倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
14系の疑問
個室車の新製がなかったのは・15形が最初に「あかつき」に投入されたのは



倶楽部メモ(336) 平成18年 8月24日〜 8月29日

投稿者 壁線
投稿日 8月29日(火)13時27分34秒
タイトル 14系の疑問
質問です。
14系で個室の新製車がなかったのはなぜですか?
あとヨンサントウのときに作られたナシ20でペネシャンブラインドの採用が見送られたのはなぜですか?
前からずっと気になってました。

倶楽部メモ(337) 平成18年 8月30日〜 9月 6日

投稿者 青列車
投稿日 8月31日(木)11時43分8秒
タイトル Re.14系
>>壁線様
14系寝台車に個室のない理由ですが、1971年頃はまだまだ長距離列車は旺盛な輸送需要に押され混んでいました。
乗車定員の少ない個室車など思いもよらなかったのでしょう。
実際20系列車でも個室寝台は博多あさかぜ1往復に集約されてしまいました。
14系も増備が続けばあるいは個室寝台車が出た可能性は否定できませんが、
僅か1年、100両弱が登場した時点で一旦製造が中断されてしまいました。
(理由は言うまでもないでしょう。北陸トンネルの悲劇が原因です。
床下に火元になりかねないディーゼル発電機と燃料タンクを持つことは、
殊に深夜乗客が就寝状態の寝台車ではあまりにも危険です。
以降はほぼ同スペックの集中電源型の24系に変更されてしまいました)

さて、1978年に2段寝台の15型が登場しましたが、24系のオロネ25のような個室A寝台車は登場していません。
何故でしょう?
14系15型は「あかつき」に投入されましたが、この列車ではA寝台の需要が東京発着列車に比べて小さかったので
(関西〜九州間列車はいずれもロネ需要は小さかったのですが25型導入時にハネ車オンリーな編成も登場しました。
居住性でロネにもさして遜色がなく値段が安いとあって益々ロネは出番をなくしました)、
この時点ではロネは考えられていなかったものと思われます。
或いはいずれ「オロネ15」の構想はあったのかも知れませんが、結局登場の機会を失ったものと思われます。

国鉄時代のことですからまず東京発着の列車に投入しなかったのは何故?という気もするのですが…、
或いはもしも最初の導入が「さくら」「みずほ」の置き換えだったとしたら、
オロネ25の14系バージョンが出ていたのかも知れません。
もっとも、電気系の違い以外外観的には殆どオロネ25と変わらない代物になっていたのでは?

模型の世界ならあれこれ想像してみるのもまた一興ですね。

投稿者 壁線
投稿日 9月 2日(土)15時12分59秒
タイトル 14系の疑問
青列車様ありがとうございます。
新幹線開業で輸送需要が落ちたのをきっかけにオロネ15を組み込んでも良かったのに国鉄は反応が鈍いです。
(元職員の方失礼!)

投稿者 米芋
投稿日 9月 3日(日)23時04分40秒
タイトル 14系15形に便乗質問
本当に久しぶりにお邪魔します。ネタがないのでいつも拝見するばかりでした。
ちょっと興味がある話題だったので青列車様と壁線様の議論に横ヤリを入れさせて頂きます。
それは、なぜ14系15形が「あかつき」に新製投入されたのか、です。
それ以前にも(具体的には?ですが)「あかつき」は新車の投入が多かった印象がありますが何か事情があったのでしょうか?
当時、東京口しか個室Aは考えられない時代でしたので、関西発の2段ハネで個室は不要だったんでしょうね。
さてもう1点、なぜ電源車方式から床下電源に戻ったのでしょうか?14形と比べてそれほどの安全対策が向上したのですか?
今とは比べものになりませんが、(人気はあったけど)ブルートレイン全盛期は過ぎた感が否めない時代、
新車の登場は嬉しいと同時にちょっと不思議な感じもしたものでした。
よろしくお願いします。

投稿者 青列車
投稿日 9月 4日(月)12時22分50秒
タイトル 【あかつき】分割併合列車
>>米芋さま
お尋ねの件ですが、私のわかる範囲でよろしければ申し上げます。

*14系15型の「あかつき」への導入理由。
導入当初は14系15型は「あかつき」専用車の感がありました。
「あかつき」に15型が導入された理由はまず間違いなく、この列車が分割併合列車であった事によるものと思われます。

50−3以降、関西〜九州間の夜行列車は、鹿児島本線系が「明星」、日豊本線系が「彗星」、
長崎・佐世保線系が「あかつき」と集約されました。
長崎・佐世保方面への列車は、伝統的に長崎行きと佐世保行きが併結される列車が多く、現在でも数多存在します。
長崎県の県都長崎市と第二の都市佐世保市、どちらも重要ですが1本の列車で賄うには両都市の位置関係でそれは難しく、
かといって其々単独で列車を仕立てるとなると、線路容量に余裕のない長崎本線内に短編成の列車を
たくさん走らせることとなりこれまた不都合です。
そこで、肥前山口以東は1本にまとめることになりました。寝台特急も然りです。

さて、分割併合するとなると、電車・気動車編成なら指して苦労はありませんが、客レの場合これは大仕事です。
そして、20系や24系(含:25型)では、切り離した側の編成にも電源車が必要になります。
分割された編成に電源車を連結したり、併合する編成から電源車を切り離したり…
ただでさえカマの付け替えで忙しい中、短い停車時間でこれらの仕事をこなすのは大変であり、
電源車がつながっていない編成内は当然冷暖房は効きません。
車庫内ならともかく、乗客が乗った状態でのそれは好ましくありません。
14系の増備が中断され、早岐持ちのクルマも宮原に転属したあと、25型で運転される「あかつき」はこれで悩んでいました。
こういう列車にはやはり編成内に電源を分散した14系が向いています。
床下にディーゼル発電機という発火の可能性のありうる装置を、
それも深夜乗客が就寝している状態で走る寝台車に設置するのは確かに好ましいとはいえませんが、
関係者努力により自動消火装置が無事実用化され、安全性が飛躍的に向上したことにより、15型が日の目を見たのです。

*何故電源者方式から床下電源に戻ったのか?
上記の通り、安全性に関して技術的な裏打ちができたからです。

何故東京発の「さくら」・「みずほ」が後回しになったのか?は今思うと不思議ですが、
当時の「さくら」は東京発着列車の中では利用率が高く、
そうそう簡単に定員減となる2段ハネ化に踏み切れなかったものと推測します。
博多あさかぜが最後まで20系で残ったのも、他の列車に比べ格段に高い利用率(特に個室A寝台)が影響しています。

新幹線博多開業以降、当時まだ沿線に住んでいた若き日の私はしかし、
それでも遠距離移動にはできるだけ夜行寝台を利用したもので、それは現在も同じです。
山口県周南市界隈は空港が遠く、また徳山駅に停まる新幹線列車も速達便は極僅か。
首都圏との移動に関しては夜行列車が結構便利だったのです。
たまに実家に顔を出す時、「あさかぜ」には何度となく世話になりました。
この列車の寝台券がプラチナチケットで、乗っただけでクラスメイトに自慢できた時代に幼少期をおくったものとして、
今の夜行列車の惨状には内心忸怩たる思いがあります。

投稿者 雑魚
投稿日 9月 4日(月)18時34分58秒
タイトル あかつき
> 長崎県の県都長崎市と第二の都市佐世保市、どちらも重要ですが1本の列車で
> 賄うには両都市の位置関係でそれは難しく、

1934年より以前は、肥前山口−有田−早岐−大村−諫早が長崎本線の経路でしたから、
これなら、一列車で佐世保と長崎の両都市を効率的に網羅できた可能性をも感じます。
大村線は非電化ですが(なぜか大村・川棚両駅では構内側線が電化されていましたね)
1975〜85年に運転された筑豊線経由便(門司以西はDLが終始牽引したのでしょうか。
ちなみに長崎線および佐世保線の電化は1976年です)を勘案すると、必ずしも速達が
求められない夜行列車の性質上、こうした措置もありかな、と感じるのでした。

こうした、旧経路絡みの夜行列車としては「きたぐに」の米原経由が挙げられますが、
これは畿内から湖東・湖北方面への最終列車としての需要を考慮した為だそうですね。

投稿者 米芋
投稿日 9月 5日(火)23時08分39秒
タイトル 筑豊のあかつき
青列車様ありがとうございました。
自動消化装置ですか。やはり、安全面の向上はあったんですね。
電源車にもそのような物が装備されていると子供の頃読んだような気もします。
定員減をしたくない「さくら」の比べて「あかつき」は15形投入に最適でした。
それにしても、新形式を造ってまで2段ハネなんですね。
末期の「安芸」に25形を投入して巻き返しを狙った事もありましたが。
雑魚様、「あかつき」の佐世保編成は門司で分割し、そこから先、DD51の牽引でした。
新幹線開業前も筑豊経由の昼行特急があったと記憶します。
それなりの需要があったのか、単に伝統を引きずっていたのか。
それも60.3では筑豊から特急が姿を消してしまいました。

そういえば、「ながさき」が時間稼ぎのように大村線を経由してましたね。

投稿者 突放禁止
投稿日 9月 6日(水)16時28分43秒
タイトル 通り掛かりの者ですが
筑豊経由の昼行特急と言えば、キハ82のかもめの佐世保編成です。
門司で分割されて、鹿児島本線を長崎編成と雁行し、折尾から筑豊本線→原田で本線に合流してました。
ちなみに筑豊本線経由の夜行急行は京都→熊本の天草です。
門司から鳥栖区のDD51が牽引し、直方区のD60が冷水峠をプッシュしてました。
以外な事に筑豊経由の優等列車はこの2本だけ。
DC急行がありそうなんですが古い時刻表いくら見ても見た記憶がありません…以上参考までに

倶楽部メモ(338) 平成18年 9月 7日〜 9月 9日

投稿者 雑魚
投稿日 9月 7日(木)08時48分53秒
タイトル 筑豊線 と 長崎駅
>「あかつき」の佐世保編成は門司で分割し、そこから先、DD51の牽引でした。

御教示有難うございます。やはり門司が結節点でしたか。国鉄九州総局の前身である
門司鉄道管理局の名称を踏まえた時、関門海峡に面した交直流切替点が、運行管理上、
北九州市内随一の要衝である小倉を凌駕する一大拠点として機能した事は、地勢的に
面白いものを感じます(さながら、山陽線の糸崎と三原の関係に通じる様ですね)

突放禁止様の御教示に鑑みて「国鉄の車両/九州各線」で筑豊線の項を改めました処、
車両は不明ながら、1965年に新大阪〜佐世保で設定された「みどり」が、筑豊線初の
特急との事。また「あかつき」が設定された1975年に特急「かもめ」急行「天草」が
廃止とあります。これが御指摘のキハ82編成という事でしょうか。筑豊線での同型の
雄姿は、一度拝んで見たかったですね。

筑豊線の線形は、筑豊地区〜若松港の運炭が第一義ですが、旅客列車が集中する博多
周辺における「客貨分離」を意図した発想も感じられます。同様に一大産炭地だった
北海道における、札幌と室蘭線沼ノ端以北との関係の如しですね。しかし桂川以東が
福岡都市圏の通勤路線「福北ゆたか線」として整備された今日、凋落した以西区間の
落差は大きく、冷水峠を越えるローカル旅客需要の希薄振りが窺えます。

> そういえば「ながさき」が時間稼ぎのように大村線を経由してましたね。

「ながさき」は早岐経由でしたか。私は利用した事がありませんが、周遊券を介した
九州の貧乏旅行で、友人達は相当重宝していた様です。当時、長崎発着の大村線便は、
喜々津−浦上で旧線を経由する事が多かった様に記憶しますが「ながさき」の場合は、
どの様な状況だったのでしょうか。

子供の頃、長崎線の写真と言えば、旧線の東園〜大草と思われる大村湾岸を通過する
各種特急の雄姿が憧憬の対象でした。この区間、長崎都市圏から外れる長与以東でも
一時間に一本程度の運転体制ゆえ、上記の筑豊線の桂川以西とは異なり、安泰という
印象を受けます。

数年前、長崎を旅行した際、車両基地の俯瞰が効く駅前のホテルを利用したのですが、
その後の一大再開発により、件のホテルからの基地展望が覚束なくなったとの事です。
当時の長崎駅は、スルー構造の線路を跨線橋代りの平面通路で塞ぎ、臨港線に通じた
線路敷地は、架線を残しつつ舗装で塗り固めた駐車場と化すなど「トワイライト」な
雰囲気でした(^^)現在は、屋内の頭端式構造が確立されたそうですが、函館駅でも
同様の事情なのでしょうかね。往時を知る者としては、ちと寂しい気もしますが……

投稿者 突放禁止
投稿日 9月 7日(木)11時54分4秒
タイトル 関西→九州DC特急
筑豊経由の元祖はみどりです。
関西から九州方面のDC特急は名称と行き先の編成が激しく、初代みどりは61.10デビュのー大阪→博多間でした。
これは東海道新幹線開業と山陽線電化で151系化され、はとに改称されます。
二代目は新設の新大阪→宮崎間の特急になりました。
その後、65.10に大分回転編成を転用する形で筑豊経由佐世保行きが設定されました。
さらに67.10で581系がデビュー、同時に大分電化で新設の特急にみどりの名前が再コンバート(かなりややこしい…)
元のみどりはいそかぜに改称されます。
ここまでかもめは全く関係がなかったのですが、68.10いわゆるヨンサントオの改正でDC特急が再度再編されます。
元のかもめ京都→西鹿児島・長崎行きといそかぜ新大阪→宮崎・佐世保行きを入れ替え、
西鹿児島行きをなは、宮崎行きを日向に改称、長崎/佐世保行きを両方かもめに…        
京都→長崎・佐世保     かもめ(門司まで併結)  
大阪→西鹿児島・宮崎  なは・日向(小倉まで併結)
筑豊経由の特急はみどり→いそかぜ→かもめと短期間で名前を変更されました。
なぜか今となっては知るよしもありませんが…かなり長くなりましたが参考まで

投稿者 突放禁止
投稿日 9月 7日(木)12時00分50秒
タイトル 使用車種
DC特急は国鉄末期、いそかぜに181系が投入されるまでキハ82が例外なく使用されてました。
山陰特急がやくもから転用の181系化されてからも元祖博多まつかぜにキハ82が使用されてたのは
九州総局が研修等の絡みで投入を拒否ったとのこと…労使問題が見え隠れします…

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