倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
オハ31の座席
オハ31の窓配置と座席の関係・背板の構造



倶楽部メモ(234) 平成16年 4月25日〜 5月 6日

投稿者 31列車
投稿日 5月 6日(木)21時30分44秒
タイトル オハ31の座席
はじめて投稿します。
昔から客車列車が好きで、一番最初に意識して乗ったのが、S42.8(小5)鳥栖ー長崎間の31列車「雲仙です。
肥前山口までは、「西海」と併結で、DD51とC57の重連で走ったことを覚えています。
客車列車のほとんどが消滅した今、当時をしのぶのは模型しかありません。
 そんなわけで、当時の客車を鋭意製作中で、雲仙西海も一応フル編成が完成しています。
ただし、荷物車については、資料がなく、とりあえずマニ60をつないでいます。
 ところで、オハ31の座席の配置をどなたか教えていただけないでしょうか?
外観上3つ組になった窓配置と座席の関係が知りたいのですが。よろしくお願いします。

投稿者 クモイ103
投稿日 5月 6日(木)22時05分45秒
タイトル Re: オハ31の座席(と雲仙・西海の荷物車)
>31列車様、はじめまして。
 オハ31の3連窓は、座席2ボックスに対応しています。
つまり、3枚組の真ん中の窓は、その中央に座席の背もたれが来ます。
 それ以前の標準型であった木製客車ナハ22000の構造を踏襲したもので、
戦後の鋼体化改造車オハ60・オハフ60も同様になっています。

 昭和42年8月頃の急行「雲仙・西海」の荷物車(西海編成に連結)は、早岐の車が毎日連結、
それに加えて週3日(始発駅基準で下り月水金・上り火木土)のみ品川の米軍専用荷物車が連結されていました。
 早岐のマニ車の配置は、
昭和42年3月31日現在:マニ60 89,111,112,113,134
昭和43年3月31日現在:マニ35 69,72,マニ36 77,78,83
 となっています。
S.43年のマニ35,36は、いずれもS.42年の7月から9月にかけて改造で登場したもので、当初の配置は門司でしたので、
31列車様がご乗車になったS.42年8月は、マニ60で間違いないでしょう。

倶楽部メモ(235) 平成16年 5月 8日〜 5月18日

投稿者 31列車
投稿日 5月 8日(土)23時19分16秒
タイトル クモイ103様
貴重な情報をありがとうございました。思い出が一段と深くなったような気がします。
ついでに、質問をもう一つ。
オハ31の座席の背板は、オハ61のような板のみでしょうか?それとも、モケット付きですか?

投稿者 EF5841
投稿日 5月 9日(日)10時19分19秒
タイトル モケット付イス
3等車の座席がモケット付となるのはスハ32800(丸屋根のスハ32)以降の新造車からです。

投稿者 スハ32
投稿日 5月 9日(日)12時27分33秒
タイトル (無題)
 モケット付きになったのは、スハ32800の昭和10年製造以降ですね、
丸屋根初期車は、スハ32600と同じ椅子だったと思います。
あの傾斜付き板張り椅子?の写真ってどこかに無いですかねぇ。
一度見てみたかった。

投稿者 31列車
投稿日 5月10日(月)19時13分9秒
タイトル オハ
いつもながら迅速な回答ありがとうございました。大変参考になりました。
今制作中の編成は、オハニ61+オハユニ61+オハ31+オハ61+オハフ61の5連で牽引機は8620です。
昭和30年代後半〜40年代初頭の四国を想定しています。
オハ31が現役引退したのは、S42くらいと思うのですが、いかがでしょうか?

投稿者 クモイ103
投稿日 5月10日(月)21時02分16秒
タイトル オハ31の引退時期
>31列車様
 オハ31の現役引退、大体その通りのようです。
昭和41年3月末には9両のオハ31が在籍していますが、翌昭和42年3月末には消滅しています。
9両のうち四国配置は四マツの393のみですが、前年まで遡れば、
全27両中、140四コマ、176四コマ、222四マツ、377四コチ、393四マツの6両が四国です。
 ちなみに、オハフ30も昭和41年3月末現在5両で翌昭和42年には消滅、
オハニ30については昭和42年3月末現在2両、翌昭和43年には消滅しています。
(「客車データベースキット」より)

投稿者 こう
投稿日 5月16日(日)09時17分1秒
タイトル 傾斜付板貼り椅子。。
もしかしてと思い、僕が撮影したスハ32の写真を良く見てみましたら、これがそうでした。。
僕のホームページ、その中の「国鉄高砂工場」8ページに出ています。
もしも、この写真の写りが良く見えないのでしたら、こちらの管理人さまにお送りしましょうか・・
投稿者のホームページ

投稿者 こう
投稿日 5月16日(日)13時32分33秒
タイトル スハ32車内写真訂正。
すみません。。今ホームページの更新をしましたので「高砂工場」の9ページです。
投稿者のホームページ

投稿者 スハ32
投稿日 5月16日(日)19時32分39秒
タイトル (無題)
 こうさんありがとうごうざいます。ちょっと見づらいですが、確かに傾斜が付いてます。
スハ32系が60系と異なり、元々長距離優等列車用に製造された証拠でもありますね。
 スヤ37 2は、元スハフ32 100(スハフ34401)です。
これは、かなり遅くまで残ってた(1983年)ので、
記念すべきん丸屋根トップナンバーのスハフ34400型として、保存して欲しかった車でした。

投稿者 こう
投稿日 5月16日(日)19時37分14秒
タイトル つくりがとても丁寧でした。
スハ32はなんていうか、つくりが丁寧で、仕事のしやすいクルマというイメージがありますね。
腐食しやすい部分には真鍮が使ってあったり、窓も数は多いものの釣合いばねがなくて、仕事が楽でした。
本当なら、もっと残っても良かった車だと思います。
投稿者のホームページ

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