倶楽部メモ(699)
平成24年 3月 5日〜 3月10日


投稿者 荒川ひたち
投稿日 2012年 3月 5日(月)17時16分50秒
タイトル 昭和39年10月からの塗装変更
はじめまして。以前からサイトには訪問させていて頂いていますが、初カキコです。

最近、少々変わった運用や様々な形式が連結されている編成に惹かれ、
昭和39年10月〜40年9月の急行「大和」「伊勢」「那智」「南紀観光号」
の編成を16番にて再現しようという(壮大な?)計画を立てております。

編成や客車の詳細については、このサイトやARC編成室、
その他手持ちの資料などを参照しているのですが、ある点で疑問が生じました。

というのは、タイトルの通り、客車の塗装変更についてです。
該当時期がちょうど塗装変更開始の時期であり、
一年ほどで一体どの程度まで変更が進んでいたのでしょうか?

当サイトには「優等車両を中心に」とあり、
スロ54やオロネ10は早々に変更されたのかな?などと勝手に想像しておりますが、
どなたか詳細をご教授願います。

また、図々しいようですが、当時の車番を記録されている方がおられましたら、
こちらについてもお願い致します。

長文失礼しました。



投稿者 太田拓也
投稿日 2012年 3月 6日(火)08時40分6秒
タイトル 「旧型客車」とは何か?
井沢元彦氏は「逆説の日本史」において「常識は文章として残らない」を一貫したテーマにしていますが、
鉄道趣味においても先人の常識が若い世代に伝わってるのかと思うことが多々あります(荷物・郵便輸送の知識など)。

さて私、ブルトレ客車についての知識は児童書で簡単に身に着けたものの、
ブルトレの対立概念としての旧型客車についての知識は集めるのに相当苦労しました。
児童書はおろか大人向けでさえ「旧型客車の形式やメカニズム」について書かれた本は皆無ですし。

その意味でも「客車編成の基本」の削除は残念です。
それとも旧型客車というのは極めたものが誰もいない分野なのでしょうか?



投稿者 クモイ103
投稿日 2012年 3月 6日(火)20時53分38秒
タイトル Re: 昭和39年10月からの塗装変更
荒川ひたち様、はじめまして。

昭和39年の塗色規程の改定で一般用客車の一部(別表で形式を指定)に青15号塗装が定められましたが、
本件も含めてこうした塗色変更の際はたいていの場合、実車が工場に入場した際に塗り替えるよう指示されていました。

すると問題は工場入場の頻度となるわけですが、
残念ながら当時の検査周期に関する正式な基準を知りませんので正確なお答えは出来ないものの、
常時運用に就いている現役客車では1年間程度でほぼ全ての対象車両が工場に入ったのではないか?と思われます。

従いまして、規程改定から1年後の40-10改正の時点で旧塗色で残っているものは、
おそらく休車扱いの予備車両などごく少数だった?と思います。

> スロ54やオロネ10は早々に変更されたのかな?

形式によって塗り替えの優先順位をつけるという事は、当時の国鉄のやり方から考えてあまりなかったろうと思います。
昭和31年の青大将登場時に匹敵するような何か特別の事情があれば話は別ですが、
良くも悪くも「お役所」の国鉄では、指示通り工場へ入場してきた順に粛々と塗り替えただけと思われます。
2等車でもたまたま規程改定の直後に工場入りすれば早々に塗り替わったでしょうし、
オロネ10でも直前に全検を出たばかりであればその後1年間くらいぶどう色のままだったことでしょう。

当時の検査周期について詳しい情報をお持ちの方がおられればフォローお願いしますm(_ _)m。



投稿者 クモイ103
投稿日 2012年 3月 6日(火)21時57分24秒
タイトル Re: 「旧型客車」とは何か?
太田拓也様

いわゆる旧型客車を「ブルトレの対立概念」と表現する事には、個人的にはいささか違和感を覚えます。逆は真だと思いますが。

まず長い歴史の「客車」がありました。
そこに昭和33年、新しい概念の「固定編成客車」が登場したことによってそれまでの「客車」が「在来型客車」になりました。
ところがちょうど相前後して電車の世界にモハ90「新型電車」が登場しそれ以前の電車が「旧型電車」と称されたことから、
いつしかその用語が客車の世界にも拡大して使用され、「在来型客車」が「旧型客車」と呼ばれる様になっていきました。
そう考えると、いわゆる「旧型客車」と呼ばれるものこそ、歴史上長らく主役であり標準であった当たり前の「客車」なのであり、
当たり前だから特別な解説本など不要だったのだと考えられます。
それに対して「固定編成客車」→「ブルトレ」の方こそ正に「対立概念」であって、
だからこそ児童書を含めた解説本が必要だったのではないでしょうか。

もちろんそれは、「旧型客車」が現役で走っていた1980年代までの話です。
今では事情が変わり、「旧型客車」とは何か?という質問まで出るご時世となりました。
しかし「常識」だったから誰も解説本など書かなかったので、いざ実物が無くなってしまうと同時に知識も消え去ってしまう、
まさに伊沢元彦氏の言う「常識は文章として残らない」の見本ですね。

かつては客車の編成の法則性など、ちょっと鉄道趣味に首を突っ込んだ者なら誰でも常識的、
というより感覚的に理解できるくらい、身近に客車列車があふれ返っていました。
しかし「常識」を言葉や図表で表現するというのは、膨大な努力と紙面を費やしてなお出来るかどうか?という世界だと思います。
今回の仙コリ様の挑戦は、実はそういう大事業の一面をはらんだものだったわけで、
もとより私も一筋縄ではいかないとの予感はしていましたので、早い段階でそのような含みの発言もさせていただきました。

> 旧型客車というのは極めたものが誰もいない分野なのでしょうか?

「常識」を言葉や図表で表現した者がいない、という意味では仰る通りかもしれませんね。
だからこそ、本サイトのコンテンツの充実を通じてそれに一歩でも近づこうと努力されている仙コリ様には頭が下がります。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2012年 3月 7日(水)00時00分8秒
タイトル Re3:「客車編成の基本」ページについて
クモイ103様、太田拓也様

今回は私の勇み足でご迷惑をおかけして申し訳ありません。
客車の編成の法則性というとても大きく難しいテーマに食らいついてしまい、いきなり消化
不良をおこしてしまったような状態で面目ありません。

「旧型客車」について詳しく研究されている方はたくさんいらっしゃいますが、少なくとも
私がこのサイトを作成しようと考えた当時、ネット上において旧型客車についてのサイトは
皆無といった状態でしたので、いち趣味人である私ですが、趣味人であるがゆえに作れる?
初級者・中級者むけの客車に関するサイトを作ろうと立ち上げた次第です。

今回もこの「客車倶楽部」で編成についての話題が出たので、なんとかわかりやすい解説の
ページを作成できればと考えたのですが、あまりにも難しく…

たとえば客車列車の写真をとる場合、いわゆる列車の顔となるのは先頭の機関車か最後尾の
客車となるわけで、客車編成の一番の基本は、最後尾の車両がどのような客車かというのが
もっとも大事であると思っていまして、基本的には最後尾の車両は展望車か緩急車である
という私の固定観念があったのですが、今回いろいろと調べたり皆様からのご意見をお聞き
しまして、それにはあてはまらない例が多数存在し、絶対ではないものを基本といえるか?
という最初の段階でつまずいてしまった状態です。

これからもいろいろと勉強し、皆様の意見をお聞きして少しずつですが情報を蓄積していき
いずれ解説ページ?のようなものを作成できればと考えていますので、これからも皆様の
ご協力をいただければ幸いです。



投稿者 旧狩勝線を楽しむ会
投稿日 2012年 3月 7日(水)21時24分21秒
タイトル 客車編成の基本
旧狩勝線のNゲージジオラマで客車を編成していてトイレのある側が釧路方向に向くのか
はたまた滝川方向に向くのか結構気になったことでもあります。
実際の写真を見ると、いろいろありました。

狩勝線の元機関士の方に一度は聞いてみたところ、トイレは下り方向に向けて編成すると聞いていたということで、
流したものが下っていくようになんて冗談も言っていたのですが、
なんかものすごくマジメに聞いてしまいました。

客車編成としていろいろ例外もあると思いますが、まず基本があったようにも思います。
そんなちょっとした疑問を解決してもらえるHP作りはいいですね。期待しています。
できることがあれば協力したいと思います。(協力できるほどの知識があるかどうか....)

旧狩勝線の写真を見ていて、多いのは混合列車ですね。
これは規則なんかなさそうな勢いでごちゃごちゃつないでいる写真が多いようにも思いますが、
混合列車はいつごろまであったものなのでしょうか?
これにもやはり基本があってなにか定義があるのでしょうか?

最後は質問になってしまいましたが、よろしくお願いします。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2012年 3月 7日(水)21時51分2秒
タイトル 客車編成
ご無沙汰しております。編成の規則性に関しての話題を興味深く拝見しております。
その中で昭和26年、つばめ編成の客車転向があったことを思い出しました。
6月1日から毎月1・2日、大阪着後塚口回送を宮原へ直送とし、
・毎月2・3日の大阪発つばめはスロの乗降口が月ごとに振り替わる
・マイテ、スハニは毎月1・2日宮原到着後転向すること
となっております。
目的は不明ですが、車両の向きというのも都合次第で融通のきくものだな、と感じました。
>>旧狩勝線を楽しむ会様
私は客車組成のルールについてほとんど知識らしきものは持ち合わせていませんが、
たしか旅客列車に貨車をつなぐのが混合、貨物列車に客車をつなぐのが準混で、
北海道は準混運用が他に比べて多かったような気がします。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2012年 3月 8日(木)09時26分10秒
タイトル 1レの方向転換
昭和26年にそんな事があったのですか?塚口には近いですが気がつきませんでした。
スロ60のデッキは東京寄りが定位置だった筈ですし、27年7月に上京した時も
そうでした。そうするとスハ44のデッキもマシ35のレジも逆だったのですか?

戦時中迄の「つばめ」、「かもめ」時代は大アカソで編成をバラバラにして組成やり直し
をして居たと聴きましたが、昭和26年に何故月初だけそんな事をしたのでしょうか?



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2012年 3月 8日(木)21時47分15秒
タイトル Re.1レの方向転換
>>マロネロ38様
私の記憶ではなく、以前閲覧した大鉄局報の記事を思い出しました。
その後、昭和26年9月29日付けの局報で、再度特急列車つばめの
客車転向が掲載され
・9月30日および10月1日の1レ
・大阪>塚本>宮原間を運転
・大阪>塚口>宮原は運休
・10月1・2日大阪発2レからスロの乗降口は東京寄りとなる
・マイテは9月30日、10月1日の宮原着後転向すること
とあります。
ちなみに10月1日からの客車運用変更で編成中スハニはスハニ35型式
スハはスハ44型式に変更される旨の記事が掲載されています。
このあたりに6月からの月初の編成変更の謎が隠されているかもしれません。



投稿者 スイロハ35
投稿日 2012年 3月 8日(木)22時31分8秒
>>ヒゲ無し雷鳥様、マロネロ38様
割り込み失礼いたします。

三等の使用客車が変更になったというところから何となくですが、
スハニとスハの車両の向きの関係や変更後の車両運用の都合が濃厚な線かと思われますが、
「つばめ」から転用後の運用などの当時のダイヤなどから推察が出来るかもしれません。
確かスハ44の前にはスハ43形が、スハニ35の前にはスハニ32が使用されていたと思うのですが……



投稿者 荒川ひたち
投稿日 2012年 3月10日(土)00時51分18秒
タイトル Re2: 昭和39年10月からの塗装変更
クモイ103様

返信遅くなり申し訳ありません。

当時の客車の検査周期がポイントとのことですが、1年で、というのは正直驚きましたΣ( ̄ロ ̄lll)
対象の総車両数がどれほどかは詳しく知りませんが、かなり速かったのですね。
(個人的には、工場の数、収容能力、検査所要時間が気になるところですが…)

ともあれ、「1年ほどでほぼ塗り替えが完了した」という事実を頭に入れつつ、適宜混色していく、
という方針で客車を収集していこうかと思います。

回答ありがとうございましたm(_ _)m



投稿者 クモイ103
投稿日 2012年 3月10日(土)11時42分46秒
タイトル Re3: 昭和39年10月からの塗装変更
荒川ひたち様

> 「1年ほどでほぼ塗り替えが完了した」という事実を頭に入れつつ

念のため申し添えますが、1年というのは「事実」ではありません。
あくまで私個人が知人からの伝聞などを元に描いている「勝手な想像」ですので誤解無きようお願いいたします。

> 工場の数、収容能力、検査所要時間が気になる

当時は、現存しないものを含めた多数の車両工場で客車の検修を行っていましたからね。
高砂工場、盛岡工場なんて今では知らない人も多いかもしれません。
また当時の国鉄には、今のJR社員とは比べものにならないほど多くの職員がいました。
その後社会問題に発展した、合理化をめぐる労使の対立や分割・民営化を経て、人員を削減してきた経緯があります。
ここでも「当時の事象」を「今の感覚」で捉えようとすればとんちんかんな解釈になってしまう、
「時代感覚」が求められる一面がありますね。



               
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