倶楽部メモ(656)
平成23年 5月20日〜 5月27日

通勤型客車の内装 ・ 尾久移管後の「出雲」の車両


投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 5月20日(金)10時45分47秒
タイトル 山陽本線兵庫‐和田岬
ED76109先生:
廃線問題は神戸市長が、兵庫運河に観光船を走らせたいから、鉄橋が邪魔になるので
廃止しろ:-と阿呆な事を言い出した為です。
現在神戸の繁華街は三宮地区に移っており、神戸駅南のハーバーランドもビルから
コンビニ、スーパー、百貨店の撤退続出で阪急百貨店も来年賃貸契約切れで撤退の方針です。

更に西の兵庫地区で観光開発をしても大赤字が丸見えですが、神戸市長の本音は「乗客
数が伸びず見込み違いの大赤字地下鉄海岸線」にJRの乗客を取り込もうの魂胆が本音です。

三菱重工への通勤者も兵庫からならJRの通し運賃で行けますが、海岸線だと新長田か
三ノ宮乗り換え後者は海岸線ターミナルの(花時計前)まで少し歩く必要があり、
運賃も高くなり、会社も通勤定期代の負担が増加します。

東洋一と言われた市電の全廃とか、今度の和田岬問題とか、戦後の神戸市が交通政策で
ポカばかりしているのには、神戸出身の私にも歯がゆく思えます。B50だのナハフ
14070(旧播丹鉄道ナハフ500)だの、あらゆる木造雑型客車の宝庫だった兵庫‐
和田岬は面白い線区でした。廃線なんてとんでもない事です。



投稿者 のり
投稿日 2011年 5月20日(金)12時20分52秒
タイトル 通勤型客車の内装
>仙コリ様 クモイ103様 ED76109様
まずは恐ろしい車などと語弊があった事をお詫び申し上げます。
個人的には決して嫌いな車な訳ではなく、むしろ優等車が改造を受け地味なローカル運用に細々と就いている…
想像しただけでもムラムラする琴線ど真ん中な形式でして、
過去こちらでも度々話題になるのも私と同好の方が多いからだと思います。
考えみればこれら通勤型客車も419、715系電車の様に
登場時の国鉄の情勢を反映する車両のひとつなのかもしれませんね。
また内装についても背ずりや蹴込み板も無い車は車歴表を見ると早期に廃車されている様ですし、
四国で晩年まで使用された車は背ずりが付いていたところをみると、
世相のニーズに合わせた再改造も行われていたのかもしれませんね。
あくまで想像の域を出ませんが。
御解説ありがとうございました。また何か新たな情報がありましたら教えて下さい、よろしくお願いいたします。



投稿者 竹中@ノーブルジョーカー
投稿日 2011年 5月20日(金)21時21分42秒
タイトル RE:尾久移管後の「出雲」の車両
>?バンブーさま

尾久に移籍後の「出雲」用25形ですが、日常的な洗浄・整備はJR西日本・JR九州の車両とともに引き続き
品川で行われていました。予備車も各形式1両づつ程度は品川に置かれ、検査切れ間近な車両との差し換
えも品川で行われていました。
したがって、毎日編成ごと尾久へ回送されていた訳ではありません。

寂れゆく品川を見てきましたので、私にとってこの風景は当然のことなのですが、見ていない方々にとって
は知らない世界なのでしたね。言葉が足りなかったですね。
投稿者のホームページ



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 5月21日(土)00時07分50秒
タイトル Re7: 通勤型客車の内装
のり様

いささか言い過ぎた様で失礼しました。
私自身、実はオハ41のような超ロングシート車は好みでないのですが、

> 優等車が改造を受け地味なローカル運用に細々と就いている

という点で捉えれば、また興味も湧いてきますね。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 5月21日(土)13時10分31秒
タイトル 和田岬線の前途は如何に?
 失礼申し上げます。「ED76109」でごさいます。

 クモイ103様

 いつものように(!?)小生のエラーをホローくださり、心からお礼申し上げます。
昭和47年の春に、従兄の結婚式に参列するため「西出水・阿久根」を旧客鈍行レで往復。
その帰路に乗車したのが「オハ41」だったと思っております。
「西出水の改札通路」の位置に近いと親戚一同で乗ったのですが、
「客車なのに山手線?」といった感じでキョロキョロしていた記憶がございます。


 マロネロ38様

 小生、「神戸新聞」のサイトを確認したところでは、
「平成24年度廃止」が決定しているかの書きっぷりであり、正直暗澹と致しました。
阪神淡路大震災の影響で、沿線住民の方々が減少してしまい、ハーバーランドも今一つの状況。
多額の赤字を抱えている「神戸市交通局」の意向が色濃く反映されているようであります。
しかし、小生の贔屓である「103系」が走っているのあれば、
何があっても「和田岬線存続」に一票の思いが湧いてまいります。
沿線途中の「可動橋」を動かすことで、課題解消とはならないのでしょうか・・・。

 失礼致しました。以上、再訪して「103系」に乗車したい「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 赤まんと
投稿日 2011年 5月21日(土)22時10分15秒
タイトル 尾久移管後の14系と24系
私は2008年6月まで、33年余りを尾久で過ごしました。
家の窓から簡単に行き交う列車を眺められる環境に育ち、客車好きになるのは運命そのものといえました。
1994年12月ダイヤ改正の品川から尾久への移管は、まさに書類上の措置です。
元品川車は全て定期運用を失い、94年末に「あさかぜ81、82号」に使用されたのちは、
廃車解体されるまで尾久や東大宮に留置されました。
引き続き「出雲」に使われた24系は、既に92年春からオハネ2両とオハネフ1両が半ば固定組成となり、
構内入換作業効率化が図られています。
運用や検査の都合上、この組成が崩れることもしばしばでしたが、概ね、以下の車番の組み合わせでした。

オハネ25 35+25 221+オハネフ25 122
オハネ25 36+25 146+オハネフ25 123
オハネ25 141+25 226+オハネフ25 128
オハネ25 143+25 208+オハネフ25 124
オハネ25 144+25 214+オハネフ25 204
オハネ25 145+25 224+オハネフ25 126
オハネ25 150+25 209+オハネフ25 203
オハネ25 217+25 225+オハネフ25 120

オハネ25の車番順に記しましたが、例えばオハネ25 35とオハネ25 221の順列が逆になることはしょっちゅうでした。
1997年頃はこの組成が入り乱れることが多かったですが、のちに復旧しました。

3両単位で同時に全検を受けていました。

例外はオハネ25 217+25 225+オハネフ25 120です。
このブロックはオハネ25 225のみ検査周期が不一致でした。

なお、オハネ25 145+25 224+オハネフ25 126はなぜか2001年12月〜02年3月にかけ、バラバラに全検を受けましたが、
その次の2005年9月の全検は3両同時でした。

車番と全検時期マニアによる、ディープなネタですが、裏ネタとして多少のお役に立てばと思い、投稿した次第です。



投稿者 理左衛門
投稿日 2011年 5月23日(月)21時18分26秒
タイトル 客車列車健在
いよいよ待ちに待った北斗星カシオペアが復活です。
ただ、毎日のように北斗星が遅れるのは残念です。カシオペアは定時なのに




投稿者 雑魚
投稿日 2011年 5月25日(水)10時36分14秒
タイトル 斜め踏切
理左衛門様が掲出された「第四奥州街道踏切」の様に、道路と線路が斜めに交差する
仕様の踏切は、警戒対象区間を長く取らなければならない安全管理上の問題もあって、
特に東北線の様な幹線では、本当に珍しくなりましたね。中核市の街中という事から、
朝夕には渋滞が著しいと拝察しますが、立体化などの動きは無いのでしょうか。

上段画像は、常磐線日立駅からいわき方向に分岐していた「日立セメント」専用線の
踏切跡です。ここまで斜めになると最早、遮断機の設置は物理的に不可能でしょうね。
上記ほど極端ではありませんが、かつては「はつかり」編成の方向転換にも供された
田端運転所〜尾久車両センターの連絡線(中段画像)も、中々良い味を出しています。

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下段画像は、運転再開二日目の「北斗星」下り便を上野駅で捉えたものです。復活を
記念してか、三脚組が結構いました。本来なら、学生時代、もしくは都内勤務時代の
悪友を誘い、常磐線特急の最終便に合わせて、上野駅前で呑んだくれる処なのですが、
ここ数日来、小規模ながらも余震が目立つ印象で、福島または茨城の沖での、大規模
余震発生の可能性を指摘する米国研究者の見解が報じられた手前、いつ不通になるか、
漠然とした不安もありますので「北斗星」を見届けてから「スーパーひたち」車内で、
カップ酒およびあたりめでの、独りプチ宴会に留めました(寂)




投稿者 雑魚
投稿日 2011年 5月27日(金)16時43分20秒
タイトル 三陸の鉄道の現況
昨夜、我が子と一緒に観ていたTV東京「ビラメキーノ」での一企画「オチコボ列車・
ピラガッタン」を一瞥して、夕食の味噌汁を 思い切り噴き出してしまいました(^^)
茨城出身の村上健志(フルーツ ポンチ)が扮する「ムラーサ」は「こだま色」183系、
または 485系で、今時の子供番組に「国鉄特急色」が登場する自体、感慨を覚えます。

番組サイト)http://www.tv-tokyo.co.jp/pirameki/music/piragattan/index.html

先刻の報道によれば、大震災の影響で、現在なお小本〜陸中野田が不通となっている
三陸鉄道・北リアス線で、車両の遣り繰りが覚束なくなった為、久慈の車両基地から
二両を、トレーラーで宮古まで輸送したとの事。

費用は 800万円で、それなら八戸・盛岡経由で回送した方が、と思えば、八戸線でも
宿戸〜陸中八木における線路や橋梁の流失により、階上以南が不通。三陸鉄道が現在、
営業している区間は、陸中野田〜久慈が、接続する鉄道他線が皆無の「孤立状態」で、
宮古〜小本にしても、唯一接続するのが、元々超閑散の山田線「区界峠越え区間」と
心許ない限りですが、逆に、かかる状況でも、営業運転を行っている、その姿勢には
襟を正すばかりです。ちなみに、地元の湊線・大洗鹿島線の全面復旧は、七月の予定。

一方、壊滅的被害を受けた気仙沼・大船渡両線の沿岸区間の復旧見通しが立たない中、
運転頻度も車内定員も小さく、復旧作業に伴う渋滞の影響を受ける事が多いバスでは
通学が侭ならないとして、生徒が学校体育館に「寄宿」する気仙沼市内の高校の例が
紹介されていました。

地元の水郡線が キハ110系から E130系に置換したのは、水戸付近での著しい混雑を
緩和する為でした。四年前の留萌線・秩父別駅における「通学生積み残し事件」にも
鑑みた時、拠点駅周辺の僅かな区間ではありますが、鉄道でなければ、捌き切れない
旅客需要が、人口十万以下の街でも、確かに存在すると、改めて感じた次第です。



 
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