倶楽部メモ(692)
平成24年 1月11日〜 1月25日


投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2012年 1月11日(水)22時21分36秒
ED76109様
道中に大洗、新三郷、木場へ立ち寄るため青森行きは往復とも新幹線の乗り継ぎでした。
グランクラスを試したかったのですが年末年始ということもあり無理でした。

長距離急行列車の話題ですが、以前偶然に昭和25年10月改正向け駅頭掲示用に作成された
と思われる東京門司間上りの長距離列車用時刻表を見る機会がありました。
特急は赤線3本、急行は2本、準急は1本で区別されてるもので、つばめ、はとに交じって
銀河・流星・ひばりの愛称が記載されておりました。このような資料はまだまだあるかも
しれませんね。



投稿者 ED76109
投稿日 2012年 1月12日(木)08時25分17秒
タイトル 憧憬の長距離列車
 おはようございます。冬季休業残り4日となりました「ED76109」であります。


 ゴロー様

 「桜島・高千穂」は、小生のレトロトレインであります。
何度も記しておりますが、初乗車は「昭和40年頃の『上り霧島』」。
両親と「御殿場線のD52牽引の鈍行レ」の乗り鉄の帰路に、「静岡」から乗り込んだようであります。
両親の話では、「お前がぐずって、食堂車に連れて行ったら、ウエイトレスの娘さんに抱っこされてにっこりした」
との逸話があり、「鉄」親父は「こいつは絶対に『鉄』になる」と思ったそうであります。
当時、「霧島」と「高千穂」は別列車として運転され、それぞれ「ロザ」、「ネ」や「シ」等が連結されておりました。


 ヒゲ無し雷鳥様

 細かい話ですが、「種村」氏の「西海号事件」執筆時の「トカホセ」は、「京都・米原」が非電化であり、
他区間は「EF58」牽引(?)でありましょうか。
「名称プレートの盗難」の逸話もあり、本当に懐かしきお話であります。


 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2012年 1月12日(木)11時30分10秒
タイトル 小海線
赤岳の話題がございましたが、実は、地元に近い常陸太田市の山間部で、気象条件が
整えば、200km彼方の八ヶ岳が遠望できる 稜線の林道があり、空気が澄む冬になると、
流石に小海線は見えませんが、山容を眺め 甲信越を旅した積りになるのでした(^^)

小海線と云えば、一大観光地・清里を擁するだけあって、DL牽引のイベント臨時も、
1987年のマニ50改「マザーグース・トレイン」88−92年の 169系「葉ッピーきよさと」
95年の「シャトル・マイハマ」による「信州循環列車」2000年の元「ノスタルジック・
ビュー・トレイン」による「ジャーニー八ヶ岳号」など、実に多彩でした。

この山越え区間に比べると、佐久平が広がる長野県側は、地味な印象ですが、実際は
浅間山の威容も度々望めるなど中々の味わいで「昔訪ねた気動車ローカル線」という
サイトの「小海線 2」では、国鉄時代の懐かしい雰囲気(1980年撮影)が堪りません。

主要市街地が岩村田と中込に分散する佐久市にあって、新幹線駅や上信越道のI.C.が
岩村田側に偏在する一方、JTB時刻表の巻頭路線地図では、今でも中込が市代表駅
扱いですね。市役所との位置関係を踏まえた事情もあるのでしょうけれど、JTBの
時刻表編集部によれば、小海線営業所の前身である機関区の所在を以て、列車運行の
拠点と見る解釈の下、中込駅を指定したそうです。発想がコアですね(^^)



投稿者 マロネロ38
投稿日 2012年 1月13日(金)10時23分22秒
タイトル 小海線の思い出
良い所ですね---初めて乗り通したのは大学時代昭和31年の夏休みでした。東京へ
行って新宿から準急「穂高」のロを張り込みましたがオロ40x2が満員でした。小淵沢
通過なので茅野まで行き、逆行して小淵沢から乗車したのがC56+オハフ60一両の
混合列車。
乗り通し目的だったので岩村田で下車して駅近辺の木賃宿に宿泊し、五右衛門風呂に入りました。
翌朝キハ41500で小諸へ出て、C56をたっぷり撮影して長野経由で夜行準急のオハネ10で
名古屋へ出て、「大和」で湊町まで帰りました。

その後社会人になってから夏期休暇利用で3度清里や野辺山へ行き、国鉄最高点の
踏み切りちかくで「野辺山」を撮影したり、崖ップチから「諏訪」を八ヶ岳バックに
撮影とか、ぶらぶら歩きを楽しんだりで、美しの森へも足を伸ばしました。

一番印象に残るのは新宿最終の「山屋列車」のスロハ32からキハ55に乗り換えて、
甲斐小泉付近の大回りカーブから、早朝の逆さ富士(赤富士だった)を見たのと、
甲斐大泉−清里間の馬蹄形のトンネルでした。



投稿者 赤まんと
投稿日 2012年 1月13日(金)23時17分13秒
タイトル 通勤電車に抜かれる「北斗星」
今日はやや忙しく退社が30分延び、大宮での乗り換え待ちの間に「北斗星」の編成記録を押さえられる時間になりました。
乗った高崎線直通の湘南新宿ラインは、「北斗星」の3分先を行くダイヤですが、先行列車が遅れたため、3分遅れで運転。
このまま行くと「北斗星」と同時に大宮に着くところです。
車窓をチラリと見ると、赤羽で「北斗星」と並走。こちらが優勢で、すぐ先の荒川橋梁を渡ったあたりで抜き去りました。
あとは110キロでめいっぱい飛ばしたようで、大宮着はほぼ定時。
おかげで悠々「北斗星」の入線を出迎え編成記録を取ることができました。
「北斗星」は大宮から乗る客を待ったのか、4分遅れて発車しました。
隣のホームから出る高崎線快速は1分遅れ。
私が待っていた宇都宮線各駅停車も2分ばかり遅れました。

まあ、乗り合わせた通勤電車で「北斗星」を抜くシーンを見ることができ、
編成記録まで押さえられましたから、数分の遅れなどどうでもいいことです。
いまの通勤電車の高性能ぶりに、改めて脱帽です。

「客車列車の旅」の趣旨から脱線気味の投稿、失礼しました。貴重なシーンだったものでつい・・・。



投稿者 雑魚
投稿日 2012年 1月14日(土)12時59分52秒
タイトル デッド ・ヒート
▼赤まんと様:
> いまの通勤電車の高性能ぶりに、改めて脱帽です。

二ヶ月後に迫った「日本海」「きたぐに」の廃止決定も、特に後者の上り便において
新快速など高速列車が雁行する東海道線区間の稠密ダイヤとの整合性が、少なからず
作用したと感じます。

JR列車同士の並走と云えば、以前にも申し上げた様に、上野を同時に発つ「あさま」
下り便との競争で、日暮里〜三河島の曲線区間の存在ゆえ、必ず負ける「ひたち」の
不甲斐無さを、まず連想しますが(^^)上野を16時過ぎに発つ気動車急行「ときわ+
奥久慈」も、北柏で追い抜いた緩行線電車に我孫子手前で抜き返されるのが御約束で、
実にもどかしい思いでした(^^)

比較的長時間に及ぶ デッド・ヒートといえば、345Mを名乗っていた頃の大垣夜行が、
戸塚〜大船で、横須賀線電車と抜きつ抜かれつの接戦でしたが「御仕事、御疲れさん。
俺達は今から、楽しい旅行だよ〜」と云う優越感に浸っていました(^^)

画像は、大宮駅から眺めた上り「北斗星」です。画像左側に窺える様に「あかぎ」と
同時入線だった為、折角のシャッター・チャンスが損なわれてしまいました(^^)




投稿者 ED76109
投稿日 2012年 1月19日(木)22時26分31秒
タイトル 混乱続くJR北海道
 おばんでございます。「ED76109」であります。


 新聞報道等ですでにご存じのこととは思われますが、当地は厳しい寒さと雪に悩まされております。
特に今週の月曜日は、朝から「函館本線」が「江別・岩見沢」で不通となってしまいました。
「上幌向」では、ラッセル車が立ち往生してしまい、
「オホーツク」や「スーパー宗谷」などは軒並み「5〜6時間」の遅れ。
午後は、「スーパーカムイ」等も含めて、岩見沢周辺の「函館本線及び室蘭本線」は全て運休の憂き目に・・・。
愚娘は、「札沼線なんて30分程度の遅れなんて遅れじゃないさ。」と嘯く始末。
さらに、先週から「隧道内の原因不明の落石騒動」のため、
「スーパー北斗・北斗」及び「スーパーおおぞら」は徐行運転の結果、
全列車「10〜20分」程度の遅れが恒常化しております。
小生、「新幹線」も良いけれど、しっかりせいやと言いたいところ。
「雪害」は、まだまだこれからが本番であります。今年の冬は「長く」なりそうであります。

 以上、北の国からの「戯言」情報でありました。



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2012年 1月21日(土)22時01分44秒
タイトル 「日本海」「きたぐに」の画像募集
特急「日本海」・急行「きたぐに」の定期運行終了まで2ヶ月をきってしまいました。
南東北に住んでいるとルート的になかなか乗車する機会がなく、見た事も数回といった
状況なのですが、伝統ある両列車に乗車する機会がなかったのが残念です。
そこで、ワンパターンですが特集として両列車の写真館を作成したいと考えております。
今までの活躍していた写真・終焉間近の写真・最終運転時の写真等を募集しますので、
皆様の力作を投稿いただければ幸いです。
なお、撮影日時・撮影場所を明記していただけるようお願いいたします。
画像は私が唯一10年前(平成14年9月13日)に青森駅で撮影した写真です。
それではよろしくお願いいたします。




投稿者 クモイ103
投稿日 2012年 1月22日(日)23時09分39秒
タイトル 「きたぐに」2題
久々の特集企画ですね。
「日本海」は以前にも特集されていてほぼネタ切れですので、「きたぐに」の拙作をご提供します。



(1)昭和57(1982)年8月28日、弘前駅にて501レ。
新潟で寝台車を切り落とし、座席車のみの昼行モードで青森を目指す終着間近の姿です。
当時すでにグリーン車はなく12系のモノクラス編成ですが、郵便車の存在が定期列車であることを主張しています。





(2)(3)平成2(1990)年8月18日、東三条駅にて501M。
新潟打ち切りと共に14系化、その後583系電車になって、HMに絵が入った時期です。
国鉄からJRになって4年、まだ「国鉄色」が当たり前の時代でした。



投稿者 ゴロー
投稿日 2012年 1月23日(月)20時39分0秒
こんばんは。
客車時代の「きたぐに」、懐かしいですね。
12系と10系寝台車が連結されていた時はまだまだ乗客の多い時でしたね。
そういえばオユ10も連結されて合計12両編成だったでしょうか。
クモイ103さんが撮影された10日ぐらい前に直江津から大阪行きに乗りましたが
デッキから車内へ入れず富山ぐらいまで洗面所で立ったままでした。
しかし「きたぐに」の列車自体は客車列車の時で17年ですが583系の方は27年も走っているんですね。
なんか以外でした。
最近というかここ何年か気付いたことなんですが以前は客車列車が発車する時、
車掌さんが無線で機関士さんに下り○○○列車発車ぁ〜と言ったら機関車から合図の汽笛がなってましたが
「日本海」ではここ何年かあの合図の汽笛は聞かなくなりました。何かあったんでしょうか?



投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2012年 1月25日(水)00時28分5秒
タイトル 御礼:「きたぐに」画像
クモイ103様

早速の「きたぐに」の画像提供ありがとうございます。
しかも客車時代の貴重な画像はとてもありがたいです。
12系客車と10系客車の併結列車は急行「津軽」で身近な存在でしたが、今となっては
遠い昔の出来事となってしまい、夜行列車という存在そのものがよりいっそう貴重な存在
となってしまいますね。
また、写真館開設時には以前提供していただいた「日本海」の画像も使用させていただき
たいと考えていますので、よろしくお願いいたします。

まだまだ皆様からの画像提供を期待しておりますので、よろしくお願いいたします。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2012年 1月25日(水)23時08分3秒
タイトル 敦賀の邂逅
お久しぶりです。
日本海、きたぐにの画像募集ということで1枚投稿させて頂きます。
数年前の事だったと思いますが、上りの日本海と臨時トワイライトが
雁行したことがあり、両機共にカマ交換が行われる敦賀で顔合わせが
実現しました。
夜明け前、静まり返った敦賀駅に2本の寝台特急が横たわる様は荘厳でした。




投稿者 クモイ103
投稿日 2012年 1月25日(水)23時33分44秒
タイトル Re: 「きたぐに」2題
ゴロー様

遅くなりましたが、コメントありがとうございます。
弘前での写真は、大学鉄研の合宿ツアー中でした。
定番「東北ワイド周遊券」で、「津軽」や「八甲田」など周遊区間を夜行で走る急行列車を宿代わりにした、
当時の学生鉄ちゃんの一般的な旅行スタイルだったと思います。
「きたぐに」は新潟以北が昼行で「宿」にはならなかったため、たまたま来たのを撮っただけで乗車はしていません。
しかし北陸区間では貴重な自由席のある夜行列車でしたから、
繁忙期にはゴロー様が体験されたような混雑も珍しくなかったでしょうね。
非有効時間帯の停車となる金沢でも一定の乗降があったと見えて、かつては七尾線に
「きたぐに」からの接続を意識したと思われる朝3時台の始発列車が設定されていました。

「きたぐに」としての客車時代よりも電車化後の方が長くなったというのは意外でした。
ヨンサントオ改正前の急行「日本海」時代、さらにそれ以前の無名時代を含めれば、
客車列車としての歴史は非常に長いのですけどね。

仙コリ(管理人)様

私も「きたぐに」といえば10系寝台車+12系座席車のイメージが強いのですが、残念ながら撮っていません。
関東者で、学生時代は西よりも北への旅行が多かったので、
日本海縦貫線列車に出会うのは東北地区ということになるんですね。

あと、583系のは大阪赴任時代に塚本あたりで撮ったのがあった筈ですが、
あそこは大勢の人が撮っていると思いますので、他の皆さんの作品に期待します。


 
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