倶楽部メモ(641)
平成23年 2月 3日〜 2月11日

急行「さつま」 ・ 夜行列車の運転時間最長例


投稿者 ED76109
投稿日 2011年 2月 3日(木)22時45分22秒
タイトル 本日もトワイライトはウヤです
 おばんであります。「ED76109」でございます。

 本日も「上下トワイライトEXP」は「北陸本線雪害の後遺症」からウヤであります。
1月下旬からほとんど「ウヤ」が続いており、いつ平常運転となるのか心配しております。

 マロネロ38様

 >北陸の雪が「ベタ雪」なのも、新潟以北の「粉雪」に比べたら始末が悪いのが事実

  御意。専門的なことは存じませんが、北陸や上越などの「水分を多量に含んだ雪」は処理する際に質量が重く、
ポイントをすぐに詰まらせる原因にもなってしまい、大変厄介であるとの話を伺いました。
当地では「粉雪」が舞いますので、逆に見通しが利かなくなる「地吹雪」が厄介であります。
しかし、今年のように「一定量以上の大雪」であれば、「粉雪」であろうが「べた雪」であろうが、
ポイントが利かなくなることに代わりはないようであります。

 長々と失礼致しました。
以上、節分に「恵方巻」を食べる生徒達にどうしても違和感を感じてしまう、
元東急急行電鉄沿線住民であった「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雪だるま
投稿日 2011年 2月 4日(金)13時08分55秒
タイトル 大雪
ED76 109様

うちの前の雪は積み上げて2Mはあります。
今冬はJRの遅延に翻弄されています。ときには札幌駅ホームで30分入線を待つことも。

先日の青森地方の大雪で下りのはまなすは16時間遅れで運転されていました。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 2月 5日(土)17時50分5秒
タイトル 時候の挨拶
▼雪だるま様:
> 先日の青森地方の大雪で下りのはまなすは16時間遅れで運転されていました。

♪サツエキの五番に「はまなす」の着く頃………22時を過ぎていますねぇ。札幌から
更に乗り継ぐ予定だった利用者の中には、夜行列車を下車したその足で、宿の確保に
迫られた事でしょう。私なら、開き直って、東急イン付近で一杯引っ掛ける処ですが、
この雪では、集客は覚束ないでしょうか。近所を走る路面電車では、例年にも況して、
名物「ササラ電車」が活躍している事と拝察します。

北国の皆様には申し訳無い様な気もしますが、立春を迎えて当地は陽気が急に春めき、
偕楽園臨時駅が営業する季節を迎えました。掲出画像の様な「余禄」は、望むべくも
ありませんが、定期運用ないし、いわき以南運用からの撤退が決まった特急編成でも
撮りに行きますか。




投稿者 雪だるま
投稿日 2011年 2月 5日(土)19時11分7秒
タイトル 春はまだまだ
雑魚様
水戸方面はもう少しすると梅のシーズンなのでしょうか?
今冬はあと2〜3回大雪があってもおかしくない感じが致します。

車両重量よりもポイント不転換でダウンしてウヤや遅延になっていきます。
車両の下に付いた雪の塊をポイント通過時にごそっと落として、雪がはさまり不転換になっていきます。
エアーで吹き飛ばしたり(これを設置するのに一ヶ所1千万円かかるとか)ヒーターを付けたり対策はしてますが
雪には勝てません。
長々と失礼しました。



投稿者 スカセン
投稿日 2011年 2月 5日(土)21時06分23秒
タイトル ポイント不転換
皆様、ご無沙汰しています。
私事ですが、私は国鉄時代のシハセ・マトエに勤務していました。
ご案内のとおり、マトエはマト区最寄り駅のため構内には多数のポイントが設置されていました。
暖地とは言え、冬が来る前に各ポイントに油入りのカンテラを置いて降雪に備えたのは、懐かしい想いでです。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 2月 6日(日)07時38分41秒
タイトル 春は名のみの風の寒さや
 お寒うございます。「ED76109」であります。

 雪だるま様

 言い古されておりますが、今年の冬は異常でありますね。
「北の大地」に在して26年の小生にしてみれば、「新得」及び「遠軽」で
「一晩で1mの積雪」をそれぞれ経験しましたが、今年の積雪量は・・・。
ただ、愚妻(生粋の道産子)は「私が小学生の頃は、日高だってこれくらい積ったけどね」と一言。
お互いに「雪はねのぎっくり腰」に注意しながら、あと一ヶ月がんばりましょう。

 雑魚様
 >歴代の夜行列車で、定時ダイヤにおける運行所要時間の最長例とは、どの程度に及ぶのでしょうか

 何もデータもないのですが、いつものように「たたき台」のつもりで・・・。

 まず、「東京と鹿児島」を二晩で結んでいた「さつま」が考えられます。
様々な話を推察すると「東京発」が「23時前後」であり、「大阪付近で翌朝」を迎えます。
そして、「関門隧道」辺りで日が暮れて「久留米辺り」で「2日目の行程」に突入。
「出水」が「午前3時」ころで、終着の「鹿児島」は「午前5時ごろ」だったはずであります。
しめて「約30時間」といったところでありましょうか。
前述しましたが、「昭和32年の盛夏」に「鉄」親父や伯父たちで「出水の伯母宅」へ行った際に世話になったようであり、
「灼熱のナハフ10での2泊」は「地獄」だったようであります。
「鉄」親父は「とにかく暑かった。しかし金がないから、一等や二等なんかにゃ乗れなかったし。」と一言。
前部に連結された「マロネロ38」を羨望の眼差しで見ていたそうであります。
 また、「鈍行レ」では小生の先輩教諭が「修学旅行」で利用した、
「青森・大阪」を結んだ「日本海縦貫の鈍行512レ」ではないでしょうか。
「512レ」は「青森」を14時40分に発車する2、3等仕立ての「鈍行列車」。
奥羽・羽越・信越・北陸・東海道とひたすら西下し、終着「大阪」は2日目の20時56分に到着しております。
こちらも、出張旅費は安く、ぎりぎり。
間違っても「2等」には乗れないでしょうから、本当に「難行苦行」が推察されます。
ちなみに「下りの511レ」は、「大阪」発7時08分→「青森」着12時58分(2日目)という、
上下ともに「超強者」であります。
もう乗車は叶いませんが、「旧北陸線」のルートをゆっくり眺められた汽車旅だったのでございましょう。

 長々と失礼致しました。
以上、「センバツは臨時が走りゃ、『ムーンライト』で行くぞ」と刺激的な一言を吐いた「76歳の鉄親父」を持つ、
「寅年生まれ」の「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 クモイ103
投稿日 2011年 2月 6日(日)10時13分58秒
タイトル 2夜行急行「さつま」
また投稿の間が空いてしまいました。なかなか気持ちの余裕が無くてすみません。

昭和20年代前半までのことはよく存じませんが、戦後ある程度世の中が落ち着いてからの話としては、
ED76109様が挙げられた2夜行急行「さつま」が、定期列車の長時間運転として有名ですね。

「昭和32年の盛夏」ということで、
直前のダイヤ改正である前年11月19日改正後の時刻表1956年12月号から時刻を拾ってみます。

43レ急行「さつま」
東京発21:45
名古屋着4:44/発4:50
大阪着8:26/発8:40
岡山着12:10/発12:20
広島着15:41/発15:48
下関着20:12/発20:25
門司着20:34/発20:48
博多着22:23/発22:40
出水着3:24/発3:30
西鹿児島着5:36
鹿児島着5:46(所要時間32:01)

上りはその対称形の時間帯で鹿児島発23:30→東京着6:25(所要時間31:55)でした。

同じ区間に急行「霧島」も運転されていましたが、下り東京発13:00→鹿児島着17:10(所要時間28:10)、
上り鹿児島発12:50→東京着17:25(所要時間28:35)と、「さつま」より速いです。
これは、電化の延伸や軽量客車の投入などで「霧島」がスピードアップする一方、
「さつま」は東京と鹿児島の両方で夜行列車としての有効時間帯の制約を受け大幅な時刻変更が出来なかったため、
取り残されていった結果でした。

ED76109様の御尊父が乗車された直後の昭和33年10月改正で、
特急「はやぶさ」の新設に伴い「さつま」は本州内が廃止され、
門司港−鹿児島間の1夜行急行となって、戦後唯一の2夜行急行は姿を消しました。
3年後の36-10改正で名古屋−鹿児島間(本州内は昼行)に再延長されるも、
昭和40年10月には系統分割で再び九州内だけの夜行急行「はやと」となり
(本州内は名古屋−博多間昼行電車急行「はやとも」となる)、
ヨンサントオ改正で「かいもん」と改称して、長らく周遊券族の宿として親しまれました。
そして平成5年3月には特急格上げで「ドリームつばめ」となり、
九州新幹線開業の平成16年まで、その足跡を残したのでした。



投稿者 ヒゲ無し雷鳥
投稿日 2011年 2月 6日(日)10時25分23秒
タイトル 夜行列車の運転時間最長例
御無沙汰しております。
標記の件を調べてみました。
時代を遡ると同じ区間でも所要時間が長くなるようです。
1948年の東京発鹿児島行急行1レの場合で7:35>20:38(2日目)の37時間
同年の東京発長崎行準急2023レで23:50>14:09(3日目)の38時間
青森発大阪行514レ20:35>7:35(3日目)の35時間といったところでしょうか。
1947年ですと8000番台の復員列車の博多東京間38時間というのもありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 2月 6日(日)10時42分50秒
タイトル 急行「さつま」
ED76109先生:
昭和31年12月JTB.時刻表より:-
43レ「さつま」東京21.45→大阪8.26/8.40→博多22.40→出水3.24/3.30→鹿児島5.46
1号車がマロネ40?(博多解決結)+2号車マロネロ38+-鹿児島直通のハは8,9,10号車。
7号車がナハネ10?昭和32年3月に上り44レが岡山→三ノ宮迄満員で、ナハフ10の車掌室
や食堂車での夕食で過ごしました。
日本海縦貫での長時間は大阪→青森513レで、大阪21.50→金沢5.15/5.24→秋田23.55/
0.10→青森5.00(青函13便連絡)
514レ青森23.50(青函14便受け)→金沢20.39→大阪5.25:いずれも翌々日に終着駅着の
長旅でした。
513レには501レのハネが取れない時に、大阪から高岡へ出張するのにロに乗車すると、
(昭和34-35年頃)501レのハネ下段より100円安くて駅弁代が出ました。
最初はオロ31でしたが後にシートピッチ1040mmのオロ41だったので4人分占領出来た
ら楽でした。特ロのスロ50,51,52よりも足を伸ばせましたので:---ハの方も北陸本線
にしてはオハ35が多かった様でした。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 2月 6日(日)17時11分7秒
タイトル 「さつま」のハザは「門サキ」でありますね
 失礼致します。寒さと雪で外出する気が失せた、2回目の乗車である「ED76109」であります。

 クモイ103様、ヒゲ無し雷鳥様及びマロネロ38様を始めとする先達の皆様

 小生の「戯言」に係り、色々とありがとうございます。「さつま」のことがかなり見えてまいりました。
映画「張込み」のオープニングを飾った「10系PC」で、一度「鹿児島」まで行きたかったですねぇ・・・
(小生が生まれた頃はすでに「鬼籍入り」ですけれど)。
 「RJ・列車追跡リバイバル・懐かしの国鉄客車列車(平成11年9月編)」の「客車列車編成例」を確認いたしますと、
以下のとおりでございました。皆様方から、何か小生の「鉄勉強」の一つにでもと思い、記させて頂きます。

 昭和32年4月10日 東京・鹿児島下り急行「さつま」

 EF58105(東)+スロフ3014(仙セン・回送?)+マニ3276(東シナ・博多行)+オユ364(東シナ・博多行)
  +マロネ402(東シナ・博多行)+マロネロ384(門サキ・鹿児島行)+スロ5117(門サキ・鹿児島行)
  +オロ4010(東シナ・博多行)+マシ384(東シナ・博多行)+ナハネ1021(門サキ・鹿児島行)
  +ナハ1079(門サキ・鹿児島行)+ナハ1095(門サキ・鹿児島行)+ナハフ1033(門サキ・鹿児島行)
  +ナハ10111(門サキ・鹿児島行)+ナハフ1043(門サキ・鹿児島行)

 昭和30年1月8日 金沢・大阪普通532レ

 C622(宮)+マユニ7817(大ミハソ)+スニ7522(金トヤ・大阪行)+スロハ3270(金トヤ・大阪行)
  +オハ3134(金ツル・大阪行)+オハ35881(金サワ・大阪行)+オハ3545(金サワ・大阪行)
  +オハ351240(金サワ・大阪行)+オハ35574(金サワ・大阪行)+オハフ3040(金フイ・大阪行)
  +オハフ33505(金フイ・大阪行)

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 雑魚
投稿日 2011年 2月 7日(月)11時21分14秒
タイトル 水戸駅の機関車達
▼ED76 109様:
>「東京と鹿児島」を二晩で結んでいた「さつま」が考えられます。

クモイ103様による 詳述も踏まえるに、現在の感覚からすれば壮大な内容なのですね。
主要駅での停車中に、ホームで体を伸ばせる程度の余裕があったかどうか不明ですが、
ボックス席主体にあって、最長30時間余の乗車は、他に確たる移動手段が皆無ゆえに
止む無しとは云え、かなりしんどい「耐久レース」だった事でしょう。

この「さつま」には及ばないでしょうけど、1972年に北陸隧道で火災事故を起こした
下り「きたぐに」にしても、隧道の所定通過時刻が丑満時で、上越新幹線開業に伴う
1982年のダイヤ改正までは、現行「いなほ」の機能を集約していた、との事ですから、
一泊明けの末の青森着が深夜、正に先日、雪だるま様の御話にあった、16時間遅れで
札幌に到着した「はまなす」の構図、そのものと云った処でしょうか。

東京〜鹿児島で二泊を要する感覚は、九州新幹線の全通を間近に控えた今となっては、
隔世の感も甚だしいですが、その新幹線にしても、東京〜鹿児島直通便の設定は無く、
昨今の特急系統の分断傾向が、いよいよ新幹線にも及んだかの様な印象すら受けます。

掲出画像は、いわきでの特急系統の分断が決定した、常磐線の水戸駅構内の様子です。
昨日の撮影ですが、EF81が辛うじて一両残っているのが、妙に救いでした。改めて
比べると新型機のスマートさが良く判りますが「星カマ」の時と同様、肝心の客車が
皆無なのに、専用塗装機ばかり集結しているのは、悔しいですね。ダミーで良いので、
尾久から留置用に何両か回しい欲しい気もします。

対首都圏の交通導線の拠点であろう、鹿児島空港では、折からの新燃岳の噴火活動の
影響を少なからず受けている様ですが、同空港が、1972年に鹿児島市内から現在地に
移転したのは、桜島の火山活動を避ける意味合いもあったと聞きます。家畜伝染病に
翻弄される中での今回の噴火騒動に、地元の御苦労たるや、察するに余りありますが、
これ以上、被害が拡大しない事を祈るばかりです。




投稿者 仙コリ(管理人)
投稿日 2011年 2月10日(木)12時11分17秒
タイトル 長時間運行列車について
先日話題になりました、急行「さつま」などの2夜行急行列車を中心とした長時間運行客車列車について
それらの列車が運転されていた昭和20〜30年頃の時刻表を元に運転時刻の変遷をまとめてみました。

2夜行列車は、おそらく急行「さつま」が最後であろうと思われ、最長運行時刻は32時間程度といった
時代が長かったようですが、ヒゲ無し雷鳥様の仰るとおり時代をさかのぼると運転時間はさらに増え、
特殊な例とはなりますが、戦後の復員列車として運転された南風崎と東京を結んだ列車は40時間前後を
かけて運転されていたようです。

掲載資料として、とりあえず東京と九州地方を結んだ列車について運転時刻の概要を掲載しましたが、
今後、大阪−青森間の列車についてや、より詳しい時刻を掲載予定です。



投稿者 ED76109
投稿日 2011年 2月10日(木)21時32分39秒
タイトル 憧憬の長距離鈍行111レ
 おばんでございます。「雪まつり」に出かける気力すらない「ED76109」であります。

 雑魚様
 >最長30時間余の乗車は、(中略)かなりしんどい「耐久レース」だった

    小生、年甲斐も無く未だに「長距離列車制覇」がマイブームのままであるように思います。
「10時間」以上乗車しないと「乗った」という感覚にならないのは「鉄」病でありましょうか。
今回、「管理人」様のご尽力により、長時間運行列車のデータを知り得ることができました。心からお礼申し上げます。
その中で注目致しましたのは、「111レ(東京・門司)」であります。
昭和25年10月の時点で、「東京発14:30・門司着22:01(2日目)」といったダイヤであり、
「門司」からは「511レ(鹿児島行・日豊本線経由)」、「411レ(長崎行)」
及び「都城行(肥薩・吉都線経由)」に接続する豪華版。
この時点では、「東京・静岡」及び「関門隧道」以外はSLが牽引したのではと想定されます。
上りの「112レ」は「門司発7:05発・東京着13:54(2日目)」。
現在では、想像すら不可能な「強者」での旅はどのようなものであったのでありましょうか。
しかし、これらの「強者」も同36年10月改正で「姫路」を境に「2本の鈍行レ」に分割されてしまいました。
「鉄」親父から少し話を聞いているとは言え、自分で「体験」したかった思いに駆られるものです。

 長々と失礼致しました。以上、懐古主義的な「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 マロネロ38
投稿日 2011年 2月11日(金)10時58分26秒
タイトル 111-112レ
ED76109先生:
36-10改正で143レ東京14.56→姫路6.52、227レ姫路7.00→門司20.21ですが、大阪→
姫路間一度乗車しました。兵庫県の砥峰高原へ行くのに寺前から当時一日3本のバスの
初発を捕まえる為には、この列車しか連絡が無かったのです。
大阪からはガラガラでした。
上りが224レ門司7.37→大阪22.46,146レ大阪23.50→東京13.27
143レはスロフ43やオハ35、スハ43など車両は良かったですが。
如何してぶった切ったのか未だに不可解ですが、通しで乗車するのが鉄道ファンぐらい
だったのかも知れません。当時はまだ長距離鈍行の需要があった訳で、学生や一部
商用客は殆ど中、長距離鈍行利用でした。修学旅行も長距離鈍行でしたね。



 
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