倶楽部メモ:客車倶楽部過去ログ集:客車列車の旅
倶楽部メモSP
通勤形改造車(オハ41)について−1
特ロ・並ロの格下げ・通勤形改造車



倶楽部メモ(34) 平成12年 2月11日〜 2月15日



投稿者 秋田の旧客ファン
投稿日 02月13日(日)02時08分19秒
タイトル 私の旧客の思い出(秋田より)
本文

初めて投稿します。
私が小さい頃(昭和50年代)住んでいた所の最寄りの駅(奥羽線上飯島)には,
当時普通列車すら満足に止まらない駅でした。
ホームの長さが4両分しか無かったため,長編成の客車列車は停車せず,
秋田−男鹿往復の気動車(2〜5両編成だった)中心に停車していた物と思われます。
と言っても,例外もあって,2往復のみ客車列車が停車していました。
当時ですから,当然旧型客車です。
そのうちの1本(男鹿発秋田行き)を,毎朝見ながら小学校へ行っていました。
小学校の頃から,鉄道には興味があったのですが,今考えればなかなか珍しい車両も
あったように思えます。
牽引する機関車はDD51でしたが,当時その1号機が秋田に配置されており,
たまにこの列車を牽引することもありました。
また,客車は,スハ43・スハフ42・オハ35・オハフ33といった標準的な旧型客車が中心でしたが,
中には珍しい客車もありました。
確か1両ずつだったと思いますが,オハ41とオハニ36がたまにこの列車にはいることがあり,
それを見たときは,なんだか得をしたような気分になったものです。
オハ41(だったと思います)は,記憶が確かなら,戦前の2等車を格下げ改造した車両で,
車内はロングシートに改造していたはずです。
オハ35などよりも広い側窓が,当時小学生だった私にとって「かっこよく」見えたものです。
残念ながら,これには乗ったことはありませんでした。
オハニ36は,JR東日本や大井川鉄道に保存されている車両ですが,これには秋田まで
遊びに行くときやその帰りに何度か乗ったことがあります。
近代化改造等は行われておらず,背ずりの上部(木の部分)に席番号の小さな板が残っていました。
当然,照明も白熱灯でした。
オハニ36に関しては,秋田地区では珍しく2000番台ではありませんでした。
そもそもオハニ36には,2000番台は存在しなかったのかもしれません。
多分,今考えれば,秋田−男鹿の限定使用だったのではないでしょうか。
(男鹿線は非電化のため,客車は蒸気暖房)
また,なぜか編成の中頃にいつも連結されていました。
いずれにしても,当時はごく普通に見て,乗っていた旧型客車ですが,
今や秋田地区には当然ありません。
(JRになって以降数年間,秋アキにスハフ42が5両配置されていたが,
これも高崎や大井川に行ってしまいました)もはや701系の天下です。

今になって思えば「味がある」車たちでした。




投稿者 あおぞら
投稿日 02月13日(日)22時42分13秒
タイトル オハ41
本文

>秋田の旧客ファンさん
>オハ35などよりも広い側窓が・・・

これは私は雑誌でしか見たこと無かったのですが、
あの広い窓は何か圧倒されるものがありましたね。
ずっと何て形式なんだろうと思っていたのですが、オハ41と言う形式だったんですね。
どなたかこの形式の画像をお持ちでしたらご一報いただけたら幸いです。

それと、この機会にちょっと質問なのですが・・・・
昨年、関西地域のどこかのTV局で、ドリフの仲本工事(だったと思う)が主人公で
国鉄の車掌として登場するコメディー映画が放映されました。
もちろん古い作品です。
このなかで登場する列車が、ほとんど10系軽量客車で、オロネ10やオハネフ12
といったなつかしい車両がDD51に牽かれて何度も登場してました。
こんな映画をご覧になったことのある方いらっしゃいましたら、
タイトルをご教示いただけたら幸いです。
内容はどっかの会社の温泉慰安旅行がテーマだったようで、最後に
仲本工事の車掌さんがB寝台の女性客にでっかいキスマークをつけられて、
ラストシーンでいかにもな昭和40年代の客車急行が走り去って終わる
ってな感じのものでした。
曖昧な情報ですみませんが、これ見たことあるぞ!って思った方は
ぜひご一報ください(^^;)。




投稿者 大和路環状線
投稿日 02月14日(月)01時48分04秒
タイトル オハ41について(質問)
本文

「広窓のオハ41」って、興味ありますね。私も便乗質問をさせて頂こうと思います。(^^;
私は基本的に狭窓のオハ41しか知りませんでした。
とりあえず、車番と種車の関係は以下のようになっていますが・・・

スロ51改 →オハ41 351〜(23両)
スロ52改 →オハ41 401〜(14両)
スロフ53改→オハ41 451〜(6両)
スロフ51改→オハ41 501〜(2両)

スロフ51改→オハフ41 1〜(3両)
スロフ53改→オハフ41 101〜(1両)
スハフ42改→オハフ41 201〜(3両)

これら特ロ改造のもの(1000mm窓のスロフ53と、スハフ42改造のもの除く)は、
狭窓のはずです(昭和44年度〜改造車)。
しかし、初期(昭和39年度〜)に改造を受けた<並ロ改造バージョン>もあるらしく、
それが秋田の旧客ファンさんやあおぞらさんの仰っている、広窓オハ41なわけですね?
この並ロ改造バージョンについて、改造両数・改造後の車番の付与の仕方など、
どなたか詳しく教えて頂けませんでしょうか。

それにしても、バリエーションに富んだ形式。一度お目にかかってみたかったです。

<参考文献>
・『鉄道ピクトリアルNo.449(特集:スハ43系客車)』 1985年6月




投稿者 水ミト
投稿日 02月14日(月)02時00分18秒
タイトル オハ41補足
本文

ご無沙汰しています。オハ41補足ですが、

オロ36→オハ55→オハ41 1〜3
オロ40→オハ55→オハ41 51〜54(戦前型一般の丸屋根)
オロ40→オハ55→オハ41 101〜117(TR34付車)
オロ41→オハ51→オハ41 201〜204
オロ42→オハ53→オハ41 251〜255

です。広窓車なら、元オロ36か元オロ40あたりではないでしょうか?
あと、通勤車登場時、オハ412001〜オハ412011が昭和40年に盛岡工から出たのですが、
上記の対応表と一致しないので、一度改番が行われたと推測します。
手持ちの資料で判ればいいのですが、今の所見つかりませんでした。




投稿者 あおぞら
投稿日 02月14日(月)03時09分56秒
タイトル 私の記憶のオハ41
本文

水ミトさん情報ありがとうございます。

私の消えかけた記憶をたどると、どうもオハ55という形式が
その写真の形式だったような気がします。
つまり私が見たのはオハ41になる前の車輛だったわけですね。
その写真は雪に埋もれているオハ55であろう車輛のサイドビューを撮影したものでしたが、
窓がめちゃでかいというのと、55というなんだか謎に満ちた形式だったので、
印象に残っていたのでした。
背後には蒸機の白煙と雪景色が写っており、日本海筋のどこかだった
という程度の記憶もあります。

ううむ、、、種車がわかったところで模型化意欲が湧いてきました(笑)。

ちなみに、以前書いた高徳線の旧客の話ですが、
ロングシートの客車の隣にいたのは、旧特急車のスハフ43でした。
シートが独特のものだったのでなんとなく覚えてました。
でもシートがつぎはぎだらけで、あまりきれいな印象ありません。
このスハフ43とは、数年後にJR化するかしないかの頃、
高松駅付近で行われたDE10運転体験会の会場で再会することができました。
(写真展覧会の会場になってました)
DE10の運転自体は100m程度の距離を往復させてもらっただけですが、
あの客車を牽引してみたかったです。




投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 02月15日(火)08時38分09秒
タイトル オハ41について
本文

皆様こん**は。
オハ41についての話題で盛り上がっているようですね。
図面を調べたところ、窓の寸法も記載されていましたので少々補足を
オロ36→オハ55→オハ41 1〜 3 広窓 1300mm
オロ40→オハ55→オハ41 51〜 54 広窓 1200mm
オロ40→オハ55→オハ41 101〜114 広窓 1200mm
オロ41→オハ51→オハ41 201〜204 狭窓 700mm
オロ42→オハ53→オハ41 251〜255 狭窓 700mm
オロ35→オハ53→オハ41 301〜311 狭窓 700mm
(スロ51→オハ55→オハ41 351〜373 狭窓 700mm) 誤→後日訂正
(スロ52→オハ55→オハ41 401〜414 狭窓 700mm) 誤→後日訂正

    スロフ53→オハ41 451〜456 広窓 1000mm
といった所ですが、あくまでも改造初期の番号なので、水ミトさんのおっしゃるように、
後の増備車及び改番後については?です。
参考までに広窓である若番車は、ほとんどが仙台・秋田を中心とした東北地区に配置
されていたようで、一部鹿児島を中心に九州地区にも配置されていたようです。

参考文献:鋼製客車形式図集2 鉄道史資料保存会編




投稿者 大キト
投稿日 02月15日(火)23時21分50秒
タイトル オハ41画像
本文 車掌さんまいど、豊永さんの オハ41の画像10枚程在りました、
オハフ41も3枚程在りましたので、来週の水曜日に
豊永泰太郎鉄道画像室に掲示しておきます。
投稿者のホームページ



倶楽部メモ(35) 平成12年 2月15日〜 2月17日



投稿者 伊藤正宏
投稿日 02月15日(火)23時29分11秒
タイトル オハ41形について
本文

みなさん、こんにちは。

オハ41形についてですが、特ロの元スロ51、スロ52形の改造車はデッキの追加工事と
台車振り替え(TR23化)、ロングシート化によりオハ55形を経由せずにオハ41形に改造されいます。
もしデッキの追加だけが行われて格下げ改造がされていた場合、定員で形式をオハ51、オハ53、
オハ55形に分けていたので、新形式になっていたかも知れませんでした(推測ですが...)。

投稿者のホームページ



投稿者 あおぞら
投稿日 02月16日(水)02時13分56秒
タイトル オハ41種車
本文 オハ41の生い立ちで盛り上がってますね(^^)。
昨日鉄道車輛系ページを徘徊していたところ、
伊藤正宏さんの開設されている国鉄型車輛ファイルのページで、
オハ41の種車数種の写真を見ることができました。
まぎれもなくこの種類のどれかですね(^^)。
大キトさんの画像もたのしみにしています。



投稿者 伊藤正宏
投稿日 02月16日(水)06時58分36秒
タイトル Re: オハ41種車
本文

あおぞらさん、こんにちは。

> 大キトさんの画像もたのしみにしています。

現在そのころの格下げ車についてHPアップのために形式・経歴等を整理しているところですので、
私も大キトさんの写真が楽しみです。

投稿者のホームページ



投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 02月16日(水)08時53分26秒
タイトル 訂正(オハ41)
本文

伊藤さん、ご指摘ありがとうございます。
車歴表を見直したところ、確かに元スロ51・52形の改造車は、オハ55形を経由せずに
オハ41形に改造されていました。
ここに謹んでお詫び申し上げ、訂正させていただきます。

誤 スロ51→オハ55→オハ41 351〜373 狭窓 700mm
  スロ52→オハ55→オハ41 401〜414 狭窓 700mm

正 スロ51→オハ41 351〜373 狭窓 700mm
  スロ52→オハ41 401〜414 狭窓 700mm

私も、大キトさんの写真と伊藤さんの資料、楽しみにしています。
私のページでも客車形式アルバム(仮称)として、各形式の写真を掲載すべく準備中ですが
こちらはもう少しお待ち下さい。




投稿者 大和路環状線
投稿日 02月16日(水)12時02分51秒
タイトル オハ41その他
本文

★オハ41

広窓のオハ41についてカキコして下さった皆様、どうも有り難うございます。
大まかな全貌が掴めてきたように思います。

広窓車の写真は見たことがありませんので、強い関心があります。
外見は1等車の風貌をとどめているでしょうから、単に見落としてきただけかも知れませんね。
(大キトさんの仰っている画像も楽しみです。(^^))

●あおぞらさん
>高徳線の旧客の話ですが、ロングシートの客車の隣にいたのは、旧特急車の
>スハフ43でした。

四国に残ったオハ41最後の5両は、特ロ(スロ51・スロフ53)を種車とするものだそうで、
スハフ43とは「特車コンビ」になりますね。目にされた方が羨ましいです。

●茂木茂さん
>こんな楽しみ方もいかがなものでしょうか。

同感です。
旧客はその年季の入り方・バリエーションだけで十分魅力がありました。
しかしそれだけに、かえって、腰を落ち着け純粋な部分での「客車の魅力」を
味わえるようになったのは、旧客全廃以降(特に50系の客レ)だったかな。。。
(「生の旧客を見た歴」2年半だった私の場合は、ですが・・・。)

●(讃)高松さん

DF50の置き換えですが、やはり老朽化(昭和31年〜)が最大の理由ではないでしょうか?
(それに絡んで、出力的な問題もあるのでしょう・・・。)

>紀勢本線はたしかS61年頃まで(最後は50系)、関西本線亀山−名古屋間は、
>S57年の電化開業まで、客車はあったと思います。

昭和61年11月改正でしたね。西線は12系2往復、東線は50系2往復・・・。
旧客没後ですが、私も客レで亀山→天王寺を2回だけ走破した思い出があります。
多気を過ぎた辺りで地元のオバさんに「どこまで行くの?」と聞かれて、驚かれました。
「天王寺」・・・そりゃ驚きますよ。(^^;

関西本線と言えば、夕ラッシュ時の名古屋発津行923レ。
宮○俊三氏のお気に入り列車です。(笑)




投稿者 伊藤正宏
投稿日 02月16日(水)16時39分12秒
タイトル 「特車コンビ」について
本文

 大和路環状線さん、こんにちは。

> 四国に残ったオハ41最後の5両は、特ロ(スロ51・スロフ53)を種車とするもの
> だそうで、スハフ43とは「特車コンビ」になりますね。目にされた方が羨ましいです。

 私は初めて四国へ行った昭和61年3月に四国各所に留置されていた「特車コンビ」を
かろうじて写真に収めることが出来た1人です(そのうち、弊サイトで紹介します)。
スハ44系や元特ロの車両は模型の世界だけだと思っていましたので、
その当時は感動したのを覚えています。
 同じように感動したのは、初めて二重屋根車(スエ30形)と国電改造の戦災復旧車
(スエ71形)、3軸ボギー車(スエ78形)に出会ったときでした。
ちょっと前の出来事のような気がしますが、JR化後の変化の早さにはビックリしました。

投稿者のホームページ



投稿者 大キト
投稿日 02月16日(水)19時59分40秒
タイトル オハ41形式画像半減
本文 まいど車掌さん、そして乗車中の皆様、オハ41形式の画像のUPですが比較的時期が若いので
未だ取込んでいないものがあって、4両程に減少しました、すみません、
そこでオハ55など古いものを集めて11枚用意してUPしました、
来週は仕事が忙しくなるので急遽計上した関係で、諸元を書いていません、
そこで乗車中の皆様に諸元を調べてもらって車掌さんのこの号車に書きこんで頂けませんか?、
画像は退色・カビ・などで劣化しているため露光も不足していますので、何とか確認できるまで
調整しましたが、青味がかって車体色が思う様に出ませんでした、
車体色はすべて茶です、では皆様の書込みに期待して下車します。
オハ41356/オハ5310/オハ41357/オハ552038/オハ41358/オハ564/
オハ412371/オハ568/オハ41車内/オハフ521/オハフ531



投稿者 伊藤正宏
投稿日 02月16日(水)21時23分03秒
タイトル Re: オハ41形式画像半減
本文

大キトさん、みなさん、こんにちは。
オハ41形etc.の経歴ですが次の通りとなっています。

オハ41 356 ← スロ51 36
オハ41 357 ← スロ51 41
オハ41 358 ← スロ51 42
オハ41 2371 ← スロ51 2019 ← スロ51 19
オハ53 10 ← オロ35 10 ← オロ30859
オハ55 2038 ← オロ40 2038 ← オロ40 38
オハ56 4 ← スハ32 221 ← スハ32884
オハ56 8 ← スハ32 301 ← スハ32964

オハフ52 1 ← オロフ32 1 ← オロフ31050
オハフ53 1 ← オロフ33 1 ← オロフ31100

このうち、

オハ56形は格下改造車ではなく、
マニ60形のTR11と台車交換してスハ32形を形式変更した車両です。

オハ55 2038は戦後製オロ40形のトップナンバーの改造車で、
折妻形であるのも関わらずTR23台車を履いています。

オハフ52 1は等級帯を消した直後のようで、
オロ35形の緩急車版のオロフ32形の格下改造車です(室内座席はそのまま)。

オハフ53 1はオロ36形の緩急車版のオロフ33形の格下改造車ですので、
1300mm幅の広窓となっています(室内座席はそのまま)。

いずれも貴重な写真を見ることができました。
ありがとうございました。

投稿者のホームページ



投稿者 大キト
投稿日 02月16日(水)21時51分16秒
タイトル 伊藤さんアリガト
本文 早々「豊永泰太郎鉄道画像室」のオハ41形式などの諸元を教授頂き有難う御座います。
早速HPに反映させました。
投稿者のホームページ


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