倶楽部メモ(667)
平成23年 7月26日〜 7月30日


投稿者 旧狩勝線を楽しむ会
投稿日 2011年 7月26日(火)21時52分26秒
タイトル Re:身延線モハ62
マロネロ38様

当時登場したばかりだったと思うのですが乗りました。
車体はどうみても横須賀線111系のようで、
車内はピカピカ。でも動き出すとツリカケ音。不思議な感じがしました。
写真も沼久保駅で撮ったことありますが、雨でまともな写真にならず
一応投稿しますが、足元がみえずちょっと残念ですが、形式にクハ44の文字がみえます。

純粋な旧型国電のほうが多かったと記憶していますので、
乗車頻度はあまり無かったです。富士駅に停車中のを見たりたまに乗ったりという感じです。

それも気がつくと旧型国電とともに消え去り、赤に白ラインの115系(荷電も同色)になってしまいました。
あまり詳しい記述ではなく申し訳ありません。記憶だけだとこのような感じです。




投稿者 スカセン
投稿日 2011年 7月26日(火)22時42分56秒
タイトル Re:東海・ごてんば&ジャンパ線
物の本で読んだ昔の(話の)記憶で恐縮ですが…。
それによると、初期の東海・御殿場はカキ区の153系12B+シマ区の165系3B?でした。
そして当時のシマ区の165系は横軽対応のため方転していました。
そうすると、ジャンパ線の繋ぎはどうなっていたとかということになりますが?
当時の急行形は非冷房の両栓車で、そのためジャンパ線の繋ぎに関しては問題なかったと
記されていた記憶があります。
ところで話は変わりますが、クハ79200代や更新前のモハユニ81は
トカホセ基準の下り方助手席側前面にもジャンパ線受けが付いていました。
いうまでもなく、先頭車のジャンパ線はトカホセ基準の上り方運転手側に収納されていましたから、
上記のジャンパ線受けは無用の長物と考えています。
これらのジャンパ線受けの存在理由をご存知の方は、ご教示いただけると幸いです。



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 7月26日(火)22時49分27秒
タイトル Re2:身延線モハ62
横から失礼しますm(_ _)m。

「クハ44」でなく「66」ですね。

身延線に登場した113系モドキのいわゆる「62系」は、モハ72・クハ79の下回りを流用して車体を新製したもので、
クハ66−モハ62−モハ62−クハ66の4両編成で運転されました。
車体形状の特徴として、旧狩勝線を楽しむ会 様が撮影された写真でもわかるように、
車体の裾の絞りが最下部で垂直に戻っています。
これは、種車の台枠端面が垂直なところへ裾絞りのある車体を無理やりかぶせたための苦しい処置で、
113系との外観上の大きな識別点となっています。

ちなみに同じ時期、仙石線にやはりモハ72・クハ79ベースで車体新製の103系モドキが登場しています。
こちらは種車と同じ4ドアロングの通勤型なので別形式にならず、クハ79600番代・モハ72970番代を名乗りました。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 7月26日(火)22時52分21秒
タイトル 懐かしき国鉄時代
 先達の皆様方、ルーティンワーク的にお邪魔しております。「ED76109」であります。

 先達の皆様方のお話を伺っておりますと、昭和40〜50年代が小生には、
最も「鉄」的に満足していた頃のように思われます。
とにかく「戯言」を並べてみます。


 1 「マロネロ38」様ご指摘の「名古屋発広島行PC」ですが、JTBキャンブックスの「昭和を走った列車物語」の
「夜行普通列車変遷史」に「昭和28年11月21日、新垂井付近」で撮影されたスナップが掲載されております。
牽引機はC62であり、狭窓の「スハ32」が主体の編成。時刻は不明でありますが、列車番号は「411レ」。
先頭の3両は後ろに「ニ」が連結されていることから、途中の「京都」までの付属編成だったと言う話を
別な資料で読んだ記憶があります(しかし、出典ははっきりしていません)。
別な写真では、先頭の3両が「マハ」系列だったという記述もあったように思っています。
旧形式(新形式も?!)に疎い小生、どのような「変遷」でハザにたどり着いたのでありましょうか。
気になるところであります。

 追伸 乗車可能であれば、「京都・鹿児島」を「制覇」したであろうと思います。


 2 「雑魚」様、「旧狩勝線を楽しむ会」様及び「クモイ103」様ご指摘の「EC東海」でありますが、
小生の手持ち「昭和48年6月度時刻表(JTB版)」を確認しますと、
「品川始発」の「東海2号」に増結されていた「ごてんば2号」のみが臨時レとして運転されておりました。
「東海1号及び東海3号」に増結されていた「ごてんば」は定期レであります。
実はこの時代、小生が気にしていた「臨時EC急行」がございました。
それは「東京20:45発・下関15:05着」のダイヤで運転されていた「長州(7101М)」であります。
当時の最長距離運転の「EC急行」。確か、修学旅行用の「167系」で運転されていたはずなのですが・・・。


 3 「雑魚」様ご指摘の「115系上諏訪行夜行」でありますが、その後の「平成4年3月14日改正」で
「441М→1521М」と列車番号を変えて、「上諏訪→甲府」へと行き先も変わりました。しかし、実際は・・・。
「甲府」に「2:25」に到着した後、「4:00発421М松本行」としてそのまま「直通」していたのであります。
「時刻表」に直通の記述がなかったからでありますが、解釈上は
「甲府に停車している車両を『待合室代用』として開放しているにすぎない。よって直通レとは見なされない」
ということのようであります。(JTBキャンブックスの「昭和を走った列車物語 アルプス定期便」より)


長々と失礼致しました。以上、母校の夏が「西東京大会準々決勝」で終焉を迎え、
「マンボ」の夢が潰えてしまった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 旧狩勝線を楽しむ会
投稿日 2011年 7月26日(火)23時05分4秒
タイトル Re:身延線モハ62
クモイ103様

> 「クハ44」でなく「66」ですね。
ですね。ボケボケ写真で44に見えてしまいました。大変失礼しました。
全体を撮影した写真がありました。でもやっぱりボケボケです。
もっと真剣に撮影しておけばよかったと後悔しています。

撮影場所は富士駅です。




投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 7月27日(水)00時03分28秒
タイトル クアラルンプル駅の地下ホーム
 ハジャイとは大違いのピカピカ、近代的な駅です。



1枚目:列車の最後尾まで行きました。



2枚目:2番ホームの表示ですが、日本語があります。



3枚目:エスカレーターもあります。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 7月27日(水)09時41分2秒
タイトル クハ66−モハ62
旧狩勝線を楽しむ会様、クモイ103様:
写真とご解説有難う御座いました。66+62+62+66だったのですね。
車体裾の絞りが最下部で垂直は旧型車の台枠の関係−−−−−−の話は何かで読んだ
記憶がありました。

ED76109先生:
マンボ今年も駄目でしたね-相手が悪かった。
トワイライトもお預けでまあ来年のお楽しみですね。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 7月27日(水)14時18分10秒
タイトル 急行 「アルプス」
甲府で長らく時間調整をしてまで、上諏訪行の夜行便が中央線に設定されていたのは、
蓼科方面を志向するハイカー需要の産物を反映した結果なのでしょう。それにしても、
デッキの無い近郊型による夜行便の評判はどの様なものだったのでしょうか。かつて、
上野〜長岡に存在した 115系便を厳寒期に利用した知人によれば、扉が開閉される度、
冷気で、とても寝ていられるものではなかった、と述懐していましたっけ。

当時は、165系急行「アルプス」の定期夜行便も、9・11号として続行運転されており、
私も、歌舞伎町で一杯引っ掛けた後、ワイド周遊券にて何度か利用した事があります。
どちらも南小谷直通ですが、9号は みどり湖経由で、信濃森上まで急行扱い、11号は
辰野経由で、松本から普通列車扱いと、微妙に棲み分けていました。

辰野では飯田線、松本では松本電鉄(今春から「アルピコ交通」に改称)で、未明の
時間帯にもかかわらず、接続便が存在していましたが、上高地線では今なお、JRの
臨時夜行便に接続する早朝便が健在なのですね。

松本〜上高地の移動も、相変わらず、新島々で鉄道とバスを乗り継ぐのが基本の様で、
競争力確保の為、なるべく乗換えの手間を省きがちな、近年の公共交通機関の傾向に
あっては、珍しいと感じます。それもこれも、一般車両の進入が制限される上高地の
特殊性ならではの産物でしょうか。その一方、上高地方面を巡る松本発着の定期観光
バスは、いつの間にか廃止されていました。

当時「あずさ」との棲み分けにおける「アルプス」の存在意義の一つが、大糸線への
直通性にあったと感じますが、昼行の優等列車が特急に一元化された現在、大糸線に
直通する「あずさ」定期便は、僅か一日一往復にまで減ってしまいました。首都圏と
大北地区(大町・白馬)を結ぶ主要な導線が、長野新幹線+バスに移行した為ですが、
個人的には、新幹線の速達性も然る事ながら、飯田線と同様、元々が地方私鉄規格で、
平均駅間距離が相当小さい大糸線や、複線化が覚束ない三鷹〜高尾のダイヤ事情から、
特急が本来の速達性を、必ずしも発揮できない事も、作用している様に感じます。



投稿者 ED12
投稿日 2011年 7月27日(水)22時31分20秒
タイトル 気動車急行「アルプス」
昨日のことのように思い出しますが、その頃の急行「アルプス」はキハ58系の気動車でした。
当時通学利用で、新宿駅から中央快速で御茶ノ水へ向かいました。
毎朝同じ時間、超混みの中央快速の車内へ潜り込むと、窓越しの隣の下り線路にゴロゴロとアイドリングの音を響かせて
急行「アルプス」がいまや出発の体勢でした。
窓越しにディーゼルの排気の匂いと甲高いエンジン音がして急行「アルプス」が動き出すと、
なん両目かにキロの2等車が移動していきます。
キロの大きな窓の上部に付いた“ブルーの日よけ”がなんとも格好よく、今でも目に焼きついています。
朝なのに座席を寝かせて一杯やっている乗客も見かけました。
まだ中央高速も無く、当時、中央線の八王子から先は本当に旅の“いい時代”でしたし、
私にとって「日本アルプス」は一度は登ってみたい神聖な山でもありました。
その「アルプス」の地下に穴を開け、浜岡原発の電力をあてにした「リニア新幹線」を通すとは・・・!



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 7月28日(木)02時19分6秒
タイトル 日本語の多いクアラルンプル駅
 写真は、駅の1階です。

 東南アジアにしては、良く図示されている方です。でも、なんか図の方向がずれていたりして、イマイチ。

 午前6時前、まだ外は真っ暗。7−11だったかコンビニと、24時間営業のマクドナルドなどが開いていました。
ハジャイ式の古い屋台は無し。


 良く眠れなかったのがたまたまこの時だけだとすると、マレー鉄道の方が近代化され、発展しているし、
企業体としても線路の増設などなされており、しっかりしていると思います。
しかし、食堂車や車内販売が無いなど(昼行の列車にはあるのかもしれませんが)、
合理化されて味気ないようにも思えます。

 東南アジアの鉄道に初めて乗るのなら、タイよりもマレーの方がベターかもしれません。タイは事故もストも多いので。
 トハイウモノノ、マレーは安全だと保証するものではありません。逆に私が今後、タイの鉄道に乗ることもあり得ます。




投稿者 雑魚
投稿日 2011年 7月28日(木)15時19分16秒
タイトル 富士急の キハ58
▼ED12様:
> その頃の急行「アルプス」はキハ58系の気動車でした。

長崎線急行「出島」と多層建を組んだ、島原鉄道急行の「赤髭」の様な独自塗装こそ
ありませんでしたが、富士急が自社線直通用に調達した車両も併結されていましたね。
この多層建体制の継承先と思しき「かいじ」「かわぐち」では、1970年代、一部便に
115系が充当されていましたが、普通列車用として健在だった 80系との比較において
必ずしも「遜色急行」とは見なされなかったとか。

富士急製キハ58は、約20年前に、有田鉄道で両運転台仕様車に乗る機会がありました。
当時はまだ、紀勢線湯浅への直通体制が残っていましたが、乗客は終始、私一人だけ。
これで鉄道経営が成り立つのか、と感じましたが、同地では、紀勢線より歴史が古く、
藤並〜湯浅(蜜柑の積出港)の乗り入れは、戦時下集約策の名残なのですね。流石は
紀伊国屋文左衛門を輩出した土地柄だけの事はあります。

▼XD 1様:
> 日本語の多いクアラルンプル駅

日本人の旅客需要が比較的、多いのでしょうか。或いは「ルック・イースト政策」を
推進した、マハティール政権時代の名残の様にも思えますが、それなら、ハングルの
併記もありそうなものですよね。

▼きむたお様:
高速的鉄路事故,在那裏也大好象被引起騒動。有本来的的建設的目的対背后眼晴完全
出来了的事的印象(溜息)



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 7月28日(木)23時50分36秒
タイトル 懐かしき国鉄時代2
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 急行「アルプス」を巡るお話は、興味がございますねぇ。
以前にも記させていただきましたが、小生「中央東線」に対しても様々な思いが・・・。
旅に出られぬ憂さを「戯言」で晴らさせて下さいまし。


 1 中央線が、山岳路線として有名であることは、先達の皆様方には釈迦に説法であると思います。
しかしこの条件が幸いして、昭和6(1931)年には「甲府」までの電化が完成しております。
牽引機は「ED14・16・17及びEF11」、甲府以西は「D50」の時代。
しかし、冬季は乗客は煤まみれでありました。旧型ELには「PC」へ暖房を送る機能が無かったからであります。
そこで、連結されたのが「暖房車(ヌ)」であり、昭和40年代の後半「EF64」が投入されるまで、
この状況は継続しておりました。
どういうわけか、同じ山岳線区である「上越線」も「清水隧道」のある「水上・石打」でも、
同様の措置が施されておりました。


 2 「中央東線」の旧客レは、昭和49年の4月の春休みに「421レ」で制覇いたしました。
しかし、当時の所属区「西イイ」(飯田町客貨車区)は、3往復程度の「旧客」の配置のみであり、
小規模の車両基地だったのであります。
そこで、「山男」たちの利用定番レであった「425レ(新宿・長野、普通夜行レ)」が
「115系」に置換されるのを契機に、「旧客列車」存続運動がマスコミを賑わしました。
結果は「115系(西ミツ)」の置換が実施されたのですが、
登山客が増加する夏季に「9431レ」が「新宿・岡谷」に運転されることとなり、「登山列車」として話題に。
なお、「9431レ」は「南シナ」所属の「臨時レ」用の「PC」で運転され、
「川崎」や「相模線寒川」に留置されていたことも「先達」の皆様には、「釈迦に説法」でございましょう。


 3 「中央東線」は、変動性の高い登山客が多く、臨時列車が運転されている割には、
予備の車両が少ないという話を聞いたことがございます。
そのため、当時の「国鉄」は、車両確保に苦労を重ねていたようであり、
「新宿・甲府」に運転された臨時EC快速も「101系」が運用に当たったこともございました。
現在は線路密度が高く、「雑魚」様ご指摘のように「高尾・三鷹」間の「複々線化」も間々ならぬ状況。
ですから、「松本」や「甲府」始発の「上り鈍行EC」は、全て「高尾〜立川」で打ち切りという寂しい状況であります。
前述させていただいておりますが、「トカホセ」の「長距離EC鈍行」も数少なくなり、
「鈍行レ乗り鉄」としては寂しき限りであります。


 長々と失礼申し上げました。
以上、「来年の母校のセンバツ出場」を今から応援している「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 7月29日(金)09時36分46秒
タイトル 中央線の特殊事情
▼ED76 109様:
>「旧客列車」存続運動がマスコミを賑わしました。

同様の逸話は「ヨンサントオ」における大垣夜行(143・144レ)でも、ありましたね。
こちらは、スジそれ自体が廃止される事に対する存続運動だった様ですが。

>「川崎」や「相模線寒川」に留置されていたこと

現在の川崎駅の様子からは、編成留置のイメージが掴み難いですね。寒川駅では元々、
支線が分岐していた事もあり、区間便用の留置側線があった様ですが、相模線は当時
非電化なので、回送の際、DLの担当区間がどの程度に及んだのか、気になりますね。

>「松本」や「甲府」始発の「上り鈍行EC」は、全て「高尾〜立川」で打ち切り

中野〜立川が直線で敷設し得た経緯を考えると、複々線区間が三鷹までという状況は
もどかしくすら感じますが、これが進捗していれば「スカ色」の115系が 特別快速を
補完する位置づけで、一律、新宿発着となった可能性を感じます。

115系の 高尾折返し体制については、交通の一大要衝たる八王子を結節点とした方が、
判り易いかと感じていましたが、同駅の中央線ホームは長らく、上下線を合せて一面
二線状態と、緩急接続すら覚束なかった様子で、止むを得ない措置だったのでしょう。

115系が かくも「冷遇」された背景として、高尾の先、小仏峠以遠から山間部となり、
沿線人口が急激に減少する事に伴う、旅客需要上の特殊事情も、作用したと感じます。
撮影名所である新桂川橋梁の背景に象徴される住宅地造成の進捗によって、通勤型の
大月進出が、この四半世紀でかなり増えた印象ではあるのですが。

こうした需要も、さすがに笹子峠は越えないでしょうから(一方「東京近郊区間」の
指定が韮崎まで及ぶのは、山梨県が関東地方に含まれるか否か、との議論も相まって、
釈然としない気も致します)そのうち 115系の淘汰と、後継の近郊型の状況次第では、
運用上の結節点が大月に後退する可能性もあるかと、踏んでいます。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2011年 7月30日(土)00時12分15秒
タイトル 1区間のみ新高架電車に
 とりあえずバスターミナルへ移動しようと思いました。

 手元のガイドブックを見ると、ここから1区画、Central Market駅まで高架電車に乗り、さらに少し歩くと良いようで。
一応駅にも高架電車の案内図もあるのですが、どうも分かり難い。
複数の高架電車路線がこの新KL/KL CENTRAL駅に集まっているのですが、切符売り場や改札も路線毎に別々。

 ちなみに高架電車の改札は、画像にあるような自動改札です。
これとは別の長距離の夜汽車では、ホームの出入には改札はありません。

 やっと分かったんですが、Central MarketがPasar Seniと現地語表記になっているんですけ。
Pasarはバザールで市場/マーケットなの? Seniはセントラルなの?

 ふっ、やれやれ。この電車にもう少し乗ると、KLCCにも行くようです。
KLCCは、クアラルンプルに新しく建てられたバベルの塔、、、じゃなかった、バブリーな高層ビルです。
http://www.suriaklcc.com.my/index.htm

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 直ぐにバスでタイに戻ったんで、マレー滞在は短いものでした。その範囲では韓国語は目にしませんでした。
ちなみに自分は、日本のネット世論の大多数と同じで嫌韓流です。




               
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