10年、否、せめて後5年早く生まれていたら、
或いは天寿をまっとうできたのかも知れないと思うと残念です。
投稿者のホームページ

投稿者 突放禁止
投稿日 10月 4日(水)19時38分23秒
タイトル かさ上げ工事ですが
建設費用圧縮の為に新規で電化工事を行う時、
交流電化区間ではかさ上げ工事をやらないと、どこかで聞いた記憶があります。
逆に直流区間ではステップのない車輛が大半なのでかさ上げを行うと…
全く部内の都合で設備投資してるみたいです…
余談ですが私は子供の時、キハ35から降りる際ステップからひっくり返った事があります…
バリアフリー化が叫ばれてる現在では考えられませんね


投稿者 てりてり
投稿日 10月 4日(水)23時32分31秒
タイトル 連続投稿をお許し下さい。
鹿ヶ谷鉄道 様、雑魚 様、日野実験線 様、貴重なお話を有難う御座います。

倶楽部メモ(347) 平成18年10月 5日〜10月17日

投稿者 雑魚
投稿日 10月 5日(木)17時12分4秒
タイトル 客レと貨物とk
> 嵩上げしていないホームにステップ無しの車両から降りるのは

旧客で通学していた私の場合、ホームから外れた扉と知らず、うっかり転落した事も
何度かあります(^^)笑い話で済んだのは幸いでしたが、現在だったらエラい問題に
なりかねませんね。そう考えると、昨今の旧型客車を使用したイベント列車の類では、
各停車駅ホームや走行中のデッキにおける安全対策は、どの様に講じられているのか、
要員の配置状況はどうなっているか、など色々と気になりますね。

> 動力分散型車輛が旅客列車の主体となっている我国の方が例外的です。

加えて貨物輸送比率の低下傾向も、機関車牽引を伴う環境を共有する客車便の淘汰を
助長した観があります。貨物主体としての性格が客レの存続に結びついた例としては、
1984年に廃止された別府鉄道の土山線が連想されます。その前年、CTC化を契機に
全面気動車化された水郡線の場合、常陸大子以南での客レ運転は、西金の貨物輸送が
あったればこそか………などと感じています。

> ある「生活習慣」の違いで欧米人はしゃがむと言う行為が苦手なので、

皮膚の接着事情を考えると「日本流」の方が衛生的とも思えるのですが(何の話やら)
そういえば、先日我が家を訪問した米国人が「仕様の違い」に戸惑い気味でした(^^)

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