倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
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オロ11の晩年・普通列車の特ロ
晩年のオロ11の運用・普通列車における特ロの運用について



倶楽部メモ(250) 平成16年10月 5日〜10月 9日

投稿者 急行越前
投稿日 10月 8日(金)23時40分28秒
タイトル オロ11の晩年
みまさまこん××は。

TOMIXの16番の10系座席車発売に続き、NでKATOのオロ11発売発表、
加えて「急行日南」さんのハンドルネームを見てどうしても知りたくなったので質問です。

私は中学時代からオロ11が好きで、模型でも昔はGMのキットを組みましたし、
16番転向後の現在ははフジモデルのヌリキット組立品を2両所有しております。

最近TOMYの10系ハザが発売となり、手持ちの車両でオロ11が使われていた
どの列車の編成が組めるか日夜考えてるいるところなのです。

因みにオロ11は33両いましたが、最晩年の71年以降は
鹿児島15両、都城7両、竜華4両、長崎4両、品川3両の配置となっていました。

鹿児島は「桜島」「高千穂」各1両×4組=8両使用、
「かいもん」「みやざき」各1両×2組=4両使用だと思われます。
都城は蒸気牽引で有名な「日南3・1号」2両×3組=6両使用と思われます。
竜華は「紀伊」1両×2組=2両使用と思われます。
長崎は「雲仙」1両×2組=2両使用と思われます。
品川は波動用と思われます。

まず、このほかに使用列車があったかどうか。
(69年、70年には宮原に3両の配置があります。これは「だいせん」でしょうか?)

次に品川の3両ですが、いつまで定期運用を持っていたのでしょうか。

72年の岡山開業までは急行「瀬戸」が品川持ちだったはずですが、
グリーン車はスロ54という資料ばかりなのです。
「出雲」も品川持ちだったと思いますが、途中回転車があったのでスロフ62が所定だったと思います。

冷房改造が寿命を縮めたのか、電暖がないこと以外何がスロ54やスロ62より劣っていたのか?
車令18年、冷房改造後10年も経たず夭折(?)してしまったオロ11について、
30年代前半の「つばめ」「はと」「かもめ」「はつかり」後があまり幸せではなかったと思うので、
模型の世界ではいつまでも当鉄道のエースとして活躍させてやりたいのです。

どうみても、その後も活躍したスロ54やスロ62よりはカッコいいですから。

長文&思い入れの激しい内容で失礼しました。

投稿者 クモイ103
投稿日 10月 9日(土)12時46分55秒
タイトル Re:オロ11
 ご乗車の皆様、お久しぶりです。
 急行越前様、こん**は。

 手元の資料から、オロ11の配置区別に43−10改正後の使用状況を推測しますと、
鹿児島・都城・長崎については、ほぼ急行越前様の書かれた通りと思います。

 但し、鹿児島では定期の「桜島」の他に季節運転の「桜島51号」があり、これにも4両が使用されていました。
もともとこちらが「桜島」という愛称の本家なのですが、定期列車「霧島」が45−10改正で
新設の京都−西鹿児島間電車寝台特急「きりしま」に愛称名を譲って「桜島」に改称したことから、
本家「桜島」の方が「51号」とされてしまったのでした。

 また、長崎では、定期の「雲仙2・2号」(45−10改正後「雲仙3・3号」)の他に、
季節運転の「雲仙1・1号」(45−10改正後「雲仙2・2号」)もあって、全部で4両の使用でした。
なお、43−10から47−3まで長崎の配置は5両で、予備が1両ありましたが、
47年3月にオロ11 1が鹿児島へ転出しています。

 竜華についてですが、「紀伊」とは無関係で、むしろ関西地区の波動用という感じがします。
また、季節運転の「日南2・2号」が宮原区持ちの「オロ11又はスロ62」であり、
45−10改正時に運用はそのままで宮原から竜華へオロ11が転属していますので、
季節「日南」の運転日には竜華から宮原へ貸し出しが行われた可能性もあると思います。

 3階建ての併結列車だった「紀伊」のうち、オロ11が連結されていた紀伊勝浦編成は、
47−3改正まで品川の受け持ちでした。これは43−10改正前の愛称名「那智」時代から変わっていません。
 47−3改正では、王寺編成と鳥羽編成が廃止され、
残った紀伊勝浦編成は「銀河1・1号」に併結のオール寝台編成となりました。
受け持ちも新宮に変更されて、品川のオロ11は定期運用を失います。

 オロ11が使用された列車はそう多くはありませんが、
急行越前様も書かれている通り、蒸機牽引で有名な下り「日南3号」、
そして丸一昼夜以上走り通した伝説の長距離急行「桜島・高千穂」
という「超有名どころ」を押さえている(?)ので、注目度が高いですね。
ちなみに私は、東京の北側で生まれ育ち、一般型客車は全て2000以上の番号がついている環境でしたので、
オロ11には馴染みがありませんが・・・(笑)

投稿者 EF5841
投稿日 10月 9日(土)13時30分13秒
タイトル オロ11
オロ11等の軽量客車、スハ43系より車令が若くして廃車になりましたが、
設計当初から想定していたと聞いております。
むしろ、スハ43系、スハ32系は丁寧な作りになっていました。

投稿者 ア・ドン
投稿日 10月 9日(土)13時42分46秒
タイトル オロ11
 転用先が無かったのは電気暖房が装備されていなかったのも一因です。
また、10系は傷みが早く末期になると検修陣から嫌われていたようです。
「こう」氏のHPに書いてありますのでご一覧を(直リンは避けます)。

http://www4.ocn.ne.jp/~e-maiko/

でも、美しい車だとは思うのですけどね。模型が東北筋なので使えないのが残念!

倶楽部メモ(251) 平成16年10月10日〜10月18日

投稿者 急行越前
投稿日 10月10日(日)00時04分44秒
タイトル ありがとうございました
みなさま、オロ11に関するレスありがとうございました。

>クモイ103さま
客車空気調和装置資料室の食堂車とイネ車のレポート何度も読ませていただきました。
クモイ103さまの客車への思い入れが伝わってきて感動しました。
たいへんあつかましいお願いで恐縮なのですが今度は是非「特ロ」の解説をおねがいしたいです。

今日、スロ54や62の配置区所を調べていたら、竜華のほかにも姫路、長岡、名古屋、沼津等
名古屋の「阿蘇」用以外は波動用としか思えない区所への配置が多くありました。
急速に客車急行が減っていった時代でしたから、全国的にグリーン車は余剰ぎみだったのですね。
その中で最後まで「桜島」「高千穂」「日南3号」「雲仙」という名急行列車に使われていたのは
しあわせだったかもしれませんね。

>EF5841さま
昔どこかでスハ32は頑丈にできているから戦後作った車に比べると解体するのが大変だという
話をどこかで聞きました。
郡山に最後までに残ったスハフ32が「今なお現役」なのはリベット締めの車体の頑丈さがなせる技ですね。
短命と言っても税法上の車輌の耐用年数は13年で、空調機は5年くらいでしょうから
18年で廃車はちょうどぴったりですか。

>ア・ドンさま
オロ11の魅力はア・ドンさまがおっしゃる「美しい車」だということなのですね。

「こう」さまのHPも拝見いたしました。
オハネフ12をジャッキアップしたら車体がゆがんだ云々という記述にはびっくりしました。
でも56年製のオハネフ12が「山陰」で最後まで残ったのは緩急車だったからですね。
85年にお別れ乗車をしたのを思い出しました。

私も上野の18番線で「越前」のオハネフ13に心躍らせた世代なので、模型も上野発着が基本?ですから
電暖車ではないオロ11は対象外になってしまうのですが、好きなので買ってしまいました。
しかも「桜島」「高千穂」「日南3号」が再現できる2両も。
それに前にこの掲示板に書きましたマロネ41もありますし、
そもそも荷物列車好きでオユ11やスユ152001もありますから、これではただの客車コレクターですね。

投稿者 こう 
投稿日 10月10日(日)11時33分35秒
タイトル 10系・・
なんだか、お話の展開が面白いですね。拙HPもご覧いただきありがとうございます。
僕自身はオロ10などのこの系列の優等座席車は触ったことがありません。
入社当時から雑誌などで存在は知っていましたので不思議だったのですが、
実際に自分がナハ10などののクルマを担当してみて、納得するものはありました。
同じ時期の気動車と同じようなつくりに見えるのですが、そうではなかったのですね。
ナハ10の窓には隙間風を防ぐフェルトがついているのですが、これなども同じような設計のキハ28とは大違いでした。
耐用命数はわざと短めに作ってあったような気もします。
特にハネの下降窓は難点で、入場してこれがあたると、もう、がっかりでした・・
オロネ10はこれらのクルマの中でも出来が良く、同じ系列とは思えないほどでしたが、
固定窓だったことが幸いしたのでしょうか・・
スハ32は頑丈でしたし、窓柱の金当てを留める部分に真鍮が使われていたり、とにかく腐食対策はきっちりしていました。
スハ43などはこれも頑丈で、外板の補修はほとんどすることもなく、非常に状態の良いままで最後を迎えていました。
投稿者のホームページ

投稿者 クモイ103
投稿日 10月10日(日)22時19分55秒
タイトル 「特ロ」はちょっと…(汗)
>急行越前様
 拙作をお読みいただき、過分なご評価まで賜り恐縮です。
食堂車、イネ共に、書いてから月日も経ち、その後の調査で訂正すべき箇所も出てきております。
そのうち何とかしたいと思いますが、まあ「そのうち」ということで(汗)。

 「特ロ」ですかあ…その方面はどなたか得意な方がおられませんかねえ…
私は今のところ昭和30年代のことで頭が一杯で、
できれば第3弾にしたいと思って調査中の「Cロネ」ですら、泥沼遊泳を楽しんでいる(やけくそ)状況です。
 「特ロ」となると、とりわけ昭和40年前後に長距離普通列車に使用された状況など、
どこから手をつければよいやら見当がつきません。
でも、それをまとめた資料があったら、私も見たいですねー。誰かやって!!(爆)

投稿者 青列車
投稿日 10月11日(月)23時17分35秒
タイトル 【特ロ】143・144レのスロ51
お邪魔しますm(_ _)m
>クモイ103さま
長距離普通列車における特ロといえば、
鉄道ジャーナル誌の列車追跡リバイバルシリーズで、昭和42年ごろの東海道夜行鈍行143列車のルポが載っていましたが、
この列車にスロ51が入っていたとのことです。
東海道線東京口はスカ線と共に殆どの列車がサロ付き
(113系列車は勿論、153系急行編成の間合い運用もサロ2両、
唯一例外は80系ぐらい?=流石にサロ85は当時既にロザとしての資格を失っていた)で、
京阪神地区の東海道山陽線113系快速にもサロが運用されていた時代でしたから、
この列車もロザの需要が少なくなかったのでしょう。
特ロとしてはシートピッチが狭く、冷房のないスロ51ですが、一応リクライニングシートですし、
113系サロにはサロ112以外冷房のない時代でしたから、サービス水準は上位であったと思われます。

乗ってみたかったなぁ〜(^^);
投稿者のホームページ

投稿者 クモイ103
投稿日 10月12日(火)23時06分33秒
タイトル 昭和42年といえば…
>青列車様
 あちら(?)でもお世話になっております。
 昭和42年頃といえば、ロザとハネの冷房化が進められたこともあり、
いかにも変化の激しい時代といった趣がありますね。
私にとっては、ヨンサントオ改正を前にした東北本線赤羽−与野間3複線化工事の印象が強烈です。
小学校入学の前後にあの大工事を目の当たりにした影響は、計り知れないものがあります。
おかげで「線路配置マニア」に…(笑)。
でも、当時私の「鉄道世界」は、茶色に水色が混じり始めた京浜東北線が主体で、
列車線を爆走してゆく客車列車は興味の対象外でした(いま思えば勿体ない…)。

投稿者 EF5841
投稿日 10月13日(水)21時12分25秒
タイトル 昭和42年といえば
昭和42年といえば、9月30日をもって、「ゆうづる」が天にめされた年です。
今でも、「ゆうづる」昇天前の平ー仙台間のダイヤグラム、お宝としてて手元に保存しております。

投稿者 73おやぢ
投稿日 10月14日(木)13時03分21秒
タイトル 昭和42年、普通列車の特ロ
通りすがりの国電ファンですが、当時の普通列車の1等車をいくつか見ておりますので、少しばかり御報告します。
なお当時のメモが見つからないのと、本業(国電)ではないことから、記憶違いがありました節は、どうか御容赦ください。

昭和42年6月(ごろ)、早起きして東北・上信越の上り夜行群を見たことがあります。
青森発上野行き422列車の1等車はオロ61形でした。
同じく42年7月(同行した友人がワイシャツ姿だったのと、学校が早く終わっているので、たぶん7月)、
大阪発東京行き144列車の横浜−東京間に試乗(もちろん2等)しました。
1等車はスロ51形で、車内探検に行ったら生まれて初めて洋式便所と対面し、
仰天して隣りの2等車に逃げ帰った…ように記憶します。
翌43年2月、東京駅で熱海発東京行き848列車の回送引上げ場面を見ましたら、1等車は東シナのスロ50形でした。
これは実際に撮影しているので、断言できます。

多少なりとも皆様方の参考になれば幸いです。

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