倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
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青大将「はと」に増結された「はつかり」色


倶楽部メモ(207) 平成15年 8月29日〜 9月 9日

投稿者 オクタゴニアン
投稿日 9月 6日(土)12時59分59秒
タイトル 青大将に
別冊歴史読本の「懐かしの特急列車」の表紙で何と青大将「はと」のマイテ39の1輌前
(つまりマイ38の位置)にどう見ても「はつかり」用のライト・ブルーに白線を2本巻いた
スハ44らしき車輌がうつっています。たしか「マイテ」の前はナハ10だから、増結用かと・・・。
マイ38の出張はあったようですが「はつかり」色が東海道本線を走るとは・・。
模型ならなんでもできるんでしょうが・・・。
満鉄特急「あじあ」、昭和18年以降は旧「あじあ」の車輌を連結したそうですが、
その編成をどなたか、ご存知のかた、教えて下さい。お願い致します。

投稿者 EF5841
投稿日 9月 7日(日)13時34分47秒
タイトル >青大将に
歴史読本の表紙、今まで、気がつきませんでした。
はつかりのナロ10を増号車として青大将につくことは珍しいことではありませんが、
本の表紙に載っているとは・・・。
ちゃんとナロ10の向きを東海道用に転換していますね。
東海道、山陽の場合、優等車の向きは2エンドを下り向きにつなぐことのお約束がありました。

投稿者 オクタゴニアン
投稿日 9月 7日(日)21時45分57秒
タイトル 青大将編成
そうですか・・。「はつかり」のナハ10は増車としてつくことがたびたびあったのですか!
たしか「あさかぜ」「さちかぜ」の車輌の「お下がり」ときいていたもので。
じつは歴史読本の表紙、私は何度も「変だな」とおもっていたんですが。
「はつかり」へ転任後、尾久区と青森区の間を往復しているんだ、と思っていました。
しかし「つばめ」「はと」「かもめ」「はつかり」にデビューしたオシ17、
「きたぐに」仕業での北陸トンネル事故で早々に本線を追っ払われたのは残念。

投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月 8日(月)10時51分38秒
タイトル Re:青大将に

別冊歴史読本「懐かしの特急列車」の表紙の件、私も気が付きませんでした。
当時の車両運用のやりくりについて詳しくはわかりませんが、
EF5841様のおっしゃる通り当時このような運用は珍しくはなかったのかもしれません。
青大将色の登場当時は「つばめ」は宮原区、「はと」は品川区の受け持ちでしたが、
翌年に宮原区に集中配置になり、「はつかり」登場時には品川区にあった青大将色の車両は
マイ38が2両だけという状況でしたので、下り列車に増車が必要となった場合は、
尾久区から「はつかり」用の車両を回していたのだと思います。

ただ、ここで何点か疑問が・・・
1、下り列車で増車が必要な場合、あらかじめ上り列車に増車して送り込む事はなかったのか?
2、「はつかり」色の車両は、そのまま上り列車に連結されたのか?
それとも別の方法で返却回送されたのか?
3、青大将色が宮原に集中配置されてから「はつかり」登場までの約1年間は増車が必要となった場合
どうしていたのか?
といった点です。

私の想像としては、1については増車については基本的に該当列車の発車区で準備するルールがあった?
とすると2は別の方法で返却回送されたのか?
3については1等車はマイ38があったのでいいとして(上りで必要になった場合は?)
2等車は宮原に転属しなかったスロ54(12・13・31・32)(いつまで青大将色であったかは不明)
を使用したのか?しかしスハ44や食堂車は全車宮原に転属しているし・・・
どなたか詳しい事情をご存知の方はいらっしゃらないでしょうか?

PS.ちなみに増車されたのはナロ10ですよね。ナハ10は特急色になっていませんので?


投稿者 EF5841
投稿日 9月 9日(火)18時28分25秒
タイトル Re:青大将
車掌@仙コリ  様
古老の話によると青大将が「はつかり」にという逆パターンもあったとか・・・。
また、宮原仕立ての「なにわ」には、よく青大将が組み込まれました。
また、特ロの増号車が展望車の前とは限りませんね。
スハニ35の前に付けられていることもあり、この場合、オシ17がわざわざ1両つなげられていますね。

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