倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
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オロハネ104の冷房化について


倶楽部メモ(340) 平成18年 9月11日〜 9月13日

投稿者 日野実験線
投稿日 9月11日(月)13時08分5秒
タイトル 内緒の話
連続投稿、申し訳ありません。
何やら怪しげな題名ですが、ここで皆様と面識を得る事ができましたので、お話させて頂きます。
最近のピクトリアルの一連の客車特集号ですが、私を含め鉄道友の会の客車研究会のメンバーが執筆しています。
何しろ20年以上前に廃車された車が大部分ですし、スハ32系に至っては殆ど6、70年前に製造されたものです。
古い資料やデータを諸先輩から御提供頂き、何とかまとめていると言うのが実情です。
私自身10系を纏める際にはデータの欠落が数多くあり、執筆の依頼に対しても、
このまま発表してよいものかどうか非常に躊躇しました。
10系特集でも実は原稿時には気が付かず、発売されてから気が付いた間違いがあります。
私の気が付かない間違いもあるかもしれません。
もし宜しければ、この場をお借りして皆様のご指摘など頂ければと思います。
変な御願いですが、何卒宜しく御願い致します。

投稿者 クモイ103
投稿日 9月12日(火)00時30分45秒
タイトル Re:工事の名称/内緒の話
>日野実験線様
 ご教示ありがとうございます。
 正確な用語がいつの間にか忘れられ、各自が勝手にうろ覚えで変化させていく…
というのは、できるだけ避けたいですね。
先輩方や、ひいては歴史上の先人と、共通の言葉でお話が出来なくなってしまいますから。
私も気をつけていきたいと思います。

 ピクトリアル誌の記事、貴重な情報源として活用させていただいております。
執筆はたいへんなご苦労がおありかと存じます。
間違いを指摘…なんてそうそう出来るものではありませんが、何かご協力できるなら存外の喜びです。

投稿者 勝村@台湾
投稿日 9月13日(水)00時00分16秒
タイトル 内緒の話(続き)
クモイ103様、ご丁寧な返信ありがとうございます。痛み入ります。
実は、10系特集に一つ大きな間違いがあります。
寝台車特編(667号)集の44頁のオロハネ10の記述と26頁及び表紙の写真です。
解説ではオロハネ101〜5は全て冷房化されたと記載していますが、
オロハネ104は新幹線用宿泊者939−201に改造されるまでB寝台の冷房化は行われなかった模様です。
26頁及び表紙の写真はオロハネ104で、撮影時期の1972年には冷房化が完了している筈なのですが、
B寝台側はAU14ではなく送風機カバーのままです。
当時の運用は2両使用1両予備で4両配置になっていましたので4番は予備の又予備という存在だったのでしょう。
どうも予算が取れずに冷房化改造をしないまま1973年に939−201への改造が行われたようです。
このような例はまだまだほかにもあるかもしれません・・・・(苦笑)

投稿者 村上@行橋
投稿日 9月13日(水)08時03分9秒
タイトル オロハネ104
オロハネ10は小倉から米子へ行く時にのりましたが、山陰本線の夜行列車は色々な所属標記があって楽しみでした。
それにしても冬の山陰海岸の寒さを皆様ご存知でしょうか。
荒波に真横からの吹雪。暖房が効かず何度か目を覚ましたことがあります。
今は隙間風も思い出ですが、冬の客車列車の旅は寒い思いをしながらの旅を思い出します。
ただ北海道の客車は壊れているのかと思うほど暖房が効いていました。
やはり暖房の意識の違いがあるんですね。
蒸気暖房だと窓に結露が着くけど、電気暖房は結露が着かないというのは本当でしょうか?

倶楽部メモ(341) 平成18年 9月13日〜 9月16日

投稿者 日野実験線
投稿日 9月13日(水)11時59分19秒
タイトル Re:オロハネ104
村上@行橋様、初めまして。
乗られたのは「さんべ」でしょうか?
私自身非常に乗りたい列車だったのですが、東京在住の身では非常に乗りにくい列車で結局乗れませんでした。
さて、蒸気暖房と電気暖房ですが、蒸気暖房の場合客室の中に暖房管と言うものが通っていて、
その中を高温の蒸気が通ることにより客室内が暖められます。
電気暖房の場合には電気ストーブのような加熱線が設置されていて、それにより客室内が暖められます。
窓の結露は外気で冷やされた窓ガラスに室内の湿度の高い空気が当り、
室内の空気中の水分が窓で冷やされてできるものです。
従って蒸気暖房でも電気暖房でも違いは無く、乗車率が高ければ高い程(つまり中の乗客が多ければ多いほど)
結露は出やすくなります。
北海道の客車は北海道仕様(暖房能力アップ、二重窓、等)になっていますので、
暖房の効き方は本州以南の車とは格段に違いました。

又、オロハネ104の冷房化については、実は執筆当時は私自身も分かりませんでした。
本誌に掲載されたオロハネ104の写真を見てどうも変だと思い、客車部会の仲間と資料を探し、
色々な方にお聞きした結果、冷房化されなかったという結論に達したものです。
寝台列車特集の記事はこのときの研究の結果に基づいて執筆されています。
突放禁止様の言われている様に当時(今でもですが・・・苦笑)
資料が完全という訳にはいかず、履歴表にも空欄が沢山あります。
オロハネ104が冷房化されなかったというのも新たな発見の一つですし、
機会を頂いて、その後の訂正・補追などをまとめたいと考えていますが、
私自身が海外駐在3年目で仲間と打合せの時間も取れずといった状態です・・・(泣)
10系客車は私が客車を好きになったきっかけをくれた車両たちです。
訂正・補追は必ず執筆致しますので、状況御理解頂き、今暫くお待ち頂ければと思います。

投稿者 門タケ
投稿日 9月13日(水)21時17分7秒
タイトル オロハネ104の件
車掌様、皆様ご無沙汰しております。
本来、客車列車の旅をイメージ出来る書き込みをしたいのですが脱線させて頂きます。
オロハネ104のハネ非冷房はその昔、日野実験線氏と何かの機会に意見交換した覚えがあり、
その記憶もあって何とか訂正したいとピク誌の「寝台列車特集」に無理やり書き込みましたが、
次回10系特集があれば更に新情報に基づく資料が発表されるでしょう。
 そのオロハネ104ですが判らぬことがあります。
元々ハネの冷房化改造は昭和41年〜43年までで、44年度からはキハなどの客車以外へ移行します。
ロ・ハネの冷房化基準は昭和50年度時点で現役営業しているかどうかです。
オロハネ10形式のハネはその線から外されて冷房化不要の判断が下ります。
冷房化工事期間に本州にいたオロハネ101〜105は住み慣れた長野から1〜2は札幌へ転属。
3〜5は名古屋へ転属後竹下へ転属します。
そこで竹下の3両は急行さんべ3号に運用となり隣車のハネとの格差を解消するため
昭和44年度の西部支社予算でハネの冷房化が計画され小倉工場で施工される事になります。
しかし着工前に札幌から竹下へオロハネ101が転属になったのです。
支社では運用必要数の3両しか冷房化しませんので1両余ります。
その余りが何故かオロハネ104なのです。
夏の冷房使用期間は予備車の予備車となるオロハネ104は、昭和48年に新幹線へ移管され工事用宿泊車となりますが、
その時ハネ室は発電機や資材室に改造され冷房化の必要もなく屋根にはファンデリアのドームのままでした。
当方これを目にしていながら忘却し日野実験線氏が問題提起するまで思い出しもしませんでした。
さて長野から札幌へ転属した2両は予備車でしょうが、こちらも冷房化は支社予算と思われます、
まして転入した2両は北海道仕様への改造が必要ですから、余計費用がかかってしまいます。
そこでオロハネ102はオロハネ10505へ改造されますが、もう1両は金が回らなかったのでしょうか? 
この札幌から竹下へ転属したオロハネ101の転出理由が判らないのです。
余談ですが折角ハネの冷房化をした竹下のオロハネ10は運用移管で米子へ転属し昭和49年度末までに廃車となります。

そういえば国鉄内部で近代化改造の文字を使ったのは
昭和37年のマロネ41形式の近代化工事からと覚えておりますが如何に? 
並ロのオハ35
(オロ35に訂正)は車内何とかとか件名は別にあったように記憶していますが帰宅したら探してみます。
最近の研究会の会報にも乗っていたようですが、研究会の掲示板ではありませんので、ここらで失礼させていただきます。

村上@行橋様、筆者として訂正申告は必要と肝に銘じております。
当方の分は当方の掲示板にて訂正しております。
今原稿を作成できる人材が減っておりますので、車掌様始め皆様方の中から
「私がやりましょう」と現れてくれるのを期待しております。次回は客車旅の話題で登場したいです。 
長文失礼
投稿者のホームページ

投稿者 門タケ
投稿日 9月14日(木)00時04分44秒
タイトル 939−201
並ロのオハ35・・・申し訳ありません。並ロのオロ35です。訂正します。
さてオロハネ104改造の939−201の見取り図を貼っておきます。

投稿者のホームページ

投稿者 日野実験線
投稿日 9月14日(木)15時04分40秒
タイトル Re:オロハネ104の件
門タケ様、ご無沙汰しております。
仕事の関係で2年以上日本を離れたままになっており、今年の6月から台湾に駐在しております。
門タケ様とこの件について意見交換させて頂いたのは丁度10系特集が発売されて私が変だと思い、
皆様にお尋ねしていたときでしたね。
さて、オロハネ101の再転属の件については多分に推測になりますが、
確か当時の札幌のオロハネ10は4両使用1両予備であったと記憶します。
(後の「利尻」「大雪」への連結だったはずです。)
その面からすれば6両は必要ないわけで「1両は返す」ということになりますが、
このような特殊構造の車は1両では用途が無く、転属先は他の3両が配置されている竹下区、
という事になったのではないか?と考えております。

又、オロ35については確かに近代化改造ではなく室内整備改造という名称を使用していたと記憶しております。
内容的には後の近代化改造とほぼ同一の内容でした。失礼致しました。
今後共宜しくお願い申し上げます。

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