倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
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急行まりも
昭和40〜42年頃の急行「まりも」の編成について



倶楽部メモ(265) 平成17年 3月 6日〜 3月12日

投稿者 陸奥光政
投稿日 3月11日(金)23時11分11秒
タイトル 急行まりも
ごきげんよう。
以前、御世話になりました陸奥という者です。その節は御世話になりました。

さて、この度、S40年頃〜42年頃の急行まりもの編成を再現する事を目的として計画をスタートさせましたが、
調査していた所、問題が起こってしまいましたので、ご相談をと思い、書き込みを致します。

問題をご説明しますと、
1.食堂車の連結 →マシ35がS39年10月の時点では連結されているのですが、
 S40年10月には編成から外されてしまっている模様なのですが、
 食堂車はこの時期に外されてしまったのでしょうか。
 また、その車両は近代化改装を受けているのか、いないか。

2.オハネ17が編成には主に連結されているようなのですが、スハネ16の連結があった可能性はあるか、ないか。
 同様にナハネフ10がオハネフ12になっている可能性があるかないか。

3.増結車両としてスハネ30が連結されていた可能性はあるか、ないか。
 (急行大雪ではスハネ30が多客時の増結車両として連結されていた写真を見た事がある為)

4.車体の色 →車体の色は青色なのか、茶なのか。

5.機関車 →S41年10月の時点では、札幌〜旭川間が蒸気牽引のようなのですが、
 S43年の一旦消滅時までその牽引が続いていたのかどうか。

以上です。
機関車の事まで聞くのは場違いかもしれませんが、もしご存知でしたらどうか教えて下さい。
10系客車を見た事すら無い時代の人間ですので、問題が多くなり過ぎております。申し訳ありません。
どうか、宜しくお願い致します。
投稿者のホームページ

投稿者 急行越前
投稿日 3月12日(土)19時42分26秒
タイトル re:
陸奥光政さま、はじめまして。
さて、食堂車については

こちら
http://cu1.web.infoseek.co.jp/index.htm

「客車空気調和装置資料室」>「客車関係資料室」>「吉岡真一氏」>
「一般型食堂車S33.10以後の配置と運用の変遷」にくわしいので、
ご参照されてみてはいかがでしょうか。

寝台車については、
ピクトリアル99年4月号の車歴表によると、
ナハネフ10500番台の冷房化は、一番早い車で67年12月で、
68年9月までに終わっています。
オハネ17500番台も同時期で67年12月から68年7月までに冷房化されています。

倶楽部メモ(266) 平成17年 3月12日〜 3月30日

投稿者 EF6480
投稿日 3月12日(土)20時37分7秒
タイトル RE:急行まりも
 陸奥光政さん、はじめまして。

 急行「まりも」については急行越前さんよりコメント有りましたが、私もわかる範囲で補遺させていただきます。

1.食堂車ですが昭和40年10月改正でそれまで函館ー釧路間で運転されていた「まりも」は
函館ー札幌間が「ていね」、札幌ー釧路間が「まりも」と分割されて食堂車は「ていね」のみの連結となっています。

参考資料:鉄道ジャーナル74年6月号

2.車体の色ですが青塗装となったのが昭和39年からです。
レイルNO9に昭和41年の「ていね」の写真がありましたが
この時点では青なので「まりも」も同様に考えてもいいでしょう。

3.牽引機関車ですが、昭和39年10月時点では小樽築港ー富良野がC57、富良野ー釧路がD51です。
狩勝峠新線が開通した昭和41年10月より富良野ー釧路間がDD51となっています。
参考資料:主要客車列車編成順序表(S39.10)、北海道鉄道100年史。

4.スハネ30は昭和36年頃に連結されていた事はありますが昭和40年代は?です。
ちなみにこの車両は小樽ー釧路間に運転されていた夜行普通列車の423,424レで
昭和49年にお世話になった事あります。(^.^)
投稿者のホームページ

投稿者 急行越前
投稿日 3月12日(土)21時12分53秒
タイトル RE:まりも 続き
すみません。さきほどは途中で投稿ボタンを押してしまいました。

ピクトリアルアーカイブセレクション7の巻末についていた
68年度の配置表(67年度末現在)を見ると
スハネ30の配置は小樽に2両だけです。
EF6480さまのレスによるとこれはまさしく夜行普通列車用ですね。

しかし、昔は夏季は本土から客車が多数応援に渡道していたようですから、
冷房のないスハネ30が夏季に応援に来ていた可能性が100%ないとはいえませんが、
応援だと実際編成をメモした記録や写真ががないと無理ですね。

ちなみに編成表としてはこういうサイトもあります。

http://urawa.cool.ne.jp/beppu/


「ARC資料館」→「編成表のページ」→「まりも(客車急行)」
(管理者追記)


投稿者 クモイ103
投稿日 3月12日(土)21時19分53秒
タイトル 「まりも」の食堂車
 皆様こんにちは。急行越前様が引用された「客車空気調和装置資料室」の怪資料(笑)の張本人です。
 あれは元々、そこの掲示板に連載した文章でして、室長殿のご厚意により、HPのコンテンツに加えて頂いたものです。
 執筆してから年月が経ち、その後の調査でいろいろボロが出てきていますので、そのうち更新したいと思っていますが…。

 陸奥光政様からの「まりも」に関するご質問は、すでに急行越前様、EF6480様が大部分お答えになっていますので、
 私からは1点だけ補足させていただきます。

・食堂車の近代化改造について
 「まりも」「ていね」に使用された食堂車はマシ35 1〜3で、近代化改造済みでした。
 特にこの3両は食堂窓がHゴム支持となり、独特な外観となっていました。
 ちなみにこの3両は、昭和33年、登場当初の「はつかり」に使用され、
 「はつかり」の食堂車がオシ17に置き換えられた後は同区間の急行「北斗」に使用されていたものです。
 昭和35年の秋頃(?)に北海道に渡り、五稜郭工場で近代化改造を受けた後、「まりも」の運用に就いた模様です。
 なお、「客車空気調和装置資料室」の資料を書いた時点では、36-10改正前の状況が不明でしたが、
 その後の情報で、春頃からすでに「まりも」に使われていた証拠写真がある…とのことです。

投稿者 陸奥光政
投稿日 3月12日(土)22時00分6秒
タイトル 感謝致します
皆様、二十歳前の若造の質問にお答え頂き、ありがとうございます。
感激であります!

考えた結果、製作する列車の年代を少しずらしてみようと思います。S39.10月時点での編成は、

郵便.オユ10
荷物.マニ60
 1.オロネ10
 
2〜5.オハネ17
 6.ナハネフ10
13.スロ52
14.マシ35
15.スハ45
16.スハフ44

上記は急行越前様のご紹介になったサイトに掲載されていたものからです。
これならば、寝台車、食堂車、グリーン車とバランスが取れていますので、
これを基本として製作を進めていこうと思います。

色調をEF6480様の書き込みより、ちょっとあやしいかもしれませんが、All青塗装とします。(郵便・荷物除く)

プラ客車9両、金属客車3両ですので、牽引はライトパシであるC57に幽霊動力ユニットを荷物車に付けて牽かせます。

しかし、やはり問題はスハネ30の増結を個人的にはやりたい・・・・・ので、
強引かもしれませんが連結したいとおもいますが、もし組み込む場合はB寝台車の前端か後端(緩急車を除く)
という可能性が高いと考えた方が良いでしょうか?
尚、急行大雪の編成に組み込まれている写真は

 →http://www.photoland-aris.com/d51515/

「モノクロームの残像」→「北海道1」(管理者追記)

また、郵便・荷物は航送可能車両と考えるのが妥当だと思うので、隅田川配属の車両という事で考えた方が良いでしょうか?
尚、隅田川配属の車両の場合、マニ61が連結されていた可能性はありますでしょうか?

資料を持っていても、実際の車両の動向が私には全く分かりません。
旧型客車すら、写真の中でしかろくすっぽ見たことがないので。(汗

もう一度、ご指南の程をお願い致します。
投稿者のホームページ

投稿者 クモイ103
投稿日 3月13日(日)11時36分27秒
タイトル まりもの編成
>陸奥光政様

 模型の構想が具体化されたようで、なによりです。

 細かいことですが、念のため補足を。
 「グリーン車」「B寝台車」という用語をお使いになっていますが、
 これらは昭和44年5月10日に登場したものです。
 今回想定されている昭和39年ならば「1等車」「2等寝台車」であり、
 四つ葉のグリーンカーマークは時代考証上誤りとなります。

 急行越前様のご紹介による編成記録は、札幌−釧路間の夜行区間での編成ですね。
 国鉄部内資料「主要客車列車編成順序表」では、2号車がナハネフ10、3〜6号車がオハネ17になっています。
 ハネ車の増結は、常識的には6号車の次(下り列車では前)が自然でしょうけれど、
 ぜったいそうとは限らないのが客車列車の面白さですから…。

 本州−北海道間の航送車は、各所の所属がありましたが、下り17レ「まりも」では、盛航21オユ+東航1マニです。
 39-10改正直後となる昭和40年3月末現在の配置状況から、これらの使用車両を推定してみます。
 まずオユ車について。盛岡鉄道管理局管内の所属車は、青森のオユ10 1017〜1023、1032の8両のみです。
 これでほぼ間違いないでしょう。
 次にマニ車について。東航1は上野から15レ「十和田」でやって来たもので、
 トップナンバーの運用番号からも、尾久の可能性が高いと思われます。
 尾久のマニ車は、マニ31…5両、マニ32…9両、マニ34…2両、マニ35…14両、マニ60…8両で、マニ61はありません。
 マニ34は別格として(笑)、全くの推測ですが、マニ60の他にマニ35も航送運用に使われたのではないでしょうか。

投稿者 陸奥光政
投稿日 3月14日(月)23時15分21秒
タイトル Re:まりもの編成
>クモイ103様
ご指南ありがとうございます。
早速、車両を確保しに行きたいと思います。

手短ですが、これにて失礼致します。
本当にありがとうございました。
投稿者のホームページ

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