倶楽部メモ(680)
平成23年10月 2日〜10月12日


投稿者 クモイ103
投稿日 2011年10月 2日(日)20時23分40秒
タイトル 36-10(サンロクトオ)50周年
1日過ぎてしまいましたが、戦後の国鉄輸送史を語る上で外すことの出来ない
昭和36年度白紙ダイヤ改正から50年が経過しました。
戦後の復興期からひたすら輸送力増強に追われてきた国鉄が、
この改正を境に、キハ82のデビューによる特急列車の大増発に象徴されるような、
ダイヤ構成面での質的な向上へと舵を切ったのでした。
高度成長時代の到来に呼応した輸送体系の構築はその後着々と進み、
7年後の「ヨンサントオ」で花開くことになります。

客車列車の関係では、「あさかぜ」をはじめとする九州特急に不定期列車「みずほ」が仲間入りし、
一方で直通客が減少した東京−九州間の急行列車は削減、東京−大阪間は153系電車急行の全盛時代となります。
あまり話題に上りませんが、いわゆるオハ31系に属する1等車のオロ30・31・オロハ30が
老朽化のためオハ27・26に格下げされたのもこの改正でした。

50周年シリーズも、いよいよ本格的な高度成長時代に突入していきます。



投稿者 ミキスト
投稿日 2011年10月 3日(月)09時35分32秒
タイトル 「まりも」14系化後の根室行き混合
いつも読ませていただいている某HPで知ったのですが,
旧型客車編成の急行まりもの座席車で運用されていた釧路−根室間の混合列車が,
まりもが14系化された後も旧型客車のままで運行されていたようなのです.
2両の客車はこの運用専属で釧路にいたのでしょうか.
ご存知の方お願いします.



投稿者 ED76109
投稿日 2011年10月 3日(月)23時42分58秒
タイトル 長距離鈍行受難の改正
 おばんでございます。「ED76109」でございます。


 クモイ103様

 小生、「サンロクトオ」であれば、「トカホセ夜行鈍行」削減スタートの年として、
長距離鈍行が淘汰されはじめた印象が強くございます。
「サンロクトオ」以前であれば、

 111レ  東京14:20 → 門司22:02(2日目)
 129レ  東京21:50 → 大阪10:27
 131レ  東京23:35 → 大阪12:29
 421レ  東京23:40 → 大阪14:50

 と4本の「夜行鈍行レ」が顕在だったのでありますが、「ロクサントウ」以降は

 143レ  東京14:56 → 姫路 6:52(227レ姫路7:00→門司20:21)
 145レ  東京23:30 → 大阪10:47

 と2本に減少の憂き目に・・・。
そして、「145レ」が「昭和42年10月1日改正」で「143レ」と列車番号を変えていったことは、
「釈迦に説法」でありましょう。
この「サンロクトオ」では、
「全国的に長距離普通列車の区間短縮(鉄道史を彩る15の名場面・昭和を走った列車物語・キャンブックス・浅野明彦著)」
とあり、他の「強兵」も鬼籍入りしたものがあるようであります。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年10月 4日(火)00時00分55秒
タイトル 「釧クシ」の残党でありましょうか
 連投失礼致します。「ED76109」でございます。

 ミキスト様

 「PCまりも」が14系化されましたのは、「昭和60年3月改正」であります。
そして、所属区は「札サウ」だったはずでございます。
前後して「同年59年3月」の段階では、
「釧クシ」には「釧路・滝川」に「422レ(421レ)」が担当レとして存在しており、
「スハフ44」が3両・「スハフ42」が4両、
そして「スハ45」及び「オハ47」が各1両ずつといった陣容でありました。
しかしながら、「客車列車走行記録」には「根室本線 滝川・釧路」のみであり、
「釧路・根室」には「客車レ」の走行は確認できません。
(参考「RJ9月号別冊・懐かしの国鉄客車列車・平成11年編」及び「日本鉄道旅行歴史地図表・新潮社編」)
ひょっとしますと、小生の得意な(?!)「勘違い」かもしれません。
他の先達の皆様方からの御教示をお願い致します。

 以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 ミキスト
投稿日 2011年10月 4日(火)08時56分6秒
タイトル 昭和58年のまりも
ED76109先生,返答深謝です.
私は詳しい資料を持っていないのですが,件のHPには主宰者の方の1983年8月の旅行記を写真とともに掲載されています.
まりもスハフ14-527で釧路着,ノサップにて根室に移動,11:35根室発の混合列車スハフ42-503に乗車されています.



投稿者 雑魚
投稿日 2011年10月 4日(火)16時35分29秒
タイトル 仙台臨海鉄道
先月末、大震災で津波の直撃を受けた、麒麟麦酒の仙台工場が、操業を再開したとの
報道がありました。今時、稀有な事ですが、同工場では、一部の商品出荷に仙台臨海
鉄道を介しており、法人としての麒麟麦酒は、同鉄道の主要株主でもあります。

掲出画像は、主要道に面した西側門付近(事業所外)で、林の中、人知れず途切れる
雰囲気が好ましい引込線の様子ですが、投稿動画によると、工場を挟んで、海岸とは
反対側の木立も、相当損なわれ、商品ケースが散乱し、トラックが至る所で横倒しに
なった様子が窺える「グーグル」航空写真と併せて、被害の大きさが改めて窺えます。

この引込線が、陸前山王駅からの本線と、スイッチ・バックを形成するヤード付近は、
空撮映像だけでは、鉄道施設が特定出来ない程に、損耗が激しく、仙台臨海鉄道では、
全体の四分の三の区間で、線路の再敷設を含む大規模修繕を要する状況の様です。

http://www.geocities.jp/rls_001/douraku/110330_s_rinkai/index.html

四月以来、復旧作業に着手している様ですが、末端区間が少しずつ淘汰される様子を
福島臨海鉄道で実際に見ている立場としては、これを機に、復旧区間を限定する事で
部分的に廃止する事になるのか、気になる処です。画像の区間にしても、工場南側の
積出施設まで延びていた線路が正門手前で途切れた、という事情が見受けられるので、
淘汰の対象になるかも知れません。

同じ宮城県では、岩沼と石巻に日本製紙の専用線があります。石巻工場のダメージが
大きかったのに対して、件の航空映像を見ると、岩沼工場は整然としている様ですね。




投稿者 雑魚
投稿日 2011年10月 4日(火)17時33分0秒
タイトル 長距離鈍行
▼ED76 109様:
>「トカホセ夜行鈍行」削減スタートの年として、長距離鈍行が淘汰され始めた印象

客レ鈍行が淘汰されて久しい現在、快速を含む、定期の長距離普通列車は、どの様な
陣容になっているか、ふと思い立って調べた処、今年六月時点でこの様な状況でした。

http://www.hat.hi-ho.ne.jp/nishimura/18kippulink/donko.htm

滝川〜釧路の一往復(上りは「狩勝」運用)が圧倒的か、と思いきや、それを上回り
岡山→下関という運用があったのですね。2009年に「富士/はやぶさ」が廃止されて
全線を走破する旅客便が無くなった山陽線にあって、大幹線としての往年の一体性を
感じさせる、せめてもの名残と言えるでしょう。

動力分散化の進捗に伴い、普通列車は素より、在来線特急すら細切れ傾向にあるのは、
高速道や航空網の充実で、鉄道での長距離移動需要が減少傾向にある為と存じますが、
ワンマン運転の都合もある為か、短距離利用客に主眼を置いた、と思われる、ロング・
シートの伸張が、助長している様にも感じます。

さりとて「鉄道アナリスト」氏が主張する(転換)クロス・シート本位は、首都圏に
出入りする便では、輸送力確保面で限界があるでしょう。並行新幹線が無く、高速道
整備も未だ未だで、特急本数も少ない中、鈍行での中・長距離移動需要が推定される、
羽越線や奥羽線(国内標準軌区間)で、ロング・シート一辺倒だった 701系の一部が、
その後、セミ・クロス仕様に改められた様な対策が肝要と存じます。

以前、広島界隈で何度か利用した 転換クロス・シート仕様の 115系 3000番台の様な
作風であれば、上記の岡山→下関に試乗するのも、一興と存じますが、実際の運用は
どの様な状況なのでしょうね。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年10月 4日(火)21時05分24秒
タイトル 訂正と戯言です
 おばんでごさいます。「ED76109」でございます。

 ミキスト様

 まず、「PCまりも」は「昭和57年11月」の段階で、既に「ハザの14系化」がなされておりました
(完全14系化は同58年)。失礼致しました。訂正致します。
ところで、ご指摘の部分でありますが・・・。これは、当方では確認する術が現状ではありません。
先達の皆様方の御教示に期待したいところであります。

 雑魚様
 >滝川〜釧路の一往復(上りは「狩勝」運用)

 今年の夏、当地では「日本最長距離鈍行列車乗車証明書」を発行しておりました。
「釧路駅」で何か「滝川」から乗車したことを証明するモノがあれば、発行というものだったようであります。
ただ、日高山脈の山並みや広大な十勝平野、そして太平洋の大海原という変化に富む車窓風景といい、
「乗り鉄」の魅力度は高いと小生は考えております。


 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雪だるま
投稿日 2011年10月 5日(水)22時11分37秒
タイトル スハフ42 503について
スハフ42 503釧クシは旧客末期の昭60〜61年は函館に貸し出されていました。
61年8月で全検切れになっています。506も同時期函館に貸し出されていました。
末期は盛岡からも函館に貸し出されておりました。以上補足まで。
以前話題になっていました北海道のSL列車の客車は旭アサの所属です。
今はSLニセコ号用に旧客が苗穂運転所に派遣されています。



投稿者 青列車
投稿日 2011年10月 7日(金)15時10分56秒
タイトル 【山陽115系】共通運用です
>>雑魚様

>実際の運用はどの様な状況なのでしょうね。

タイトルだけで済んでしまいますが、山陽本線の115系は2ドアも3ドアも今では共通運用です。

それでも広ヒロ持ちであれば、在籍115系は全て30N・40N更新工事を受けた転換シート装備車ですから
当たり外れはあまりありません(30N車と40N車では多少造作が違いますが大佐はありません)が、
広セキ持ちの場合、3000・3500番台のN編成も、未更新セミクロス車内のC編成・G編成・H編成も共通運用で
日によって何が入るか判りません。
また普段広ヒロ車の入る運用に広セキ車が入ったり逆に広セキ車の運用に広ヒロ車が入ったりといったことも日常茶飯事です。
長距離移動で長時間乗車する時N編成やL編成、O編成といった転換シート車にあたればいいのですが、
シートピッチの狭い300番台やクハ111初期型に当たる場合もあり油断がならないのが実情です。



添付画像1枚めは2ドア転換クロス3000番台のみで組成された広セキN-07編成です。
このタイプは座面も背もたれも柔らかく個人的には地元の115系では一番好きな車種です。
N01〜N12は正調3000番台、N14・N16〜N21はモハユニットが元117系の3500番台で、
モハ車は転換シートがかなり撤去されロングシート部分が長くなっています。
N13とN15は欠番で、クハの3013・3113はO-02編成、クハ3015・3115はO-01編成で、3ドアモハユニットと手を組んでいます。



添付画像2枚めは3ドア転換クロス化された広ヒロL10編成です。
2000番台主体で組成され1部1000番台が混ざる程度です。
L01〜L13は40N更新車で車体の造作も変わりましたが、
L14〜L22は30N更新車で車体外観では塗装以外目立った変化はありません。
尚L11編成は全車2000番台トップナンバーです(下関方よりTc'2001+M'2001+M2001+Tc2101)。



添付画像3枚めは未更新車の広セキG-02編成です。御覧の通り真っ黄色(通称末期色)1色になりました。
モハはシートピッチの狭い300番台、画面では見えませんが最後尾はクハ111-139です。
お世辞にも居住性がよいとは言えないこんな編成も長距離運用には分け隔てなく登用されています。

叶うことなら現在新山口〜下関間に封じ込められている117系のうち車内が原型のC101〜103編成辺りが
長距離運用(それも出来れば途中小駅は通過し拠点駅・代表駅のみ停車の快速列車)に就いてくれれば嬉しいのですが、
2ドア車だと広島都市圏での客扱いに力不足であるせいか?中々顔を出してくれない
(偶に臨時列車や貸し切り列車等で新山口以東に足を延ばす事があります)のが実情です。
投稿者のホームページ



投稿者 ED76109
投稿日 2011年10月 9日(日)19時27分11秒
タイトル 111系で「セノハチ」越えは・・・
 連休も関係なく何処にも行けない「ED76109」であります。

 「山陽本線」のEC鈍行には、何度かお世話になり、平成15年には「岡山・下関」を「乗り鉄」させていただきました。
しかし、考えてみれば、昼間の「セノハチ」は文字通り「勾配を下」るばかりで、肝心の「上り」は「夜行レ」で殆ど闇の中。
遠軽勤務時代の平成8年、「修学旅行の自主研修」で「原爆資料館」見学希望者が出た年に、「EC鈍行」で往復できました。
「瀬野」を発車した「115系」は、「モーター」を唸らながら左右にカーヴを登って、晩秋の山並を越えて「八本松」へ。
通りかかった「広島車掌区」のカレチ氏に、「『111系』では(勾配越えは)無理ですか」と伺ったところ、
「(出力?が)足りないですね。103系も走れませんから。」と一言。
往年の「PCかもめ」や「つばめ(151系)」、「宮島(153系)」等も
「C59」や「EF59」が助太刀して山越えしていたことに、小生納得しました。

 長々と失礼致しました。
以上、「上郡・三石」、「本郷・河内」と「山陽本線の山越え」に魅力を感じていた「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年10月10日(月)16時39分8秒
タイトル なんちゃって 湘南色
▼青列車様:

山陽線 115系に関する詳細を有難うございました。長距離便も当たり外れがあるとの
結論ですが、当該便を全区間乗り通す需要は、かなり「非日常的」なので、運用上の
考慮を要する程の事でもない、という事でしょうか。

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ED76 109様が言及された「セノハチ」に関して地図を改めると、この区間は、終始、
海田市付近を河口とする瀬野川の谷を往来するだけなのですね。上流の西条盆地には、
然したる分水嶺は、見当たりませんが、三原に流れる沼田川や、呉に流れる黒瀬川も、
発しています。東広島所在の広島大学に関係した知人によれば、広島市との気候差は、
降雪の有無を含め、かなり大きく、地理学的には、ワンダーランドの趣すら感じます。

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掲出画像は、この週末の様子です。田町の基地機能移転を控えて、尾久車セに屯する
ブルトレは、いよいよ少なくなりましたね。上野駅の地平ホームにて「なんちゃって
湘南色」185系を、側面から見ると、長距離列車で活況を呈していた 1980年代以前を
髣髴とさせる様で、これに列車ごとの乗車口案内板の演出が加われば、感涙モノです。




投稿者 雑魚
投稿日 2011年10月12日(水)10時37分14秒
タイトル 越中島
TDL絡みの団臨(こだま色 485系)撮影で、京葉線に赴いた序に、越中島貨物駅を
再訪しました。たまたま「双子の犬」の稼動シーンを目にしまして、延長 200m程の
引上線にあって、わざわざ終端部ギリギリまで寄せていました。線路の錆取り目的が
あるとすれば、長編成の工事列車が入替転線に使う事もあるのかと、想像します。

約十年前の、小名木川駅の廃止後は「ウィキペディア」によれば、レール輸送列車が
一日三往復残るのみと、越中島支線(総武貨物支線)は、すっかり寂しくなりました。
一部区間のLRT転用案もある様ですが、収支見込上、今の処は実現性は低そうです。

一応、保守車両用に、京葉線と線路が繋がっていますが、越中島貨物駅の構内配線上、
スルー運転は出来ません。仮に解決できたとしても、亀戸方面から東京に向う列車が、
片渡り線で京葉線下り列車のダイヤに多々干渉する事となり、これも非現実的ですね。

越中島貨物駅の開業は1958年ですが、その後、時期や編成は不明ながら、旅客列車が
入線した事があるそうで、どの様な内容だったのか、気になりますね。客レかな?




 
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