倶楽部メモ(687)
平成23年11月30日〜12月11日


投稿者 橋本
投稿日 2011年11月30日(水)11時56分53秒
タイトル スエ3061の件
始めまして橋本と申します。少々、お尋ねしたい事があります。
最近資料の整理を兼ねて一覧表の如きものを作成しております。そんななかで疑問があります。
スエ3061千シワ→千キウ→千サクの種車がわかりません。
鋼製客車形式図集Tにも出ていませんし各WEBサイトも見たのですが見事に3061
だけが抜けております。鉄道公報・鉄道ファン(車両の動き)も見たのですが・・・
始め誤植?とも思ったのですが1966-1975の配置表には出ております。
1975-6-5に廃車となった模様で存在していた様です。
よろしく御教授の程、お願い致します。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年12月 1日(木)14時18分15秒
タイトル 旭川電気と「越路」
ED76109先生:
鉄道友の会会報12月号に、旭川電気軌道や急行「越路」のCG編成が出ていますから、
支部へでも行って買われては如何ですか?「越路」1956-12-24の703レで、オロ408、
スロ5151、オハ二6315(TR10)等々。オロ408は初期の張り上げ屋根です。所属は
新ニイ。
旭川の1000は型式図ですが、当時TMSに「大陸的」とありました。



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年12月 1日(木)20時48分34秒
タイトル Re: スエ3061の件
橋本様、はじめまして。

早速ですが、車両史編さん会の「国鉄鋼製客車史 第1編 オハ31形の一族(下巻)」によれば、
スエ31 61はS41.3.31に大宮工場でスユニ30 19から改造され、当初配置は「千」、
廃車は橋本様が書かれた通りS50.6.5となっています。

この資料シリーズ、投資額も本棚のスペースも大変なものですが、なにかと役に立っています。



投稿者 橋本
投稿日 2011年12月 1日(木)22時44分48秒
タイトル ありがとうございました
クモイ103様
御教授くださいましてありがとうございます。
1966-3の配置表から割り出して成田の309.3019のどちらかまでは推測できたので
すが3019でしたか。
見た事すらない形式なのですが今回調べたところ以下に興味深いことが出ており
ます。つばめのピンチヒッターというのは始めて知りました。
http://www1.odn.ne.jp/kingshobby/new_pc57_oroha30.htm

オハ31形の一族は高いですよね。ピクあたりで特集を組んでもらえると、ありがたいのですが・・・



投稿者 雑魚
投稿日 2011年12月 2日(金)14時58分2秒
タイトル 松島や、あゝ松島や
昨日の報道によれば、区間運休中の仙石線を代替して、小牛田経由で仙台に直通する
石巻線快速が昨日から設定された、との事です。仙石線経由と比較すると、20kmほど
遠回りですが、所要時間は、多賀城以西で各駅に停車する「B快速」と概ね同じです。
平均駅間距離が 2kmに満たない私鉄規格ゆえに、仙石線の速度事情が窺える一幕です。

かかる事情から、矢本以東で気動車を運用する現行の暫定措置を除き、開業当時から
電車運転が基本で「ウィキペディア」によれば、石巻港貨物線でも、電化されていた
時期があった様です。という事は、旅客営業も行われていたと見るべきでしょうか?

仙台付近が地下化される以前は「グラシア」による臨時快速が設定されるなど、ごく
例外的に気動車が入線した事があり、その後も、地上区間に限り、団体列車の設定が
あった様です。こうした列車は、小牛田運輸区の編成を、石巻側から入線させる事で
設定したものと思われますが、古い道路地図を見ると、仙台駅構内の南側で、名鉄の
新鵜沼駅における短絡線よろしく、長町側から榴ヶ岡側に抜ける連絡線の表記があり、
これが過去、どの様に活用されたのか、大いに気になっています。

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仙石線が地上に出た処で交差する宮城野貨物線は、東北新幹線の建設工事が酣だった
70年代を中心に、夜行列車の臨時迂回措置および、長町への代替停車が行われたのが
有名ですが、沿線の仙台貨物ターミナルが、従来の「宮城野駅」から改称されたのは、
大震災発生翌日のダイヤ改正日だったのですね。

改称早々に、余りにも大きな災禍を被った形ですが、少なからぬ関係があると思しき
仙台臨海鉄道も、被災箇所の復旧作業は確実に進捗中と見受けられ、復興に向けての
一指標として、今後も動向が注目されます。

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仙石線不通区間の代行バスは現在、松島海岸〜矢本で設定されており、松島市街では、
暫定折返し駅の高城町ではなく、中央公民館が停留所となっています。これは、実際
現地を運転した印象として、渋滞の頻発が推定される、町役場付近の市街道路を避け、
海際の「奥松島パーク・ライン」を経由する為の措置と想像します。

JRでは、代行バスの仙台側接続駅を、松島海岸と位置づけていますが、2002年まで
松島・松島海岸両駅に「選択乗車」措置が適用されていた点に鑑みても、代行バスの
ロスタイムを減殺するべく、東北線の駅に連絡する措置があっても、良さそうですね。
同公民館と東北線松島駅は、直線距離で 300m程度ですが、街区が高城川や仙石線で
分断されている為、現行体制では、連絡性は覚束ないのですが。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年12月 3日(土)17時13分6秒
タイトル お寒い限りでございます
 お寒うございます。「ED76109」であります。

 すっかり雪景色となりました「北の大地」であります。

 マロネロ38様

  ご無沙汰しております。色々とご配慮ありがとうございます。

 >旭川電気軌道の1000

  関係の資料等を確認しましたところ、「日本車輌の昭和30年製」。
「ノーシル・ノーヘッダのスマートな車両であり、製造当初から「ラジオ放送」をスピーカーで流す装置を
メーカーオプションにより備えておりました。
廃線後は、「旭川市立郷土博物館」に置かれておりましたが、
現在では「東旭川農村環境改善センター」で静態保存されております。


 >急行「越路」

  昭和38年の「三八豪雪」の際は、「106時間31分」もの遅延で
「上野」に到着した逸話は「釈迦に説法」でございますね。
小生、小学生の頃に当時の関係映像を拝見いたしましたが、
埋もれた雪洞を「EL」が真っ白になって旧客を牽いていた姿が印象的。
「上越線復旧」の際も、「上野・新潟」を最初に結んだのは「鈍行旧客レ」であったようであります。
しかし、この豪雪は小生が生まれた直後から始まったようであり、
何かにつけて誕生日の頃は話題にされたものでありました。


 長々と失礼致しました。
以上、「全国高等学校ラグビーフットボール選手権大会」への母校の出場に係り、
「PC日本海」で「決勝応援」を夢見る「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年12月 6日(火)14時55分58秒
タイトル 踏切の話
先日、用務先に向かう途中、少し重厚な「汽車タイプ」踏切警戒標識を見掛けました。
さすがに常磐線では見掛けなくなりましたが、水郡線や湊線ではまだまだ多い様です。
皆様の御住まいの地域の事情は如何でしょうか。

一方、私が東京都民の端くれだった四半世紀前に比べると、首都圏でも、渋滞対策が
主目的と思しき、旅客線の踏切解消が、相応に進捗した様ですね。それでも、我らが
常磐線では、日暮里駅北方(京成線との交差箇所)や北千住駅南方(東武線との分岐
箇所)の二箇所が残り、23区内のJR線では、貴重な存在と言えましょう。

並行する水戸街道では、葛飾区内にて、新金貨物線や京成金町線との踏切が、距離を
置かずに連続する辺りに、独特の風情がありましたね。幼少の頃、車で上京する際は、
これに筑波鉄道との踏切を加えた三箇所が「チェック・ポイント」でしたが、その後、
金町線踏切では高架橋による車線増(従来の踏切は並存?)が行われ、筑波線は廃止、
貨物便の運行頻度が小さい為か、新金線の踏切のみが孤塁を守っています。

安全対策の趣旨も相まって、平成改元後は、我が地元の様な田舎であっても、踏切は
逐次、解消傾向にありますが(新規開通した道路との間に立体交差が設置された場合、
JRは、近在踏切の集約解消を求める傾向がある様子)水郡線の常陸鴻巣〜瓜連では、
例外的に、農道との踏切が複数箇所、新設されています。

踏切設置に伴う信号管制の変更には、相応の費用を要しますが、更なる大金を投じて、
立体交差を構築するのは非合理的、との判断なら、列車の運行頻度や道路の通行量に
一定の目安を設けた上で、踏切を見直す措置もあり得るのではないか、と想像します。
長野新幹線では、小海線の側を高架化した佐久平駅など、高架区間を抑制する工夫が
窺えますし、完全一方通行制が原則の高規格自動車道でも、信号を介した平面交差が
散見される様になりました。これも時代ですね。

太田街道と日立電鉄跡の立体交差(常陸太田市三才町)では、バイパスの四車線化が
完了しない内に、電鉄が廃止され、陸橋化の必然性を失った上り用二車線分の盛土が、
空しく感じられます。




投稿者 赤まんと
投稿日 2011年12月 6日(火)22時00分39秒
タイトル 踏切について
雑魚さまから踏切についての書き込みがありましたので、私も一つ。
いきなり物騒ですが、先週土曜に、我が地元の駅構内踏切内で、明け方に大型トレーラーが脱輪。
宇都宮線が始発から約4時間余り不通になるトラブルがありました。
おかげで3時間半も出社が遅れました。
即、上司に連絡を入れ、幸いシフト制のため翌日の勤務シフトと入れ換えることで解決しましたが。
現場は狭い旧国道ながら、県道やバイパスにも通じる動脈として機能しています。
とくに駅前ロータリーから踏切に至る箇所の両側は、昭和40年代で時が止まったかのような家並みですし、
そこから少し歩いたところには遮断機の無い踏切もあります。ここでは6月に人身事故が起きています。
都内ではなるほど、近年急速に整備が進み驚かされますが、一方で近郊列車で30分程度の地域では、
様々な事情からか、整備されないまま宅地開発だけは進んでしまっていることに不安を覚えます。
マニアの視線で眺める分には、思わず笑みがこぼれる貴重な原風景ではあるのですが。

私は3年前の夏までの33年間を荒川区で過ごしたため、雑魚さまが触れられた日暮里の常磐線踏切はよく知っています。
実家から1.5km程度のところです。
錆びの浮いたコンクリ柱や、高架下住居や店舗。塀で午睡をむさぼる野良猫。
懐かしく、今も鮮やかに瞼の裏に浮かんできます。



投稿者 秋田のHO
投稿日 2011年12月 7日(水)11時48分26秒
タイトル オハネフ25-0番台/オハネ25-0番台の上段寝台昇降装置に関しまして
御無沙汰致しておりますです。

私は秋田で約34年間生活致しておりますが、実は今迄、開放式A寝台のオロネ24-0番台に乗った事が無く、
先日、ふと思い立ちまして、秋田駅のみどりの窓口で確認致しましたところ、
当日の青森発大阪行き日本海の開放式A寝台上段に空きがあるとの事で、
その日の日本海に、青森〜秋田でオロネ24-0番台に乗車致しました。

私は基本的に、
青森〜秋田の短区間乗車をする私のせいで、青森〜大阪のフル乗車をする人達の切符の手配に影響がなるべくないように、
と、考えまして、当日の昼頃に切符を購入したのですが、
私の勉強不足で、今回、今更ながら知りました事がございまして、
私は、もしかしたら、秋田で私が下車後、私が使用致しました寝台は、予備用交換用の寝具と浴衣に交換されまして、
その後の乗車に備えるのではないだろうか?、と、安易に考えておりましたのですが、
実際のところは、その列車に於きまして、誰かが一度使用致しました寝台は、
始発駅からの短区間乗車でありましても、その後は終点駅迄使用しないのだそうでございます。

本題の、オハネフ25-0番台/オハネ25-0番台の上段寝台昇降装置に関しましてでございますが、
当日の編成に、白帯化されましたオハネ25-0番台の32が組み込まれておりまして、
通路側の、上段寝台昇降スイッチもそのままの状態でございました。
勿論、その場で上段寝台昇降スイッチを押しましても上段寝台は動きませんでしたが、

・もしも現在、オハネフ25-0番台/オハネ25-0番台の上段寝台昇降装置の配電盤を操作致しまして、
上段寝台昇降スイッチを押しますと、上段寝台は現在でも昇降するのでしょうか?、
それとも物理的に機能停止状態にされておりますでしょうか?。

・トワイライトエクスプレスのBコンパートメント車輌も、この点に関しましては如何でしょうか?。

・オハネフ25-0番台/オハネ25-0番台の車輌新製当時、朝と晩に、上段寝台昇降装置は使用されておりましたでしょうか?。

たいへんすみませんですが、この点に関しまして御存知の方がおられましたら、
御教示御願い致したく、何卒、宜しく御願い致しますです。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年12月 7日(水)15時48分50秒
タイトル 踏切の風情
▼赤まんと様:
> 宇都宮線が始発から約4時間余り不通になるトラブルがありました。

蓮田駅の事故ですね。発生が平日ではなかったのが、せめてもの救いですが、確かに
駅界隈の街並みはその侭に、周辺地区での人口集積ばかりが進捗している印象ですね。
その分、駅周辺の踏切に皺寄せが行くであろう構図は、首都圏ではありがちな話です。

> マニアの視線で眺める分には、思わず笑みがこぼれる貴重な原風景

遮断機の仕様など、安全面における関係者の御苦労を度外視するなら、線路と道路の
交差角が浅くなればなる程、妙に「風情」を感じます。赤まんと様にとっては、田端
運転所と尾久車セを結び「はつかり」編成の方転にも供された連絡線(上段画像)が、
管理人様や理左衛門様にとっては、郡山市小原田地区の東北線踏切が身近な例ですね。
個人的には、日立駅から分岐していた日立セメント工場専用線(中段画像/廃止)が
最強事例です(^^)

同じ福島県では、福島市の飯坂町平野地区にある、福島交通と国道13号線との踏切が、
県道との交差点でもある為、警報機は無く、道路用の信号機で管理すると記憶します。
これまた「風情」を感じますが、こうした例は、全国的に多いのでしょうか?

> 雑魚さまが触れられた日暮里の常磐線踏切はよく知っています。

言わば「付け足し区間」ゆえの哀しさで曲線半径が小さい為、下りの特急が、上野を
同時に発つ上信越線特急との競争にことごとく敗北した直後に通過する事から、私は
密かに「屈辱の踏切」と称していました(^^)

> 塀で午睡をむさぼる野良猫。

下段画像の「猫のいる風景」は、横須賀線の久里浜駅の先、引上線の終端部付近です。
廃線を思わせる「トワイライト」風味ですが、時々、久里浜駅構内側線絡みの転線に
供される為 300m程度の引上区間に二箇所ある踏切のうち、片側二車線の大通りとの
交差箇所には、警報機が付いています。実際に稼動するのは、朝夕など、一日のうち、
ごく限られた時間帯と思われますが、結構、交通量の多い道路なので、一旦捕まると、
大ハズレですね(^^




投稿者 赤まんと
投稿日 2011年12月 7日(水)21時33分56秒
タイトル 田端と尾久をつなぐ短絡線
ここは実家から歩いて6〜7分の距離です。
国鉄末期までは、この画像の地点から200メートルくらい先でしょうか。
道路に一番近い線路にオエ61 21が留置されていたものです。
新幹線の留置線が整備される前は貨物列車が並び、初期形のDD13がたくさん居ましたし、田端に架かる橋は青色でした。
長く尾久に住んだ私には今でも、「田端機関区」「尾久客車区」がずっと通りがよく、
「車両センター」はなんだか力が抜けてしまうように感じます。
母親に至っては、「尾久機関区」が一番通りが良いとのこと。
組織改編があり、車両センターに改称された話をすると、「バカな話だ」と一蹴していました。
蒸気機関車が入換作業をしている時代に尾久機関区に社会科見学に出かけた世代で、じつにうらやましいです。
いちいち意識していなくても、C62やキハ81が走っているのを見ていたはずですからね。
短絡線を蒸気機関車が移動しているのは何度も見たと話し、当然当時は未舗装路。
だいぶ少なくなってはいたようですが、まだ馬や牛が車を引いていたといいます。
鉄道誌からは知りえない、生の昔話です。



投稿者 赤まんと
投稿日 2011年12月 7日(水)21時52分16秒
タイトル 寝台自動昇降装置について
秋田のHOさまからのご質問について。
現在では昇降装置を使うことがなく、安全のため機能しないようにしているはずです。
うろ覚えですが「トワイライトエクスプレス」では依然昇降装置を使っていて、係員のみ取り扱い。
乗客がいたずらできないようロックしているのではなかったかと思いますが、かなりあやふやです。
24形のように、3段寝台を2段寝台に改造した車両は、寝台を固定して、機能を外しています。
新製当初は昇降装置を活用していたはずですが、登場から6年で国鉄減量ダイヤ改正を迎え、
37年の車齢のうち、ごく短期間の使用に留まったと思われます。

私もじつはあのカバー内部のボタンは気になるのですが、本来触れてはいけない所です。
手っ取り早いのは乗務員に思い切って訊いてみることですが、
場合によっては余計怪しまれるかもしれず、難しいところです。
3年前の夏に乗ったときに、訊いておけば良かったです。この疑問は盲点でした。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2011年12月 8日(木)23時01分41秒
タイトル RE:寝台自動昇降装置について
>秋田のHOさま

新製直後の使用状況ですが、使用列車の始発駅発車時刻と終着駅の到着時刻がカギになるかと思います。
画像は新大阪到着時ですが、朝が早い(記憶では7時前あたりです)ので上段寝台は上昇させていません。
0番代は大阪口に投入されましたが、運行距離を考えると実際には宝の持ち腐れに近い状態だったと思い
ます。
このあと東京口には100番代が新製投入されましたが、車両の機能を考慮すれば、0番代をコンバートすべ
きでしたね。

昭和49年7月12日 新大阪駅

投稿者のホームページ



投稿者 ED76109
投稿日 2011年12月11日(日)08時17分10秒
タイトル 並行在来線の存続、いよいよ大詰め
 おはようございます。「ED76109」であります。


 今週、当地は件の話題で賑わっております。詳細は次のようになっております。


 1 「五稜郭・木古内」に係り、道は「バス転換」を撤回して
「第3セクターによる鉄道の存続」を、7日の道議会にて「高橋知事」が表明した。
同区間は、新幹線開通後も「JR貨物」による貨物レの運転が継続されるためであるが、
バス転換よりも鉄路による存続のため、「鉄路存続」のために、
今後30年間で「70億円弱の負担」を強いられることとなる。
「函館・北斗・木古内」の各市町は確認しているが、道も一部を負担することから、
第3セクター転換後に発生する年間「1億円」の負債負担をどう圧縮するのか、詰めの協議が注目されている。


 2 「函館・小樽」については、「函館・新函館(現渡島大野)」を
道が「第3セクターによる鉄道存続」に向けた主体的な意向を伝えるに至り、
「JR北海道」の経営分離案に同意する旨の確約を「函館市」が検討している。
そのため、「小樽・蘭越」の市町と加えて3市町が同案に同意する方向であり、
「余市・北斗」の2市町が態度を保留している。
しかし、「札幌・小樽」間は「JR北海道」が経営を存続する方針を提示していることから、
「余市町」の「JR」への不信感は根強く、協議は難航している。
しかし、新幹線の停車駅として確定的な「倶知安町」は積極的に賛成しているなど、
沿線自治体での温度差が著しい状況があり、年内合意は不透明である。

 3 「JR北海道」は新幹線開通後について、
「木古内・江差」間の江差線存続に向けた「DVM(ディアルモードビーグル)」の運用の検討、
及び「長万部・札幌(東室蘭経由)」での特急レの運転を示唆する旨を同社社長が発言した。


 どうやら、「コキ」は「青函隧道」を通過することができそうです。
しかし、そのことが「北斗星」「カシオペア」「トワイライトEXP」の今後に結びつかないというジレンマも・・・。

 今後も本件の報告をしてまいります。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。


 
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