倶楽部メモ(622)
平成22年 9月 5日〜 9月15日

修学旅行 ・ さいはての哀愁駅「抜海」


投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 9月 5日(日)10時47分38秒
タイトル 修学旅行
ED76109先生:
修学旅行当たりましたね!もう列車は決まったのですか?首都圏が先か関西が先か存じま
せんが----
関西なら「姫路城は残念ながら工事中」ですから、「明石の東経135度子午線」の天文科学
館と人丸神社か、明石大橋で淡路島往復か??それとも阪和線で和歌山電鉄の「たま駅長」
に会いに行かれますか??

北海道の高校は修学旅行内容が良いですね。兵庫県は県立が長野県へバスでスキー旅行
だけです。「日本海」と「北斗星」には必ず乗車されるでしょうね?「日本海」は当日フル
編成でないと間に合わない???



投稿者 高速貨A
投稿日 2010年 9月 5日(日)13時24分8秒
タイトル Re:修学旅行
マロネロ38様、ED76 109様、管理人様
過去に投稿した内容と重複いたしますが、ご勘弁を。
北海道の高校における修学旅行について。
約30年、私は札幌市内の道立高校に通っていました。当時の修学旅行の行き先は定番の京都・奈良でした。
往路・復路とも、寝台特急「ゆうづる」+新幹線乗り継ぎのため東京素通りでしたが、
高校によっては東京見物?があり、私の友人は「原宿で遊んできたぞ」などと自慢していました。
(当時、ディズニーランドはありませんでした)
 公立高校は往路・復路ともに鉄道(国鉄)でしたが、私立高校は往復ともに航空機とか、
行き先が九州・沖縄だったりして、私立高校に通っていた友人を羨ましく思ったりしました。
 さて、現在では北海道から本州への修学旅行において、どのような移動手段になっているのでしょうか?
道南・道央・道北・道東では、行き先が違いますか?夜行列車がわずかしかないので、往復ともに航空機でしょうか?
 最後に、中学の修学旅行は青森(十和田湖)でした。
復路の青函連絡船乗船直前の青森駅ホームにて(青森駅は函館駅と違って青函連絡船専用の改札口がなく、
青森駅改札口通過後、長いホームを端から端まで歩いて乗船口に向かう)
上野から到着した急行「津軽」の座席車が12系だったのを見て羨ましく感じたのと
(その当時は道内の客車列車は50系以外は旧客編成だった)
札幌〜函館は往路ともにDC急行「すずらん」でしたが、他校では昼行客車急行「ニセコ」(旧客編成)に乗車しており、
その当時は「古い車輌に乗車して気の毒に」と思っていましたが、
今となっては「旧客乗車したかったなぁ」などと思っています。



投稿者 さくら号
投稿日 2010年 9月 5日(日)19時29分31秒
タイトル でんしゃがまいります
福音館の絵本で秋山とも子さく こどものとも年中向「でんしゃがまいります」を紹介します。
新宿駅5番線、6番線の一日を描いた絵本です。201系や115系が登場します。
ホームでの一人ひとりの様子が詳しく描かれ見ていても楽しい絵本です。
201系中央線東京行き快速の朝の慌ただしさの中に一人一人のしぐさや会話が実によく描かれています。
甲府行き115系と115系折り返しの車内清掃やホーム事務所の駅員の様子、
清掃のおばさんの控室の様子もよく描かれています。
夕方のラッシュ、酔い客、最終上諏訪駅行きの登山客と一人ひとりの表現がすごいです。
前に紹介した「やこうれっしゃ」の絵本とともに鉄道hが良く描かれています。
幼児の本とあなどるなかれです。一読を。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 9月 5日(日)23時44分58秒
タイトル Re:修学旅行2
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >「日本海」と「北斗星」には必ず乗車されるでしょうね

 まず、「摩周丸のスタンプ」ありがとうございました。小生の「鉄」資料に加えさせていただきます。
さて、「修学旅行」でありますが、残念ながら「新千歳から関空着」後に新幹線で「東京移動」。
そして「羽田から新千歳着」という行路であり、「日本海」も「北斗星」も全くの無縁・・・(滂沱)。
しかし、件の「日本海」での「大阪車掌区のカレチ」氏と「やんちゃ生徒」との「乱闘劇(?)」
のようなことは願下げであります。
今回は、小生どういう訳か命課されてしまい、正直困惑しております。
しかし、引率するのであれば、自主研修の待機場所として「交通科学館」と「マンボ」、
そして「鉄道博物館」は外せません(!!)。絶対に訪問させていただきます(笑)。

 高速貨A様
 >現在では北海道から本州への修学旅行において、どのような移動手段になっているのでしょうか?
 道南・道央・道北・道東では、行き先が違いますか?夜行列車がわずかしかないので、往復ともに航空機でしょうか?

 「教育長令」で「原則としてJRによる往復」となっているのですが、
「但し往復とも航空機利用も可とする」の一文が・・・。
ですから、「函館」であろうと、「利尻」であろうと、「根室」であろうと、道内の公立高校は全て「往復航空機」利用。
しかし、「関西・広島」や「関西・首都圏」の移動は「新幹線」であり、
「興津」付近では「右側の車窓からの富士山」で生徒たちと盛り上がっております。
以前、記させていただきましたが、「エルム」スジの「下り団体レ」及び「はくつる81号」スジの「下り団体レ」では、
「ハイケンス」や「盛アオのクラシックオルゴール」を鳴らしながら、「車内放送」をさせていただき、
「カレチ」さんたちから「拍手」を頂く愉しい経験ができました。
現状では、「函館」と「青森」若しくは「八戸」で乗り換えが必要となり、正直生徒ばかりか教員側にも不評であります。
ところで10年くらい前に、知り合いの添乗員氏からは「先生のように「鉄先生」が『旭川○高校』にいらっしゃるようで、
旭川から羽田に入って東京見物後、一泊して『銀河』で関西入りというプランを立てた話がありますよ」
と言われたことがございました。
「新幹線札幌延伸」でどうなるかといったところでありましょうか。

 長々と失礼致しました。以上、「添乗員」氏との様々な「対決」を楽しみにしている「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2010年 9月 8日(水)00時42分19秒
タイトル スコール
 なんか、呼ばれてしまいましたような。おひさです。ここ数カ月、鉄道に乗っていません。

 確かにスコール、多々あります。ただ今年は、朝から降ることも多いです。
日本の気象が例年と違うようですが、こちらもなんか少し変です。

 ここで一応汽車の話題を出しますが、通常通りのスコールのある時期、
エアコンなし寝台に乗ったら、、、夜中に寒い思いをしました。
スコールの後だし、田舎で都会的なヒートアイランド現象は無いし。

 寒いと言っても、何も無しでは涼し過ぎという程度で、冬の日本とはレベルが違いますけど。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 9月 8日(水)23時19分54秒
タイトル 愚作ではございますが
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 今回、管理人(仙コリ)様のご厚意によりまして、別添の写真を送付させていただくことになりました。
先日のNHKでも放送されましたが、「旅人は北を目指す」という題名で取り上げられた「抜海」であります。
小生が訪問した折は、昨年の8月でありましたが、北国の夏空の下、爽やかな潮風となだらかな宗谷丘陵を望む「小駅」。
感動の一言であります。
そして、「利尻山」は「稚内」を目指した先達の皆様方には、想い出がおありではないでしょうか・・・。

 長々と失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 9月10日(金)10時30分1秒
タイトル 抜海
ED76109先生:
抜海のキハ54500は北海道普通仕様ですね?車掌側の窓に511とあるのはキハ54511
ですか?
でも鄙びた北辺の駅風景はなんとも言えませんね。
利尻岳はC55の「利尻」目当てに撮り鉄が殺到して、マトモに写した写真が少なかった
ぐらい天候との関係が難しい山で----

鉄道写真家の故中村吉信氏が抜海辺りへ冬に行って、両足の指が「凍傷」になりかけた
とか-----両足の爪が後で全部はがれてしまったとか書いて居ましたが。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 9月11日(土)00時03分36秒
タイトル さいはての哀愁駅「抜海」
 おばんでございます。「ED76109」であります。

 マロネロ38様
 >抜海のキハ54500は北海道普通仕様ですね?車掌側の窓に511とあるのはキハ54511ですか

 御意。「名寄」始終発のローカルであり、座席は特急仕様の豪華版。
ただ、窓の位置と微妙にずれることが玉に瑕でありましょうか。
しかし、「宗谷線」ばかりでなく、「石北線」も「根室本線の釧路・根室」をも征服しているかの如くの「キハ54」。
先達の皆様方も、渡道の折の想い出がおありではありませんか。

 >鄙びた北辺の駅風景はなんとも言えませんね。

 小生が初めて「抜海」を訪問したのは、「鉄」親父と初めて渡道した昭和48年の春のこと。
「C55」牽引の「旭川」からの旧客鈍行「稚内行321レ」。
狭窓の「スハフ」から眺めた薄暗いフォームの小駅は、
白熱灯の車内の雰囲気とマッチした子ども心にも、何か響く哀愁を感じさせてくれました。
その9年後、単独で再訪した「PC利尻のハネ」から眺めた、朝日輝く木造りの駅舎に、小生魅せられたのでありました。
「札幌」から「スーパー宗谷」で日帰りできるとあって、機会があれば再訪したい「鉄」スポットであります。
なお、現在でも「利尻の眺めが堪能できるスポット」では、列車は止まらんばかりの低速運転でサービスいたしております。

 >両足の指が「凍傷」になりかけた

 真冬の稚内郊外での最低気温が、よく話題になります。大抵「-25℃前後」の厳寒の地。
「広田尚敬」氏の写真集では、雪まみれになって顔を赤くした道産子の暮らしを支えた「最北の鉄路」が描かれています。
小生、「撮り鉄」ではありませんが、完全な雪山登山の装備でないと命にかかわる場合も・・・。
小生の同僚に「稚内高校」及び「根室高校」勤務経験者がおりますが、
彼らは口を揃えて「真冬の終列車で帰るのは、いろんな意味で『勇気』が要ることだ」とのこと。
確かに、昼間は広大な北海道を堪能できますが、日没後は灯り一つない黒洞々たる原野。
前述の2人の言葉に頷いてしまいます。

 長々と失礼致しました。以上、「最果ての旧客鈍行レ」の想い出に浸る「中年客車鉄ちゃん」でありました。



投稿者 XD1 at Phuket
投稿日 2010年 9月12日(日)14時27分37秒
タイトル 利尻島
 ED76109さまの3枚目の写真は、利尻島でしょうか。私にも旅の思い出があります。
たぶん20年くらい前でしょうか。7月で、天気が良かったです。

 稚内から宗谷本線を少し鉄道で南下しました。
ディーゼルでしたが、海に近くて小高い場所、
ちょうど利尻島と礼文島が綺麗に並んで見える場所で、列車がほんの一瞬、止まったんです。
直ぐにまた動きだしましたけど、明らかに2つの島を見せるためのサービスですね。粋な事をやるなぁと感心。

 それから稚内へ戻り、夜には札幌行きの急行寝台。2段のB寝台、ブルートレインでした。
深夜に出て早朝に着く、寝台列車としては短いもの。稚内からは真っ暗で景色は見えないし、食堂も車内販売も無し。
札幌近くで、既に都市化された風景を少し見ました。いささか味気ないものでしたが、それはそれで良い思い出です。

 最後は、ANAの飛行機で本州の自宅へ。



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 9月12日(日)23時27分49秒
タイトル ブルトレ夜行「利尻」
 おばんでございます。「ED76109」でございます。

 XD1 at Phuket様
 >3枚目の写真は、利尻島でしょうか

  御意。以前は「PC利尻ハザ」で着いた直後にフェリーで「礼文島」と「利尻島」を回り、
その日の「利尻」で帰札という「0泊3日」の「弾丸ツアー」がありました。
独身時代に「えりも」から参加する予定でしたが、風邪引きで断念した苦い記憶がございます。

 >ちょうど利尻島と礼文島が綺麗に並んで見える場所で、列車がほんの一瞬、止まったんです

  前述いたしましたが、夏季限定の「JR北海道」によるサービスであります。現在も「スーパー宗谷」も徐行致します。
しかし、「マロネロ38様」が仰ったように、なかなか姿を見せてくれないことの方が多いようであります。
それに、「天北」や「下り宗谷」での稚内行では、拝める可能性すらございませんでした。
「XD1 at Phuket様」は道祖神が微笑まれたようでありますね。

 >夜には札幌行きの急行寝台。2段のB寝台、ブルートレインでした。

  「夜行利尻」が廃止されて早2年になります。
昭和63年3月改正で「14系PC」から「キハ400系」へ置換されましたので、
「XD1 at Phuket」様が「利尻」にお乗りになられたのは、そのころではございませんか。
先達の皆様方が仰っておられますが、「上り利尻」は「下り天北」の編成が運用されておりました。
そこで「天北」の後尾2両は「ハネ」でしたが、「自由席」で「ゴロンとシート扱い」のようなもの。
日本離れした原野の風景が、鮮烈な印象を旅人に残していたのでありました。
これも前述いたしましたが、小生が「下り天北」に乗車した折、車販で購入したコーヒーが振動により、
「スハネフ14」のテーブルから引っ繰り返されたという経験がございます。

 今回は、「抜海」のスナップをご紹介いたします。ご笑覧いただければ幸いであります。
長々と失礼致しました。以上、中年客車鉄ちゃんでありました。




投稿者 マロネロ38
投稿日 2010年 9月14日(火)17時01分52秒
タイトル 不定期運転
体調不良療養と家庭の事情で当分不定期運転です。悪しからずご了解お願いします。
ご質問にお答え出来ないかも知れませんが-----。



投稿者 旧狩勝線を楽しむ会
投稿日 2010年 9月15日(水)20時26分21秒
タイトル ED76109様へ
この場を借りて大変恐縮です。お許しください。
2010年9月8日から26日まで旧狩勝線の写真展をナロネ21,22の車内を使って行っています。
写真の提供者は、三品氏、村樫氏、川本氏、菊池氏、大崎氏の5人のものです。
詳しくは当会のHPをご覧ください。
もし時間があれば是非お立ち寄りくださいませ。
大変失礼しました。
投稿者のホームページ



投稿者 ED76109
投稿日 2010年 9月15日(水)23時33分21秒
タイトル ありがたき先達の皆様
 失礼いたします。「ED76109」であります。

 旧狩勝線を楽しむ会様

 夏の訪問以来、色々とご配慮いただきありがとうございます。
小生、9月は「業務」が多忙の折、自由がなかなか利かない状況であります。
もし、先達の皆様方で「狩勝の麓」への旅をお考えの方がいらっしゃるのであれば、是非お立ち寄りくださればと思います。
貴重な写真と貴重な「鉄話」が聴けますぞ。家族で楽しめる「トロッコ」もございます。

 失礼致しました。以上、「中年客車鉄ちゃん」でありました。



 
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