倶楽部メモ(724)
平成25年 4月15日〜 4月17日

スハネ30の特集ページ ・ 急行ニセコにおけるマニ30


投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2013年 4月15日(月)18時55分49秒
タイトル スハネ30の特集ページ新設
皆様、いつもお世話になっております。

ここ数日のスハネ30の話題を受けまして、複雑な車歴がわかりにくいものだと、あらためて
痛感しましたので、簡単にではありますがスハネ30の車歴表を作成し、客車資料館にて
公開いたしました。

皆様からの情報を参考にリベットの状態も記載しましたが、詳しく調べていくと製造当初から
全溶接構造でノーリベットの車両があった可能性もあるようで、まだまだ改良の余地がある
ようですので、詳しい事情をお知りの方がいらっしゃいましたら、ぜひ御教示いただければ
幸いです。


スハネ30生様

お願い事で恐縮なのですが、この新設ページに先日ご投稿いただいたスハネ302016の
写真を使用させていただけないでしょうか?
ご検討のほど、よろしくお願いいたします。



投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 4月15日(月)20時37分48秒
タイトル Re: スハネ30の特集ページ新設
仙コリ(管理人)様

またまた新たな「ちょっと変わった切り口」の資料を作成いただきありがとうございます。

戦後の復活スハネ30は面白い車両群ですね。
私は乗ったことはありませんが、車内は直前に新製されたナハネ11に準じた当時最新の設備だったとのことで、
クラシックな外観とのミスマッチが何ともいえず味わい深いです。
寝台の間隔はオハネフ12(←ナハネフ10←ナハネ10)と同じですが、
そもそもナハネ10が戦前のスハネ30・31の寝台寸法を踏襲して設計されたのですから、こちらが元祖なのですね。
たださすがに車体幅が10系より狭いので、その分は通路の幅にしわ寄せが来ていた様です。
こんな車両を100両も登場させた、というより登場させざるを得なかった国鉄の台所事情、
そしてハネ車の需要が旺盛に拡大していった高度成長の時代背景も忘れるわけにはいきません。

なお、4月13日(土)20時42分6秒の拙稿で、「スハネ31000」とあるのは「スハネ30100」の誤りでした。申し訳ありません。



投稿者 スハネ30生
投稿日 2013年 4月15日(月)23時33分55秒
タイトル スハネ30写真の件
仙コリ様。わざわざ特集ページを設けていただき恐縮です。
スハネ302016の写真ですが、コピーして御活用ください。
1969年11月3日撮影ですので、この形式の最晩年の姿(使用列車は【新星】と思われます。)です。
撮影当日ですが中学1年の小生は同級生と2人で何らアポも取らず尾久客車区を訪問したのですが、
親切な職員の方が構内を30分程掛けて案内してくれました。
特に古い形式を希望して撮影させていただきました。
その時の他形式の写真も追って投稿させていただく予定です。
但し写りは良くありません(何しろ形式写真を撮影したのはその時が初めてでしたので)
外部色に関しての質問です。
スハネ30は落成時はすべて【ぶどう色2号】だったと思いますが
【青15号】へ塗り替えの時期(使用列車との関係等)が分かる方おられましたら、教えてください。



投稿者 有栖川よしおん
投稿日 2013年 4月16日(火)00時51分29秒
タイトル 急行ニセコにおけるマニ30について
初めまして,有栖川よしおんと申します。
質問なのですが,急行ニセコに連結していた時のマニ30を作っているのですが,
マニ30の配置がどこの区に配置されていたのかが調べても殆ど出てきません。

確認できたのは,1972年の7月の急行ニセコで,前期型,マニ30の2001〜2006の車番のどれかです
(写真が白黒な上,後方から撮影した写真なので車番が確認できませんでした)

この時点での配置,もう少し古い配置でも構いません。

ご存知の方,教えて下さい。

写真の最後尾がマニ30だそうです。




投稿者 たかぼー
投稿日 2013年 4月16日(火)20時11分50秒
タイトル Re:急行ニセコにおけるマニ30について
初めまして
旅行過ぎなもので、このサイトにたどり着きました。
40年ほど前まで、小樽築港機関区の近くに住んでいましたので
拙い記憶をたどりつつ・・・・
添付された写真を見ると、左の山がニセコでしょうか?
だとすると、郵便車は函館寄りに連結されていますね

私の記憶でも、たしか青い郵便車が函館寄りに連結さてれ居たと思います。
昼ころ、札幌を出発する函館行き普通列車は茶色い郵便車を函館方面に連結していました。
(この普通列車、昭和50年代に入っても、たま〜にストーブ列車を連結している事がありました。)



投稿者 たかぼー
投稿日 2013年 4月16日(火)20時19分54秒
タイトル Re:急行ニセコにおけるマニ30について
回答がずっこけてましたね
函館に近い方が、一般の荷物車で、その次が郵便車でした。



投稿者 スハネ30生
投稿日 2013年 4月16日(火)23時12分41秒
タイトル RE:急行ニセコにおけるマニ30
マニ30(現金輸送車)の配置区ですが、2001〜2003が南シナ、2004〜2006が北オクで
落成当初(昭和45年以前は形式マニ34)から廃車に至るまで変更ありません。
函館本線には北オク配置の3両のいずれかが航送されて運用されていたと推察されます。
マニ30の運用は不定期ですので走行写真は貴重だと思います。
昔、東京駅で銀河併決のマニ30の荷卸を偶然にも捉えた写真
(風景が多重露光して見苦しい点は御容赦ください。)がありますのでUPします。
また改番前(マニ34)の形式写真も添付しますので参考にしてください。

昭和51年9月22日東京駅13番ホーム上り急行銀河到着後のマニ302002(20系編成の最後尾に連結)
昭和44年11月3日尾久客車区構内のマニ342005



投稿者 スハユ
投稿日 2013年 4月17日(水)09時39分11秒
タイトル 客車区について
スハユと申します。
機関区については機関車以外の設備写真や資料も数多く見られますが、
客車のネグラである「客車区」や「客貨車区」の写真・資料は極めて少ないです。
車体・台車・座席・屋根・幌・各種ホース・電灯・蓄電池・充電器・トイレ他・・・の
担当部署・検修方法はどうだったのでしょうか?
ご存知の方ご教示ください。



投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 4月17日(水)20時18分28秒
タイトル マニ30について
マニ30については、その特殊な性格上極秘事項が多く、
ある意味お召し列車よりもきびしい(?)情報統制が敷かれていましたね。
運用が廃止されてある程度情報が出回るようになりましたが、写真や編成記録といったリアルタイムの情報は貴重です。

なお、昭和53−54年度には老朽取り替えのため50系客車をベースにした新設計のマニ30 2007〜30 2012が新製されており、
現在小樽に保存されているのはこの1両ですね。



投稿者 スハネ30生
投稿日 2013年 4月17日(水)21時24分54秒
タイトル RE:急行ニセコにおけるマニ30について訂正
有栖川よしおん様からの質問で
マニ302004〜2006が北オク配置と回答しましたが、資料を良く調べた処、北オクには2005,
2006の2両配置(落成から廃車まで)が正解でした。
北海道へ渡っての運用はこの2両のいずれかと言うことができます。
マニ30の運用には謎が多いと言われていますが、東海道線の【銀河】へ連結されていることは昔から有名でした。
(多い時は毎月1回程あったようです。)
東北筋では【八甲田】【ニセコ】とつないで札幌まで運転していたと思われます。
どの線区でも必ず旅客列車(急行)に併結されていたようで、荷物専用列車に組込まれる事はなかったようです。
なお国鉄車両配置表にも昭和55年までは掲載されていましたので、
その頃までは知る人ぞ知るという存在であったと思います。



投稿者 クモイ103
投稿日 2013年 4月17日(水)22時33分55秒
タイトル Re: マニ30について
改めまして、スハネ30生様による形式写真から今回学ばせて頂いたことがあります。
それは、マニ30に関して大蔵省は厳しく情報統制を敷き、後には国鉄車両配置表からも削除されるという徹底ぶりですが、
まだこの時期の国鉄の現場サイドはかなりおおらかだったらしい?…という点です。
このように他の客車と同様の撮影が許可されるということは、
少なくとも客車区の現場ではこの車を特に隠すべきものと認識していなかったわけで、
その事自体をちょっと意外に感じた次第です。
もしかして大蔵省と国鉄の間に微妙な温度差が…おっとこれくらいで止めておきますね。



※ この期間の投稿内容の一部について、管理人判断にて倶楽部メモには非掲載とさせていただきます。

 
 
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